糸口
エージェント界最大のイベント当日に起こったテロは、世界に大きな衝撃を与えた。
テロを企てたのは非正規エージェント達の集合体、グラハム。
国際的に存在が危険視されていた集団だが、ここ数年は影を潜めていた。
その隙間を縫うように今回の凶行に踏み切っていた。
彼らの暴挙は決して衝動的なものではなく、周到に練り上げられたプランに則ったものだった。
アレクサンドリアでのテロに続いて、世界の主要都市でも同時多発的にテロ行為が相次いだ。
グラハムの攻撃は苛烈だった。
情けのない徹底的な武力行使で、次々と都市を制圧した。
そして世界はエージェント軍とグラハム軍との全面戦争に突入していった。
◆◇◆◇
「はっ」
エイジは大きく息を吐き出して目覚めた。
自分が見ず知らずの部屋の中にいることがぼんやりと分かった。
ベッドから体を起こしたが、体が痺れたように重く難儀した。
「ようやく目が覚めたかね」
後ろから誰かの声がした。
痛む体に鞭を打って後ろを振り返ると、数段の段差を上った部屋の奥に机と椅子があり、1人の老人が腰掛けていた。
その老人は、ゴアだった。
「これはいったい……」
「混乱するのも無理はないな。だがまあとりあえずは私に感謝してくれよ」
「何が起こったんだ……」
エイジの声は掠れている。
「テロだよ。それもかなり凶悪なね。君も覚えているだろうあの会場から上がった爆発音を」
エイジは広場から見たあの禍々しい光景を思い出した。
大きな爆発音、不気味に上がる黒い煙、そして悲鳴を上げて逃げ惑う人々。
「テロが起こった時、私もちょうど会場へ向かう途中だった。少し遅れて行こうとしたことが幸いして、会場での爆発には巻き込まれなかったがね。会場では多くの死者が出たという……酷いことだ」
ゴアは顔を曇らせて少し俯いた。
「そしてそれはテロの始まりに過ぎなかった。サミット開幕の直前に相次いで会場を襲った爆発を皮切りに、街で一気に集団暴動が起こった。テロリスト達は街中で見境なくガンを乱射した。そして何より最悪だったのが、厄災の出現だ」
「厄災……?」
「強大な邪気を支配された存在だ。歴史上何度か現れ、この世界を窮地に陥れてきた」
ゴアは椅子から立ち上がり、段差を降りてエイジが身を預けるベッドの近くにやって来た。
「君は厄災の攻撃を受けて意識を失っていたね。私はテロリストに応戦しながら、意識を失って倒れている君を何とか保護して避難し、ここに連れ帰って来たんだ」
そうだ、自分は背後から厄災の攻撃を受けたんだった――
エイジは少しづつ何が起こったのか理解し始めていた。
そして、自分が直前まで苛まれていた喪失感、絶望感を思い出した。
そうだ――
「ユウが……ユウがいなくなったんだ」
エイジは震える声を絞り出した。
「ほんの一瞬、だけど振り向いたらもうそこにユウはいなかった。なあ、ユウはどうなったんだよ……? 俺達が一緒にあの街から帰ることはないって言い当てたあんたなら分かるだろ!?」
「彼女は無事だ。安心したまえ」
ゴアはエイジの目をひたと見据える。
「私もこと細かに把握することは出来ないが、彼女のエアロは危機を訴えてはいない。ましてや消え去ってなどいない」
「じゃあ、ユウは一体どこに……」
「それは分からん。ただ彼女がお前のもとからいなくなったのは彼女の意志ではない。そして一方で、彼女のエアロの様子から察するに、彼女の身が危険に晒されている訳でもなさそうだ」
「どういうことだよ……」
「私にもよく分からんが、一つだけ思い当たる節がある。この一件には彼女の出自が大きく関係しているのではないかということだ」
「ユウの、生まれが?」
「そう。それはつまり彼女が持つ常人にはない能力も関連することを意味する」
ゴアはコホンと咳払いをし、窓際に歩み寄っていった。
窓から外の景色を眺めながら、
「まあこれはあくまで一つの可能性に過ぎない。私に言えるのはここまでだよ」
◆◇◆◇
エイジはオフィスのパソコンにかじりついていた。
ゴアの家を後にし、最短ルートでオフィスに帰って来るやいなや自分の部屋に直行してパソコンを起動していた。
探しものはすぐに見つかった。
エージェントプロファイルのサイト。
プロエージェントだけがアクセスすることを許された情報データベースだ。
各エージェントの略歴やエージェントとしての功績等が簡潔にまとめられている。
「ニシミヤ・ユウ」と検索するとすぐにヒットした。
ユウのプロフィールページを開き、略歴に素早く目を通す。
出身:ヴィスバルト島
ヴィスバルト島――
聞いたことのない島だ。
エイジは急いで検索窓に"ヴィスバルト島"と打ち込む。
検索結果、0件。
「そんなばかな……」
この情報社会で、検索結果が0件なんてあり得るはずがない。
この島には何かある。
エイジは薄気味悪いものを感じていた。
何とかしてこの島について調べることは出来ないか――
「そうだ、あそこならもしかして……」
エイジは急いで荷物をまとめオフィスから飛び出した。
夜の闇が辺りを覆い始めている。
寒気を頬で切りながらエイジはバイクを走らせた。
しばらくして辿り着いたのは国立図書館。
この国で最も多くの書籍・文献が集まると言われている場所だ。
受付で市民票を見せて入場する。
既に日も暮れているため図書館内の人の数はまばらだった。
「ここじゃない……どこだ」
エイジは館内図を確認する。
「……ここか」
目的地を見定めると一直線に早歩きで向かった。
一階の奥まった場所に再び受付があった。
そこでエイジはエージェント証を提示する。
「はい、どうぞ」
受付はエイジを中へ誘った。
奥へ入り扉を開けると地下への階段が伸びていた。
階段を降り地下へと進む。
地下の扉を開けて中へ入ると、おびただしい数の本が棚に並べられていた。
ここはエージェントのみに閲覧が許された特別エリア。
機密度の高い文献等が多く格納されている。
ここならきっと探している情報を見つけ出せる――
エイジはそう強く信じていた。
ヴィスバルト島をポータルで検索する。
あった――
5冊の本が検索にヒットした。
タイトルに素早く目を走らせる。
ん――
1冊の本がエイジの目を奪った。
「ヴィスバルト島と魔女の歴史」
衝撃的なタイトルだった。
魔女という禍々しい単語が不吉なオーラを放っている。
どくん、と心臓が大きく鼓動を打った。
直感的に、そこに避けてはならない何かが記されているとエイジは感じていた。
エイジはすかさずその本の格納場所を確認し、その場所へと向かった。
少し手を伸ばせば届く程の高さの棚に、その本は並べられていた。