帝国の元に平等(あらすじ)
巨大官僚組織が運営する超大国、それが帝国である。世界一の人口と技術、それに支えられた軍事力を背景に世界を支配する帝国は、全世界の国々に自らの社会制度と技術を輸出する。だがそれは、高度な技術に裏打ちされた監視社会の到来を意味していたのだった。全ての場所に配置された監視カメラ、建物へ入るには常に顔認証を受ける。電子通貨決済の普及により、不正な資金はすぐに摘発の対象となる。世界中の監視情報を並列に管理し、怪しい人金物の動きを瞬時に見抜き報告するスーパーコンピューターによって、犯罪は目に見えて減少した。安全が飛躍的に向上した社会を前に、その社会に疑問を持つ市民は帝国首都では久しく見られなくなっていた。
帝国の首都で大学に通う真面目で正義感の強いリンは官僚の登用試験に失敗し、失意の中にいた。エリート官僚となる道が閉ざされたと感じ、絶望するリンを心配した両親の勧めで、リンは東にある隣国に束の間の旅行に出かけるのだった。
これまで帝国官僚となるべく勉学に没頭してきたリンは、隣国での観光を心から楽む。それと同時に、帝国の社会制度をいち早く受け入れ、属国としての平和を享受する隣国を見て、帝国の社会制度の素晴らしさを再認識するのだった。ある日下町にある立ち飲み酒場を訪れたリンは、初老のハゲ男と知り合う。ハゲ男は帝国が超大国となる前の隣国について語る。話を聞いたリンは、かつての隣国は民主主義という名ばかりの理想を重視していたせいで属国となったのだとハゲ男に議論をふっかける。リンの主張に対して、嘗てを懐かしむハゲ男の言はだんだんと熱を帯び、最終的には帝国支配に対する反感を口にする。ハゲ男は今の世界は固定された世界だと言い、誰が帝国の官僚組織に権力の正統性を与えるのだと言い放つ。すると突然後ろにいたスーツの男が立ち上がり、ハゲ男を取り押さえる。スーツ男は自らが警察の人間であることを名乗り、公共の場で騒ぎ立てたことでハゲ男を補導すると告げる。誰にも迷惑をかけていないと主張するリンとハゲ男であったが、スーツ男はそのままハゲ男を連れて外に出る。外に出るとそこには警察車両が待機しており、ここに至ってリンは、ハゲ男の反政府的な発言を監視システムが察知し、警察を寄越したのだと気づく。ハゲ男はそのまま連行され、リンは警察官から帝国社会制度への忠誠を褒められる。ハゲ男にいささか同情するリンであったが、帝国社会による平和がこうして守られているのだと自らを納得させる。ハゲ男との出来事が心に引っかかったまま、リンは帝国へと帰っていく。
帝国社会に疑問はないリンであったが、ハゲ男がなぜあそこまで民主主義という古い理想に縋っていたのか興味を惹かれる。これまで官僚登用試験の勉強でしか歴史を学んでいなかった事に気づき、勉強の息抜きも兼ねてリンは図書館で歴史の本を一日中読み漁るのだった。そこでリンは半世紀前まで世界を支配していた連邦について学ぶ。連邦は世界で初めて民主主義を政治制度として採用し、その広大な領土と技術によって一時は世界に並ぶ者のない超大国となった。しかし連邦は民主主義という政治制度により、一般大衆の気ままな意見に左右され、技術革新の時代に決断が遅れてしまう。ちょうどその頃台頭してきた帝国によって徐々に超大国としての優位性を失い、最終的には帝国の技術力に屈することとなったのだ。連邦は今なお民主主義的な政治制度を保持してはいるものの、その国力は帝国に遥かに及ばない。連邦の歴史を学べば学ぶほど、一般大衆を無視してエリートによる統制社会を選んだ帝国の優位性を確信し、ハゲ男のノスタルジーは結局無知な大衆の戯言だったのだと思い、リンは図書館を後にする。
