16 暗闇と恐怖
何かに足を引っ張られアガットは水たまりのような場所に倒れこんだ。
衣服に何かの液体が染み込むのを背中に感じ、急いで起き上がろうとするが、手元が滑り縺れるだけ・・・・
まるで溺れているかのようにもがいているうちに足に痛みが走る。
どんどん強くなっていく痛みにアガットは呻き、痛みの原因を取り除こうと手を伸ばすが、べたつく何かが強く食い込みビクともしない。
体力も気力もすり減り、顔に触れる手すら見えない暗闇に恐怖と絶望を覚えながらもなんとかしようとアガットは必死だった。
足の痛みに耐えながらずりずりと這って壁になんとかたどり着いた頃には、足に絡みついていた何かの感触はすでに太ももまでに達していた。
手で壁を掴み、胸元からネックレスを取り出し壁に差し込む。
開いたドアの取っ手に必死に手を伸ばし、空を切るのもなんとか掴んでドアを開け、中に入っていく。
倒れこむように〈部屋〉の中に入れば、いつも通りの清潔さと静けさにアガットは安堵し、、、、、
急いで足に絡みついている何かを取ろうとして振り向き、アガットは凍りついた。
「ひっ!」
自分の足に絡みついているそれは・・・・・化け物だった。頭蓋骨とタコのような皮膚、何本もの角なのか牙なのかがその顔から突き出していた。上半身は巨人の骨格に透明と半透明なゼリー状のようなスライムが何体も融合したのが巻きついているようで、そこから無数の触手のようなものがグジュグジュと四方に伸びている。その内の3本がアガットの足に絡みつき、強酸が混ざっているのかアガットのズボンと足の皮膚をも溶かしていたのだ。
固まっているアガットをよそに、それはまるでナメクジのように徐々に〈部屋〉の中に侵入してくる。押しのけられるように部屋の角に縫い付けられてアガットはただ呆然と見ているしかできなかった。
部屋に侵入しきったそれはアガットを捉えようと更に体の一部を伸ばしてくる。
激痛を伴っていた足はすでに酸が神経にまで達したのか、痛みすらも感じなくなり、ただの熱量を帯びているだけ・・・・
自分はここで終わるのだと覚悟した途端、自然とまぶたは閉まり、脳内に走馬灯が駆け巡っていく。まるで白い靄がかかった場面に人々の顔に意識を奪われ、時間という概念がなくなる。
しかし、覚悟していた衝撃も痛みも訪れることはなかった。
何故なら地震のような強い揺れを感じ、反射的に目を開けてみれば、そこにあったのは、化け物同士の格闘だったから。
アガットに絡みついていた化け物とは別にもう1匹、更に巨大なそれは入り口に入りきらず、手足なのだろう無数の何かを伸ばし部屋に侵入してきていた。
もう1匹は不気味な《何か》だった。バケモノという一言で表現すらできるようなものですらなかった。
頭部は若干小さいが体は食べ過ぎて膨れたように異様に大きく、人とも動物とも魔物とも分からない何本もの手足が、羽が、触手が、ツノが、体と表現していいのか・・・から不自然に生えており、ありえない角度にゆっくりとまるでもがくように動き回っている。
頭部らしき場所には2、3個の頭らしきものが溶け合ったかのように融合しており、口なのか、顎なのかすら分からない部分からは血のようなどす黒く、異臭を放つ唾液を垂れ流し、縫い付けられたかのような何個もの目はギョロギョロと動き回っている。
新たなそれは巨体の通り力も強いのだろう、強酸を含むスライムのような触手をまるで蔦を摘んでいくかのごとく、軽々と引きちぎっていく。アガットを襲っていた方は痛みに悶え咆哮し、激怒し、巨体に襲い掛かかる。
アガットは振り回されるようにして再度外の暗闇に放り出された。
何本もの触手動かし、倍以上もある相手に更に絡みついていく。巨体にまるでタコののように絡みつき、触手に含まれる強酸で相手の体を溶かし始めた。
巨大な化け物は痛覚があるのかないのか、悲鳴も上げず、口なのか顎なのかから異臭を放つ血を更に撒き散らすだけ。2匹の体は絡み合い、アガットを喰らおうとしていた化け物の体の一部である透明なスライム内にはいろんな動物、魔物、人だったのだろうパーツがどんどん飲み込まれ溶け出していく。
