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キミの鳥かご  作者: 色傘そめる
産声が聞こえる
5/9

5 お仕事再開

 姉さんの部屋には何度か来たことがある。何人かの嬢といっしょに暮らしているけれど、けっこう入れ替わりが激しく今は誰がいるのかわからない。

 薄暗い階段を軋ませながら上った先の、狭い廊下を歩いていく。

 ドアの前に立つと、中から物音が聞こえる。同居人だろうか? それにしては話し声もなく、ギシギシと何かが軋む音が聞こえる。

 嫌な予感がして弾かれたようにドアを破り中を見渡すと、ベットの上に横たわる姉さんとそこへ覆い被さり腰を振る男の姿があった。

 姉さんは怪我で寝たきりのはずなのに、どうしてだろう。

「何を、しているんですか?」

 彼女と男は一糸纏わぬ姿だった。

 姉さんは今も静かに目を閉じたまま、ゆっくりと胸が上下に動いて呼吸していることを伝えている。

 男は姉さんにのしかかったまま、こちらに顔を向け目を丸くしたと思ったらみるみる真っ赤に燃え上がるような表情をし、何か僕にまくしたててきた。

 朦朧とした意識のなか足だけは大きく踏み出した。そうして部屋に入った瞬間に騒ぎを聞いて駆けつけた男達に後ろから押さえつけられて、僕は床に這い蹲ってしまう。

 身体に力が入らず、首だけをあげて僕は何かを叫んでいた。瞳からは情けないほどの大きな涙をボロボロとこぼしながら。

 自分で自分の声がよく聞き取れないけど、多分こどもみたいな事を言っているんだろうな。何の価値もなく、何かを動かすことも出来ないような、小鳥のさえずり。

なんで、どうして神様はこんな気持ちを赦してしまったんだろう。



「何、って彼女には仕事をしてもらっているんだよ」

 何度も殴られて、襟首をつかまれ引きずられるように彼らのボスの部屋に連れてこられた。腫れた顔の僕の前には娼館のオーナーが深々と椅子に腰かけ、ランプに照らされた宝石を勘定している。

「 彼は随分彼女にお熱でね。観たかい? 見てない? なにをって、彼女に決まっているじゃないか。傷もすっかり塞がっていただろう? あれはね、彼がわざわざ高い薬を買ってきてくれたおかげなんだよ。それもさ、表には出回ってないような稀少なものなんだ。大きい声では言えないけど、なんでも魔女の秘薬だって噂さ。どうだい凄いもんだろう。そんな大層な代物をぽいと彼女に使ってくれと来たもんだ。なかなかできることじゃぁないよ、まったく。まったくさ。捌けばどれだけになったか、ほんと。

それでだ彼の心意気をはじめとする数多の勇気に、僕だって男さ、応えたくなっちゃったんだよね。彼は彼女がこのままなら買い取りたいとも言ってくれていてね。だが同意のないそれは契約違反なんだよ。彼女自身が借金のカタってわけじゃぁないからね。どうだい、勝手に売り飛ばさないだけ良心的じゃないか。ここはやっぱり筋を通さないと。男ならね。それに、 一応彼女との取り決めとも違えていない。 もし自分の身に何か起こったとしても、体が使えるなら仕事を継続するっていうさ。 けど僕も良心が痛んだんだよ? 動けない彼女をだね、好き勝手するわけじゃないか。いや言い方が悪いな、これは僕が悪い。 けどね、君たちじゃ手が届かないような薬をさポンと渡してくれた訳だよ。 それなら、ちょっとくらいはお礼をしたいと彼女の方からも申し出てくれるんじゃないかなってさ。

