8 決着
崩れかけの教会の入口から、沈んでいく夕日が差し込む。かび臭く、埃まみれの礼拝堂の隅に、起き上がっていく大きな影。
腰まで長いボサボサの髪と、妙に伸びきった手足。かろうじて女性とわかる胴体に、躍動し盛り上がる筋肉。
入口からゆったりと距離を詰めるが、そんなに長引かせるつもりはない。
僕の姿を見た大女のシュトは、唸り声を咆哮へと変え、一直線にこちらへ突進してくる。
腰に下げてある小さなカバンから、銀で出来た薄手のナイフを取り出し、シュトへと投げつける。お構いなしに突っ込んでくるシュトだったが、ナイフが足に刺さった途端に顔色が変わる。
「っぐぎゃぎゃおおおおっ!!」
以前と同じで、投げナイフなら問題ないとでも踏んだのだろう。以前戦った時も感じたが、学習能力は高い、しかし圧倒的に経験と応用が足りない。
残念なことに、君が亜人ではなく召喚された悪魔の類だということはわかっている。なら、最低限の対策くらいはするさ。悪魔の相手なんて初めてだし、それに対抗できる魔装具なり清められた法具なんて僕には手に入れるツテはないけど、間に合わせだってこれくらいはできる。
よろけたところへ一気に距離を詰め、シュトの目に向かって一文字に斬りかかる。
シュトの顔面が上に動き、大きな口を開け、僕の刀を歯で挟み込んだ。驚異的な顎の力でがっちりと刀の動きを一瞬で止め、空いた僕の体めがけてシュトは拳を振るった。
僕はシュトが噛んでいる刀へ向かって、最大限の出力で力を解放する。
幾重にも稲光が刀から弾け飛び、電流の衝撃によってシュトの上顎と下顎が開き、その首を大きく後ろへ反らした。
肉の焦げる匂いとともにシュトが体勢を崩し、僕は刀を頭上へ振りかぶり袈裟に振り抜く。シュトがたまらず後方へ飛び去ったが、切っ先はシュトの胴体を捉え、その肩から腰までの肉を刀の厚みだけ丁寧に抉りとった。
振り抜いた刀から片手だけ離し、再び銀のナイフを投擲し、たたらを踏みながら後ろへ流れるシュトの胸に突き刺す。
最初のナイフは牽制用。今度のナイフは柄にワイヤーを巻いていて、僕の手のひらとシュトの胸に突き刺さったナイフを繋いでいる。
再び力を開放し、ワイヤー伝いの電撃を喰らわせる。自分の中身が空っぽになるくらい振り絞ったつもりでやったが、まだ出せる、という感覚がある。この場所に来る前に少し試したが、以前にシュトと戦った時よりも、出力、持続時間は伸びている。
この力は使えば使うほど鍛えられていくような気がする。体と同じように鋭く力強く。その人の心をおいてけぼりにして。何者にもなれないと嘆いていた子供も、いずれ何者かにされてしまうように。大きくなった体という実存についていけず、かってに値札が下げられ、自分の知らないところへ心ごと運ばれていってしまう。
地面に倒れ伏し、くの字になって苦しむ彼女を見てそう思う。シュトも、その母であるチェルトも、望んでいないものに振り回されすぎた。
だから僕が、ここで終わらせてあげないと。
電撃を放ちながら素早くシュトの首筋付近まで回り込む。刀を振り上げ、シュトの首を切断しようとした瞬間、僕の電撃が途絶えた。
もう打ち止めなのか!? 一回の放電に使える最大量には、まだ達していないはずなのに。僕の調子によるものだろうか。
その隙をシュトは見逃さず身を翻し、僕めがけて血煙を吹き上げながら腕を伸ばし、僕の体をなぎ払った。
「ぐっ!! がはぁっ!!」
吹き飛ばされ、礼拝堂の椅子を壊し、体をよじってすぐさま退避。頭上に覆いかぶさった大きな拳の影、シュトの追撃が床に刺さった。
転がる僕へさらに拳が迫った。さっきまでとまるで状況は逆転し、今度は僕が後ろへフラフラ逃げながら刀を振るう。当然押し込まれるだけだ。寸でのところで攻撃を回避しているが、到底カウンターを狙えるような踏み込みなんて出来はしない。
シュトの反射速度も上がっていた。僕の動揺も重なっていたが、ここまで押し込まれるだなんて思ってない。失敗だ。
