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     九


 優奈と隼丸の残念会は、試合の翌日に開かれた。メンバーは、優奈、隼丸、狗彦、そして私だった。月子はともかく、小李も呼ぼうかとも思ったが、二人は何か、雑用で時間が取れないらしかった。

 私は、試合の最後に泰平が「やるね、本堂さん」と呟いたのを微かに聞いたが、その理由は残念会の前夜に、分かった。本当はその時に残念会を予定していたが、隼丸が徹底的に破壊されたため、その修理のことを考えて、延期したのだ。

 そう、その修理なのだが、それは一晩で済んでしまった。

「あれは、なかなか、優奈の判断が冴えていたよ」

 例のパーティールームで、隼丸がそう言ったので、私は思わず苦笑した。

「優奈、そういうところ、しぶといよね」

「しぶといよねえ、じゃないわよ」優奈が疲れた顔で言った。「こっちは必死だって言うのに」

 隼丸が一晩で修理で来た理由は、体をバラバラに刻まれたのに、ギアが無傷だったことが大きな要素だった。それは優奈の操作だったのだと、さっきの隼丸の言葉は、そういう意味だ。それはすごいことだった。あの光の瞬きにしか見えない泰平の攻撃を、優奈は見切っていたのである。

「あのねぇ、そんなにすごいことじゃないのよ」

 優奈がかすかに笑いながら、言う。

「泰平の操糸の位置を把握して、そこからの動きを即座に予測すれば、簡単なの。問題は回避できない、ってことね。あれは一種の虚糸だから、受けることもできないし」

「何か、対抗策はないの?」

 私が尋ねると、優奈は首を捻った。

「うーん、距離を取るか、取らないか、でも違うかな」

 隼丸が続きを引き受ける。

「距離を取れば、見切ることはできるが、線が面になって、避ける方法がなくなる。その一方で、距離を詰めれば見切るのは難しいが、線を避ける目がある、ってことだな」

「距離を詰めながら、その様子を遠くから見ることが出来たら良いんだけどな。それはもう、カメラを別に使わない限り、無理か」

 狗彦が言うと、優奈と隼丸が笑う。

「試験では、マリオネットとマスターしか、戦闘に参加できないのよ。まぁ、マスターがマリオネットそっちのけで、カメラを積んだ模型のヘリコプターでも飛ばせばいいかもしれないけど、そんなの、無理だね」

「狗彦、お前、試験を舐めているだろ。こうなんだぞ、こう」

 隼丸が狗彦に服の袖をめくって、腕にある生々しい傷跡を見せた。狗彦が嫌そうな顔をする。

「食べ物がまずくなるから、あまり見せるなよ。真利阿、何か、策はあるか?」

 私は、少し考えてから、言った。

「当たって砕けろ、かな」

 その言葉を聞いた三人が、ぽかんとした顔になり、それからそれぞれの顔になった。優奈は困った顔、隼丸はどこかうろたえた顔、そして狗彦は、怒りの表情だった。

「おい、真利阿。お前、勝つんじゃないのかよ」

 狗彦がそう言って、こちらを見た。その瞳に、私は少し、身をこわばらせた。それくらい、力のある視線だった。

「か、勝つよ。勝つって」

「それが、当たって砕けろ、なんて言うかよ」

 狗彦はまさにそう吐き捨てると、立ち上がった。足が当たったテーブルが揺れて、私のコップから、コーラが波打って、少しだけビシャリとこぼれた。

「真利阿、お前、やる気あるのかよ」

 狗彦が私を見下ろして言う。

「あ、あるよ。当り前でしょ」

「だったら、もっと貪欲になれよ」

 う、と私は言葉に詰まる。狗彦がこちらを睨みつけてくる。

「真利阿、勝つんだよな?」

「か、勝つ……よ」

 私の返事は、なぜかすんなりと出なかった。それは狗彦に睨まれていたせいなのか、それとも別の理由からかは、はっきりしなかった。

 私は、怖気づいていたのかもしれない。

 負けることに。

戦う前から、負けを考えていた。

 狗彦は、こちらを強く睨むと、「ふざけるなよ」と言って、ドアに向かうと勢いよく押しあけ、外へ出て行ってしまった。

「真利阿、追いかけなよ」

 優奈が即座に言ったが、私は動けなかった。視線をドアと、優奈の間を行ったり来たりさせるしかできない。考えがまとまらなかった。自分の事も、狗彦の事も。そんな私を見て、優奈が隼丸に視線を向けると、彼が狗彦の後を追って、部屋を出て行った。私は視線を床に向けた。

「真利阿」優奈が言った。「敗北しても、守れるものはある」

「それは、そうだけど……」

「負けちゃいけないことなんて、そんなにないのよ。ただ、自分に負けなければいいの」

 優奈のその言葉は、私にはよく理解できなかった。私の世界では、負けてしまえば全てを失うし、多くの物事では勝つことが求められていた。そして、自分に負ける、ということが、酷く身近に感じられて、恐ろしかった。

