五
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「で、それをもらってきたの?」
昏倒事件の翌日、放課後の寮の部屋で、私は箱を前にして、眉間にしわを寄せていた。
「まさか、小学生レベルの訓練をさせられるとは、なんか、かわいそうを通り越して、憐れ、って感じね」
「そう言わないでよ、優奈」
私は箱から二本の操糸を引き出すと、その先の指輪を右手と左手の人差し指に、それぞれ、嵌めた。
箱には、アナログな針が動くタイプのメーターと、ランプが一つあり、背面にはスピーカーがあるのだろう所に穴が開いていた。
私は両手に神経を集中し、両手から操糸にマナを流し込む。
メーターの針が動く。針は二本ある特殊なもので、青は右、赤が左の端に降りていたのが、それぞれに震えながら半円を描いて上がり、二本の針がちょうど真ん中で、細かく震える。二本の針が重なったり、ずれたりする。
次の瞬間、ランプが赤く光ったかと思うと、ビィィィー! という強烈な音が鳴り響いた。椅子に座っていた優奈がびくっとなる。もちろん、私もびくっとなった。音はすぐに止まった。
「な、なに、それ? 音、大きすぎるでしょ!」
優奈の抗議に、私は慌てて答える。
「音量は設定できないんだって!」
ビィィィー! またもや大音量が響き、優奈が黙る。私は必死に両手から流すマナを制御し、二つの針を重ね合わせた状態で維持しようとする。ランプが消えたり、ついたりする。
赤いランプは、針が重なっていない状態が続くと点灯する。そしてそれが続くと、ブザーが鳴る。
これは簡単な仕組みの、マナ制御術の訓練器具だった。右手から流れるマナの量と、左手から流れるマナの量を拮抗させる、という訓練だ。もちろん、流れるマナの総量も問題になる。それは装置の端のつまみで調整できた。ちなみに、それは私が今まで余裕でクリアできたレベルの設定なのだが、なぜか、うまくいかない。
「おかしいなぁ」
ランプが点灯。黙って、集中する。優奈がこちらを見ながら、言う。
「なによ、真利阿。その程度の事も出来ないの? その器具、マスター志望の子どもが使うようなものよ。いまどき、小学生だって低学年で飽きちゃうわよ」
「そう言っても――」
ビィィィー!
「――うまくいかないんだもん!」
「って、うるさいから集中しろ!」ビィィィー!
「してるけどさぁ!」ビィィィー!
私は指輪を投げ出す。メーターの針が下に降りた。私は一息ついて、それからため息を吐いた。そして装置をちょっと自分から離した。
「真利阿、どうしてそんなこともできないのよ」
「知らないよ。この装置、壊れているんじゃないの? 二条先生、どこかで払い下げられたものをよこしたのかも。優奈、やってみてよ」
優奈がこちらに近づいてきて、指輪を手に嵌めた。そしてマナを流し始めると、メーターが動く。グンと二つの針が接近し、重なる。しかし、フラフラと針が動き、赤いランプがつく。
「ほら、優奈だって――」
私が言いかけると、針がぴたりと動きを止め、そしてランプが赤から緑に変わった。その状態が続く。優奈がこちらを見てきた。
「なにが、ほら、よ。うまくできるじゃない」
「そんなぁ……」
「真利阿の修行不足ね。しばらく、このおもちゃで遊んでいなさいよ。ブザーがやけにうるさいから、そこはガムテープか何かで、しっかりふさいでね」
優奈が指輪をはずし、装置のランプは消え、針も戻った。
私はガムテープを持ってきてスピーカーをふさぐと、また指輪をつけて、練習を開始した。
一時間ほど続けたが、結局、緑のランプをともすことは出来なかった。赤いランプが消える瞬間もあったが、ほとんど常に赤いランプがつき、そして時折、というか頻繁にブザーが鳴った。音は軽減されたが、優奈は即座に「私が寝た後はやらないで。というか、寝る前もやらないで」と言った。