それにこれは他の連中には内緒だよ。勢いがつきすぎて、彼女に怪我をさせてしまうかもしれないしね。だから今、彼女の相手は彼一人ってことにしているんだ。それにいずれ彼女も衰弱してしまう。ご飯も食べられないんだから、薬を口元に垂らしているが、いつまで持つかってなもんだ。精霊とのハーフなら教会が囲ってる上位の精霊の加護でも貰えたらどんな傷でもたちどころに治ってしまって問題ないんだけどね。あんまりいないようだけど、でもそれって本当なのかい? 見たことがないものを信用するってなかなか大変だよ。まあ、それにしたって莫大な額のお布施が必要になってくるわけだし。

なんにせよ彼女はどうなるんだろうねえ。このまま息をしなくなっちゃったらさ、やっぱり彼に引き取ってもらうのがいいんじゃないかなって。綺麗なまま残してもらえるかもしれないしね。動かなくなったらもう契約どうこうの問題でもないだろうし、君はどう思う?」

 目の下が腫れてヒリヒリとしていたので彼の言葉や言いたいことの意味はあまり頭に入ってはこなかったし、僕にはどうしようもできないと諦めて部屋を出た。



 どうにかしたいけど、僕にどうにかできる力なんてあるだろうか。もうなんでもいいからなにもかもうまくいって、僕の知らないところで誰も彼もが幸せになってほしい。

 それは口を開けて餌を待つニワトリのようで、明日にでも解体されるとしても清々しい気分でその日を迎えられそうだ。やるべきことと、これから起こり得ることが明瞭になっている。嫌だ嫌だと言っていても、何かを選んで勝ち取らなければならないほどの苦痛ではない。

 けれども、やはり目の前でなにかが起こったとしたら僕は動かなくてはならないのだ。誰も彼も幸せになって欲しい。だってやっぱり、人の負の感情はとても恐ろしいものだから。

 嫌なことばかりが溢れていて、そこから僕自身を守るために自分の心を切って売り歩いている。それこそが僕自身を使い物にならなくしている臆病さに繋がらないだろうか。もっと大きく構えたいのだけどね。



 もう空が白み始めていた。よろめきながら家路についていると、街の警備をしている兵士と薄汚れた少女が何事か言いあっている現場に出くわした。

「おいそこのお前!」兵士が少女に詰め寄った「こんな時間からなにをしていると聞いているだろう!」

 少女が怯えて後ずさり「違うんです! 違うんです」と言うと、さらに兵士は声を荒げた。

「物乞いが彷徨くには早すぎる。路上でいかがわしい商売でもしていたのか!」

 知らない振りをして横切ろうとしたけれど、そのとき少女の顔を見てしまう。いつだったかついさっきだったか僕の家を訪ねて依頼を持ちかけようとした、気味の悪い小汚い少女だった。

 このときも、不安や恐れを抱えながら僕は二人の間に割って入った。

「あーあー! こんなところにいたんですか! なにやっているんですかもうっ!」

「何だお前は、ってお前は何でも屋か? ずいぶん酷い顔をしているな。大丈夫か」

「僕が酷い顔なのはもともとですよ」

「冗談をいっているわけではないんだ。まあいい、顔の話は後だ。お前はこの女の知り合いか?」

「ええ、ええ、もちろんですよ。依頼主なんですけどね、夕方に合う予定をしていたところ急に怖い人達の呼び出しがありましてね。ほら、それでこんな顔にされちゃって」

「何をしたんだお前は。まったく。早く帰って治療をしろ」

「なんだか僕の態度が気に入らないとかでね。いやになっちゃいますよホント」

 この兵士の人とは少しだけ話したことがある。無愛想で最初は取っ付きづらくてお堅い人だと思ったが、真面目に誤魔化そうとすればこちらの事情を汲んで誤魔化されてくれる話の分かる人だ。ただし「それが本当に危険なことには繋がらないだろうな」という暗黙の了解を承知したうえでだ。

「それでですね、この女性は尋ね人の依頼を僕に持ちかけてきたんですよ。だというのに僕がこんなことになっちゃったもので。あらためて家まで伺って謝ろうとか思っていたら、こんなところで出くわすなんて! いてもたってもいられなかったのでしょう!」

