9 事件の終わり
人間が生まれる瞬間って、どういうものなんだろうなって、たまに思うんだ。
眠って朝起きた瞬間が新しい生のはじまりだ、なんてよく耳にするんだけど、そしたらさ、眠ってる状態ってなんなんだろうな。死んでるってわけじゃないよな。赤ん坊だって、生まれる前にお母さんのお腹の中で死んでるわけじゃないんだし。
まあ確かに、死んだように眠っている人を見て、ほんとに死んでるみたいだなあ、なんて思ったこともあるけど。
でも、死んでるわけじゃないんだ。
でも、生きてるわけでもないんだ。
どこからが、そいつにとっての生まれるってことなんだろう。
これは本当に、つまらないはなし。
多分これは俺にとっての、いや、僕にとっての、
「がああああああああああああああああっっっ!!」
背中を覆うように走る痛み、激しい嘔吐感、瞼を貫いて目を焼いてくるような、銀色の光。
「がっっはっ!! おぅぇおがぉぉぉおはああぁうぐんんんぉぉぉおお!!」
風邪をひいたときの悪寒を強めて、関節ごと筋肉がバラバラに引き裂かれるような苦痛。目の前がバチバチと弾け、他人が見ていたら滑稽極まりない鳴き声で、逃がしようのない責め苦に咽び叫ぶ。
「ひぃゅーーーーっ!! ひぃぃぃぃーーーーゅっ!!」
途端に喉がぴったりと張り付き、首全体が雑巾を絞るように捻れまわる感触。
やめてやめてやめてくれ。
どれくらいそうやってもんどり打っていたかはわからない。その間に誰かの声や手の温もりを感じたかもしれないが、何も分からず僕は泣いていた。
子供のようにしゃくり上げ、鼻水と涎をたらし、張り付いているような瞼を引き剥がした先には、余りにも眩しく目に痛い、大きな満月。
「……じ……ぃ……ぉい! ……ぶか……ケージっ!! 大丈夫かっ!! 目を開けたな!! 見えているなっ!! 聞こえていたら返事をしろっ!!」
覆いかぶさり僕を呼ぶのは、甲冑に身を包み、つり上がった瞳といつも眉間にシワのよっている女騎士様である、
「ぅびぁ……ぉおうだ、ま」
ルヴィアドール様だ。
「そうだ!! 私だ!! 目を閉じるんじゃないぞ!! そのままだっ!! ケージ!! すぐに自分を諦めるお前に言ってやる!! どうせ何もできないと、やっていても途中で泣き言しか言わないお前に!! 飽きただのなんだのブタの言い訳で自分を守ろうとするお前に!! この私が貴様に言って聞かせてやる!!」
ひどいな。そんなに僕迷惑かけたでしょうか? 心当たりが全然ない。とりあえず聞くしかないし、何をでしょうかね。
「いいかよく聞けっ!!」
やば、それよりめっちゃ泣いてる僕。
「諦めるなっ!! 何もかもだっ!! お前はこれより先っ!! 何一つ諦めることを、この私が許さんっ!! 目を覚ませっ!! ケージっ!!」
ごめんなさい、泣いてるのが恥ずかしすぎてちょっと聞いてなかったです。もう一回おねがいします。あと、なんで僕泣いてるの? どうしてこんなに痛いの?
「ううっ……うううっ……ルヴィア、ドール、さ、ま」
「ああ、私だ、ここにいるぞ。そうだ、もう心配はいらない」
彼女の目が涙ぐみはじめ、なんかとりあえず彼女の言葉を聞いて奇跡の生還を果たした僕、みたいになっている。めでたしめでたし。
落ち着くために、さらに時間はかかった。そのあいだ、周りはせわしなく甲冑を着込んだ人たちが行き交い、金髪優男で王立護衛団セプテットの結構偉い人のはずのアロードが、どうやら膝枕をされているらしい僕を指差しニタニタと笑っていた。
ルヴィアドール様は、教会正面の家の壁にもたれかかって座っていた。膝枕されているとは言え、正直ちょっと甲冑が痛い。
「もう、大丈夫そうです」
「そうか。だが、まだ休んでいろ。私の仕事はお前のお守りなのだからな」
「いや、悪いですよ。みんな忙しそうなのに、医療班の人のとこ行ってきますよ」
「そう言うな、どうせ暇な身なんだ。ちょっとくらい付き合えよ」
「暇って? どういうことです」
「副団長の席だが、少しのあいだ離れることになりそうだからな」
「えっ……なにをされたんです?」
「これだよ」
そう言って彼女は僕の首筋をそっと撫でた。
ざわりとした感触。
あるはずのないものがある。
「ひぃっ!!」
「ああ、すまない。まだ混乱しているんだろうな。落ち着いて聞いてくれ」
僕は急に訪れた息切れと、吹き出る汗をそのままに耳をすませて彼女の話を聞く。
「お前はあの怪物と戦っていた。そして、その際に、首を刈り取られたのだろう」
そうだ、そうなんだ。僕の頭はくるくると放り出されて、下の方に身体だけが残っていて……
「そこへ邪教徒のアジトから逃げた怪物を、追跡調査していた私が来たんだよ。チェルトという少女が、何らかの関わりがあるところまで判明し、そのことを聞き訪ねていたところ、お前と一緒に行動しているところを何人かが目撃していたからな。チェルトの家を探ろうとしたところ、大きな物音がした教会のほうへ行ってみたら、本当に驚いたよ」
「ああ、そうか、僕はそこで」