諦めて、寝る前に二人でハーブティーを飲んでいると、優奈が言った。
「真利阿、中間試験は大丈夫そう? 今のままだと怪しいようだけど」
「正直、分かんない。狗彦がもっと、まともなマリオネットだったらよかったのに」
「まぁ、柏原博士の作品、っていう時点で、そんな気もしていたけどね」
私が「秘密にしておいて」と前置きして、二条先生から聞いた狗彦のことをぼんやりと話した優奈の言葉に、私は肩を落とす。
「こんなんじゃあ、泰平に行きつく前に、リタイヤだよ」
「トーナメントだから、まぁ、一回戦で当たるかもね」
綺会学園のマスター科とマリオネット科の試験は、マスターとマリオネットのペアで、二対二の模擬戦闘を行い、そのトーナメントで成績を決める。トーナメントの対戦はくじで決められる。だから、私と泰平が一回戦で当たる可能性もある。
「まぁ、そうなったらそうなったで、良いと言えば良いんだけど……」
優奈が真剣な表情になる。
「まさか、勝てる見込みがあるの?」
「……ない」
私の言葉に、優奈が眉をハの字にする。
「じゃあ、なんで、一回戦で当たりたいのよ」
「それはそれで、ちゃんと決着がついた感じで、良いかなぁ、と思って」
「真利阿の学生生活に、ってこと?」
その言葉は、確かにその通りだったけれど、肯定するわけにはいかなかった。私は左右に首を振った。
「違う。泰平との因縁に、ってことよ。もちろん」
因縁って、と優奈が呆れた顔になる。その顔に、私は言った。
「負けたら私は学園をやめるけど、まだ負けたわけじゃない。そうでしょ? これから、何かの奇跡が起こって、私たちがずっと勝ち進んで、決勝で泰平とぶつかるかもしれない」
「うわ、大きく出たわね。まぁ、狗彦くんの性能やら可能性やらは分からないけど、真利阿が決勝まで残ったら、すごいわね」
「だから、奇跡が起こったら、って言ったでしょ?」
私はEランクのマスターだ。それだけ考えれば、私が決勝まで行くという事は、かなり低い確率だ。しかし、まぁ、決勝まで行かなくても、泰平と当たる可能性はある。
「大丈夫よ、優奈。私、諦めていないから」
そう。私はまだ、諦めていない。私にだって、何かが出来るのだ。
それに、狗彦だって、力を貸してくれるだろう。
彼は目を覚ますと、開口一番に、私に謝った。私は慌てて止めたが、それでもそれはとてもうれしかった。彼が私のマリオネットなのだな、とよく分かった。彼は、泰平の言葉を覚えているだろうか。そして、私の気持ちを分かっているだろうか。
私は、泰平に勝つ。そう決めた。
それはただ、私のわがまま、私の意地だけど、狗彦は、それに付き合ってくれると、そう思えた。
「真利阿、あなた、狗彦くんと会ってから、表情が良くなった気がする」
優奈の言葉に、私はきょとんとしてしまった。そして顔の前で両手を振りつつ、答えた。
「そんなことないって。何も変わらないよ」
「本当だって。生き生きしている、っていうか、なんか、無駄に自信ありげ」
私は手をおろして、肩をすぼめて、ハーブティーをすすった。
「私なんて、ただの低級マスターにすぎないってば」
「そう言いながら、最強のマスターなんて呼ばれる泰平を倒すなんて言うの、なんか、ちぐはぐ。本当の気持ちは、どっち?」
私は天井を見上げて、考えた。そして、それから床に置かれている、さっきまで弄っていた訓練器具を見る。
「きっと、私……」
「私?」
「……なんでもない」
えー、教えてよぉ、と言ってくる優奈に笑みを返しつつ、私は心の中で続きの言葉を考えていた。
私は今まで、自分を最低レベルのマスターだと思っていた。だから、マイトになろうと思ったり、少し卑屈にもなっていたし、自信もなかった。
そんな私を、狗彦は選んでくれた。そのおかげで、私は、自分に少し自信を持つことが、出来たのだと思う。私はきっと、そういうところで、根本的には変わらなくても、少し、変わったのだと思う。
