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廃寺

作者: trustsounds


 始まりは罰ゲームみたいなもんだった。

 友達とゲームで賭けをして負けた俺は、地域で語り継がれている曰く付きの場所に行き、スマホのカメラで撮ってこいという至極簡単な罰ゲームを提案された。金銭的な要求でも肉体的な要求でもなかったので、俺は二つ返事で了承。「そんなことでいいのか」と軽口を叩くくらいには余裕綽々だった。

 しかしそんな俺を見て友達は、ある一カ所を指定してきた。

 俺が使っている通学路から一本だけ脇道に逸れたところに『お寺』がある。寺とは言うけどそれは外観だけで中身は空っぽ。昭和初期に謎の圧力によって御神体だけが別の寺に移されてしまい、それ以来手つかずで古ぼけてボロボロの抜け殻となった廃寺だ。脱け殻となっても未だに撤去されることなく70年近くもそこに残り続けている。

 悍ましげなたたずまいから、やれ女性の幽霊を見ただの、やれ夜な夜な男性の声がするだのと不穏な噂は後を絶えない。それに尾ひれ背びれがついて『男女の殺人鬼が廃寺前を彷徨く』といった都市伝説にまで昇華された。それに昭和後期にもなると、子供達は「口裂け女」の影響もあって怯え怖がってしまい、周辺住民は「自治体はなぜ撤去をしないのか」と市に直接抗議したことがあるらしい。が、特に納得のいく返答のないまま放置されてしまい、文句と不信感が募るだけに終わった。


 俺も当然のように、昔からここに住んでいたおじいちゃんから廃寺について聞かされたため多少なりとも知識はある。なんでもネットも普及していない昭和初期頃は真実を巡って色んな噂が渦巻いていたらしい。


 曰く、変死した寺の住職の霊魂が土着しそれを静めるコストをケチったから。

 曰く、ホームレスが居着いてしまいそれを追い出そうとする度に、そのホームレスが自殺を試みたから。

 曰く、埋蔵金のように市が脱税した税金を隠しているから。


 結局のところ真偽は分からなかった。

 自治体だけでなく、寺の御神体の移設に携わった関係者はなぜか全員が口を噤んでしまったからだ。そして平成の終わりになろうとする昨今になっても残されているそれに、ネットが普及した今も噂は絶えず流れていた。

 『廃寺』というのはそこまで珍しいものでもないらしい。政策や社会情勢を始め、天災や人災によって再建・修復がなされなかったり、或いは跡取りがいなくなったため自然消滅し結果的な廃墟化など、世界各地至る所に廃寺はある。ただここの廃寺だけは違った。政治的な理由で放棄されていたアンコールワットやガンダーラ地方の遺跡と違い、どれだけ文献を遡っても理由が不透明だからだ。

 だから今もネット深層で、撤去されない本当の理由を巡ってまことしやかに囁かれている。


「……ここがソレかぁ」


 学校からの帰路についていた俺は、いつもより一本だけ奥の道に自転車を停めた――――。


 『廃寺』は鬱蒼と茂った雑木林の中にある。近くには取り囲むようにぐるっと小川を流れていて、その向こう側は田んぼが二つ、更にその向こうはまた雑木林が立ち塞がっているがそれを抜けると車が絶え間なく通り続けている一般道。なんてことない一般的な田舎道。

 ただ廃寺があることで普通とはちょっと違っていた。何故ならそこは何者の侵入を許さないよう背の高いフェンスに囲まれていたからだ。しかもフェンスと廃寺の間隔は10mも離されており明らかに異質。侵入は危険だと本能が告げている。


「行くか……」


 俺は自転車を降りて袖をまくり、意を決してフェンスをよじ登る。普通なら《進入禁止!》とでも書かれているであろうコート紙の看板も張り紙もない。それを代弁し主張していた存在感のあるフェンスをよじ登るのは背徳感があり、学校という小さな社会の柵に鬱屈としたストレスを解消できて少し楽しかった。

 この道は滅多に人が通らない裏道だ。普通なら車が走っている一般道を通る。だから俺は抵抗感もなくフェンスをよじ登った。天辺には返しもないし有刺鉄線もない。


「よっと」


 あっという間に登りきった俺は、フェンスの天辺から地面を見た。


 3mにも満たない高低差に柔らかい土草が敷き詰められている。飛び降りても平気だろうし、スマホを取り出して、カメラを撮って、また登る。10秒もかからずに終わらせられる。誰にも見つかることは無くスマートに済ませられる。


 さっさと終わらせよう。ひょいと、何の気無しに飛び降りた――――。




 けど俺は、飛び降りると同時に後悔した――――。




「え――――」




 地面に着地してポケットからスマホを取りだそうとしたが、数秒間は何が起きたか分からなかった。


 草葉をかき鳴らす風の音、騒々しい蝉と蛙の合唱、大通りから鳴り響く車の走行音、サラサラと流れる小川のせせらぎ。



 それらが全て――――ピタリと止んだ。



 鼓膜でも吹っ飛んだのかと思ったが、自分の鼓動と、生唾を飲み込んだ音だけは伝わる。


 そこは、例えるならそう、自分以外の存在を認知できない"無"――――。まさに"無"そのものだった。

 まるでこの世の全てから切り離されてしまったような、かくりよに放り込まれたような感覚。ギリギリで自己を保てたのは、加速した鼓動音と額から流れる汗が、自分はまだここに立っているということを証明してくれていたからだ。


