あ、これ士官学校でやったトコだ!
どうしようなんかたった二話で評価が他のより凄い。
これは本腰入れて設定練るしか無いかなー。
定期テスト? そんな子は知りません。
大きな飛沫を纏いながら、『それ』は姿を現した。
形状は、辛うじて生き物としての体を成している。幾本もの触手を自在に操るその様子はイカやタコといった頭足類を真っ先に連想させ、そしてその全身を覆う殻は金属質で鈍い光沢を放ってはいるものの、明らかに甲殻類のものと酷似していた。
まさしく醜悪と評すに相応しい化け物。
けれど、人々の意識が向く先はそうした外見とは全く別の所にあった。
気持ち悪い。と誰かが言った。
それは頭部に八つ立ち並んだ剥き出しの眼球に対する言葉だろうか。あるいは、殻の節々から漏れ出る得体の知れない黒色へ向けてのものかもしれない。
いずれにせよ、化け物の姿を見た冒険者達は皆一様に胸中が嫌悪で満たされていた。
ただ、それでも戦意は失った者は一人も居ない。
降り出した雨に目もくれず、冒険者達はそんなおぞましい化け物の姿をしっかりと睨みつけた。
「撃て!」
掛け声と共に海岸から無数の火炎が堰を切ったように放たれる。
一つ一つが砲弾と遜色ない威力を誇るそれら魔法の数々が怒涛の如く化け物へと炸裂していく。
鮮烈な爆音が港に響き渡って、冒険者達の手には確かな手応えが残った。
ーーーしかし。
「効いて、ない……?」
爆煙が晴れ、視界が明瞭になると、そこには傷一つ負っていない化け物の姿があった。
その悠然とした佇まいからは堪えた様子というものが全く見当たらない。
唖然と、声を失う冒険者の面々。
これまで自分達が街を守って来たという自負があった彼らにとって攻撃が通じなかった事は、ただそれだけで自身の価値が否定されるようなものだった。
しかし、いくら自信を打ち砕かれようとも彼らに呆然としている暇など無い。
突如、化け物の眼球が八つ一斉に冒険者達の方を向いた。
「ーーッ避けろぉお!」
直後、足場となっていた堤防を三本の巨大な触手が貫く。
幾筋もの亀裂が防波堤の表面に描かれていき、そこに、触手による追撃の殴打がいくつも叩きこまれた。
かつて幾晩にも渡る大嵐だって凌いでみせた頑強な堤防とて、軍の艦隊をたったの一薙で殲滅してしまうような打撃を前にすればそう長く保つものでもあるまい。
堤防は、まるで積み木のようにいとも呆気なく崩壊した。
塞き止めるものがなくなって、街に海水が流れ込んで行く。
しかし退避が間に合った為に怪我人も死人も無く、冒険者達は洗練された動きであっという間に隊列を組み直すと、すぐさま苛烈な攻撃を化け物へと浴びせた。
一方で、最初こそ反撃をしたものの、それからはしばらくどうでも良さそうに無視を決め込んでいた化け物。
ところがいつまで経ってもこちらに背を向けようとしない人間の群れがとうとう鬱陶しくなったらしく、化け物は陸の方を睨みつけ、五本ばかりの触手を無造作に、叩きつけた。
頑丈であるはずの堤防がまたもや容易く破られ、また、街の造船所が一軒、中に停めてあった帆船諸共に跡形もなく粉砕される。
それでも、人々の攻撃の手は緩まない。それどころか、よくもやってくれたとばかりに勢いを増していく一方だ。
化け物はそれがどうにも気に入らなかった。
自分の生きていた海では龍といった怪物を除き、あらゆる生物が、鯨のような巨大なものでさえ自分の姿を見た途端一目散に逃げていく。それでも逃げきれずに自らの胃の中へそれらが放り込まれていく様を見るのが化け物の楽しみだった。
なのに、この弱小生物どもと来たらどうだ。
水龍のように力があるという訳でもなく、現に我が甲殻に碌な傷も付けられていない。
その癖して、まるでこちらを撃退できるとでも思っているかのように立ち向かってくる。
なんとつまらない。さっさと壊してしまおうか。
結論に至った化け物は眼球をぐるぐると回すのをピタリと止め、今一度、その触手を持ち上げては街へ向けて叩きつける。
そして先ほど自分で堤防に開けた穴から自身の体をその触手で引っ張り上げた。
「海から上がって来やがった……」