優奈の指摘は、正しいのだ。たぶん。
私の中の自信を確かなものにするために、私も頑張らないと。
「優奈」
「なに?」
「もうちょっと、練習して良い?」
優奈が嫌そうな顔をして、「少しならね」と言った。
その日は結局、二人とも日付が変わるまで寝なかった。
俺は二条先生から受け取った器具を指にはめて、唸っていた。
「もうやめてくれよ、狗彦」
「もうちょっと良いだろ?」
真利阿を昏倒させてから、三日が経っている。俺は二条先生から受け取った器具でマナの制御の練習をしていた。
「それにしても、そんな機械、何の意味があるんだ?」
隼丸がそう言うのと同時に、ビィィィー! というブザー音が鳴り響いた。隼丸が耳をふさぐ。小李は、ベッドで丸くなっていた。もう時間は二十二時を回っている。
「それ、どういう仕組みだ?」隼丸が顔をしかめながら言う。「マナを取りこむ量を制御するのは分かるが、マスターにマナを送り返すなんて、確かに俺と優奈レベルなら、必要なことだが、狗彦に時期尚早だろ」
「知らねえよ、隼丸。俺に言うな。俺は言われたとおりにやるだけなの」
またブザーが鳴り響き、隼丸が顔をしかめる。
「そのうち、隣から苦情が来るぞ」
「でも、今のところ、来ていない」
「うちの寮は壁が厚いんだよ。無駄に」
隼丸が呆れた声でそう言いながら、自分のベッドへ上がっていった。
「もう寝るから、やめてくれよ」
「分かったよ、くそ」
俺は指輪をはずして、機械を放りだすと、自分のベッドへと上がった。もう大浴場で入浴は済ましてあったし、歯も磨いてある。俺たちはあまり夜更かしはしない。リモコンで隼丸が部屋の電気を消した。
「狗彦」
隼丸が闇の中で言う。
「なんだ?」
「お前、泰平と戦うのか?」
「泰平? あぁ、あいつか。まぁ、真利阿は戦うつもりだろうな」
隼丸が少し黙ってから、厳かささえも感じられる声で言った。
「あいつは強いぞ。誰よりも」
俺は思わず笑った。
「なら、楽しくなりそうだな」
「楽しくなりそうだって? バカ言うな。お前、滅茶苦茶に壊されるぞ。あいつが本気になったら、それくらいやりかねない」
「大丈夫さ」
俺は、自然と言っていた。
「真利阿がやる気なら、どうにかなるような、そんな気がするんだ」
「盲信や自信過剰は身を滅ぼすぞ」
「かもな」
隼丸が、躊躇ったような間を置いてから、言う。
「真利阿の、前のマリオネットのことは、聞いたか?」
「いや、聞いていない。何かあったのか? そもそも、あいつは今まで誰と組んでいたんだ?」
「それは本人に聞けよ。じゃあ、もう寝るぞ」
「ん? あぁ、おやすみ」
隼丸が小さな声で「おやすみ」と言って、本当に静かになった。俺は黙って、天井を見上げていた。
一週間と少しで、中間試験が始まる。
学校の授業で、俺は様々な運動や格闘術を経験したし、真利阿とも何度となく操糸で繋がり、時折は操作された。俺は徐々に、マリオネットになりつつある。このまま、マリオネットになれるだろうか。
しかし、マリオネットになる、というのは、どういうことだろう。俺は、真利阿のマナで生きていて、しかし、自分の意識はある。機械ではない。しかし機械のようなものでもある。
俺が真利阿のために出来ることは、中間試験で勝つことだけだ。意地でも、負けちゃいけない。それが真利阿のためになる。
真利阿は、泰平と戦うと言った。俺もそのつもりだ。それを阻もうとする奴は、とりあえず、片端から薙ぎ倒すしかない。出来るだろうか?
真利阿は、何と言うだろう?
真利阿はたぶん、出来なくてもやる、というだろう。それがこれまでの短い時間で感じた真利阿という人間の、考えそうなことだった。
俺は静かに唇の片端を吊り上げた。
愉快な奴だ。真利阿がそういうのなら、そうなのだろう。俺はそれを、形にして見せよう。
そんなことを思っているうちに、俺は眠りに落ちた。
(続く)