 カサリ――――。


「ッ!?」


 草葉が揺れる音に俺は背後を振り向いた。何も聞こえないこの空間で、唯一音がしたからだ――――。


 誰もいない。当たり前だ。フェンス越しに見える俺の自転車と雑木林。そもそもここは田舎道の中でも群を抜く僻地。どこかへ通ずる近道でもないし意図的に通ろうとする人はいない。

 それでも俺は、この世から隔絶されたフェンスの内側で確かに音が聞こえ――――人の気配を知覚した。


「ハァッ……ハァッ……ハッ……――――!」


 息が段々短くなって荒くなる。深呼吸をしようにも震える体が言うことを聞かない。額から、腋から、頭皮から流れ出す汗が止まらない。暑さにやられたからではなく、極度の緊張と恐怖からだ。


「フッ……! フウゥッ……!」


 短く息を吐いて再度反転、廃寺を見る。

 それは外で見ていた廃寺ではなくなっていた。くすんで欠けていた外壁は生物的な色合いを取り戻し、剥がれ落ちたはずの瓦が隙間無く敷き詰められている。全体的にかつての艶と厳かな雰囲気があり、まるでここだけタイムスリップしてしまったように、ちぐはぐとしたおぞましさがあった。


(逃げ……逃げよう――――逃げなくちゃッ!)


 パニックに陥りかけた頭でも、自然と最善な一手を手繰り寄せることができたのは幸運だった。俺はすぐにこの場から立ち去ることを決断した。あのお寺はヤバイ。何がどうヤバイのかは具体的に言えないが、とにかくヤバイ。フェンスの中に入るべきではなかった。今すぐ家に帰って今日のことは全て忘れてしまおう。友達との約束などよりも、我が身が一番可愛い。


 そうしてフェンスに反転しようとした時には、全てが遅かった――――。




「 ア アア゛ アァ ァ゛ 」




 俺は振り向けなかった。

 "廃寺だったもの"に向いていて背後には上ってきたフェンスがある。その、俺とフェンスの間から、誰かの吐息が呻き声と共に流れてきたからだ。



「――――」



 言葉にならない声を出した。驚きのあまり心拍数が跳ね上がり目眩がする。

 ここはフェンスで囲まれた廃寺。好きこのんで住もうなどとする人はいやしないし、いたらいたで廃寺とは別の噂が立つだろう。何よりもフェンスの内側で音が消えた現象がある。

 それらを鑑みると馬鹿でも分かる。


 この声の持ち主は――――明らかに"人ならざる者"の声だろう。



「ア゛ ア゛ァ ハ ア゛ ア゛ァ゛」


「ッ――――!」



 今度は背後ではない。耳元から女性の唸り声がし、生ぬるい吐息がかかった。



 先ほどよりも距離が近くなっている――――。



 声を上げようとした。でも上げられなかった。口内がカラカラに乾いて喉を空気が掠めることすら許されなかった。その癖、跳ね上がる心拍数に同調して吹き出す汗が止まらない。背筋は凍り付いて足が磔になった。身動ぎ一つできず、指先の関節を曲げることもできない。頭の中は『恐怖』で埋め尽くされて無駄な感情はシャットダウンされる。

 俺はその場から一歩も動けなかった――――。



「エ サ ダ」



 やがてカエルがえずくような吃音から、金物を釘で引っ掻いたような甲高い女性へと変化する。それもハッキリと「餌」と言った。



 しかし真に驚くべきはここからだった。





「ア゛――――危ない、から帰り、ましょう、洋ちゃん?」





 この短時間で何度目か。また心臓が止まりそうになった。


 今のは『母の声』だった、家で俺や父の帰りを待つ母の声――――。とてもじゃないがフェンスで囲まれたここに聞こえるはずが無い。鳥肌が止まらず、炎天下だというのに体が震える。目尻には涙が溜まって頬を伝い落ちた


「早く、帰りま、しょう? こっち、を向いて、洋ちゃん?」


 途切れ途切れで俺の名を呼び続けている。だがそれを聞いた俺は、"よくある振り向いてはいけないパターン"だと瞬時に悟った――――。


 古今東西ありとあらゆるホラーで使い古された手法だが、その都度俺は疑問に感じていたことがあった。『横に90°向いてそのあとまた90°向くと、"振り向いた"ことにならないのでは?』と。『振り向く』とは、正面から自分の背後へ180°くるりと反転することを指す。では直角に顔の向きを二回変えたらそれは"振り向いた"とは定義されずセーフなのではないだろうか。


 そして"振り向き"さえ回避できれば、もしかしたら助かるのでは……?


