表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

アマルドの黒猫

海の雫を奪った盗賊の正体を知ったアリアテたち。捕われた盗賊を追う一行を、亜竜が強襲する。

 翌朝、復活したエルウィンも交えて朝食をとり、アリアテたちは情報収集に出向いた。エルウィンは先日の湖に用事があると言って、都を一時離れた。

「買い食いするなよ、金も減ってきてるからな」

「わかったよ」

 渋々言って、アリアテは井戸端会議をしている男たちの輪に加わった。

「お、何だ坊主」

 メリウェザーが進み出て、それらしい訳を説明した。

「坊ちゃんのお屋敷はコウロウにあるのですが、この度遊学から帰りますと、家宝である宝石が盗まれておりまして……」

 アリアテは懐からクオーレを取り出し、男たちに見せた。

「犯人を追いかけてここまで来た。これと似た、青い宝石を知りませんか」

 男たちはアリアテと宝石、メリウェザー、そして後ろに控えるロードとカレンとを見比べて、ほう、と唸った。

「こりゃあたいした宝石だな……こんなもん、盗んだって売れやしないぜ」

「ああ、目立ちすぎる。盗品を扱うような輩でも、その後さばくのに苦労するような代物は買いやしないさ」

 男たちは次いで、メリウェザーに視線を向けた。

「お役所には届けたんだろう? 勇ましい坊ちゃんだが、賊退治は危ないぜ。あとはお役人に任せな」

「せめて、賊がどんな奴か知りたい。誰も教えてくれないんだ。盗みに入られたのは雨の夜で、屋敷じゅうの人間が深く眠っていて……」

 そこまで言うと、男たちは顔を見合って頷いた。

「そりゃあ、朔夜の黒猫だろう」

 うんうん、と相づちをうってもう一人が続ける。

「掴まりっこねえ。残念だが、諦めるんだな」

「悪いことは言わねえ。黒猫なんて不吉なもんが触った宝石だ、お家のためにもすっぱりと諦めたほうがいいぞ」

 とぼとぼと井戸から離れて路地を曲がり、アリアテは足を止めた。

「犯人はわかったね」

「漠然としてるけどな」

「黒猫……ということは、キトカ族とヒト族のハーフね。ヴォルフェとヒトのハーフの、カレンみたいな感じよ」

「この島国で、獣と解り合おうとするヒトもいるということだな」

 喜ばしいことのように思えるが、カレンの表情は晴れなかった。その心を察して、メリウェザーも表情を曇らせた。

「そうしたヒトもまた、迫害を受けるでしょうね」

 落ちこんだ空気をロードの柏手が一喝する。

「よしっ 人里離れた場所、おそらく獣族の集落とも別のどこかにアジトがある。で、黒猫の獣族を探せばいい。的は絞れたな」

「この、山だらけ森だらけの国で?」

 アリアテは苦笑して、クオーレを懐にしまった。クオーレはアマルドの清々しい空を映している。

「ところで、エルはどうしたのかな」

「あの蛇と話があるんだとよ」

 路地から出ようとしたアリアテたちの前にカレンが立ち塞がった。高い壁の向こうに視線をやって、装具を外す。彫り模様の美しいなめし革のヘッドバンドの下から、獣の耳がぴんと立ち上がった。

