3 戦闘
住居に挟まれ少しだけ窮屈で薄暗い路地裏を、雲から覗いた月が照らし始めている。慌てて指笛を吹いたのだけれど、伸びもよく街へと響いている。これで周囲へ異変を知らせることが出来たはずだ。
そうして僕が向けた刀の先、おそらく件の大女が立ち聳えていた。初日から見つけることが出来るなんてツイている。
それで、さっきの指笛で誰かが様子を見に来てくれないかな。さすがにセプテットの騎士や、その副隊長というのは贅沢だし、そんな偉い人たちが夜回りよろしくひょっこり出てくるはずもないけど。できたら助っ人は僕と同じ亜人の誰かがいいな。
のそり、のそりと大女が距離を詰めてくる。腰まで伸びて、ボサボサの髪。異様に長い手足、最低限女であろうなと判別出来る胴体。ボロ切れ一枚だけを纏ったソイツは、憤怒を帯びた眼光で僕を睨んでいる。
大女が前傾姿勢をとり、両手を地面へと滑らかに添え、僅かに筋肉が伸縮し、瞳が僕に狙いを定め、その長い手足が伸びやかに駆動する---間際、僕の突きが彼女の眼球を抉るために迫った。
「ぐぎゃおわっ!」
彼女が奇声を上げながら横滑りに回転する。僕の刀の切っ先に、ヌメリとした彼女の血液が滴る。目を潰せた感触はなかったから、多分顔の肉を削げたんだろう。今の一撃で、できたら脳髄まで串刺しにしたかったんだけれど、なかなかいい反応をしているなぁ。
「よく逃げられたね、褒めてあげるよ。ところで、どうして僕を襲おうとしたんだい? そこのところ、ちょっと詳しく聞かせてくれないかな。ねえってば、君、言葉はわかる?」
彼女はすぐに態勢を立て直し、僕をいつでも噛み切れるように首を唸らせた。すぐに押し込んで決着をつけたかったけれど、いま飛び込むのは少し危険なように思う。彼女の構えや体つきを見て先ほど踏み込んでみたんだけど、結果はこの体たらくだ。だからこそ彼女の膂力に対する僕の見立ては、ちょっとばかり信用ならない。
それから彼女は、さっきよりも少し距離を開けて僕の様子を伺っている。これには素直に驚いた。確実に、僕の攻撃範囲から外を陣取っている。学習能力は高いのだろうか。はたまた獣の本能か。
僕としてはこのまま睨み合いが続けばいいな、なんて考えていたんだけれど、それはどうやら希望通りには行かないみたいで、彼女は再び僕の方へと突っ込んできた。
彼女の力を利用して刀を刺してやろうかとも思ったけど、組み伏せられて終わりそうな気がする。
伸びてくる腕を躱し、交差する彼女の首に斬撃を放つ。しかし彼女の片手がそれを制止した。刀は彼女の手のひらを裂くに留まるが、今度は手を休めるつもりはない。
大体の間合いはこちらも把握したつもりなので、目の前の獣に猶予を与えないよう斬りつける。急所を狙いたいところだけど、そうはさせまいと彼女は強引な回避を選ぶ。態勢が崩れたところへ好機と思い飛び込むも、相手は長い手足を活かして僕の視界の外からカウンターを入れてくる。
彼女の身体能力、及び反射神経は僕を上回っているから、向こうに攻め手を譲っては押し切られてしまうだろう。こちらが長物を持っているとは言え、あまり優位性は感じられないんだよな。僕が雑魚だからか。
指を一本落とそうが、彼女は意にも介さずこちらへ喰いかかろうとしてくる。その動きには一片の淀みもなく、ただ標的を屠るために一直線に殺意を向けて吠えた。
僕だったら、指一本無くなった時点でほとんど戦えないに等しい。握力はなくなってしまうし、片手で戦えないこともないんだけど、早晩ボロが出て押しつぶされちゃうだろうしね。
なんだか薄氷の上を歩いている気分だ。戦術と先読みで彼女の動きの一歩上を行き、攻めてはいるんだけど、一発いいのを貰っちゃえば流れなんて完全に変わっちゃうだろうし。まあ、殺し合いをしている時点でそれは当たり前なんだけど。
しかし、なんで彼女はこんなところにいて人を襲ったりしたんだろうか。どうも、楽しんでやってますって感じじゃない。そんな思考があるようには見えないんだよ。
獲物を狩る獣と言った勇猛さもなく、ただ怯えて外敵の相手をしているようにしか見えない。
邪教徒のアジトから逃げ出してきたなにか。まあ小さな体からいきなり大きくなったり、人間離れして僕よりも高い運動能力を持っているのだから、多分亜人なんだろうけれど、こんな感じの魔獣とか精霊なんていたっけ?
