十四
十四
ドームの修繕費は、保険も降りたものの、それでも一学生にとっては想像を絶する金額である。社会人でも、そう簡単には返せない。
と言うわけで、俺は月子とともにアルバイトに来ていた。
小さなイベントスペースで行われる、オートマタの展示会の警備のバイトである。
「で、なんで、俺とおまえだけなんだ?」
俺は月子と並んで会場の中を歩きながら、月子に聞いた。月子は眉をしかめる。
「仕方ないでしょ。他のペアが、なんだかんだで、来られなくなったんだから」
このイベントの警備は綺会学園の学生がメインで行い、五組のマスターとマリオネットが配置されるはずだった。しかし実際にいるのは、俺と月子だけである。他のペアは、それぞれの理由で、来られなくなっていた。
イベントの主催者はどこか緩そうな中年男性で、月子が警備の助っ人が必要だと言ったが、「大丈夫でしょ」と言って、結局、イベント運営のボランティアの一部に警備を任せ、俺と月子は会場内警備を行う事になった。
ちなみに、小李は昨日、突然、整備の話が来て、今は学園でお留守番だ。
「どういうことかしら」
会場を歩きながら、月子が小さな声で言う。
「ちょっと、嫌な気配がするわね」
「そうかぁ?」
俺は周囲を見回した。
オートマタの展示会には、中高生から、家族連れ、裕福そうな老夫婦まで、様々な人が集まっている。オートマタも最新のものが、お行儀よく、展示され、時には実演を行い、客はそれを楽しんでいる。
平和な、どこにでもある光景だ。
「犬コロ、あんた、中間試験の時の話、忘れていないわよね?」
「なんだっけ?」
真利阿のバカのパートナーはやっぱりバカね。月子がそう言って俺の耳元に口を寄せた。
「中間試験四回戦で、ドームのベンチにあった、ギブアップボタンの件よ」
あー、あれか、と俺も思いだした。
俺と真利阿のペアのベンチにあったギブアップボタンは、正常に作動しなかった。しかし、それは優奈や月子、二条先生の意見で、実際に運営委員が事後にチェックしたところ、ボタンは正常に作動した。
結局、事実は分からないまま、闇に葬られた。
「あの時、確かに優奈が、ボタンを押したのよ。でも、作動しなかった。間違いないわ。二条先生がハッキングなんてしなければ、もっと事実を追求できたのに」
そう。あの時、俺はよく知らないが、二条先生が即座にドームの管理システムのネットワークにハッキングを仕掛け、強引に試合を終わらせようとしたらしい。というか、終わらせた。
俺の一撃が紫紺にぶつかる前に消えたのは、ドーム内に設置された反虚界物質装置が作動したからだ。もっとも、その最大出力の妨害を受けても、天井と基礎は破損したわけだが。規模が大きすぎて、俺にもよく、分かっていない。
月子が言っているのは、二条先生がハッキングをかけなければ、もっと大っぴらに捜査できるのに、ということである。二条先生は教員だが、それでも一教員に過ぎない。どんなに能力があろうと、さすがに一人の教師がドームの管理システムを乗っ取るなど、あってはならないことだ。しかし、よく考えれば、二条先生もすさまじい人だ。
俺は気付いたことを言ってみる。
「あの件は、ボタンに細工した奴もそうだけど、二条先生の方も、追及して欲しくなかったんだろうな。だから、放置したのか」
「悔しいわね」
月子の言葉に俺は頷いておいた。
しばらく会場内を歩いていると、俺はマナの気配を感じた。
「あれは……」
月子が呟いて、俺と同じ方向を見た。
人波の中を、ふわふわと、糸が漂っている。あれは、操糸、か?
次の瞬間、悲鳴とざわめきが爆発した。俺と月子は反射的にそちらを見て、二体のオートマタが近くの人間に殴りかかっているのを見る。男性が二人、女性が一人、すでに倒れている。そして今、また一人、男性が殴り倒される。
その二体のオートマタに、来客のものだろうオートマタが制止に向かうが、暴れているオートマタは出力が異常だ。同類を力尽くで圧倒し、破壊している。
「犬コロ! 止めて!」
「分かっているっての!」
月子が俺の操糸にマナを流し込む。真利阿の時には劣るが、それでも戦闘出力で、俺は人ごみを飛び越え、暴れるオートマタの前に立つ。警備の都合上、ナイフの一本しかもっていないが、これでやるしかない。
オートマタがこちらに気付き、飛びかかってくる。俺はそれを避ける。着地したオートマタの両足が、床に亀裂を入れる。そこから高速の足払いが来るが、俺はそれも避けた。動きがかなり良い。戦闘プログラムは入っていないはずだが……。
俺が視線を凝らすと、本当に細い糸が上に伸び、天井付近を漂っている。
「月子! マスターがいるぞ!」
俺は月子に怒鳴りながら、オートマタの上段の回し蹴りを腕で受け止める。
オートマタとマリオネットは構造が酷似している。そして最近のオートマタの中には、マリオネットのように操作出来る、中間機のようなものもあるのだ。
今、俺と戦っているのはオートマタでありながら、動きはマリオネットのそれである。
俺の体から伸びる操糸が、客を避けながら宙を走り、オートマタに繋がっている極細の操糸を捉えようとするが、その風に乗っている糸は、そう簡単には捕まらない。それに、月子の操糸では、せいぜい絡め取るくらいが関の山だ。
「犬コロ! 私には無理!」
「おいおい!」
オートマタの拳を弾きながら怒鳴り返した時、俺はもう一体のオートマタに背後から蹴倒されていた。背中に激痛が走るが、運動に支障はない。転がって起きようとするところを、一体がのしかかってきて、潰される。
こいつら、破壊されることを恐れないのか?