「おい、何して」

「ここから五百キーマも離れていない山中に、騎馬が走っている」

 カレンは耳を振り、街の雑踏を越えた山中の音に集中した。

「約十騎、展開している。何かを追っているようだ」

「行ってみよう」

 言うが早いか、アリアテは門に向かって走り出した。メリウェザーがカレンのヘッドバンドをつけ直し、急いで後を追う。

「メリー、エルに伝えてくれないか」

「わかったわ」

 途中でメリウェザーと別れ、アリアテたちはカレンを先頭に騎馬を追った。街道を走るにつれ、馬の重い蹄の音がアリアテの耳にも届くようになった。

 その先に、木の枝を踏む小さな音がたつ。

「追われているのは獣族だ」

 カレンが布から鼻を出して言った。

「木の密度が高すぎる。飛びこめば騎馬にぶち当たるぞ」

「どうする?」

「獣族の気を引く何か……向こうに気づかせて、こっちへ誘導するしかねえ」

 しかし、相談するアリアテたちの前方から大きな物音がした。ど、と重みのあるものが木にぶつかる音だ。次いで、騎馬の足が止まる。

 しばらくの静寂があった後、騎馬はぞろぞろと街道に出てきた。彼らは息を切らしているアリアテたちに気づき、不審げに一瞥をくれたが、港のある北方へ走り去った。一騎の鞍には、ぐったりとして動かない少女の姿があった。

「あの子、黒猫だ」

 駆け出そうとしたアリアテをロードが制した。

「森の中を展開して走る騎馬じゃない、街道を走る馬には追いつけねえよ……ガイとエルが戻るのを待とう」

 アリアテたちは一旦都へ引き返し、食糧や備品をそろえてメリウェザーたちを待った。門で合流して事情を話すと、エルウィンは人差し指を立てた。

「急ぐのであれば、荷車を新調する必要がありますネ」

 エルウィンは壊れた荷車を格安で買い取り、魔法で仮修復すると、水で動物を形作った。

「hg'frin(ハーフリン)

 青い光を放つ水でできた虎は、荷車と水のロープで繋がれた。

「乗ってくだサイ」

「何だか、エルの調子がいいみたい」

 アリアテたちが乗りこむと、水の虎は街道を蹴った。あまりの俊足で荷車は浮き上がり、アリアテたちは飛ばされないようボロ板にしがみついた。

 会話もままならないなか、ようやく水の虎は失速して、荷車はふわりと地面に降りた。

「ひいひい……」

 走ってもいないのに息が切れる。アリアテたちは荷車から這いだし、木陰に身を潜めた。アマルドの民に紛れ込む算段だったが、人通りがなく、しばらくして恐るおそる門に近づいた。番兵は、国内から宿場町に入っていく者には無関心だった。