先程まで弓を構えていた何人かが一斉に腰元の剣を抜き放ち化け物を囲むように陣形を組む。
しかし上陸を果たした化け物は自身を包囲しようとするこの動きを意にも解さず、ただ明確な害意を以って、ただ殺す意思を持って、攻撃を放った。
「そっちに行ったぞぉお!」
化け物が振り下ろそうとする触手の先には、後方で援護射撃をしていた魔道士の集団。咄嗟の呼びかけが功を奏したのか、既に回避行動を取っている。
しかし一人、呼びかけが聞こえず逃げ遅れたらしい、ポツンとその場に取り残されている者が居た。
深い紫色をした髪の若い青年だ。迫る触手を見上げ、ただ呆然としている。あれでは避けることは叶わないだろう。けれど、救助だってもう間に合わない。
もう駄目だ。誰もが諦め目を閉じた、その時。
彼の握る剣が、鋭い雷光に煌めいた。
次に人々が聞いたのは、巨大な何かが地面を殴りつける音、ではなく、岩か何かが海にでも飛び込んだかような、重たい水飛沫の音だった。
不思議に思った人々がおそるおそる目を開けると、化け物の黒い触手が海に浮かんでいるのが視界に入る。
「……は?」
戸惑いの声がいくつか上がる。
ポカンとしたまま視線を戻すと、そこでは先程ぺしゃんこにされたはずの青年がたった一本の剣で化け物を追い詰めていた。
◇
理解が追い付かない内にとうとう戦闘が始まってしまった。
「とりあえず、あれが皆の言ってる海の悪魔かな。
……それにしても、やっぱりなんか見覚えがあるような」
アレが海から出て来た時、見た目の気色悪さからくる不快感とはまた別に、妙な既視感があった。
といってもあんなゲテモノ、一度見ればそうそう忘れるものではない。だからきっと実物を見た訳ではないのだろう。
確か、士官学校に居た頃にあんな感じの絵が……。
「あ、分かった。あれ『ヴァレハニト』だ。
女神教の聖典に載ってる」
脳裏に生じた引っかかりを拾い上げ、思い至る。
確か、終末の時に人類を海から排除する存在、だっけ。ヴァレヴァレはニートだ、なんてふざけた覚え方を考えて学友と笑った記憶がある。
ただ、授業での記憶を辿る限りでは天気を操るとか津波を起こせるとか、とても笑い事ではすまないようなとんでもない話ばかりを聞かされた気がする。
ああ、それにしても士官学生時代めっちゃ懐かしい。
あの時みたいに何も考えず友達と馬鹿やりたい。
一人旅してる時も思ったんだけど僕って今友達居ないんだよね。
特務部隊に入った時点で騎士団の名簿から僕の名前は消えた訳だし、天士の皆さんとはこの間縁切ったし、家族はあんな様子だし。
そういえば騎士辞めたこと家に何も言ってない。というか救世の旅に加わってから一度も連絡取ってない。
まあでも、どうせあの名家(笑)は自慢の娘であるリリットが第七位階騎士になった時点で養子の僕への興味なんかとっくに失くしてるだろうし、むしろもう既に忘れられてるまである。
あれ、それなら別に連絡なんて要らないようなーーー
「そっちに行ったぞぉお!」
思考を中断し、我に返って前を見る。
気づけば、先程まで集中砲火を浴びていたはずのヴァレハニトはいつの間にやら地面に上がっていて、その大木のような触手をこちら目掛け天高く振りかぶっていた。
見回すと、周りに居たはずの魔導師の方々は既に回避行動を取っている。
……これは、つまりあれだ。逃げ遅れた。
「油断してた」
しかしそんな事あちらにしてみれば知った事ではない。ヴァレハニトは、それぞれ振り上げた触手を三本束にすると、それを思い切りしならせながら勢いよく振り下ろした。
「……避けられないか」
ごうごうと風音を立てて迫る触手。僕はただただそれを呆然と見上げながらーーー右手の剣を強く握り直した。
跳躍して、左腰下から斜めに斬り上げるように一振り。
放った刃はそのまま滑るように真っ黒な殻へスルリと沈み込んで、触手の半ばから先を一息に斬り飛ばした。
切断されて、束ねていたのが解けた触手がそれぞれ鋭利な断面を晒しながら海へ飛び込み、三つの大きな飛沫を上げる。
「……は?」
ふと後ろから、なにやら戸惑ったような声がいくつか聞こえた。
武器でも破損したのかな。
