四
四
父が言っている。
「虚木の娘であるお前が、マスターになれないわけがないだろう! オートマタ作りなど、そんな児戯にかかずらっていて良いわけない! お前は少しでもマスターになる努力をしろ!」
小学生になったばかりの私は父を睨み返す。そして怒鳴る。
「私はマスターになんてなりたくない! 私はマイトになるんだ!」
私の言葉など何でもないように、父は鼻で笑った。
「マイトなど、ただの学者だろう! お前はマスターとなって、世界に実際的に関与していくのだ! お前はそういう人間になるんだ! マイトなど、くだらん!」
私は自分の隣を指差す。そこには二代目の団十郎がいる。
「団十郎は私が作ったんだよ! ちゃんと勉強すれば、もっとしっかりしたオートマタを作れる!」
「また暴走事件を起こす気か! あの時は相手のおかげで助かったが、もし誰かを傷つけていたら、虚木の名は地に落ちていた! もう二度と、そんな真似はさせんぞ!」
「あれはほんの偶然、ちょっとしたミスで……」
父親は片方の口端を吊り上げると、したり顔で言った。
「その程度の制御プログラムも書けんとは、勉強したところで、一流にはとてもなれん! そんなことも分からんのか!」
私は黙るしかない。父はしたり顔で最後に言った。
「お前はマスターになればいいのだ! そして虚木の家をさらに盛りたてるのだ!」
私は黙り込んだまま、立ち上がり、部屋を出た。背後に団十郎がついてくる気配。私は自分の部屋に入った。和室なので、廊下とを隔てるふすまを挟んで、団十郎が部屋の外に控える。
団十郎は、ギアは市販品だが、十分に改造して、私のオリジナルと言っても良いほどになっている。低価格の最低限の機能しかないギアを買ったので、動作はたまにぎこちなくなるし、語彙も少なくて、言葉遣いはまだまだだし、何より表情に変化が乏しいが、それでも私には彼に愛着がある。
「オ、ジョウ、サマ」
団十郎が平板な声で言った。
「ゲンキ、ヲ、ダシ、テ、クダ、サイ」
「大丈夫よ、団十郎。私は元気」
「オチ、コンデ、イル、ヨウ、ニ、ミエ、マシ、タ、ガ?」
私はふすま越しに言った。
「大丈夫なのよ。団十郎はなにも心配しないで。先にラボへ行っていて。私もすぐに追いつくから」
「ハイ」
団十郎が立ち上がる気配。そして規則正しい歩調で部屋の前から離れて行った。
私は大丈夫だと言ったけれど、心は揺れていた。目元を抑えると、指と目の間が湿っぽくなった。どうにかこらえて、涙がこぼれることはなかった。
私は、マイトになりたいのに、それを表だって推してくれる人は今、近くにはいない。父は真っ向から反対し、母も積極的には肯定しない。他の親戚も、みな、私がマスターになるものだと思っている。団十郎は遊びだと思っている。
でも、私は真剣に団十郎を作ったのだ。
私は、マイトになるんだ。
私は部屋を出ようと、ふすまを開けた。
強い光が差しこんだ。
私は気付いた時には瞼を開いていて、それより前に見ていた光景は、瞼の裏に見た夢なのだと、不意に気付いた。
天井は真っ白で、あぁ、医務室だな、と思った。
横になったまま、ぼんやりと夢のことを思い返していた。頭がぼんやりしている。視線を横に向けると、点滴のチューブが吊りさげられている。透明なパックの中には青い液体が入っていて、その液体は仄かに光を発していた。
マナ入りの薬を点滴されているのだ。それを見た時、なんとなく、真実が分かった。
私はゆっくりと上体を起こす。頭がクラクラしたが、体が動かせないほどではない。頭を振って意識をはっきりさせると、ベッドを降りて、点滴のパックが下がる台を持ち、ベッドを囲むカーテンを出た。
「お。起きたか、真利阿」
「二条先生……」
私を振り返ったのは、黒い長い髪を三つ編みにした、眼光の鋭い女性だ。名前は二条幹子。綺会学園に数多く在籍するマイスターの一人、そして彼女はマイトでもある。私が密かに師と仰いでいる人だ。というか、団十郎の製作に多分に手を貸してくれた、恩人、それも大恩人だった。