「そういえば、フレ=デリクたちはどうしたかしら」

「ちょっと都でゆっくりし過ぎたよな」

 宿場町の門に急ぎながら町中を見回したが、彼らの姿は無いようだった。

 港に出ると、魔獣用の檻と、それを囲む兵士たちの姿があった。檻に捕われている黒猫は、起き上がってはいるが、うな垂れて動かない。

「あれが朔夜の黒猫……?」

「ち、盗難の件で先に捕まっちまったか」

「海の(ウバス・オ・ラル)が無かったか、船長に尋ねてこよう」

 カレンを見送って、アリアテたちは腕を組んだ。

「あの子、どうなるんだろう」

 呟くアリアテに答えるように、兵士の長が書面を読み上げた。

「キトカ族の盗賊一名! ゲッテルメーデルに送検した後、懲役を命ずる。釈放後はアマルドに強制送還するものとする」

「待ってよ」

 少女は勢いよく顔を上げた。

「約束が違う! 船に乗せてくれるって、サルベジアに連れていってくれるって言ったじゃないか」

「それは、誰がお前に言ったのだ?」

 兵士は書面をたたみ、部下に持たせた。

「仲間にそそのかされたのだろう。お前も、狭い島国のなかだけで生きていれば良かったものを……この船に手を出して服役で済むのだ、温情と思え」

「そ、そんな……」

 少女は檻のなかでうずくまった。

 ロードはアリアテの頭の上から、檻を眺める。

「何か、妙な話になってきたな」

 戻ったカレンは、海の雫は見つからなかったと言った。

「それじゃ、あの子に聞くしかないわね」

「猫娘をそそのかしたっていう悪いヤツが誰かは、皆目見当もつかねえしな。盗んだ張本人に聞くのが一番だ」

「どうやって彼女を連れ出す?」

「とりあえず檻さえ開けりゃ、獣族の身体能力で逃げられる。馬は皆船に乗ったとこだ、追いかけるにしろ猶予があるだろうな」

 黒猫を逃がす計画を立てるアリアテたちは、何かの気配を感じて港を睨んだ。肌を這う、とても嫌な予感がした。

「撤退だ! 総員、急ぎ撤退!」

 突然、船上から兵士が叫んだ。兵士長と部下とは顔を見合わせ、檻を車輪のついた台に乗せたが、再び兵士が叫んだ。

「兵士長殿! 黒猫はこの場に捨て置くようにと。急ぎ乗船してください!」

「何事だ、クスハ!」

「決行されるのですよ!」

 兵士長は目を丸くして立ちすくんだ。

「まさか……本当にやるのか」

 呟き、部下を先に行かせると、檻の中の少女に鍵を握らせた。

「ここに居れば死ぬ。逃げろ。きれい事だが、罪を悔いてやり直せ」

 それだけ言って、兵士長は船に駆け上がった。汽笛をとどろかせ、巨大な船体が港を離れていく。

「何だ何だ、お祭りみてえな騒ぎだな」

 ロードは檻に駆け寄った。

「おい、ここは何かやべえみたいだぞ。お前、それ鍵か?」

 茫然としている少女から鍵を奪い、ロードは檻を開けた。

「何してんだ、早く逃げろ」

「逃げたって」

 少女はぽつりと呟いた。

「今までもずっと逃げてきたよ。でも、逃げても逃げても同じなんだ。変わらないんだよ、あたしの一生は……」

「兄さん!」

 メリウェザーが叫ぶ。サンタナミルフ号が去った港に、巨大な影が落ちた。不気味な羽音に頭上を仰げば、絶望の姿がゆっくりと降下してくる。

「竜だ!」

 港の誰もが口を揃えて絶叫した。意味のない言葉を口走り、悲鳴をあげ、人々は群衆となって逃げ惑う。港に逃げ場はない。ならば、より内側へ。ヒトの群れは安全と思われる宿場町の門へ殺到した。

「ムジナ!」

「メリー……っ」

 アリアテはヒトの群れに飲まれ、宿場町へ、その奥の通用口へと押し流された。何とか流れを抜けだすと、エルウィンとメリウェザーが追いついた。

「ここはまずいわ、私たちも逃げないと……」

「フレ=デリクたちはどうしたのデショウ……この騒ぎでは、合流は難しくなりマス」

 アリアテは宿場町の門を振り返った。

「ロードたちは」

「あの子を連れてくる、って言ってたわ」

 メリウェザーが答えた直後、港に火柱が上がった。人々の悲鳴がとどろき、竹の壁がバチバチと派手な音を立てて燃えていく。

「港に竜が出た! もうダメだ! この国はおしまいだあ! わはは、わはははっ」

「あんたあ、しっかりしておくれよ!」

 逃げ惑う夫婦の後ろから、陽気に弾みながら麻袋が走ってきた。珍妙な麻袋姿のそれは、実に楽しそうに跳ね上がり、そのまま空を滑って南方へ消えた。

 しばし、麻袋にあっけにとられていた男は正気を取り戻し、妻の手を引いて通用口へ消えた。

 アリアテたちも我に返り、門までの真っ直ぐな道を祈るように見つめた。こちらへ押し寄せてくる人の波のなかに、ロードたちの姿があった。

「こっちだ!」

 手を振ると、黒猫を背負ったロードは追い払うように手を振り返した。

「走れ! いいから、早く行け!」

 炎とは、勢いを増すと音を立てるものだ。

 ゴン、という重低音とともに、火炎が人の波を包んだ。阿鼻叫喚の渦中、人々は火傷を負いながら逃げすがる。その背後に、黒々と亜竜の影が浮かび上がった。分厚い鱗に覆われた頑丈な顔は金色に照り、逃げる人々をあざ笑うかのように、大きな口が開く。

