1 事件の始まり
「それがなんでもよーケージ君、夜道を歩いている時に突然襲われたみたいなんだわ」
僕の部屋の椅子に腰掛けた文屋が、手に持ったペンを揺らしながら尖がり口で話しだした。
窓辺でレンガ造りの町並みを眺め、頬杖を付きながら耳を傾ける。乾いた気候が運んでくる風と晴れの日差しが心地よくて眠ってしまいそうだけれど、どうも彼の話は子守唄替わりとはいかないみたいだ。
「被害者は娼婦で、仕事場にいく最中って話だ。ロガーヌ通りを一本裏に入ったところでな」
僕みたいなイエローモンキーには通りに名前が付くってなんだかしっくりこないんだよね。キョウの都の人ならそうでもないのかな。
「突然ランプの灯が消えちまって、女はマッチを取り出そうとしたんだがどうも手持ちが切れててな、暗い裏通りを一人でトボトボ歩いてたんだ。そしたらよ、いきなり強い風が吹いてきてつんのめったんだそうだ。んでよ、顔を上げればそこに……」
どうだ、みたいな顔を横目でチラリと覗いてみる。いいから早く話進めて。自分の髭を撫でてないでさ、ほら。
「馬鹿でかい影が立ってたんだとよ。さっきまで誰も居なかったところにだ。暗くて見えなかっただけかもしれねえけど、とにかく女は、これはやべえ、と思ったそうだ。なんでも、その人影は女の方をジッと見つめてきてるような感じでよ、女はどうか何にも起こりませんようにって祈りながら歩いてそこを離れようとしたんだ」
「やばいって思ったんならがんばって走ってよ、ねえ」
「そりゃそうだがよ、目が合った後にいきなり逃げ出そうもんなら、ちょっと顔見ただけでなんで逃げんだコラァ、つって追いかけてくる馬鹿とかいるだろうよ」
彼はテーブルに置かれた水をグビっと飲み干して、膝を叩いた。
「とにかくだ。女はちょいとその場を離れようとしたんだがな、なんとその人影が後を付いてくるってなもんだ。のそのそとな。それに気づいた女は走り出したんだ。大急ぎでそいつから離れようと。だけどだ、ビビっちまった所為か足がもつれて転んじまったんだ。膝が痛くて摩ってるとよ、後ろから足音がどんどん近づいて来る。さっきよりも早足でな。そして振り返った女は見たんだ……髪はボサボサで、着ているものはボロ切れ一枚の大女がこっちを見つめて拳を振り上げる姿をな」
そこまで話して、文屋はメモ帳をパタンと閉じて息を、ふう、と吐き出した。
「がむしゃらに女は逃げてな、さっきまで自分がいたところに大女の拳が刺さって道が砕けたんだとよ。そのまま女は命からがら逃げおおせて、大女の方はどっかにいっちまったとさ」
「怪我がなくてよかったね」
「まったくだ。話も出来ない状態なら、まともな記事にならねえからな」
「変死体があがったって記事にすればいいじゃないの。そっちの方が刺激的で売り上げも上がるかも」
「そうだけどよ、やっぱなんにもないなら何にもない方がいいじゃねえか。ケージ君よぉ、ここは物騒な国だとか言われてるけど、何事もなく平穏無事に人生過ごすやつのほうが大勢いるんだ。そりゃ刺激が欲しいのもいるだろうけど、無理にその大勢を不安がらせるだけの記事なんざ俺は書きたくないわけ」
「向いてないんじゃない? その仕事」
まったくだ、と嬉しそうに笑う文屋に僕は向き直って「亜人かな?」と問いかける。
「そりゃ間違いねえだろ。なんせ道が砕けちまったんだ。普通の人間の仕業じゃねえよ」
亜人---獣や精霊、魔物などの人在らざるモノと交わった種。それらが超常の力を行使し人々に害悪をもたらすのはこの世の常だ。
「それで、記事にする前に僕のところに話を持ってきたんだ。毎度毎度ご苦労さんだよね」
「んー、まあな。ケージもよ、今回のことでこれから忙しくなるだろうし、まー、なんだ、気張っていけよ、何でも屋」
そう言ったあとに彼は「これからこの事件を記事にしねえといけねえからな、急いで帰らねえとよ」とこぼして立ち上がりハンチングを被った。僕よりもちょっと高い位置から視線を交わして手を振って、「無茶はすんなよ」と言って部屋から出ていく。
■ ■ ■
これから忙しくなる、と彼の言うとおり物騒な亜人が出たとなれば、用心棒なり警護なりの仕事が僕の所に舞い込んでくるだろう。
斯く言う僕も亜人の一人だ。見た目は普通の人間と変わらないし、体は小さいけれど、それなりに腕は立つほうだと思う。だから僕が看板を掲げてる何でも屋には、人探しとか店番よりも、魔獣退治や引越しや畑仕事の手伝いのほうが多い。
それで今回、おあつらえ向きの荒事が起こったわけだ。