それとも、僕のように外見からはすぐに判別できないような何かなのかな。
さて、彼女の動きが変わってきたぞ。目つきが違う。激しく動きながらも、じっとこちらを観察しているような感じだ。なんだか見られているって思うと興奮してきちゃうね。ようやく、ただ単純にこちらの命を狙うだけじゃ足りないというのをわかってくれたみたいだ。
体格差や身体能力では完全に彼女が上で、シンプルかつ効率的な動きをして相手を圧倒するのはもちろん正しい選択だ。というより、今まで彼女はそれしか方法を知らなかったんだろう。単純が故の強さは対処が難しいけど、彼女はそこまで完璧じゃない。そして、戦うのに向いていない人間が、どうして獣に勝るのか。それはやっぱり、知恵と勇気、努力・友情・勝利とかだよね。あと技術か。
僕は大きく踏み込み、大上段に切りかかろうとした。彼女は少し驚いたようだが流石に反応が良く、僕のガラ空きになった胴に腕を伸ばしてくる。鋭く伸びた爪と指は隙だらけの僕を引きちぎろうと迫り、僕は踏み込んだ右足の膝を深く内側へ倒し身体を外側へと逃がし、彼女の腕が僕の身体の表面を削る。僕は腕の力だけで刀を振り降ろし彼女の腕を深く裂いた。
こちらの動きをよく見るようになった、だからこうも簡単に釣られてしまうんだよ。僕の身体は君ほどじゃないけど頑丈なんだから、少しくらい無理はできる。
彼女は痛みによろけたのか距離を取ろうとしたのか、僕から二歩ほど離れる。僕は少し反り返った胴体を強引に持ち直し、身体ごと刀を彼女の腹に押し込んだ。よろけたところへ体当たりと串刺しにされた為に彼女は尻餅をつく。僕はそのまま彼女へのしかかり、切りつけた腕を踏みつけ刀を捻りながら引き抜く。
もう一撃くらいなら大丈夫と判断し、彼女の瞳めがけて突きを放とうとした、が、彼女の手が僕の顔を鷲掴みにしていた。
「なっ!?」
押し倒して下にして、完全に組み伏せたと思った彼女の身体の下になったほうの腕が、僕の顔を掴んでいる。強引に肩の関節を外してから身体の外へ腕を逃がして、また無理やり肩の関節をはめてから腕を回して掴んできたのか。
「ぐああっ!!」
ミシミシと掴まれた頭が悲鳴をあげる。悪あがきじみた動きで彼女を斬りつけようとするが、もう一本の腕に手を掴まれてしまい、その尋常でない握力に刀を手放してしまう。
のそりと彼女の身体が起き上がり、僕は宙ぶらりんに吊るされたまま頭を締め付けられた。
そりゃそうだ。彼女のほうが頑丈なんだし僕より無理だってできるだろうけど、ちょっとこれは酷くないかな。とっても痛いんだけど。
このままだと潰れたトマトが一つ出来上がってしまう。なんとかしたいけど、手も足も出ない状況だ。被害者第2号として、そして今回の事件の初めての死人として文屋のオッサンに記事を書かせるわけにもいかないんだけどな。
彼女のボサボサに伸びた髪から口元が覗いた。口角が下へ曲がっていて、なんだかとても悲しそう、いや悔しそうに見える。どうしてこんなことになってしまったのか、って嘆いているように感じるんだ。なんだい何か事情があるんだったら、この何でも屋に相談してごらんよ。力にはなれないかもしれないけど話して楽になることって結構あるんだよ。一人で閉じこもっていても駄目だよ。塞ぎ込んだって仕方ない。新しい風を呼び込まないと埃っぽくなっちゃって健康に悪いんだ。だからまずこの手を離してくれないかなあ無理かなあ。
ギリギリと締め付けてくる彼女の手を力強く握った。流石にこのままずっとブラブラしているわけにもいかない。この体制は頭もそうだけど首も結構辛いんだ。
そして僕は、歯を食いしばって彼女へと力を解放した。
目の前で青白い閃光が瞬き、僕の中の人でない書き換えられた縮図が解けていく。それは神秘の欠片を賤しくも拝領し、人の中で生を受けた人に在らざるもの、精霊。神の振り下ろした鉄槌からは程遠く、しかし、名前すらなくともそれは人の中で確かに、そして静かに回路を刻んでいた。
僕の体から稲光が舞い、大きく音を立てて爆ぜる。
稲妻の衝撃に彼女は目を見開いて身動ぎ、僕を放り投げた。壁に背中をしたたかに打ち付けられ、うめき声を上げながら滑り落ちるようにして、ようやく地面に足を付けることが出来る。
ごっそりと身体の中の力が抜け落ちてへたりこんでしまいそうになる足に鞭を撃ち、未だ稲妻の衝撃が抜けていない彼女へと走った。背中から隠し持ったナイフを取り出し、動き出そうとする彼女へと投擲し、太ももへ命中させる。そのまま刀を拾い上げて斬りかかるも、彼女は素早く僕の横へと回り込んだ。