「ロード! カレン!」

 叫ぶアリアテの前にエルウィンが立った。

「ひと様の庭で好き勝手してくれて、トカゲ野郎がぁ!」

 エルウィンの襟から、するりと蛇が滑り出た。蛇は袖をつたって地面におり、むくむくと体を膨張させていく。

「それ! 連れて来たのか?」

「ええ……主になってしまったものデ」

 エルウィンは微笑み、赤い双眸を開いた。

「それ、じゃねえ! 無礼なガキだなちんちくりんが!」

「ちんちくりん……」

 大蛇は鋭い威嚇音を鳴らし、竜に水の弾丸を食らわせた。竜の巨体が揺れ、火勢がわずかに衰えた。

「わあ、イリバシの水神だ!」

「水神さまだ!」

 アマルドの民は大蛇に臆することなく、むしろ安堵の笑みを浮かべて走り寄る。宿場町はすでに囲炉裏の炭と化していたが、人々は絶望を乗り越え、次々に通用口から逃げて行った。

「若造! まだか!」

「vo:mikc(ヴォーミキ),mekera;(ミケラウ),leo'riohuw;za(レオハーザ).qeos'nuzoarw(クォエスノゾレワ),cikl:rio(キクレリオ).rvius'zods(ラビアスゾーダス),al;katra(アルカトラ).」

 ヒトの言葉ではない、歌のような詠唱は続いていた。大蛇は舌打ちし、進んでくる竜めがけて水弾を見舞う。応戦で吐かれた炎から、大蛇は身を挺してエルウィンを守った。

「俺様の分の水気まで奪っちまって、トカゲ野郎をぶちのめせなけりゃ食っちまうぞ!」

 周辺の水分はすべてエルウィンに集まり、家々はより勢いよく燃えていく。喉を焼く暑さのなか、ロードは熱気に耐えられなかったカレンを抱え、黒猫の少女を背負ってアリアテたちのもとへたどり着いた。

「ロード」

 カレンと少女を受け取ったあと、ロードは膝から崩れた。

「喉が焼けたんだわ……少しでもエルウィンの近くに!」

 ロードの周辺を走っていた人々は、道の途中で消し炭のようになっている。辺りは火の海と形容するに相応しい惨状だった。

 竜はなおも火を噴き、じりじりとアリアテたちに迫っていた。

「rov;gio(ロヴ・ギオ).」

 ゆったりとした歌が終わった。エルウィンの前には巨大な水の盾が現れ、周囲の熱が瞬時に下がった。エルウィンが掲げた手を薙ぐと、盾の表面から幾本もの槍が突き出し、竜めがけて放たれた。

「グオオーッ」

 竜が叫んだ。水の槍は炎の壁を抜け、分厚い鱗を貫通し、深々と竜の体に突き刺さった。しかしヒトの魔法の限界か、槍の一本一本は竜にしてみれば針のごとく細い。

「目に、当たれば」

 エルウィンはうめいた。大盾を維持しつつ攻撃するには、膨大な魔力が必要だ。

「へたるな、若造!」

 大蛇は小さな蛇の姿になり、エルウィンの肩に這い上る。水神の力を借りながら、エルウィンは二度目の槍を放った。

 そして、左手で別の魔法を操る。

「食らえ、剛水の龍。其の牙を給い其の爪を用い、踊る者はなし。束ね縛りて滝は落つ、klc;ls(キルクルス)!」

 竜の背後で水柱が上がった。潮水の柱は瀧となり、生き物のようにうねりながら竜を直撃した。そこから大波を起こしてあたりの炎を消し去った。海と繋がるレピオレン湖の水はほぼ無限に供給される。