「では彼女はこんな時間に、ひとりで尋ね人を捜していたのか?」

「もしくは、途方にくれてしまったんでしょうね」

「ふむ、そういうことなら我々も協力しようか。詳しい話しを聞こう。ついてきてくれ」

「ああ、ちょっと待ってくださいよ。これは僕が最初に聞いていたんですから。僕の仕事をとらないでくださいよ。それにしたって稼ぎが悪いんですから」

「そうか……まあ今はどこも立て込んでいてすぐには対応できんからな。すまんが頼めるか」

「ええ、もちろんですとも。それじゃあ僕らは失礼しますね。さあ行きましょうか」

 少女に声をかけて帰ろうとしたら衛兵に呼び止められた。もう疲れているんださっさと切り上げさせて欲しい。

「我々の手が届かんところをお前には随分助けられているからな。感謝しているよ」

「そんなそんな、僕だってこれで生活しているものですから」

「ただ難しいと感じたら、すぐにでも我々を頼るんだぞ。民のために城の門戸は開かれておるのだ」

「ありがたい話でございます」

「君自身のことにしてもだ。なにも、あんな連中と繋がらんでも君は充分にやっていけるのではないのか。そんな顔をして、穏やかに暮らす人々からの評判や信頼を落としてはやるせないだろう」

「まあ、おっしゃる通りで。ほんとうに」

 立派なお言葉を頂戴してしまい、相槌を打つくらいしかできないオートマタのようになってしまった。

 僕としては、娼館や荒事を生業としている人たちは実入りのいい仕事をまわしてくれる都合のいい客なのだ。彼からもらった言葉のいくつかは嬉しく思うのだけれど、それだけではなにも成し得ないのだ。心は動けど身は重く。



 衛兵に別れを告げて、彼女と二人で歩き出した。どこへいこうか。とりあえず僕の家で、彼女が訪ねてきた要件とやらを聞いてみて仕事を受けてみるのもいいかもしれない。人を探しているんだったっけ。僕と同じじゃないか。ただ僕の方は、もうつらくてなにもかもやめてしまいたいくらい悲しくなってしまったんだ。焦燥感だけが僕を追い越して身体を引っ張って暴れだしそうなんだけど、結局のところなんにもできやしないんだって無力な自分に甘えてしまっている。こんなときは何をしてもうまくいかないから、気持ちを切り替えないといけない。本当ならゆっくり休んでみるのもいいかと思ったが、目の前にお客さんがいるんだから僕は僕のできることをしてみようか。本当にね、もうどうにでもなったらいいんだよ。

「さて……」

 僕が振り返ると、少女は身をこわばらせて窺うような視線を向けてくる。

「今さ、みんなが過敏になっているところなんだよ。ちょっと派手で物騒な事件があってさ。だからしばらくはおかしな挙動は控えたほうがいいと思うんだよね。知らなかったかな?」

「そう、なんですか……」

「確か、妹さんを探しているんだったっけ? あってる? 特徴はどんな感じなのかな」

「あれ? 引き受けてくださるんですか」

「今の予定の見通しがなかなか悪くなってきちゃってね。いつ片付くかわからないから、2つ3つくらい並行して進めていこうかなと思ったんだ」

 もう僕にはどうすることもできないようなもんさ。だったらさ、困っている人がいるんだったら片手間でも手伝ってあげるのが人情だよたぶん知らないけど。

「それで、ちゃんと私の妹を探してもらえるんですか? 探したけれどダメでした、じゃあ困るんです」

「なかなか言うね。たしかに、ちょっと今の案件がうまくいってないってお客に言うべきじゃなかったよ。僕が悪い。不安になる気持ちもわかる。でもね、人探しなんて上手くいくかどうかは結局そっち次第なんだよ。ちゃんとした情報があるのか、失踪してから日数はかかってないか。お金だって大事さ、僕のモチベーションにも関わってくる。なにより自由になる資金というのは、いろんな人の口を弾ませてくれるってなもんだよ」