いや、違うか。僕はなにか見落としていた。シュトは、彼女は寄り代として悪魔をその身に宿した。目を凝らしてよく見てみろ。黒い靄がシュトの周りにうっすらと広がっている。あれに絡め取られたら呪いのようなものを受けると踏んだ。曖昧だが、症状としては体力、行動力の低下か。
息を切らして逃げ回る。
確かに、シュトに殴られた部分に鉛を入れたような重さがある。気だるさに心が萎えそうになる。
せめてものと悪あがきに腰に下げたカバンから銀のナイフを取り出そうとするが、当然うまくいはやらせてくれない。お手玉もする暇なく、乾いた音とともにナイフとワイヤーが散らばっていった。
何度か電撃の牽制を小刻みに入れ、ほんのわずかだが、態勢を立て直すことが出来た。迫ってくる拳を、刀の峯に手を当て、真正面から受け止め、再び最大出力で電撃を喰らわせる。
拳の半分まで刀が食い込み、直後に痙攣したシュトの拳を跳ね上げ踏み込む。
僕のほうが早いという自信はあった。そのはずだった。
反対側のシュトの腕が、目前に迫り、鋭く伸びた爪に首が刈り取られ、僕の頭は宙を舞った。
頭だけになった僕と、首から上が無くなっ××××××××××。
■ ■ ■
そこからさきに彼の意識はなく、ほぼ本能のままだったのだろう。
脳に残った酸素が尽きるまでは。
首から上が無くなったケージの身体を、弧を描き宙に浮いた頭部が見据えていた。その瞳が蒼白く輝き、幾重にも伸びた稲光の一筋がケージの首に刺さる。
信号を受信し、跳ね上がる身体と振るわれた刀は、己の首を刈り取り余韻に浸るシュトの腕を、飛ばした。
肉体の保存を度外視された自らの膂力はケージの片腕を破壊するが、握られた手は刀を離すことなく追撃へ向かう。
■ ■ ■
瞠目するシュト。彼女が司祭を殺してさえいなければ、首から上が無い人間は止まる、などという認識も持ち得なかっただろう。モノ知らぬ赤子の通り、興奮の限り全てを粉砕するまで一瞬たりとも止まることはなかったはずだ。
だが、目前にいる敵は違う。
首から噴水のような血飛沫を上げたところへ、小刻みに目に痛い光が堕ちたと思えば、何事もなかったかのように戦闘が続行された。
シュトの右手は半分まで裂かれ、左腕は宙をクルクルと舞っている。
踏みしめる地面に幾重にも伸ばされたワイヤーから、電撃が伝い迫るのが知覚され、シュトは身構える。しかし、その足元に踏んでいるワイヤーから流れる電気は微量のものであり、彼女は再び混乱する。それこそが、敵対者の最大の攻撃などとも知る由もなく。
ワイヤーへと流れる電気は、敵対者の身体へと昇り、弾けて辺りをチラチラと照らす。
再び刀が迫り、シュトは裂かれた右手で応戦。敵対者の胴を、親指と人差し指の鋭い爪で強引に貫いた。と、同時にシュトの右肘も寸断されている。
切断された腕の勢いのまま、シュトは大きく礼拝堂の奥へと身体を突っ込ませる。
顔を支えにしてシュトは起き上がり、唸り声をあげた。
シュトの切り取られた腕を、敵対者は胸からだらりと刺したまま、さらに距離を大きく詰めてくる。まるで操り人形のようにカクカクと、ガクガクと。不規則に、直角的に、首があった頃に相対し嗅ぎ取れたような殺意も苦痛も興奮も何もない、今まで見たことのない、新種の生き物。
しかし、シュトがもう引くことはなかった。怯えも恐怖も狼狽も全てその咆哮がかき消し、敵対者へと突進する。
迫る刀をそのまま胸に受け止め、敵対者に体当たりを喰らわせ、その肩口に牙を立てる。そのまま倒れ込み、組み伏せれば終わりだ。覆ることのない純粋な力の差を持って、この戦いに決着がつく。
そして見た。教会の入口、敵対者の身体の向こうに転がり、目を開きこちらを凝視する生首を。放たれる電撃。胸に突きたった刀は熱を持ち、溶かすようにシュトの胸から頭部を縦に割いた。
途切れゆく視界の先、生首の向こう側に、少女の影。息を切らしたあの姿は、見つけられなかったあの姿は、どうしても会いたかった、
「ぁ……まぁ……っ」
そうして、彼女を絡め取る黒い靄は霧散した。赤子の姿へ還っていく。
走り寄って抱き抱えられる感触も、その身体に落ちる大粒の涙も、もう彼女が知ることはなかった。