「ようし、溺れさせちまえばこっちの……」

 蛇が揚々と声をあげた次の瞬間、エルウィンはぐったりと膝を折った。

「ち、リミッターか」

 息を荒げるエルウィンは、水の盾を維持するので精一杯だった。

「限界……そうか、エルはただでさえ、力の半分しか出せないって」

 以前、ロワンジェルスを防衛した時に彼は言った。

「まあ、このほうが若造のためだ。過ぎた力を扱うには、ヒトの小せえ器じゃ足りねえからなぁ」

「……リオウ、すみまセンが、後を頼みマス」

 水神リオウは舌打ちし、エルウィンの肩を降りた。巨躯をうねらせてアリアテたちの前に立ちはだかる。

「待って、盾になるつもりじゃ」

「黙ってろ小僧、ヒト族のひ弱な武器で竜とやり合おうってのか、へそで茶が沸くぜ」

 鋭く竜を威嚇したリオウは、水の盾の向こうで炎を受けた。それでも怯まずに竜に向かっていき、巨体に絡みついて動きを封じる。そこに、エルウィンが全身全霊をこめた一本の槍を放った。集結した巨大な槍は、深々と竜の足に突き刺さった。

「ガアアアッ」

 竜は怒り、リオウを引き剥がして火炎を浴びせた。リオウはのたうち回って、やがて動かなくなった。

「やめろ!」

 アリアテが先のことも考えず、水の盾の向こうに飛びだして行こうとした時、ふわりと風が吹いた。焼け落ちた町の煙のなかを、優しく撫でていく。

 直後、エルウィンが倒れ、水の盾が霧散した。

「エル!」

 抱き留めたエルウィンの体は火のように熱い。アリアテがきっとにらみ据えた金の亜竜は、ずしり、と負傷した足を引きずって吠えた。

「忌々しい、焼き払うてくれるわ!」

 亜竜が野太い声で怒鳴り、渾身の火炎を放った瞬間。文字通りすべてを巻き返す風が吹いた。

「ぐ、なっ ななっ」

 亜竜はまともに息をつくことすらできず、その巨体を圧し出されていく。炎は掻き消え、亜竜の出す瘴気すら遠く退けて、風は一点に集中して吹きつけた。その風の流れは、形を与えるならば、騎馬兵の扱うランスに似ていた。

