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     末


 俺が目を覚ますと、そこは二条先生の研究室だった。ベッドに寝かされている。服はアロハ柄の浴衣だった。もっとマシなものがあるだろう、と思った後、そうじゃない、と気付き、浴衣の胸元を開いて体を見ると、胸に大きな傷痕がある。

俺は体を起して、ベッドを降りる。カーテンを開くと、そこに二条先生がいつも通りの姿でいた。

「おう、小僧、起きたか」

「はい。真利阿は?」

「あいつなら、今ごろ、自分の部屋だろうな。ピンピンしている」

 ほっとしながら、俺は自分の胸を指差した。

「これ、治らないんですか?」

 俺の言葉に、二条先生が嫌そうな顔になった。

「お前なぁ、私が好き好んで、マリオネットに傷跡を残すような人間だと思っているのか?」

「い、いえ、思っていませんが……」

「まぁ、座れよ」

 俺は恐る恐る、二条先生の前に腰を下ろした。

「その傷はな、お前のギアについた傷だよ」

「ギアに……、ってことは、治らないんですか?」

「治せないんだよ。それはもう、一生消えん。ギアをオーバーホールすれば可能かもしれんが、そいつは科学大実験ってもんだ」

 俺が言葉の意味を計りかねていると、最後のは冗談だよ、と二条先生は言った。

「お前はまだマシさ。あの子に比べたらな。紺碧は、修復不可能だそうだ」

「そうですか……。紫紺は?」

「ん? 紫紺は、もう活動しているだろう。詳しくは知らんが、ギアに致命的損傷はないと聞いたし、目立った傷は左腕くらいだったからな。お前、あの娘のギアを破壊しようとしただろう? 最後の一突きはそういう攻撃に見えたぞ。あまり恨みを買うようなことをするな」

 俺はやっとそこに思い至った。

「先生、勝負の決着は?」

 二条先生は難しい顔になり、

「さっきまで、それに関して、泰平と話していたんだ。電話で」

「どうなったんですか?」

「それがなぁ……」

 二条先生が喋り出した。


 私が二条先生の研究室に入ると、二条先生はいなかった。

 代わりに、アロハ柄の浴衣を着た狗彦が、難しい表情でそこにいた。

「あ、起きた? 傷、治んないんだって。もう聞いてる?」

 努めて明るい声を出しながら、私は狗彦の前に立った。

「狗彦、私……」

「まぁ、仕方ないな」

 狗彦が先にそう言ったので、私は首をかしげた。狗彦が苦りきった顔で続ける。

「泰平との契約書に、かなり偽装して、お前の学園への復帰を約束させたけど、勝負が引き分けじゃあ、すんなりといかないか。まぁ、俺としては、紺碧は戦車にやられたんだから、俺が倒したわけじゃないし、すっきりしないが、それでも向こうが多目に見てくれるなら、それで良い」

 私は苦笑いする。

 そう。勝負結果は、「引き分け」だった。

 最後の一撃、お互いの虚糸を使ったマリオネットへの攻撃は、同時に相手に炸裂し、お互いをノックアウトした。双方が戦闘不能である。で、協議の末、引き分けとなったのである。もっとも、泰平は紺碧が戦車に破壊されなければ、あんな戦法は取らなかっただろうし、まだ戦えたはずだから、私としては、狗彦が言うとおり、引き分けというのは、かなりの譲歩を引き出せたのだと思っている。

 で、あとで散々、泰平に叩かれることになった、私の知らないところで狗彦と二条先生が契約書に盛り込んだ私のマスター科への復帰は、どうなったのかというと……

「まぁ、良いじゃない、狗彦。私はマイト科でやっていくわよ」

 私の言葉に、狗彦が納得いかない、という顔をする。

そうなのだ。私は綺会学園には戻るが、マスター科へは戻らず、マイト科に編入する事になった。

「私としては、マイトになりたかったわけだし、ちょうど良いわ」

「でもなぁ、お前、あの泰平と対等に戦えるくらい、力をつけたんだぞ」

 私は否定の意味で首を振った。

「あれは、狗彦がいるからできたことだよ。例えば、私が小李と組んでも、私は虚糸を作ることはできないし、ただの二流、三流のマスターになるしかない。あれは、狗彦の力なの」