「怪物とケージ、両方とも倒れ伏した直後だったようだ。そこに、お前の頭からわずかな力の開放を感じていてね、もしかしたらと思ったんだ。まだ生きているんじゃないかと」
「首だけなのにですか?」
「お前は精霊とのハーフだろう? 普通の人間よりは、まだ生命力がある。どのような形であれ、だ。そこで、私が拝領した守護聖霊を使用した」
「それって……」
「お前の上位種だよ。眷属であるお前に憑依させ、首を繋ぎ直し、身体の怪我を直していただいた。光栄に思えよ、神より賜りし至高の存在に直に触れ得たのだから」
「……ありがとう、ございます。このご恩は決して」
なるほど。それで守護聖霊を失った責任を取って彼女は副団長の座を追われ、暇な身となるというわけか。本当に申し訳ないな。彼女が積み上げてきたものといえば、僕の命と等しいかというとそんな訳はないだろうし。
「まあ、久しぶりの休暇と思って満喫させてもらうよ」
「そんな、僕のせいで、本当になんて言ったらいいか」
「お前が気にする必要はない。私がお前の命を助けるために選んだことだ。それにな、手段があるのに手をこまねくのは騎士に非ずだ」
「本当に……ルヴィアドール様、僕、あなたのためならなんだってします。なにか手が必要なときはいつでも言ってください」
「そうか、それはありがたいな。あとそうだ、いいことを教えてやろう」
「なんでしょう?」
「私が元々授かっていた守護聖霊を返上し、雷の守護聖霊をあてがったのはな、アロード団長なんだよ。だからそうだな、おそらくあの人はこんなこともあるんじゃないかと……」
そこまで彼女が言ったところで僕は盛大に白けてしまった。あの人は僕をどうしたいんだろうな。もうこれで金輪際逆らえなくなってしまったかもしれないじゃないか。いやしらん逆らうぞ僕はきっと。
それに多分、彼女の副団長復帰とかも、すでに脚本が書かれて舞台も整っているのだろうねまったく。
「あーあ。さーてと、そろそろ起き上がりますかー」
「なんだどうした? 反抗期の子供のような顔だな?」
この副団長と団長、意外と似た者同士なのか? ますますやっかいだ。
起き上がって、手先に意識を飛ばしてみると、まあなんとか動けそうだ。なんて凄いんだろうな。
「そういえば」僕は疑問を口にした。「チェルトは、あの子はどうしていますか?」
彼女は僕に、なんて言うだろうか。僕が手を出さなくても、結局はシュトは僕以外の誰かに倒されていただろうけど。
「現場にいた彼女もひどく取り乱していた。我々の方で身柄を預かり、今は詰所で保護している。今後の処遇に関しても、そうそう悪いようにはならんだろう」
物音を聞いて、彼女も教会に来ていたのか。
そのときシュトの亡骸を目撃したのだろうから、悪いことをしたと思う。僕が関わらなければ、金銭のやりとりはあれど、話を聞いてくれて手を貸してくれる人がいることを知って、無駄に希望を持つようなことはせずに済んだ。そして、わざわざ彼女のいる傍で戦ったりもせずに、シュトの姿を見て絶望させたりもしなかったはずだ。
「そうですね、彼女は被害者だ。それは僕も証言できます。彼女から聞いた経緯も、今説明できますよ」
「それはまだいいよ。治ったとは言え、お前も大きな怪我を負ったばかりだ。少し休むといい」
「大丈夫ですよ、違和感なんてほとんどなくなってきて……」
あれ? いやまて、なんだかおかしいぞ?
「そんなはずっ!?」
僕はたまらず、近くにあった家の窓ガラスを覗き込む。
「ああっやっぱりだ!」
「どうしたケージ!?」
「僕の首、なんか斜めにくっついてません?」
斜めだ。身体を正面に向けたとき、ちょっと容認できない角度で顔が横へ回っている。首を回して正面を向いても、首を戻した、なんて感覚は全くない。どうしたって違和感がある。自然にしたら顔がちょっと横を向く。ちょっとまってほんとにまって怖い。
「あああっ!! ああっ僕の首!! ひどいことになってる!?」
「待つんだ。落ち着け。混乱や動転からくる錯覚だ」
「本当ですか!? 僕まずくないですか!? どう見たって変でしょう!」
「大丈夫だ。心配するな。元通りの姿だよ。お前の首は、元々ななめを向いていた」
「ふざけんなよオマエいい加減にしろっ! そんな人間いるわけないだろ!?」
ぎゃあぎゃあと僕が騒いでいると、なんだかまた再び違和感がした。
「あれ? なんか、ちょっと、前向いたら……ああっ戻ってる! 正面戻ってる! おいこら聖霊オマエまだ昇華しないで僕の中にいたんだろ! ちょっとやべえってどさくさで直しとこうとか思ってんじゃないだろうなほんとありがとう!!」
その件で僕がひとしきり泣いちゃったあと、遠くのほうからドタバタとこちらに近づく足音がした。女の人が僕を見つけて、手を振りながら大声で呼んでいる。
「なんだ? ケージ、お前の知り合いか?」
「あれは……はい、娼館の」
僕がシュトと初めて戦ったとき、襲われそうになって、姐さんが庇った人だ。
その人は大声で、僕を呼び続け、そうして、
---起きた!! 起きたんだよ!! ---
僕は隣の女騎士様にもう一度お礼を言って、急いで姐さんの待つ家まで駆け出した。




