コミュ力高い人って凄い
暖かい喧騒が酒場の店内を包み込む。隣のテーブルからは香ばしい料理の匂い。
この独特の雰囲気は帝国に居た頃では味わえなかったものだ。騎士団の祝宴とか呼ばれた事無いし。
新鮮な感覚に包まれて、それを目一杯に堪能しながら手元のジョッキの中身を流し込む。
お上品なワインとは違った堅苦しさのないアルコールが喉を灼いて胃に染み込んで行く。
これがまたなんとも言えず心地よくて、滲むような声が腹の奥底から漏れ出た。
「やあ、良い飲みっぷりだね」
不意に、そんな声がして、酒瓶に伸ばした手が止まる。
顔を上げると、一人青年がテーブル越しに立っていた。
目が合って、青年は爽やかな笑顔を弾けさせる。
「相席しても良いかい?」
「ええ。全然構いませんよ」
にこやかに頷くと、青年は嬉しそうに笑みを深めて、向かいの椅子に座った。
整った見目の青年だ。体格は程よく引き締まっていて、顔立ちも端麗でありながら愛嬌があり、帝国では女性受けするだろう特徴を兼ね備えている。
ただ、黒髪に黒目というのは勇者を思い出すので僕としてはあまり良い印象を覚えない。
だからって険悪に対応するつもりは流石に無いけど。
青年は店員を呼んで注文を済ませると、そのままこちらに視線を戻す。そして少し間を置いてから、徐に口を開いた。
「さっきはありがとう」
「ーーーあ」
そこで初めて気づいた。最後あのタコに魔法ぶち込んだ人だ。
「こちらこそ、あの化け物にトドメを刺してもらえて助かりましたよ」
「……凄いね。まさかあの状況で真後ろにいた僕の顔まで確認していたのか」
いや後ろからあんなの飛んで来たら術者を確認するものでしょう。それが出来ないと二発目を許す事になる。
ああでも、それは戦場での話か。人同士での。
「……たまたまチラッと見えたので。だから後でお礼を、と思ってたんですけど……探す手間が省けました」
「お礼って言っても、アレは元々俺が倒すつもりだったんだけどなぁ。折角その為に皆さんに時間稼ぎしてもらったのに、いつの間にか君一人で倒してしまいそうな感じになってたもんだから、本当びっくりした」
言って、青年は肩を竦めた。顔が整っているおかげでひどく様になっている。
どうやらあの時、冒険者さん達は闇雲にバカスカ魔法を撃ち込んでいた訳ではなく、この人が魔法をあの威力で放つまでの間、街に被害が出ないようヴァレハニトの足止めをしていたらしい。
ギルドでゴタゴタしてる間はその作戦を立てていたのだとか。いつの間にか事態が進んでた所為で話なんか全然ちゃんと聞いてなかったからなあ。
「というか実際、あのまま任せても倒してただろうし」
「あはは……まあ否定はしませんけど、倒しきる前に何をされるか分かりませんでしたし、やっぱり助かりました」
呆れたように頬杖をつく青年に愛想笑いで返しておく。
とはいえ、だ。女神教の聖典に記された伝承がどこまで本当かは分からないけど、もしあの時あのまま戦闘が長引いてタコが津波でも引き起こしていたら、街は酷い被害を受けていただろう。
助かったというのは普通に本音だったりする。
「手負いの獣は怖いからね。だからこそ俺も手を出した訳だけど、ただ、君の手柄を奪うような形になってしまった事については申し訳なく思ってる」
「その辺はお気になさらず。街が守られたのならそれに越した事は無いので」
「……へえ。強がりには見えないけど、だとしてその年で名誉に頓着が無いとは珍しい」
こちらを見る視線が探るようなものに変わる。その雰囲気も、笑顔のままのはずなのに、どこか怪しいものへと変貌を遂げた。
「まあ、元騎士なので。
それに年はそんなに離れてるようには見えませんが……」
「なら敬語は止めて欲しいな」
「……ええと、これは癖みたいなものなんで気にしないでもらえると助かります」
なんだ。また若く見られたのかと思った。
「でも騎士なら部下にはちゃんと示しを付けなければならないはずだ。まさかその強さで階級が低いなんて言わないでよ?」
「まあ、確かに階級はそこそこでしたが、生憎特殊な所に所属していたので部下を持った事がないんですよ。一部の気心知れた友人や同僚にはタメでしたけどね」
「じゃあ俺もその一部に加われるようじっくり仲を深めていくとするよ。
とりあえず、乾杯でもどうだい?」
言いながら、青年はこちらのジョッキに酒瓶の中身を注ぐと、自分のジョッキをこちらに差し出して来る。既にそこには透き通った穀物酒がなみなみと注がれていた。
というかこの人めっちゃ距離感ガンガン詰めて来るなあ。パーソナルスペースどうなってんだろ。
密かに戦慄を覚えながらも、僕は勧められるままにジョッキを合わせる。
軽い木の音がテーブルの上に響いて、お互いジョッキを口元で傾けた。
「……うん。やっぱり大仕事を終えた後の乾杯は良いね。君となら毎日美味しい酒が飲めそうだ。