「何かしら、これ」

 呆気にとられるメリウェザーに、目を覚ましたカレンが答えた。

「ヒトの技とは思えない魔力……精霊だろうか」

「グオーッ なぜだ、同志よーッ!」

 亜竜は断末魔を残し、錐もみのように回転しながら、遥か湖の彼方へと吹き飛ばされていった。


 亜竜の危機を乗り切ったアリアテたちだが、満身創痍のエルウィンとロードを抱え、遠く門のそばには動かないリオウがいた。

「医者は」

 アリアテはすがる思いで辺りを見回すが、そこにあるのは消し炭ばかり。メリウェザーは兵役で覚えた応急処置の回復をかけるが、ロードの容態は悪化していった。

「フレ=デリクなら何とかしてくれるかも知れない……探してくる!」

 走り出そうとしたアリアテを、少女が呼び止めた。

「待って」

 日の光を受けて、少女の目は緑に光っていた。

「あたしが治す」

 少女は両手に緑の光をともし、そっとロードの喉を包んだ。そこからロードの全身に光が行き届くと、弱っていた呼吸が戻るのがわかった。

「回復術……詠唱もなしに」

 メリウェザーは驚愕していたが、すぐに首を振った。

「ありがとう、ありがとう……!」

 張りつめていたものが切れたのだろう、夕陽色の目には涙が溜まっている。

 少女はロードの回復を終え、エルウィンに取りかかった。

「こっちは魔力切れだね。たくさん眠れば大丈夫」

 そう言って、手のひらに溜めた光をエルウィンの上にかけた。

「回復魔法の応用で、深い眠りに落とすことができるんだ。しばらく起きないだろうけど、心配しなくていいから」

「これか、私たちが眠っていた理由」

「さて、あとは……」

 少女は駆け出し、黒く焦げたリオウの前に立つと、大きく息を吸いこんだ。

「ラ・ティルト。願わくば白き翼へと祈りを届けたまえ。天の羽ばたきより、恩恵を彼の者へ与えたまえ。ヒオルテ・オ・ラル」

 詠唱とともに、少女はリオウの体に触れる。ふわりと緑の光が広がっていき、リオウの巨体を包みこんだ。鱗を焦がした痕も、焼けただれた傷も癒えていく。

 アリアテが追いつくと、少女は脂汗をかいていた。

「はあ、はあ、はあ……」

 大きく口を開け、短い牙をのぞかせて、少女は懸命に回復魔法をかけ続けた。

「……半日は、かかるから。あなたたち、どこかで、休んだほうがいい」

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 戸惑うアリアテに、少女は破顔した。

「それは、あたしの、セリフだから」


 夜には、騒動がおさまったと見込んだ人々が戻ってきた。絶望して泣くことしかできない者、家族と抱き合って土地を離れて行く者。

 そして――

「おい、黒猫だ! 黒猫がいる!」

 誰が叫んだか、あっという間に人だかりが少女を取り囲んだ。

「てめえ、町を守ってくだすった水神さまに何しやがる!」

「亜竜が出たのだってこいつの仕業に違いない、疫病神!」

「うっ」

 少女がうめいた。人々は町の瓦礫を取り、黒猫めがけて投げつける。

「どっか行けえ! 目障りだ!」

 怒りと悲しみのはけ口にされながら、少女は手を緩めなかった。

「水神さまから離れろ!」

「ぐっ」

 誰かの放った壁の破片――竹槍が、少女の腿を切り裂いた。血を流しながら、少女はリオウの回復に努める。

(だめ……集中しないと……内臓が完璧に治ってない)