そのあまりのおぞましい光景にアガットは吐いた。胃にほぼ何も入っておらず、水のような胃酸が大量に逆流し、顔を、服を、ただ汚していくだけ・・・・
恐怖とこみ上げる吐き気と振り回されているせいでの頭痛に、気がつけばただ子供のように泣きじゃくっていた。
アガットを捉えて離さない化け物は体格差のごとくやはり勝てないと感じたのか、食料確保だったのだろう、極力動かさなかったアガットの足を掴んでいた触手すら相手の巨体に伸ばす、、、、
化け物の体と言っていいのかすら分からないが、に体を思いっきり体を打ち付けアガットは気絶した。
〜〜〜〜〜
宙を舞い、重力に従って体が倒れた衝撃でアガットは意識を取り戻した。
〈部屋〉から伸びるわずかな光を頼りに周囲を周囲を確認すれば、アガットと部屋の入り口の間に巨大で半透明な何かがあった。
まるでスライムの壁のようなそれを辿るように上を見上げれば、そこには意識を失うまで目にしていた化け物達が絡み合うようにしていたのだ。
しかし、アガットを捉えていた方の化け物は一定の動きしか見せない。
別に意識してみていたわけではなく、ただ漠然とその光景を眺めていたが、突然雷に打たれたかのようにその光景を脳が理解した。
捕食しているのだ。
巨体の方がアガットを掴んでいた化け物を吸収してるのだ。
この巨大な化け物は他の化け物を幾度となく捕食し、吸収し肥大かしていったのだろう。
脳に情報が到達すると同時にアガットの全身に鳥肌が立った。
おぞましすぎる。
恐ろしすぎる。
早く、
早くここを離れないと!!!!!
そう思い、両手に力を入れ立とうするが、足に力が入らない。
見れば片足は酸で溶かされ不自然なシルエットになっていた。
泣くな!!!
今ここで泣く時間なんてない!!!
震える口元を噛み締め、歪む視界を無視し、まるで4本足の動物かのように体を屈め前に進む。
化け物が手に入れた獲物に気を取られているうちになんとか〈部屋〉にたどり着きたかった。
まるで自分の手足じゃないかのような錯覚に襲われながらも必死に体を動かす。
わずかな光で今まで見えなかった足元がうっすらと確認できるようになってもアガットは決してそれに焦点を当てようとはしなかった。
いや、できなかったと言っても過言ではない。すでにいろんなものを見すぎて感覚が麻痺し、恐怖で心は折れかけていた。更に自分を追い詰めることだけはしないよう、まるで薄い氷の上を歩いているかのように慎重に目的地だけを見ていた。
化け物の半透明の巨体を避けるように迂回し、なるべく音を立てないように進んでどのくらいたったのか、〈部屋〉の扉がもう少しで手が届きそうな距離までに達した時、
・・・・ずずずっ
何か重たい物を引きずるような地響きがこだました。
振り返らなくてもあの巨大な化け物が動いたのがわかった。
アガットに気がついたのだろう、確認せずともその視線を感じ、全身の毛が逆立ち、鼓動が更に早まる。
あと少しだ。
あと少しで安全な場所に、、、、
希望が力を授けるとはいうが、この時ほどそれを実感したことはなかった。
手足に力がみなぎり、動かないはずの足ですら奇跡のように動いた。
爆発音と共に扉の近くの壁に穴が数個空き、ひび割れていく。
それと同時に扉が軋み始める。
悲鳴を噛み殺し、手が扉のフレームに触れた瞬間に力強く握りしめ、そこを重心にして体を勢いよく回す。
足を踏みしめ、両手を振り回して遠心力でドアを閉める。
か、ちゃり、、、
今までの騒音に比べまるで針が落ちたかのような小さな音だったが、その音を聞いた瞬間アガットは床に崩れ落ちた。
まるで糸の切れた人形のように手足を投げ出し、不自然な格好で倒れたまま目を閉じる。
今頃忘れていた足の痛みがぶり返し、思わずうめき声をあげる。
化け物の侵入で部屋にある棚は折り重なるように倒れ、いろんな瓶が散乱し、分別するのが大変で、その中から作り置きしていたポーションを探さねばならなかった。
なんとか上半身を起こし視線を彷徨わせる。
奇跡的にポーションはアガットの足元近くにあった。
クリアガラスの多角形の瓶にトルビア石の栓に守られ、中身は無事だった。
ガラス瓶のひんやりとした冷たさを感じながら、少し口に含み、
飲み込む。
アガットの記憶はそこで途絶えた。