二条先生に近づくと、彼女は私に席を勧めてくれた。点滴に注意しつつ、私はそこに座る。
「狗彦はどうしました?」
私が訊くと、二条先生が驚いた顔をする。
「なんですか? その顔……」
「いや、まずあの小僧を心配するとは、と思ってね。あの小僧なら、そこだよ」
二条先生が指差した方を見る。
その段になって、ここが医務室ではなく、医務室に限りなく近い造りと空気の、二条先生の研究室だと分かる。私の視線が向けられた先には、人間が入れる水槽があり、そこに狗彦は目を閉じて沈んでいた。
一瞬、狗彦の姿と団十郎の姿がダブり、息を飲んでしまう。
「心配するな」二条先生が笑いを含んだ声で言った。「何の問題もないよ。今はマナが切れて動けないだけ。ちゃんと回復する」
「マナが……。私が、気絶したから、ですね?」
私の言葉に二条先生は難しい顔で頷いた。
「しかしあいつ、お前が気を失ってからすぐに気を失ったが、それでも体内のマナ濃度は、かなりの時間、高濃度のままだったぞ。興味深いことだ」
二条先生がデスクの上のタブレットを手に取ると、指でなぞって、スリープを解除した。画面には二つの線がある折れ線グラフが描かれていた。
「見ろ、これが小僧の内部のマナ濃度の推移だ。ちょうど堀部がデータを取っていたから、お前が気を失う直前のデータは、かなり詳細だ。驚くべき点が二つある」
私は画面を睨みつけ、答えを待っている二条先生に、見解を述べた。
「一つは、先に二条先生が言った通り、マナ濃度の減少が非常に遅い点ですね。本来、マスターのマナが供給されなくなったマリオネットは、体内のマナが一時間で、本当に最低限のマナを残して、ほぼすべて消費される」
「そう、その通りだ。小僧の体内のマナは、二時間半はもった。本来の二倍だ。その原因、要因については、後で考えるとして、もう一点は?」
「もう一点は、私が気を失った瞬間の、マナの上昇率が異常、という点ですね」
二条先生が頷く。
「よし、分かっているな。では、お前が気を失った理由は、何か分かるか?」
「え? ……狗彦へのマナの過剰供給、つまり私のマナの過剰放出ですよね?」
私の言葉に、二条先生が口をへの字にした。
「それは当たってもいるが、間違ってもいる。真利阿、お前は何年、マスターをやっている?」
「もう四年目ですけど……」
「そんなマスターが、今更、マナの過剰供給など、すると思うか?」
私は気を失った瞬間のことを思い出そうとする。なんだろう。あの時、私は体内のマナがどんどんとなくなっていくような気がして、必死に止めようと思ったけれど、止められなかった。
たしかに、それは新人ならともかく、経験を積んだマスターが犯すミスではない。
それに、最後の瞬間、燃えるような何かを感じた気もする。
「二条先生には、答えが分かっているんですか?」
「これは、推測だが、お前が気を失ったのは、小僧がマナを過剰に吸入したことで、お前の体内のマナが枯渇したことだが、それともう一つ、原因があったと思われる」
二条先生が、片手で三つ編みの先を弄びながら言った。
「それはな、小僧がお前にマナを過剰に還元させたこと、だと思う」
「マナの過剰な還元? そんなこと、あるんですか?」
懐疑的な私の言葉に、二条先生がデスクの上に置かれていた紐のようなものを手に取った。それが、私と狗彦をつないでいた操糸だと気付く。二条先生が、それを私に差し出した。
「切断面を見ろ」
私は操糸の切断面を見た。千切れたようになって、毛羽立っている。そして溶けているようにも見えた。
「その切断面は、マナの過剰なやり取りを示している。ごく稀に、力のあるマスターが、自身のマナを限界を超えてマリオネットに流すと、操糸が切れることがある。その操糸の切断面は、その時の操糸の切断面に、酷似している」