 目を閉じ、あらゆる痛みを覚悟した少女の背後に誰かが立った。人々はおののき、後ずさっていく。

「皆、災難でしたね。直に港へサンタナミルフ号が寄港し、支援物資を届けてくれます。行く宛てのない方は船室で寝泊まりすると良いでしょう。食事の心配もいりません」

「騎士様」

「ゲッテルメーデルの騎士様、もったいねえ」

 少女の背に立ったのは、白銀の鎧にゲッテルメーデルの紋章を負った一人の青年だった。輝く金の髪は夜でも美しく、剣の柄には竜伐隊の紋章が光る。

「我は竜伐隊隊長オルフェス・ラ・ウィンド。亜竜討伐に遅れを取り、アマルド島国の民に深い傷を負わせたことを深く謝罪する」

 騎士は地面に膝をつき、深々と頭を垂れた。人々はどよめき、口々に「顔を上げてくれ」と言った。

「此度の支援は、大臣メンテス・ガヴォ閣下による」

「おお、ゲッテルメーデルの大臣さんが」

 その場は騎士の存在とガヴォの名によって収まり、人々は何事もなかったかのように港へと去った。

「……あの、助けてもらって」

 少女はリオウの回復を終え、遠慮がちに騎士を振り返った。騎士は少女に向き直り、また深々と頭を垂れた。

「遅くなって済まなかった」

 戸惑う少女と騎士の元へ、遠くから元気の良い声がかかる。

「おーい、食事を持ってきたよー」

 アリアテは少女の前にかしづく騎士を見て足を止めた。追いついたロードが臨戦態勢に入ると、騎士はアリアテたちの方を向き、笑みを浮かべて両腕を拡げた。

「遅くなりました、一角獣(ラ・パーン)のオルフェスです」


 アリアテたちは、焼け残った外壁近くに野営を構えていた。カレンお手製の竹と木の葉のテントに、豪勢な食事が運び込まれる。

「お疲れでしょう。サンタナミルフ号への乗船はおすすめできませんので、せめてお食事だけでも」

「あの、フレ=デリクたちは」

「わー、全部美味そう!」

 アリアテは手近な鶏肉を拾い、かぶりついた。

「それはコンフィです。肉を油で茹でたものです」

「うまい!」

「あたしもー。うー、うまい!」

「あの、フレ=デリクたちは!」

 メリウェザーが勢い込んで訪ねると、オルフェスは微笑んだ。

「私の小隊をアマルドへ呼び寄せることが目的でしたから、今はサルベジアのどこかに……彼らもまた追われる身ですからね」

 そして、脇に控えている若い騎士を紹介した。

「こちらはクレオ」

「同じく一角獣(ラ・パーン)のクレオ・シアン、リヴェラ族です」

 名乗ると、黒猫の少女がえー、と大きな声を出した。

「全然わからなかった! いいなあ、あたしもそのくらい、ヒトに寄せるのが上手だったら……」

 言いよどんで苦笑する少女に、クレオはハーブを煮出したミルクをすすめた。

「うちの回復師が好んで飲んでいる薬湯です。魔力の回復に良いと」

「あ、ありがとうゴザイマス」

 それで、とロードが言った。

「俺たちはこの後どうすりゃいい?」

 オルフェスらによれば、東にも小さな漁港があり、そこからサルベジアに渡る船が出るという。

「我々はそこまでの護衛を務めますが、大陸に渡った後は、監視の目がありますので」

 淋しく笑うオルフェスに、アリアテは礼を言った。

「危険をおかして私たちを助けてくれるんだ、とてもありがたいよ」


 宴もたけなわ、アリアテが揚げた芋をパクパクつまんでいると、隣の少女が立ち上がった。

「それじゃ、食い逃げみたいで悪いけど……」

「え、一緒に行くんじゃないのか」

 驚くアリアテに、少女はもっと驚いた顔で反論した。

「まさか! 一緒になんて行けないよ……」

 テントを出た少女を、アリアテを制し、カレンが追った。

「お前はこの国から出たいと願っていただろう」

「まあね。でも、あたしは犯罪者だし……そういう生き方しか解らないから。すでに迷惑かけてると思うよ?」

 ――黒猫は存在するだけで不吉。

 アマルドの習わしは、少女にも深く根づいている。

「何で黒猫になんて生まれちゃったんだろうね……あたし、生まれた瞬間から両親も、あたし自身も不幸にしちゃったんだ」

 見上げた空には月が無い。

「獣族なのにちっとも被毛がなくて、真っ黒で、爪も牙もないんだよ。同じ合いの子のアンタならわかるでしょ? ……こんなの獣じゃない」

 ヒトと獣の間に生まれた、ヒトでも獣でもない者。血が混ざった者はその証に、すべて黒い毛並みを持って生まれてくる。

 この醜い姿が嫌で、月のない晩にだけ盗みを働いた。幸い、キトカ族は夜目がきく。

 ヒトの社会でも獣の社会でも爪弾きにされた者は、己の力で――持っている者から奪うことでしか、生きる術がない。爪の代わりに鉤爪やナイフを使って、道具に頼って盗みを働く。そのくり返しだった。

「惨めな生き物だよ、あたしって」

「私はお前を美しいと思う」

 カレンの唐突な返しに、少女は言葉を失った。

「生きようとする尊い意思と、生かそうとする優しい心の持ち主だ。何を恥じる? 何を拒む? お前は、ただ生きれば良い」

 茫然と立ち尽くす少女に、カレンは続けた。

「銀狼族は、純粋な獣ほどの力は無い。だが手先は器用で、魔道への適性も高い。被毛の少ない肌は、汗腺が多く機能して発汗作用が高く、代謝を高める。

 ヒトと獣の間だからこそ、私たちには私たちの良さがある。その何をお前は恥じ、嘆くのだろうな……黒は墨、夜、影の色。喪に服すヒトや獣もまとう慈悲の色。とても美しい毛並みだ」