この自室兼事務所の集合住宅でお客さんを待っていてもいいんだけど、文屋がわざわざ記事にする前の事件を僕に伝えたっていうことは、「さっさと動いて、なんとかしてくれ」ってことだと思う。
とりあえず現場に行って、被害者本人からもう一度事件の全容を聞いて、何か犯人に繋がるものでも落ちてないですかってな感じでウロウロしてたら、事件を怖がっている人に声をかけられて飯のタネにもありつけるかも知れない。
そんなに収入が多い方じゃないから、できたら美味しい仕事がいいな。理想としたら、夜回りとか用心棒の仕事がわんさかやってきて、でも犯人はこれ以降一切姿を見せず、誰も怪我をせず、僕も危ない目にあわず、「結局あれってなんだったんだろねー」とか呑気な茶飲み話になってほしい。
まあ、仕事がなくてもその大女とやらを追いかけるつもりだけど。
やっぱり近隣に住んでいる人たちは不安がっているだろうし、気軽に外へも出かけられないなんてちょっと不便だ。一応だけど僕が動いているってことで、安心してくれる人達もいる。別に期待に応えられるかどうかはわからないけれど、ずっとピリピリして何も頼るものがない状態が続くよりは、幾分マシだろうし。要は気休めと緩衝材。
緩衝材。お国も動いてくれるだろうけど、やっぱり物々しさはある。法の番人が悪辣非道な亜人どもに正義の鉄槌を下す! 我が頭上に燦々と栄える神の御心を見よ! とかなんとかおっかない。その点、僕はそこまで愛想のいいほうじゃないけれど、この街だとそこそこ顔も効くから、安心材料が増えて困ることなんてないだろうし。
やっぱりお国ってほらさ、亜人とかにはちょっと厳し目なんだよね。昔に亜人は異教徒だってことで大きな戦争とか虐殺とか繰り返されてきてさ、奴隷として働かされたり売られたり、なんだか色々大変だったみたい。亜人も強いんだけどさ、結局群れたりできないし、できても小規模な勢力にしか収まんないから駆逐されちゃうんだよね。
王国には教会から洗礼を受けた騎士様とかいるし、彼らは亜人の僕でも力負けしちゃうわけで、数もいるしどうあがいても勝てっこないよ。そんなわけで平身低頭、黒いものも白になると。
さてとそろそろ行かないといけないんじゃないだろうか。シャツのボタンもきちんとつけた。タイを結んで上着を羽織って手袋を嵌め、刀をベルトから紐で吊るして出かける準備は終わった。それじゃあ参ろう、ロガーヌ通りへいざ往かん。
ドアを開けて道に出ると、ぴょんぴょんとウサギの獣人がカバンを担いで走っていた。2歳児くらいの体長で、二足歩行をして言葉を操る彼の姿は、獣の方の特徴が濃くて黙っているとただのでかいヌイグルミだ。それがキチンとした赤色の制服を着込んで、角ばった帽子をキリリと被っているのだから愛らしくてたまらない。僕の気持ちまで弾んでしまいそうだ。
「おーい」と僕は茶色い毛並みの彼を呼び止め「ちょっといいかなー」と言った。
「おや、なんだいケージ。何かを運んで欲しいのかい?」
「えーと、そうだね……あれ? 君さ、ちょっと太ったんじゃないか?」
「な、なんだって。そんなことはないはずだ。だって、だってだよ、君。僕はこの通り郵便をもって毎日この街を走っているんだ。食事にだって気を使っているし、そんなはずないじゃないか!」
カッカするウサギ君を片手で静止し、僕は提案した。
「それじゃあ、ちょっと計ってみようよ。僕が君を持ち上げてみるね。前にもやったことあったから今回との差異を見極めてみる。ほら、両手を少しだけ広げてくれるかな?」
「あ、ああ、構わないとも。よろしく頼むよ。僕はちっとも太ってなんかいないって証明してくれ」
そして僕は彼を持ち上げる。両腕にほどよい重量がかかり、手のひらにはフカフカの毛並みが収まった。ああ、なんて心地いいんだろう。ふわふわドキドキしてしまうのは彼に内緒ですよ。しかしてあれだよ、昔の偉い人は言ったもんだ、毛並みを手のひらでなでているとき、毛並みもまた手のひらをなでているのだってことで、ホント手袋は外しておくべきだった。だけれど、なんて幸せなんだろう。このままベットにでも倒れ込むことが出来たら、本当に安心して眠れそうなのにな。
十分に堪能した僕は彼を地面へと下ろすと、彼は心配そうな表情で「どうだったかな……」と訪ねてきた。
「うーん、ごめん。なんだか僕の勘違いだったみたいだ。以前とそんなに変わりはなかったよ。誤差の範囲内って感じかな」