「……私がそこまでのマナを持っていない、ということは、狗彦が、私にマナを送り返した、という結論になるわけですね?」
頷く二条先生に、私は首をかしげる。
「でも、そのマナは、どこから来たんですか? 私しか狗彦にマナを供給していない状態で、私が私以上の力を送れるわけがないじゃないですか」
「それが、小僧が、体内のマナ濃度を長時間保ったことと通じる」
二条先生が立ち上がったので、私はそれを見ていた。
「腹が減った。続きは食堂でしよう。今の時間なら、ほぼ誰もいないだろう」
「今の時間? 今、何時ですか?」
「二十二時十分前だな」
腕時計を見てそう言ってから、二条先生は私の手から点滴のパックがついた台を取り、歩きだす。私はあわてて従った。体調はだいぶ回復している。どうやら、二条先生の長い話は、私の回復の時間を待っていたのかもしれない。
二条先生の研究室を出て、私たちは誰もいない廊下を歩いた。
「ところで、二条先生。どうして、狗彦のことを、小僧、って呼んでいるのですか?」
「ん? そのことか。それはな、あいつが子どもの頃に、会ったことがあるからだよ」
「え! あぁ、そうか、先生は柏原博士の……」
先を歩く二条先生が振り返りもせずに頷いた。
「そう。私は、柏原雨彦博士の弟子だったからな。助手ともいうが」
「それで会ったことがあるんですか? 何年前ですか?」
「そんな歳がばれるようなこと、私が言うと思うか?」
冷たい言葉に、私は見えないところで唇を突き出した。二条先生は「その顔はやめろ」と見もせずに言った。そして「まぁ、小僧が小学生だったかな、いや、幼稚園児かな」と言った。十年前くらいか。つまり、二条先生は今は三十歳くらい、ということになる。そう言われればそう見える年齢だが、かなり年齢不詳な人物である。
そんなことを考えながら、エレベータを使って、教員棟の地下の食堂へ降りた。
教員棟の食堂は、二十四時間やっている。しかし教員食堂なので、学生は教員と一緒でないと入れない。学生食堂は二十一時には閉まってしまう。
食堂には、三人ほど、教員がいる以外は、誰もいなかった。
私と二条先生は一番奥に陣取った。壁には、海の中をイメージした映像が流れている。今も、エイのような生き物が、すぐそこを泳いで行った。天井を見上げると、そこも海だった。だから全体的に教員食堂は薄暗く、間接照明が大いに活用されている。その薄暗さは機密保持のためだと、まことしやかに噂されていた。
私はパスタ、二条先生はカレーライスを注文し、二人で運ばれてくるのを待った。
「じゃあ、暇つぶしに話すとするか」
二条先生が持ってきていたタブレットをテーブルに置き、起動させた。例のグラフが映っている。そして操作すると、そこに別のデータが現れた。
「これは先ほど、狗彦で実験した、マナの密度の変化に関するデータだ。マナは私が流した。なぜか真利阿ほどではないのだが、それでも真利阿のマナの時と同じように、マナが長時間、維持されているのが分かる」
「狗彦には、マナを蓄える機能がある、ということですか?」
二条先生が首を横に振った。
「それでは、マリオネットをオートマタにするようなものだ。それにもし、マナを無限に維持できるのなら、それはマリオネットやオートマタではなく、人間をも超える、何者かだ。それはそれでかなりの発明だが、しかし現状、小僧はマナを無限に維持できるわけではない。いずれ枯渇するのなら、それはやはりマリオネットのオートマタ化と大差ない」
「では、どういう可能性ですか?」
「それはな――」
二条先生が声を潜めた。私は身を乗り出す。二条先生が小声で言った。
「――マナを増幅できる、ということだ」
私は何を言われたか、即座には理解できなかった。
待て。待て待て。先ほど、二条先生は、マリオネットがマナを無限に維持出来たら、それは人間をも超える存在だと言ったはずだ。しかし、マナを増幅できる、ということは、それに限りなく近いのでは?