明日からでも俺と組んで討伐に行かない?」
「構いませんよ。ただ、ご厄介になってる宿屋の娘さんに叱られるので夕食は時々でお願いします」
「本当?じゃあよろしく。ーーっと、そういえば自己紹介がまだだった。僕はヒビキ。君は?」
聞かれて、一瞬迷う。
実はこのジア・フェメルトスという名前はとても不便で、私的な場では基本的に名乗らないようにしている。
こんな帝国から離れた街なら機密の露呈なんて心配するだけ無駄だとは思うけど、どこの誰が聞いてるともしれない。
例えば勇者の関係者とか。
「じゃあ、ライラックと」
考えた末に、偽名を名乗ることにした。というかそもそも宿屋の娘さん一家にはそういえばこの名前で通していたのだった。
「……うん。じゃあライラと呼ぶ事にしよう。
本名は、仲良くなって君から教えてくれるのを待つよ」
一瞬で偽名なのがバレた。
しかもその上でニックネームで呼んできた。
というかこの人交渉術の心得でもあるのかな。こちらの表情の変化や、返答に空いた間まで見逃さず反応してくる。
本人は隠そうと努めているつもりみたいだけど、所作やしぐさに作法の癖が染み付いている事からきっと育ちは良い。察するに生まれが高貴だったり大きな商会の跡取りだったりで交渉の場数を踏んでるんだろう。
黒髪ということは東国の出身だろうか。勇者は異世界人だったっけ。一緒に食卓を囲んだ事がないから彼の方はどんなだったか分からないけど。
そういえば救世の御一行って今どうなってんだろ。
あのメンバーに加えてリリットも派遣された訳だし、よっぽどな事が無い限りは苦労なんてしてなさそうだけど、勇者のワガママがあの後どうなったのか気になる。
あと引き継ぎのリリットが無事に御一行と合流出来たかが少し不安だ。合流出来たとして、人見知りのきらいがあるあの娘が勇者達と打ち解けられているかどうかも心配。
まあ基本あの勇者は美人に対しては気障に対応するから、少なくとも僕みたいに理不尽な扱いを受けるなんて事は無いはず。
心配といえば、我が弟子も元気にやっているだろうか。
もう教える事はないって言ってんのにずっと騎士になろうとしないから心配だったんだよね。そもそも騎士として新米も良いところである僕が教えられる事なんて少ないってのに。
でも、そう考えると僕が帝国での身分を捨てたのは独り立ちの良いきっかけになったかもしれない。隊長にはあの娘をそれとなく気にかけるよう前々から言っておいたし、立派になってると良いなあ。
あの娘が頑張れば僕の抜けた穴も補ってくれるだろう。
これで隊長のストレスも緩和された訳だ。
他の天士の皆さんは元気でやってるかなあ。
ヒビキさんと他愛のない会話を交わしながら酒を喉に流し込む内に、いつの間にか僕はガラにもなくそんな感傷に浸っていた。
◇
一方で、その頃。
ルクスタリ帝国の機密事項とされる特務部隊、その名も、『帝国守護十二天士』。
その第九席にして隊長を務める騎士、オルノト・イライアは今、深刻な問題に直面していた。
「ちゃんと、説明してください」
自分の肩にも背が届かないような少女が顔を強張らせてこちらを問い詰める。
その言葉には幼い容貌に似合わぬ迫力がこもっていて、その矛先を向けられたオルノトは自分の顔からみるみる血の気が引いていくのを感じた。
「ジアが、帰ってこないって、どういうことですか」
丸い瞳を必死に鋭くさせて、少女が再び問う。
ジアならば三ヶ月も前に騎士の身分を捨てて、今は港町で冒険者と酒を飲んでいる。
そう答えるだけでこの尋問から解放されるならならどれほど良かっただろう。
けれど彼女はそんな事を聞いているのではない。
沈黙に引き延ばされた1秒1秒がオルノトの胃を締め付けていく。
現実逃避でもするように、今の状況を作り出した元凶である部下の顔を思い浮かべると、オルノトは胸中であらん限りの罵詈雑言をぶちまけた。
「……もういいです」
「どちらへ」
やがて、だんまりを決め込むオルノトに痺れを切らしたのか、少女はオルノトから視線を外して入り口の方へと歩き出した。
オルノトはやっと追及から免れた事に安堵すると同時に、少女の突然の行動に嫌な予感を覚える。
尋ねれば、少女は扉の前で振り返って、さも当然のように言い放った。
「ジアを探しにいきます」
ばたん、と重い音を立てて扉が閉まった。足早な靴音がどんどん遠ざかっていく。
「お、お待ちください皇帝陛下!
……くっ、やっとヤツの居場所を掴んだというのに、なんてタイミングの悪い」
舌打ちをして悪態をつくと、オルノトは慌てて自らの主君の後を追った。
間を空け過ぎましたすみません。
テストは先々週に終わってたんですが、風邪やらで時間を取れませんでした。
やっと冬休みに入ったのでそれなりの頻度で更新していく所存です。