新年を迎え、リンは帝国西部で知事を務める祖父を挨拶に訪ねる。帝国西部は今なお少数民族が存在し、かつては帝国からの独立を目指し反乱が絶えない地域であった。30年前に大規模な反乱を鎮圧して以降、帝国は少数民族の若者たちに帝国社会の有用性を集中的に教育し、適応しない人々には容赦のない弾圧を加えていた。今なお民族意識が強い人々が住み、民族原理主義者によるテロが未だ発生する地域であった。祖父を訪れたリンは、祖父から西部の監視システムの映像を見せられる。知識としては理解していた監視システムだが、ここでリンは初めて目の前でテロリストの摘発映像を見せられる。テロリストと思しき人物は大きな荷物を持って、郡の役所を目指して歩いていた。これまでの監視データから帝国への反感が強いと思われたその人物は、役所に入ろうとしたその瞬間に役所に設置されていた警備ロボットにより取り押さえられる。役所に爆発物を持ち込もうとしたという容疑でそのままその人物は連行され、祖父から今は刑務所の中だと聞かされる。ところがリンは映像からこの荷物の中身が、西部の名産である酒なのではないかと疑問に思う。リンの疑問を聞いた祖父は、この酒はアルコール度数が高く、酒に見せかけて他の液体を入れていた可能性もあったと答えるが、詳細については知らなかった。リンに聞かれて祖父はその事件についての情報を取り寄せるが、それを見て祖父はリンにその資料は見せられないと言い出す。不審に思ったリンは祖父を問い詰めるが、祖父はその人物は刑務所にはもういないとだけ告げる。その人物が死んでいることを察したリンは、突然ハゲ男が補導されたときの光景を思い出す。これまで意識して来なかった帝国社会の裏側の一端に触れたリンは、これまで当然と思ってきた帝国社会に初めて疑問を抱く。
首都に帰ったリンは、政治犯についての法律とその処遇について調べる。法律については学んでいたリンであったが、刑務所の服役について調べていたとき、ふと政治犯の刑務所内での死亡率の高さに気づく。また死亡以外にも、刑期中に起こした問題行動などによりその多くが刑期を過ぎても出所していないという事実に突き当たる。これまで見えていなかった帝国社会の影に混乱するリンに、突然司書が後ろから声を掛けてくる。何かお手伝いしましょうかという司書が、自分が反体制的な調べ物をしているが故に声を掛けてきたと気づいたリンは、自らが登用試験のために刑務所制度について勉強しているのだと話しその場を逃れる。見てはいけない社会の真実に戸惑いながらも、なんとか日常に復帰しようとするリンであったが、その日以来、自分のセキリュティチェックが厳しくなったように感じるようになる。これまで善良な帝国市民であったリンは初めて自分が監視される対象となり始めている事に気づき、ハゲ男が見てきた景色を垣間見たように感じた。ハゲ男と急に話したいと強く思うようになったリンは再び隣国へ赴く。隣国でハゲ男を探してみると、ハゲ男が懲役刑で刑務所に収容されていることを知る。軽犯罪で補導されただけだと思っていたリンは、改めてこの社会が人知れず不穏分子を排除し続けてきた事に驚愕し、今まさに自分が不穏分子となりかけていることを自覚する。帝国の監視の網が自らに近づいていることに恐怖したリンは、自らの考えを正したいと、高校時代の親友をたずねて、帝国の監視システムに加盟していない連邦を目指し隣国を発つ。
連邦に降り立ったリンは前時代的な都市と、堕落した市井の人々を目の当たりにする。ホテルに宿泊するリンは、ルームサービスにやってきたボーイに連邦の社会について意見を尋ねる。ボーイは文脈がはっきりしない話し方で今の社会への不満を語り、自らの身の上は今の政治が悪いのだと繰り返した。官僚による監視システムについて尋ねると、確かに犯罪は減ったが自分にはプライバシーが必要だと自慢げに語る。帝国市民として生きてきたリンにはボーイが語るプライバシーが必要とは全く思えず、質問を繰り返すがボーイの答えは抽象的で議論にならない。社会の不満に話を戻したリンは選挙とはどのようなものなのかをボーイに尋ねるが、ボーイは政治家は皆悪者だから投票する気になれないと語る。呆れたリンはボーイとの議論をやめ、外を出歩く事にした。連邦には多様な人々がおり、貧富の差も大きいことはリンも知っていたが、その現実を見て唖然とする。街を一通り回ってその惨状を目の当たりにし、連邦に少しでも自分の居場所がないかと考えていた自分がバカらしくなる。考えの整理がつかないまま、リンは親友と会う約束をする。