「嘘だと思うか?」
二条先生の言葉に、私は苦笑いするしか出来ない。
「冗談ですよね?」
「冗談ではない。小僧のギアをチェックしたが、ちゃんとプログラムの名前もついている。柏原博士の発明だろう。名前を『ブーストアクセル』と言うらしい。ある科学者との、共同作成となっていたが」
「ブースト……アクセル……」
そこまで話したところで、料理が運ばれてきた。
私は和風パスタの麺をフォークでぐるぐると巻きながら、二条先生の言葉を頭の中で反芻していた。
ブーストアクセルが存在するのなら、それはとてもすごいことだ。私のマナが何倍にもなったように、それはマリオネットの力が、マスターの力と密接に関係する、という常識を覆すことになる。
二条先生を見ると、彼女はこちらを見返してから、「ここのカレーは絶品だぞぉ。明治時代の帝国海軍からの伝来の味という噂だからなぁ」と、どうでもいいことを言っていた。
食事が終わると、私たちは長居するわけでもなく、研究室へと戻った。私の様子を見て、二条先生が点滴を外してくれる。そして二人で狗彦が沈む水槽の脇に立った。
「小僧には、マナの制御術を徹底的に叩きこませる。まぁ、中間試験まで二週間あるから、基礎的な部分はどうにかなるだろう。ブーストアクセルの機能については、まだ不正確というか、はっきり言えば、良く分からん。だから、小僧には黙っておく」
「え? 黙っておくんですか?」
「そうだ。変に意識させない方が良いだろう。お前の中間試験に響いてもいかんしな」
私は渋い表情になるが、二条先生は笑いながら、ポンポンと私の肩を叩いた。
「ま、小僧と一緒に、頑張ればいいさ」
「それは良いですよ。仕方ありません。それより先生、どうしてブーストアクセルについて、良く分からないんですか? ギアを調べたんでしょう?」
今度は二条先生が渋い顔になった。
「情報にプロテクトがかかっている。というか、小僧は、かなり謎が多いマリオネットだ。情報の多くが封印されているんだ。こんな奴を、よく入学させたよ。理事会はなにを考えているのかね。それとも、上層部は情報のプロテクトを解除したのか? そして再び封印した? いやいや、それは考えづらいな。何か裏がありそうだ。それはまた、私の方でも、探っておくよ。それで良いか? 真利阿」
「まぁ、政治に関しては、私は何も知りませんし。先生にお任せします」
「私も腕が鈍ったかな、この程度の小僧のプロテクトを破れんとは。いや、師匠のプロテクトなら、解けなくても仕方ないか。それに、それはきっと、私にしか解けないのだろうな」
二条先生はそういうと、水槽の脇からコードを引き出した。それは操糸だ。私にそれが差しだされる。コードの先には指輪がついていた。
「真利阿、小僧を覚醒させろ」
「……もう少し、待てませんか?」
私は色々と、考えたかった。しかし、そんな私に気付いてか気付かずか、二条先生は鼻を鳴らした。
「ここにいられても邪魔だ。さっさと覚醒させて、部屋に戻せ。明日からも学校はあるんだぞ」
「そう、ですね」
「そうだ。毎日が戦争だよ。私は私の戦争、お前はお前の戦争、小僧は小僧の戦争だ」
私は受け取ったコードを指につけ、マナを流し込んだ。狗彦の瞼がピクリと動く。水槽の脇のパネルに、狗彦が活動を始めたことが表示される。二条先生がそれを見てから、私に小さな箱を押しつけてきた。
受け取ってみると、それは懐かしい器具だった。
「これ、なんですか?」
二条先生が、不気味に笑った。
「小僧にもマナの制御術を習得させるが、お前も同じだ。二度と、マナの過剰なやり取りをしないように、お前もマナの制御術を勉強しろ。昔を思い出すだろう? これから試験まで、毎日、部屋で練習する事だ。くれぐれも、サボるなよ」
私は受け取った器具を見て、思わず、ハハハ、と乾いた声で笑っていた。
(続く)