胃が痛いとです。by隊長
お久しぶりです。
模試やら英検やらのテストラッシュが一区切りついたので投稿を再開します。
稀代の天才という言葉がある。
これはいくつもの時代における天才達と見比べて、それで尚それらとは一線を画す才覚を持つ者の事を指す。
そして、スピラ・リズアラゼルという少女を表すのにこれ以上適した言葉はないだろう。
彼女は齢十という幼さにして帝国最強の一角に上り詰め、三千年の歴史を誇る帝国において第八位階到達者の最年少記録を塗り替えた。
その類い稀なる天賦の才は特務においても遺憾無く発揮されていて、彼女に任された事件は迅速に、そして確実に収束へと向かい、根本的かつ穏便な解決がもたらされる。
仮に誰かが彼女を神童と表現したとして、その実績を前にすれば大袈裟と否定の声を上げる者も皆沈黙を余儀なくされる。
さて、そんな優秀な彼女だが、その上司であるオルノト・イライアにとって彼女の存在は、実は何よりの頭痛の種だったりする。
その原因はただ一つ。
彼女が同僚であるジア・フェメルトスという人間に対して並々ならぬ恋慕を抱いている事だ。
それはもう、どんな事だろうと想い人が関われば途端に明後日の方向へ暴走するような、並外れた恋慕を。
いつか、同じく彼女の同僚であるラジェント・カーバンクルが、年頃の乙女が抱く恋は『そんなもの』と言っていたが、きっとスピラの『それ』はどんな事情を差し引いて尚、常軌を逸しているとオルノトは思う。
だって普通、年頃の乙女はデートの約束を取り付ける為に上司を脅迫して二人分の休日を作ったりしない。
彼女の恋愛観の異常性を語るにあたって、一つこんな話がある。
ある時、帝国のとある場所で裏社会の大物がいくつも集った大きなオークションが開催された。
扱う商品は人間。主催者は各国で指名手配中の犯罪者。
明らかな違法だった。
この情報を掴んだ帝国はこれを壊滅させる為にジアとスピラ、そして憲兵隊を動員した大規模な作戦を実行。
内容は、『ジアがあえて奴隷商の詐欺に引っかかって捕まる事で、ジアを攫っていく商人をスピラが追跡し、オークションの開催場所を特定する』というもの。
あとはそこへ憲兵隊が殴り込むという筋書きだ。
本来、スピラとジアの役目は反対だったのだが、もしもの時は女性の方が囮の被害が大きいという事でこの役回りになった。
幸い、ジアは童顔で、それなりに女性受けのする容姿をしている為、囮の機能性において作戦に差し障りは無かった。
しかしここで問題が発生する。
ジアが接触した奴隷商の集団が、皆女性だったのだ。
そしてその内の一人が、こんなことを口走る。
『好みの顔。男の子なんだしちょっとくらい好きにしても値段下がらないよね』
この一言でスピラの理性は跡形もなく消し飛び、気づいた時には奴隷商達を制圧していたという。
こうなってはもう作戦は完璧に破綻。
急遽、奴隷商達を尋問して情報を吐かせ、そのままオークションへ突入する作戦へ移行した。
ちなみに、結果としてはスピラとジアの人外じみた手際によってその場に居た犯罪者は一網打尽。奴隷達は全て保護が叶った。
ところが、対応がグダグダになってしまった所為でこの事件は機密性が保てず、詳細が明るみに出てしまう。
それにより治安維持組織は一時的に混乱。そしてこの件とは関係のない、別口で尻尾を掴んでいた犯罪者組織がいくつも国外逃亡してしまう。
この対応にオルノトが胃を痛めたのは記憶に新しい。
以来、スピラ・リズアラゼルという人間はオルノトにとっていつ何をやらかすか分からない爆弾なのだ。
ーーーそしてそんな爆弾が、ジアの失踪を嗅ぎつけた。
このままでは盛大に爆発する事は必至。
胃を滅多刺しにされるような痛みをこらえながら、オルノトは解体処理をすべく導火線のついた凶悪な笑顔に立ち向かうのだった。
◇
「……といった次第だ」
結局、オルノトはジアの失踪について全て白状した。
先程の会議で話し合った事も、勇者に関する情報まで、全て。
その間、スピラは胸の前に固く腕組みをしたままじっと黙って話を聞いていて、その顔は終始、無表情から変化する事がなかった。
その胸の内が穏やかでない事が分かるだけに、その無表情はオルノトにとって鬼の形相よりも恐ろしく感じられた。
けれどそれでも、彼女の逆鱗に触れないよう説明は完了した。絶対に癇癪を起こすと身構えていたオルノトやその周囲はとにかくその事に心から安堵したのだった。
「……」
話が終わって、それでも依然、腕を解かずにだんまりを決め込むスピラ。
しかし話の内容を飲み込み終えたのか、やがて彼女は俯かせていた顔を上げると、その眼差しを硝子片のように鋭くさせてオルノトへ向けた。
「じゃあ別に、旅先であいつに恋人が出来たとか、そういう訳じゃないんだね?」