「そ、そうだろう! やっぱりね、僕は太ってなんかいなかったよ。でもありがとうケージ、君は僕を心配してくれたんだね。やっぱりさ、僕らの仕事は体が一等大事だからね。いつだって体調管理には気を使わないと。今後も、気になったらまたよろしく頼んでもいいかい?」
「もちろんだよ、君と僕の仲じゃないか。ああそうだ、今度もしよかったらさ、僕の家に遊びにおいでよ。いい体の鍛え方を教えてあげる。これはね、二人でやると、とても効率がいいんだ」
「本当かい! なんて君は優しんだろうね。とても助かるよ」と健康マニアのウサギさんは顔をほころばせてそう言った。そして「ああそうだケージ、どうして僕を呼び止めたんだっけ?」
「ごめんごめん、すっかり忘れそうになってた。そういえば君は新聞社の方に郵便ものとか運ぶのかな?」
「もちろんだよ」と彼は肩から下げているカバンをポンポンと叩いてみせた。
「じゃあさ」と僕は文屋の彼が行き詰ったらサボる場所を教えて、「そこにいる彼に、仕事の斡旋の心配ならいらないよ、って伝えてくれないかな」
「お安い御用さ」
頼もしく胸をドンと叩く彼を見送って、僕は事件現場に向かった。
僕が現場に行っても、必ずしも仕事にありつけるってわけでもないんだ。食いっぱぐれを心配した文屋が、自分が伝えたことだからってんで気をきかせて、僕の仕事相手をある程度見繕ってくれるだろうことは想像できてしまうのだ。というよりも以前からこういったことはちょくちょくとあった。流石にこれ以上甘え通しという訳にもいかないし、けれど面と向かって文屋にこんなことを言うと聞いちゃもらえない。心配しないでって言うと、なんとまあ心配してしまう質なのだ。めんどくさいけれど、時間を置いて、他人から言ってもらうと多少効果はある。
余計な意識付けをして、もっと心配させてしまうこともあるけれど、それでも僕に黙って仕事先にツバをつけておいてから様子を見に来るようなことはしないはずだ。まずこうした手を打っていると、僕本人に仕事は見つかったのかって聞いてくるのが先なんだから。
僕はこの街の人たちに、随分とお世話になった。だから仕事が見つからなくても、僕が動けることは、やれることは一通りやってみるつもりだ。
数年前にこの街に来た僕は、まだこの国の言葉に慣れていなくてカタコトだったことをとても笑われた記憶がある。差別主義が苛烈を極めていた頃に比べれば天国と地獄くらいマシになったみたいだけど、やっぱり僕は亜人で、それも東の方の島国から流れ着いた身だ。僕の肌を指差してイエローモンキーとかよく言われたんだけど、なんだかよく分からないんだよ。だって肌色じゃん。目が腐ってんのお前ら? って感じ。
でも、そんな人ばかりじゃなかった。独り身だった僕だけど、困っていると手を差し伸べてくれた人たちもいた。同じ亜人の人とも愚痴りあったりして。なんとか地味にコツコツと仕事をして、その日を食べていくくらいだったら問題なくなった。
だからまあ、自分が出来ることをしっかり丁寧にやっていれば、これから先もなんとかなるだろう、だなんてのらりくらりと生活しているのだ。
そうこうしているうちに、ロガーヌ通りを一本裏に入った所へたどり着いた。予想していた通り人だかりができている。その中心には、お国が誇る騎士様方が立っていらっしゃった。ああ面倒だな。でも挨拶しないと。結構お目こぼしも貰っているしなあ。でも忙しそうだよ。やっぱやめとこっかな。そうだやめとこ。邪魔しちゃ悪いしね。あとやっぱ怖いし。
僕は回れ右して歩き出してやっぱり振り返って気弱に声を掛けるのだ。
「あのー……すみませーん……」
ジッと待っていたって、何もならない。やらなきゃいけないこと。やっておかなきゃいけないこと。やったほうがいいこと。やらなくてもいいかもしれないこと。だったら、一応はね。
「すみませーん!! ちょっとだけ、ちょっといいですかー!!」
そうして僕が叫ぶと、一斉にみんなが僕の方を見て、うわこれ失敗、やだナニコレってあわあわしていたら、指揮をとっていただろう二人の騎士様が僕の方へと歩き出してきた。
ええと、何を話すんだっけ。何をすればいいだったっけ?
そんな混乱している僕に向かって、その二人は声をかけた。
「ハイエナは失せろ。貴様の出る幕ではない」と釣り上がった瞳と眉間にシワを寄せた女騎士。
「まあまあいいじゃないか、民草に事情を説明するのも僕たちの役割だ。例えそれが、目の前の亜人であってもね」とにこやかな笑顔を携えて優男の騎士が言った。「それで少年、君は今度、誰を見殺しにするんだい?」
僕はもう、塞ぎ込んで帰ってしまいたかった。