親友と会ったリンは早速、西部訪問以降帝国市民として疑問なく生きてきた自分の考えに初めて疑念が生じていることを親友に打ち明ける。その上で、帝国社会以外の選択肢が現代にあり得るのかという疑問を親友に問う。久々に再会したリンの様子に戸惑いながらも、親友は連邦の社会について話し始める。連邦では選挙のたびにお祭り騒ぎで政治家を選ぶが、実際には政治は右往左往するばかりで社会としては何も進展しない。政治家は人気取りに走り、不都合なことは隠匿し、民衆は何も知らない。そのくせ監視システムの未熟さをついて、裏では不正が横行している。不正が報道されるたびに民衆は怒り、政治家を批判するが、しかしまたすぐにその事を忘れてその政治家に投票する。リンは帝国社会の欠点を見たのかも知れないが、それ以上に連邦の社会は欠点が多いと親友は語った。帝国市民として正しい考えをする親友の話を聞きながら、しかしリンは最も気になっていた質問をする。今の帝国社会は不穏分子を排除する事で、その可塑性を損ない、固定された社会になっているのではないか。そう親友に詰め寄るリンの姿は、まるでハゲ男が乗り移ったかのようであった。リンの必死さに親友は当惑し、その疑問に対する答えは自分にはないと告げる。このままでは思想犯として逮捕されかねないと親友に心配されながら、リンは帝国への帰路に着く。
帝国に帰りついたリンを西部から休暇で帰ってきていた祖父が訪ねる。祖父はリンの監視警戒レベルが上がっている事を告げ、自分が軽はずみに見せた映像によってリンが反社会的と見られる行動を取るに至った事を詫びる。リンは自らが不穏分子と見られかねない行動をとり、思想もそうなり始めている事を話した上で、なお自分で納得した上で帝国社会を生きたいのだと祖父に話す。そしてリンは帝国が不穏分子を排除し続ければ、社会として固定化してしまうのではないかという疑問を祖父にぶつける。孫の変化に戸惑いながらも祖父は、帝国官僚となれば自ずとその問いに対する答えが出るとリンを諭す。監視対象では登用試験に通らないのではないかと心配するリンに、祖父はそんなことはないとだけ言い、話を終わらせる。祖父の言葉を信じ、リンは疑念を振り払うように登用試験に向けてのひたすら勉学に取り組むのだった。
一心不乱の勉強のかいあって、リンはその年の登用試験に合格する。中央官僚の中で成績上位100人に入る成績で合格したリンは、合格者が集められた集会で官僚特権なるものについての資料を渡される。そこに書かれていたのは、官僚同士の議論に限り政治的、社会的にいかなる発言をしても政治犯の対象とならないという内容だった。リンは自国市民や世界に対して強権的である帝国官僚組織は、その内部において非常に寛容であるという事を知る。無知な一般大衆を排除し、彼らに無駄な意見を持たせない事によって、より知性が高い官僚たちのみによる価値判断で効率的な社会の運用ができる。巨大な監視システムにより世界を統治し、限られた優秀な市民のみが議論し、切磋琢磨し、やがて国を動かす少数の委員会へと集約され、迅速かつ適切な判断が行われる。それが帝国社会というシステムなのだと知ったリンは、これまで一般大衆として抱いてきた疑念を払拭し、無知な大衆を導く一官僚として生きていくと決心するのであった。