途端、刃物が首の皮膚を掠めたような切迫がオルノトを襲う。思わず喉から、ひっ、と呼気のつっかえる音が鳴った。
それほどまでに彼女の発した言葉には尋常ではない威圧が込められていた。
「……ああ。そんな報告は無かったし、勇者の足取りを調査した限りそういった情報も出て来ていない」
それでも堪えて平静を保った自身に彼は胸中で惜しみない喝采を送った。
尤も、ジア本人は『女が出来たとでも伝えておいてくれ』などとほざいていた訳だが、それを告げたところで話がややこしくなるだけなので聞かなかった事にした。
「ふーん、そう。いやまあ別にジアがどこで誰とどんな関係を持とうがボクにはどうだって良いんだけどさ」
取ってつけたようにそう言うと、スピラは素っ気なくふいっと視線を明後日へ逸らす。
けれど、安堵が色濃く篭ったその表情を見てその言葉を真に受ける者はこの場に居ない。
そもそも彼女がジアという人間へ抱いている思慕はこの場において周知の事実。
彼女が何をどう言い繕おうとも、『面倒くせえなこのツンデレ』くらいの感想しか生まれないのだ。
無論、それを口に出す馬鹿だってここには居ないが。
「……さてスピラ。こちらはもう知ってる限りの事を全て話した訳だが、ところでお前はこれを聞いてどうするつもりだ?
どうでもいいというなら引き続きニマゼラ領の件の調査を頼みたいのだが」
むしろ頼むから大人しくしていてくれ、というのがオルノトの本音である。
しかし無情にも、返答を示すスピラが浮かべるは不敵な笑み。
「あの怪死事件のことを言ってるなら、それは心配に及ばない。その事については四日前に解決したからね」
「……なに?」
解明、ではなく、解決。
そういえばスピラは三日前から帝都に帰って来ていたが、しかし思い返してみれば彼女が調査を任されていた案件はギルドの冒険者達が何人も音をあげるような、決して簡単には解決しない類のものだったはずだ。
なのに彼女はたった一人で調査を終え、どころか事件に片をつけてしまったという。
「そんなに驚く事じゃない。ただの生活用水の汚染だったよ。水質調査をすれば一瞬で分かった」
領地の川上にある山で野良の魔導師が実験していて、その際に発生した毒素が水源に混入したのが事件の原因。辺り一帯の水路が全滅していたとスピラは語る。
結末として、魔道士は交戦の末に無力化。一昨日に王国へ引き渡し完了の報せが届いたところなのだそう。
その後、水源の浄化を終え、現在村は快方へ向かっているらしい。
一部始終において流石の手際だ、とオルノトは舌を巻いた。
「まあ、確かに冒険者の手には余る事件だったよ。
帝国の雇用機会が充実してるのは良いことだけど、その所為で教養のある人材がギルドにあまり入らないのが難点だね。学が無いとどうしてもこの手の事件は解決出来ない。
ところでこの話、報告書には全て纏めておいたはずなんだけど。……ひょっとして読んでないのかい?」
「ーーあ」
今朝に目を通した報告書の中にそんな内容のものがあった気がする事にオルノトは思い至る。
けれどそれはつまりスピラには任務を片付けてしまったということで。
「まあ、そんな訳でボクは手が空いている。
だから、ジアはボクが探しに行ってあげるよ」
絶対にそう言うと思った。
辟易とオルノトは項垂れる。
「……さっき説明したように、捜索なら既に諜報隊が取り掛かっている。見つけ次第説得し、奴は帰還する手はずだ」
「ジアが抵抗した時はどうするのさ。
無力化?それとも拘束でも試みるかい?
どちらにしろ諜報隊なんかじゃ力不足だと思うけど」
「ぐ……」
確かに、そうなれば拘束はおろか傷一つ付けられずに撤退を余儀なくされるのが目に見えている。
「臨機応変に交渉を試みようにも、ジアをよく知らない彼らが説得材料を用意出来るようにも思えないし、隠密を第一とする彼らは余所で人質とかの強引な手段に出る訳にも行かない。
……絶対にボクが行った方が手っ取り早いと思うんだけど」
完全に正論だった。
ここで『捜索においては諜報隊による人海戦術に軍配が上がるはずだ』などと反論してはいけない。
なにせスピラは四日あれば大陸を横断してしまえる驚異的な脚力の持ち主だ。
勇者の半年かけた旅路だって数日で走り抜けるだろうし、それこらジアの置いていかれたという迷宮付近で目撃情報を掻き集めようと奔走すれば、遅くとも三カ月で彼の元へ辿り着くだろう。
諜報隊に任せたなら、きっと勇者の後を追うだけで同じくらいは時間がかかる。
人手の差なんて、神童たる彼女の前ではなんの意味もなさないのだ。
「しかし、だな……」
それでも、オルノトは認める訳にいかない。
そもそもの話、懸念はもっと別の所にあるのだ。
だって例えば、発見した先でジアが本当に女性と関係を持っていたら?