 私は、自分に勝ったことが、あるだろうか。これから、私は自分に勝てるだろうか。

 この自分の内側の、冷たい感覚に。

「優奈、私、どうしたらいいのかな……」

 そんな力のこもらない私の言葉を、優奈は、黙って待ってくれた。

「私、狗彦を、死なせちゃうかもしれない」

「夢路のことを思い出しているの?」

 夢路。その言葉は、私の体をこわばらせた。ゆっくりうなずくと、優奈が私の肩に手を置いた。

「大丈夫。夢路は、あなたのために死んだんじゃないわよ。あの子は、あの子のために、死んだの」

 夢路というのは、中等部で、私のパートナーだったマリオネットの名前だ。

 中等部の最後の試験で、彼女は私の操作に従い、敗北し、そしてギアを致命的に破壊され、活動を停止した。死んでしまったのだ。

 私は足の震えを感じた。

「優奈、私、もう、誰にも死んでほしくないの……。泰平は、本気になれば、狗彦なんて、寸刻みに出来る力がある。そんな相手に、勝てるわけがない」

「真利阿、真剣に考えれば、何か、勝ち目があるかもしれないわよ。そうでしょ? 泰平の過去の戦闘についても、学校のデータベースに映像が残っているし、私も意見を言うわ。まだ試合は始まっていないのよ。休みを挟んで、あと三日はある。大丈夫だって」

 私は寒気さえも感じながら、床を見つめていた。


「おい、狗彦!」

 俺は隼丸の声に、落胆しつつ、しかし歩調を緩めなかった。足音が近づいてきて、俺の肩に手が触れた。

「待てよ、狗彦」

「ほっとけよ、隼丸」

 俺は肩の手を振り払いながら、歩き続けた。隼丸が横に並ぶ二人で、夜の闇を街灯が薄める中を、歩いていく。

「狗彦、何も、真利阿だって、本気で言ったんじゃないさ。昨日の俺たちの試合を見れば、誰だって、不安になる」

「それでも、あいつは自分が学校をやめるくらい、それくらい次の試合には、色々とかかっているんだぞ。それを、あんな簡単に言いやがって」

「狗彦、真利阿を信用しろ」

 俺は黙って歩き続けた。隼丸もついてくる。二人で歩く夜の学園内の道には、通りかかる人もいなかった。

「狗彦、お前、俺の姿を見て、ビビったか?」

唐突に隼丸がそう言ったので、俺は思わず足を止めて、そちらを見た。やはり歩みを止めた隼丸は斜め上、夜空を見ているようだった。

「ビビる?」

「そうだ。俺の体が切り刻まれて、自分はああなりたくない、って、そう思ったか?」

「そりゃ、思うだろ」

 隼丸が頷く。しかし視線は夜空に向いたままだった。

「俺は今まで、結構、派手な損傷を負ってきた。まぁ、優奈とも長い付き合いだけど、優奈だって最初から、Bランクの腕があったわけではないし、そりゃ、試合にだって散々負けた時期もある。ついでに、ああ見えて、優奈は結構、容赦ないからな、勝負のために腕の一本くらい、平気で捨てるんだ。肉を切らせて骨を断つ、なんて言えば格好は良いが、肉を切られる時点で、結構、痛いんだよな、これがまた」

「何の話だよ」

「お前、真利阿に八つ当たりしたんじゃないか? ビビって」

 さすがに俺は言葉を詰まらせたが、しかし、その一瞬の静寂が、俺を冷静にさせた。

「確かに、そういう面もあるかもしれない。でも、真利阿の言葉は、どうなんだ? あれがあいつの本心なら、俺は、どうしたらいいんだよ」

「それでも戦うのが、マリオネットだよ。そして、それでも信頼し合うのが、マリオネットとマスターだ。違うか?」

 俺にはよく分からなかった。隼丸が肩をふっと持ち上げた。

「マリオネットになって長くないお前には、分からないか」

「そう言うなよ。でも……、確かに、そうかもな」

「真利阿と、仲直りできるな?」

 その言葉に俺は、思いものを感じながら、即座に返事しなかった。

「狗彦」

「すまん、隼丸。今は、何も言えない」

「……そうか」

 隼丸は、返事を即座に出させようとはしなかった。ただ、腕を持ち上げると、空の一点を指出した。

「あそこを見ろ、あの星座が見えるか?」

「どれだ?」

「強い光の星が、コの字になっているあたりだ。あそこに、弓使いの星座がある。あれが俺は大好きだ」

 まっすぐに空を指差す隼丸の視線を負ったが、星座は良く分からなかった。隼丸は俺に言い聞かせるように言った。

「あの弓使い座が、俺と優奈の信頼の証だ。もし会えなくなっても、二人で、同じ時間に、あの星座を見上げることになっている」

「どこのロマンチックな恋人同士だよ」

 俺が笑うと、隼丸がにやりと笑う。

「笑ったな? それで良いんだよ。お前は、笑って真利阿の隣にいろ」

「星座の話、本当かよ?」

 隼丸は、俺の質問に、首をかくりと曲げてから言った。

「冗談に決まっているだろ? 俺が天体観測しているの、見たことあるか? お前こそ、結構、ロマンチストだな」


(続く)

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