構えを取りながらジリジリと距離を詰める。激昂の表情で僕を睨みつける彼女は、荒く息を吐き襲いかかるタイミングを見計らっていた。ナイフには即効性の神経毒を塗っていたんだけど、効き目が現れるのはいつ頃だろうな。彼女は大きな体だからすぐにとはいかないと思うけど、なんとか動き回ってもらうことにしようかな。それともあまり効果はないんだろうか。というか、早く誰か来てくれないものかな。こっちはもうバテバテなんだ。頭だって割れるように痛いし、放電したせいで上手く力が入らない。意識して刀を強く握り締めているはずなのに、今にもすっぽ抜けてしまいそうだ。
そして彼女が僕めがけて襲いかかってきた。寸でのところで躱すが、反撃にまでは回れない。再び彼女のが来るのをなんとかやり過ごす。
ちょっと待ってよ、動きに鈍さが表れていない。さっきと変わらず暴風みたいな勢いだ。かすり傷程度はまだいい。けど腹に穴を開けて、電撃もくらい、神経毒を塗りこんだナイフまで刺しているのにそれはないだろう。こちらの気力まで萎えてしまう。
もうそろそろ終わってくれないかって思ってたくらいなのに、元気なもんだ。彼女の健康を心配する必要なんてまったくなかったみたい。
それとも無理して頑張って立っているんだろうかな。しかし少しくらいは疲れを見せてもいいじゃないかケチくさい。駄目だな、相手の底を見ようとしても呑まれてしまうだけだろうから何とか自分に出来ることをやらないと。
もう彼女の手先は見ないことにした。胴体と四肢の関節と視線だけに絞ろう。大体彼女の動きは把握してきたわけだから、そこから類推していこう。ある程度なら避けれるはずだし、僕の手元で暴れるような変則的な動きは捨てよう。分かってから避けてたんじゃ間に合わない。さっきの肩を外すような荒技も、今やられるとおしまいだけど、そんなのもうへとへとの僕に対応できるはずもないし。
暴れまわる彼女を小手先だけで何とか捌く。さっきの電撃も多少は効果があったのかな、彼女は僕を組み伏せる気はないみたいだ。押し倒したとたんまたビリビリやられちゃたまらないものね。しかしジリ貧だなあ。こっちにはもう何も出来ることないんじゃないか。まあ、何とか体力が残っているうちは粘りに粘って、相手のミスを待つしかないか。
しかしチャンスを待ったとして、どうやって始末をつけるのか。だいぶ頑丈だぞ彼女は。それに、運良く懐へ飛び込んで何にも出来ませんでした、じゃあ僕がもう電撃を撃てないことを彼女に悟られてしまう。そうすると彼女は一気にカタをつけに来るだろうし。さてどうしたものか。
雲の中に月も隠れて辺りも暗くなり、風はないけど途端に冷えてくる。
すると、僕の後ろの方からけたたましい足音とともに怒号が飛んできた。
「何をやっている!!」
よかった。ようやく誰かが駆けつけてくれたみたいだ。後は彼女を逃がさないようにしたいけど、援軍が頼りない連中だったら悪戯に被害を広めてしまうことになるな。
声に驚いた彼女はびくりと顔を上げ、しばらく逡巡したあと、勢いよく反転し駆けていった。
「くそっ、逃がすな! 追え!」
言われなくてもそうするつもりなんだけど、ちょっと走るのきついんだよね。とか言っている場合じゃない、彼女が向かった方向は娼館のある通りだ。用心棒として雇われたというのに、クライアントに危険を近づけているようではだめじゃないか。
彼女は路地裏にあるゴミやなんかをぶちまけながら走っていく。本人は意識しているわけじゃなく、ただ必死に逃げいているんだろうけど、結構邪魔をされている。
そうして、彼女が路地裏を抜けた先に、人影が。
「逃げろッ!! 近づくな!!」
僕の叫びも虚しく、大女は目の前に突如現れた人影、女性に腕を振り上げた。
見たことがある。娼館で働いている。あいさつくらいはしたことがある。
振り下ろされる腕。そして、後ろからやってきた誰かが女性を突き飛ばし、代わりに大女に殴り飛ばされた。
大女はもういない。逃げられてしまった。のろのろとした足取りで倒れている女性の元へいく。
見知った赤いケープ。胸元のリボンが子供っぽいけど可愛らしいと彼女は言っていた。よく笑って、辛くても楽しそうで、口うるさくて干渉されるのが少し面倒で、でも彼女を見るのが嬉しくて。周りからは面倒見がいいなんて言われているけど本人はそんな自覚なくて。結構器用で。お立てに弱くて。
「姐さん……」
僕に護衛を頼んだ娼婦の姐さんが、頭から血を流して横たわっていた。