「それでも、もったいないよ。俺と……ずっと、組んでいればいいんだ」

 狗彦がこちらをまっすぐ見つめながらそんなことを言ったので、私は少しどぎまぎしつつ、しどろもどろで答えた。

「だ、大丈夫。そのうち、あんたを私以外のマスターと組んでも大丈夫なように、改造してあげるから。そうしたらその胸の傷跡も消せるだろうし、一石二鳥でしょ? どう?」

 狗彦はまだ納得いかないようだったが、不意に肩から力を抜くと、笑って言った。

「お前のオンリーリンクのチャンネルは、残しておくからな。忘れるなよ」

「う、うん」

 狗彦は納得したように強くうなずき、立ち上がった。

 私は聞きたかったことを思い出し、質問した。

「戦車がジャミングを使った時、どうして、私たちの間に虚糸が生まれたか、分かる?」

 狗彦は私の前に立つと、あぁ、それか、と答えた。

「あれは、親父からのプレゼントだよ。俺たちへの」

「柏原博士? どういうこと? 私にはさっぱりなんだけど」

 そう答えると、狗彦が微妙そうな顔をした。

「お前、覚えてないの?」

「なにを?」

 狗彦がため息を吐く。よく分からない。なんだろう? さらに聞こうとすると、狗彦は私に手を差し出してきた。

「まぁ、いつか分かるだろうよ、お前にも。マイトをやるならな。なんにしても、よろしく、俺の新しいマイトさん」

 私は、どうもすっきりしない気分のまま、その手を握り返した。

「今度、徹底的に調べてやるから。徹底的にね。というわけで、こちらこそ、よろしく。私のマリオネット」

 私たちはしばらく、手を握り合って、目をまっすぐ見合っていた。

狗彦が私と手をつないだまま、聞いてきた。

「真利阿、ずっと不思議に思っているんだけど」

「なに?」

「この学校で初めて会った時、お前、俺と組んで、夢を叶えるって言ったけど、お前の夢って、なんだ?」

 あぁ、その事かぁ、と私は少し困ったけれど、正直に言う事にした。

「私の夢はね、試験で一回戦を突破する事よ」

「はぁ? じゃあ、お前、もうその夢は叶って――」

「まぁ、ね。だって、今まで、ずっと一回戦で敗退していたんだもん」

 私の言葉を聞いて、狗彦が手を放すと、口元を押さえ、それから吹き出すと、ゲラゲラと笑いだしたので、私はその頭を思い切り殴っておいた。

 狗彦はずっと笑っていた。私も、少しおかしくて、笑ってしまった。

 私たちは、こうして笑いあえる。それが、嬉しいような気がした。


     ◆


 昼下がりの街角で、一人の中年男性が困った顔をしている。

 周囲に人だかりができている彼の足元には、オートマタが転がっていて、すでに活動を停止していた。そこに少女が一人、すがりついていた。やがて、オートマタが動かないのを確信すると、男性の背後に隠れるように立っていた少年を睨みつけ、批難し始めた。少年も言い返し、二人が取っ組み合いを始めそうになる。

「待った、待った、ちょっと待った」

 男が二人の子供に目線を合わせる。少女が泣きはらした目で強く、少年は困った顔で、男性を見た。

「お嬢ちゃん、きみのオートマタの名前は?」

「団十郎だよ、おじさん! おじさんが弁償してくれるの?」

 男性は頭を掻いて、それから言った。

「きみには、特別なマリオネットをあげるよ。晴彦、手を出して」

「う、うん」

 少年が男性の差し出した手のひらに、右手を置いた。

「お嬢ちゃん、きみも手を」

「ど、どうするの?」

 少女はそう言いながらも、男性の手に右手を置いた。

 男性が少年と少女の手を重ね合わせ、自分の両手で挟んだ。

 そこに、マナが集中する。少年が一瞬、ぼうっとした表情になり、それからハッとすると、男性の両手の隙間から引き抜いた手を見つめた。

「お父さん、今、なにしたの?」

 男性が優しく微笑む。

「きみたちを、お友達にしたんだよ」

「お友達ぃ?」

 少女が嫌そうな顔をする。男性が苦笑いでそれを見る。少女の手を握ったまま、聞いた。

「団十郎を作ったのは、きみ?」

「うん!」

「それはすごい。きみには才能がある。そんな未来の天才のお嬢ちゃんは、なんて名前?」

 天才と呼ばれて気を良くしたらしい少女が答える。

「私、虚木真利阿!」

「真利阿ちゃんか。こっちは僕の息子の柏原晴彦。きみたちは、誰よりも仲良しになれるよ。だから、握手しようか」

 真利阿が嫌そうな顔をするが、それでも手を差し出した。晴彦も、手を出した。

 二人の小さな手が、握られる。それを男性が柔らかい視線で見ていた。

「じゃあ、きみたちは今日からお友達だ」

 少女と少年は、お互い、視線を逸らし、そして手を放した。

 少年と男性は、パトカーのサイレンが聞こえてくると、その場を離れた。

少年が、少女と握手した手を見て、微かに微笑んだ。

 そして少女も、見えなくなった少年に握られた手を見て、小さく笑う。

 それはちょっと昔の、一場面。



(了)

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