 僕が言うと、少女は手に提げた鞄を少し押さえる仕草をした。大事なものを守ろうという動きで、不安の色はそこに無く、金銭に関してはさほど心配ないのかもしれない。

 彼女がよほどの世間知らずだった場合はわからなくなるけど。

「それなら、見つからなかったら……私はどうすれば」

 言葉を詰まらせたあとに、彼女がハラハラと泣き出してしまった。

「待って待って、落ち着こう。これも僕が悪かった。無意味に不安がらせたかったわけじゃないんだ。お金だってね、前金だけ受け取って見つからなかったら、それ以上は受け取れない。それにね、見つからないからって焦っちゃってるんだよアナタは。すぐに結果なんてでないもんだよ、これはね。そんなときは、落ち着いて一つ一つ出来ることから手をつけていけばいいんだ」

 最後のほうは、まるで自分に言っているようで歯触りが悪い。ネチャネチャとしたものが胃をめがけて流れ込んでくるようだ。

「見つけて、ください。私の妹を、必ず」

 泣き濡れた顔を向け、僕の話なんかちっとも聞いていないかのようなことを言う。それとも、聞いていてちゃんとそのうえで要求しているんだろうか。

「わかった、わかったよ」

 これ以上話しても無駄だろう。ずっと平行線をなぞって、悲しいやりとりにしかならない。無駄にしなくてもいい損をしたくなんてないんだ。もっと、効率よく順序よく気持ちよくすんなりとスマートに襟がパリッとした心地で何事も進めたらいいな。

 少女の方を見やると、どうにも追い詰められているようだがその目は力強くギラギラと光っている。僕にもこんなふうに心の内側から燃え上がるようなものがあったらなあ、なんて思ってしまうものだよ。

 とりあえず、僕は彼女を自宅兼事務所へと案内した。



■  ■  ■ 



 瓶から水を汲みヤカンに入れ、キッチンストーブに火を起こし湯を沸かす。

 茶葉とバタークッキーを出そうと棚を開けたが、どちらも切らしていたため結局お湯だけをコップに入れて彼女の前に出した。

 なんてさみしいのだろう。テーブルの上には湯気を立てたお湯が二つ。向かい合った僕たちは顔を俯けてただじっとしている。これからパーティーをしようというわけでもないのだし、これでもいいのかもしれないけれど。

「じゃあまず妹さんの特徴とか教えてもらえます?」

 問いかけに対して彼女は口を開かない。僕も急かすようなことはせず、ゆっくりと時間を置いて話をした。

 いつごろ行方不明になったのか。最後に見たのはどこだったのか。いなくなる直前にどんなことを言っていたか。

 なにを聞いても返答はなく、これは僕の聞き方とかが悪いのかなと思い始めた。

 重苦しい空間を改善すれば、もっと気持ちが軽くなるかもしれない。やっぱりランプとかも一個だけじゃなく、いっぱい吊り下げてもっと明るくしてもいいかもしれない。シャンデリアとか買おうよ。いい考えだね。棚の上の飾り付けなんかも、花の鉢を並べてさ。カーペットなんかも真っ赤な奴がいいな。椅子もテーブルもベットもなにもかも、もっと装飾された複雑怪奇な形のものを用意しなきゃね。

 模様替えのことしか頭に思い浮かばなくなったころ、彼女がようやくその重い口を開いた。

「全て、話します。もう、頼れる人もなにもないので。最初から」

 なにかただならぬ決意を秘めているというのは感じていたところだけれど、それをこうも簡単に口にするというのはなんだか納得がいかない。僕が変に頑固なだけなのか、彼女が本当に追い詰められているのか。

 込み入った話になるのなら面倒だな。僕としては、ちょっと人探ししてお金もらえればそれでよかったんだけど。彼女の話を聞くと、なんだかもう引き返せないような予感がしてきた。

 お湯を飲んだ彼女が、自分たちの過去の話を始めた。それは、今から半年ほど遡った彼女の住む家から始まる。




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