その場で彼女が暴走するのは決して想像に難くない。
そこから戦闘に至ってしまえば、例えジアが鎮圧してもその前に周囲には莫大な被害が出る事だろう。そしてそこに王国の間者でも居てみろ。
『帝国などという厄災を排除』なんて大義名分の名の下に大国同士での全面戦争だってあり得る。
無論そんなのは万が一の話だ。けれど、そんな事態は万が一にも起こり得てはならない。
是が非でも、背に腹を代えようとも、オルノトはスピラを止める所存だった。
「いや、良いんじゃない?
スピラちゃんがそこまで言うなら、さ」
思わぬ所から援護射撃。
背後からの流れ弾でもくらったかのように、オルノトは目を白黒させてその発言者を見た。
「……君が味方につくとは意外だね。どういう風の吹き回しかな? ラジェ」
訝しむスピラと、我が目を疑うオルノトの視線に晒され、その先でラジェントは苦笑気味に肩を竦めた。
「やー、だって今のところスピラちゃんの方が正論だしなあ、って思って。
あ、でもその理屈ならさ。私が行っても構わないよね」
「―――」
「そっ、れは……」
得意げに笑うラジェントに、スピラは顔をしかめて歯噛みした。
ちなみに、脚力で言えばスピラは天士と呼ばれる十二人の中でも中の上くらいで、人の捜索を彼女より早く行える者はジア本人を含めばあと四人いる。
その内の一人が彼女、ラジェント・カーバンクルだった。
「隊長さんはどうにもスピラちゃんを行かせたくないみたいだし、けど諜報隊に任せるのは効率が悪い。
なら私が行くのが一番良いでしょ?
スピラちゃんは、ジアのお兄さんなんかどうでもいいみたいだし。ね、隊長さん」
「……そうもそうだな。差し支えなければ、頼みたい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ラジェ、そういう君は手が空いてるのかい? 確か『勇者召喚の日』について教会を探る任を受けていたはずだ」
ここぞとばかりに結託するオルノトとラジェントに、慌ててスピラは反論する。
「詳しいねスピラちゃん。でもそれなら心配には及ばない。
その任務なら今さっきカノンちゃんに引き継いだから」
先程の再現のようにラジェントは不敵に笑う。
その手には小石サイズの水晶体、通信機が握られていた。
ちなみにこの時、他の六人は余計な事を言って自分へ飛び火しないよう、ずっと話に参加していない。それぞれ世間話に興じたり、書類を取り出して自身の事務仕事に取り掛かったり、中には居眠りしている者も居る。
その内、『Ⅸ』の席と『Ⅻ』の席に挟まれた第十席は努めて話に巻き込まれないよう、ひたすら無心に書類にかじりついていた。
時折、その隣で悠々と居眠りに興じる第十一席を恨めしげに見つめながら。
その一方で、三人の会話は更に剣呑さを増していた。
「カノン……って、ラジェントお前、ジアの事を奴に言ったのか?」
「んーん。ただ『師匠からのお願い』とだけ。
それだけで声を弾ませながら快諾してくれたよ。
ジアのお兄さんも良い娘を弟子に持ったよね」
悪戯が成功した子供のように笑くぼをこさえるラジェントにオルノトは安堵やら呆れやらのため息をついた。
「ま、そんな訳でして、私も手が空いてるのですよ。
だから、お兄さんは私が探しに行っても良いかなー? ……なんて!」
「要らない。ボクが行けば済む事だ」
頑としてスピラは譲ろうとしない。
けれどこの言い争いにおいて、ラジェントが優勢なのは明白だった。
オルノトは、ついでに、舌戦のとばっちりに晒されていたルトリマはようやく見えた話の決着に解放感を噛み締めていた。
「……頑なだなあ。じゃあ、二人で行く?」
「はっ?」
「なっ……」
安堵から一転、オルノトが戸惑った様子でラジェントを見る。すると彼女は目でこちらに訴えかけていた。
『この辺りが落とし所だ』と。
「私がついてるなら隊長さんも安心でしょ?
お仕事に関しては埋め合わせするから、さ」
「……分かった。それなら構わない」
「待って。そんな事をしなくともボクが一人で……」
「あ、嫌ならスピラちゃんは来なくて良いよ?
ジアのお兄さんがどうなろうと興味ないみたいだし」
「む。…………チッ、分かった」
建前の揚げ足を取られ、反論を全て封じられたスピラは、やっと折衷に従った。
そうして、この度の緊急会議はとりあえずのところ幕を閉じたのだった。
進級前になんとしても一章を終わらせたい。