安物使ってるとそういうの多くて困るよね。しかも非常事態に限って狙い澄ましたように刃が折れたりするからタチが悪い。
学生の頃から愛用してた剣が戦場の真っ只中で魔法の爆撃に耐えきれず鍔ごと砕け散った時はショックやら手元に残った調理用ナイフの頼りなさやらで本当に大変だった。
今から思えばよくもあの状況から王国軍二千なんて殲滅出来たもんだ。
ナイフは戦ってる内に刺し殺した敵の血でまともに切れなくなったり持ち手のところがヌルヌル滑るようになったりするし、かといってそこらに落ちてる剣は錆びてたり刃が歪んでたり刃こぼれが酷かったりするし、最終的に素手で敵を一人一人縊り殺す方が早かったくらいだ。
あの一件で安物は実用性が無いから安物なのだと知った。
「その点、この剣はやっぱり凄い……」
刃の腹を指で撫ぜながら感嘆の声をもらす。
これは冒険者登録した時に宿屋のご主人から貰ったものだ。
よく手入れされていて切れ味が素晴らしい。そのおかげで初めて使った時はあまりの刃の抵抗の無さに重心がズレてしまい獣の返り血を避けきれず服を一着ダメにしてしまったほどだ。
ちなみに、その後は女将さんと娘さんから二時間にも上るお説教を頂く羽目になった。
それはともかく、この剣ならあの蛸の殻も斬れるようで安心だ。
意気揚々と剣を構えながら向き直る。
すると、ヴァレハニトはこちらを向いて、というよりは斬り落とされた自分の触手を見つめたまま、それを引っ込めるのも忘れて固まってしまっていた。
その様はまるでネズミに噛まれビックリしている猫のよう。
「随分と明からさまに驚いたような反応をするんだね。
魔物の中でも上位の存在みたいだから龍種みたいに感情があっても不思議はないけど、やっぱり知能は結構高かったりするの?」
ひょいと跳んで化け物の目と鼻の先……鼻はないけど、とにかく目の前まで接近し、語りかける。
対する返答は敵意を滲ませた計八つの睥睨によって示された。
「おぅわっ……とぉ!」
こちらを振り払おうと思ったのか触手に力がこもった、ので、先んじて根元から断ち切る。
断面から多量の黒い粘液が溢れ出た。
「わ、この黒いの滑る」
悪態をつきつつ、剣を上段に構えながらヒビの入った石の地面をを蹴り抜くように踏み込み、跳ぶ。
狙いは頭部。
立ち並ぶ眼球の少し上を目掛け、跳躍の勢いを余さず乗せた剣を思い切り叩きつける。
そうはさせまいとこちらへ伸びてきたいくつもの触手をことごとく押し切って、そのまま刃はヴァレハニトの頭部の奥深くまで食い込んだ。
勢い余って、眼球を八つの内三つほど破裂させてしまい、またもや黒い液体が飛散する。
すると、発声器官なんてどこにあるというのか、キュルキュルと妙に甲高い、聞いていて不快になるような苦悶の声がヴァレハニトから上がった。
「ーーっと」
ふと、背筋に寒気のようなものが駆け上がりその場を飛び退く。
すると直後、轟音と共に目の前に光の塊が空から降り注ぎ、地面に大穴を開けた。
化け物に向き直れば、五つに減った眼球を真っ赤に血走らせてこちらを睨みつけている。
どうやら今の雷はこのタコが意図的に僕を狙って落としたものらしい。天気を操れるというのはどうやら本当だったようだ。
というか、ここまでズタボロになってまだ魔法を使う元気があるとは。
「……まだちょっと浅いのかな」
追撃を。と、もう一歩踏み込んでーーー
「ーーいやいやまさか。もう十分だよ」
瞬間、そんな透き通るような声を鼓膜が捉え、考えるより早く足が勝手に後方への跳躍を実行に移していた。
直後、巨大な金色に輝く炎の槍が僕のすぐ横の空間を通り過ぎてヴァレハニト目掛け一直線に突き進んで行く。
そしてその巨大な炎槍は、先程僕がつけた傷口の辺りを寸分違わず刺し貫いた。
鈍い黒の巨体が一瞬で朱く燃え上がり、メラメラと音を立てて勢いを更に増していく。
時間が経つにつれ、最初は慌ただしく必死にもがいていた火達磨も動きを徐々に緩慢にしていき、やがて、活動を完全に停止する。
火が消えて、ボロボロに燃え尽きた化け物の死骸は、パサリと軽い音を立てて瓦礫の中に崩れ落ちた。
数秒ほどの間、沈黙に支配されてから、港は冒険者達の歓声で満たされた。