俺は一体のオートマタを揉み合いながら、その中で操糸を七本、まとめて引き千切られる。体内のマナが一気に減る。ブーストアクセルを使おうにも、集中できない。それに、オンリーリンクが解除されても、月子のマナでは完全に増幅させることは不可能なのだ。
それでも俺はナイフを、オートマタの左胸に深々と突き込んだ。
オートマタが異様な声を一瞬だけ上げ、ぐったりと動かなくなる。ギアを破壊する事は出来たようだ。ナイフを引き抜こうとすると、刃が根元から折れてしまった。
立ち上がろうとしたところを、もう一体のオートマタが大きく跳んで、踏みつぶそうとしてくる。破壊したオートマタの下からどうにか抜けだすと、その動かないオートマタは、仲間のオートマタの足に潰され、体がべっきりと折れた。
俺は拳闘の構えを取りつつ、どうするべきか考えた。
徒手空拳で簡単に倒せる相手じゃない。こちらの出力は今、人間を少し上回る程度。一方、相手は本来のマナ電池に加え、極めて細いとは言え、操糸がつながれ出力は通常以上だろう。
俺の頬を冷や汗が流れる。
そこへオートマタが踏み込んでくる。鋭い踏み込みに、間合いを制される。中段突き。俺は本能的に腕で体をかばった。受け止めた腕からメキリという音がしたが、どうにか防ぐ。そこは今度は回し蹴りが首を刈り取るように鋭角に振り抜かれる。
その足が一瞬、空中で止まった。
「犬コロ! 逃げて!」
月子の声。
足が止まったのは、月子が操糸で足をからめ取ったからだった。しかし、そのせいで残りの操糸が切れてしまった。俺は回し蹴りを避けるものの、逃げるほどの力が無い。
片膝をついて、オートマタを見上げる。俺の顔面に、拳が落ちてきて――
(狗彦!)
声と同時に体が勝手に反りかえり、拳を避けた。体に力が戻り、自分の意思で、オートマタと距離を取る。
(いつでも良いわよ!)
懐かしい声が頭の中に流れるのに思わずニヤつきながら、俺は体内に入ってきたばかりのマナを活性化させる。訓練で鍛えたように、少ない量を借り、増幅させ、少ない量を返す。マスターに負荷がかからない、マナの操作術だった。
俺の体が力に満ち、追ってきたオートマタの拳に、正面から拳をぶち当てる。
相手の拳がおかしな形に歪み、手首と肘が折れた。
俺はもう一方の手でオートマタの首をつかみ、片腕で強引に床に叩きつける。痙攣するオートマタの左胸に、俺は突きを叩きこみ、俺の拳は深くめり込むと、微かに何かが砕ける感触があった。
オートマタは、活動を停止した。
周囲のざわめきが収まっていく中、
「団十郎はマスターを追って!」
という声を聞いた。そして人ごみを割って、十本の糸を指から垂らした少女が出てくるのを見守った。
「よお、久しぶりだな」
俺が言うと、真利阿はにこりともせずに、足元を見た。活動を停止したオートマタが転がっている。
「あんた、よくよくオートマタに呪われているわね」
「俺もそう思っていたところだ」
真利阿が俺に手のひらを向けてきた。俺と真利阿はハイタッチをする。そして真利阿は、その手を今度は、すっと差し出した。
握手、か。
そういえば、最初に真利阿と契約した時も、彼女と握手をしたんだった。
俺は、彼女の手を握った。
「狗彦、悪いけど、もうちょっと私のわがままに付き合ってもらうわよ」
「別にかまわないが、それより先に、俺に言う事があるんじゃないの?」
真利阿はグッと息を飲むと、小さく頭を下げた。
「ごめん、私、もっと真剣になるべきだった」
ふんふん、と俺は頷き、そして俺も頭を下げた。
「俺も、ごめん。お前を、傷つけた」
真利阿が顔を上げたのいが分かった。そして操糸を通して、思念だけでこう言った。
(バカね、気にしていないわ)
「俺もだよ」
俺がそう言うと、真利阿は俺の手を放し、クスッと小さく笑ってから、バンと俺の背中を叩いた。
「ほら、犯人を探しに行くわよ。団十郎が追っているから!」
「あぁ、分かったよ」
俺たちは人ごみをかき分けて走り出した。
もちろん、何やら叫んでいる月子は、わざと無視したのだが。
「それより真利阿、どうしてここにいるんだよ?」
「二条先生に勧められてきたら、こうなったわけ。どういうわけだか、分からないわよ」
◆
初老の男は電話を切ると、小さく息を吐いた。
「まぁ、あの小娘が戻ってきたのなら、まだ機会もあろう」
男は椅子に腰をおろし、イライラとした様子で、デスクを指先で叩いた。
「神守の倅に、任せるのはしゃくだが、まぁ、仕方ないか」
男はそう呟くと、口をつぐんで、何かを深く考え始めた。
◆
オートマタの暴走事故はニュースで取り上げられた。
犯人は二人の私立大学の学生で、危険思想の持ち主だと報道された。その二人を捕まえたのは、民間のオートマタだと伝え、そこにいたマスターとマリオネットに関しては、どこも報じなかった。
(続く)