 そう、疑問に思っていた。振り向いたことにならない可能性のが高いと目論んでいたから、その疑問を氷解すべくいいチャンスだと思い実行に移そうとした。


 ――――でもできなかった。


 なぜなら"怖かった"から。動物なら誰もが持っている根源的な感情の一つ、『恐怖』――――。シンプルな理由だが固まって動かない体を説明づけるには十分だった。


 直角に二回行うのが"振り向き"に該当してしまいアウトになるのが怖いのではない。

 背後にいる"ナニカ"を視認するのが怖くて怖くて堪らないのだ。これは振り向く振り向かないという問題ではない、視界にいれることそのものが不味いことなのだなと察して動けなかった。


 けど、このままここに居座り続けるワケにもいかない。助けを待っていても状況は好転しないだろう。"ここ と あちら"は隔絶されているのだから。

 俺は意を決した。

 姿を見ないよう目を瞑り、足をくるりと回転させ――――。



「ウワアアアアアアアアアァァァァッ!!!」



 ――――フェンスにぶち当たるまで走ることにした。

 恐怖に負けないよう叫声を発して猛ダッシュ。背後にいるであろう"ナニカ"を押し退けるように手を振り払ったのだが手応えは無かった。俺の背後に"ナニカ"は存在してたハズなのに――――。




「ねぇ、洋ちゃん、こっちに来ちゃ、だめよ? 帰り、ましょう?」




 理不尽なことに、風を裂く音を突き抜けて、耳元に囁かれる甘い声は消えなかった。頭の中は母を模した声でパニック状態、とにかく無我夢中だった。


 だから湾曲された空間にも気づかなかった。

 フェンスまでは5mもない。全力疾走なら数秒も満たずにゼロになる距離だ。けれど俺は"10秒以上は全速力でダッシュし続けていた"――――。



 ガシャン!



「うあっ――――!」


 菱形に編まれた鉄線で激突した痛みと、力なく揺れる硬質な音で、ようやく俺はフェンスに直撃したのだと分かった。


(やっとここから出られる!)


 これでやっと恐怖体験ともおさらばだ。ただパラノイアの症状が出ないかどうかが心配だったが、そんなのは精神科医の世話にでもなればいい。俺は期待に満ちてフェンスを登ろうとし、手を掛けて、目を開けた。


 けど手をかけるべきじゃなかった。



「は?」



 俺はフェンスを掴んでいたハズだ。それなのになんだ。この木目模様と鼻につく腐臭は。

 やがてグラリと視界が揺れて前方に倒れ込んでしまう。



「あ」



 ぶっ倒れて下敷きになったそれを見てから少し遅れて思考が追いつく。フェンスを上ろうとして両手で掴んだのは、傷みで窪んだ廃寺の扉。思い切りよじ登ろうとして体重をかけたのだが、その重みで痛んだ扉が倒れ――――俺は廃寺の中に転がり込んでしまったのだと。


 理論立てて考えればそうなのだが、脳みそは理解を拒んでいた。

 だって掴んだ感触は確かにフェンスだった。目を瞑ったからと言って方向感覚も失われてはいない、一直線に走っていたハズ。なのにどうして俺は今、廃寺の中に転がり込んでしまったんだろう――――?


 けれど混乱していても体だけは反射的に動き脱兎の如く廃寺から出ようと立ち上がる。このままここに居続けるのは不味いと、本能が告げる。


 ……だが既に遅かった。



「――――」



 俺の背後にいた"ナニカ"は俺を見下していた。

 それは人間ではなかった。

 下半身は半透明。目玉のある場所には黒い窪みがあり、頭部の右半分は腐って崩れ落ちている。全体的に三次元的な凹凸が感じられず、平面で生きている影のようなソレは女性の形を保っていたが、生物学的に生きているとは到底思えない。


 その、のっぺらぼうのような顔を見て俺は泣きたくなった。


「 ハ ア アア ア アアア 」


 女性のような影は廃寺に転がり込んだ俺を見て喜色満面――――。


 ヒタリ、ヒタリ――――。


 廃寺の奥から、ゆっくり、ゆっくりと、何かが歩いてくる音がする。


「あ」


 いつの間にか俺の重みで倒れたはずの扉は自然と直っていて、外にいた影は扉に手を掛けている。


「やめ――――」


 ヒタリ、ヒタリ――――。


 プロメテウスが火を盗んでいない時代の、根源的な闇によって死刑宣告は行われた――――。







「ねぇ聞いた? 隣のクラスの津田 洋介くん、昨日から行方不明になったんだって。私の友達が津田君の電話とかSNSに連絡しても反


応無いんだってさ」


「聞いた聞いたー。例の廃寺前に自転車とエナメルバッグだけあったんでしょ?」


「あの廃寺、人食いが趣味のカップルを閉じこめて浄化するために殺しちゃったらしいよ? それ以来近づいちゃダメなんだって。もしも入るならお肉をいっぱい持っていかないと、一生出られなくなるらしいよ。だからもしかしたらその津田君も今頃は――――」


「キャー怖い!」


「もーやめてよー!」


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