 ――こんなことを言ってくれる存在は、いなかった。

 少女は考えようとしたが、まとまらず、ただ涙が流れた。

 カレンの後ろから、アリアテが顔を出した。

「私の髪も、アマルドの人たちの髪も黒い。変な色なんかじゃないよ」

 言われて、少女は自分の髪に触れた。

(そうか。母さんが言ってた。アマルド人の父さんも……こんな黒髪をしていたんだ)

 くしゃくしゃに崩れた顔に涙が流れる。声をあげて泣く少女に、アリアテはハーブミルクを差し出した。

「おいでよ。傷を治してくれたお礼に、今度は私たちが助ける番だ。ええと」

「シェラ、だよお」

 泣きながら名乗って、シェラはハーブミルクを飲みほした。

(ああ、誰かに名前を名乗ったのは……あたしの名前を知ってもらったのは、初めてだ)

 溢れてくる涙は止まることなく、寝つく頃には、シェラの目は真っ赤に腫れていた。



 翌朝、シェラは一足先にテントを出て、海の雫を回収して戻ってきた。

「どうして真っ先にコレのことを聞かなかったの? 大事なものだし、忘れてたわけじゃないでしょ」

 言われて、その場の誰も反論することができなかった。呆れたシェラは、海の雫を眠っているエルウィンの首にかけながら言った。

「実は、船で手引きしたヤツらのこと信用しきれなくてさ。打ち合わせと全然違う場所に隠しておいたんだ」

「危なかったわ。第三者に持って行かれるところだったのね」

「盗んだあたしが言うのもなんだけど、油断しすぎじゃない?」

「言えてるな。こいつらは抜けすぎだ」

 悪態をつくリオウを、アリアテはひょいとつまみ上げた。

「こらっ 何する」

「オルフェスに教えてもらったんだ。元のサイズになるのも、エルウィンが許可しないといけないんだろ?」

「余計な事をっ」

 噛みつこうと躍起になるリオウを見つめ、メリウェザーは首を傾げた。

「竹やこの国の産物は持ち出し禁止よね。神様もまずいんじゃないかしら?」

「でもよ、エルウィンが契約を上書きしちまったんだろ?」

「ううん、それじゃあ、責任持って面倒みないと」

「俺様はペットじゃねえぞ!」

 威嚇音を鳴らすリオウをエルウィンの襟に戻し、アリアテたちはオルフェスとともに東へ向かった。

「クレオは?」

「先に港に戻っています。私も、怪しまれないうちに退散します」

 オルフェスはつかみ所のない笑みを浮かべた。

「にしても幸運だ。竜伐隊の隊長さんが、味方のほうで良かったぜ」

 ロードと並ぶ長身のオルフェスは、時々身をかがめながら木々の間を歩いた。

「といっても、部下は一角獣(ラ・パーン)ではありませんが……少なくとも、私には同調してくれる者たちですので、我々が皆さんに危害を加えることはないでしょう」

 竜を下す超人の集まり、竜伐隊。敵に回せばいかに恐ろしいか想像することは、亜竜の強さを身を以て知ったアリアテたちには容易い。

 シェラは最後尾でカレンと会話を弾ませ、時々、眠っているエルウィンの様子を確かめた。アリアテはエルウィンを背負ったメリウェザーと並び、エルウィンのフードが落ちるたびに被せ直した。

「メリー、大丈夫?」

「軽い軽い。エルって、あんまり筋肉もないのかしらねえ」

 ひまわりの笑顔は変わらない。アリアテは誰一人欠けなかった幸運に感謝し、懐のクオーレに話しかけた。

「砂漠で野盗に襲われた時も、たしか風の精霊が助けてくれたよね。クオーレと一緒にいるおかげだよ」

「そうかな。私はただ見守っていることしかできなくて、歯がゆいけれど。本当に皆無事でよかった」

 クオーレは、アマルドの穏やかな昼の空を映していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