あり得るはずのない色
オンドルは2人の側に向かって歩いた。
「なんか、どうしても玉の色が……」
「私もなんです……」
「ふうむ。ちょっと玉に向かって浮くように念じてみてくれ」
「え?」
「いいからいいから」
2人は言われた通り玉に向かって念じ始めた。
するとユウの玉はふわふわと手の平から浮かび上がり始めた。
「うん、いいね」
エイジは焦った。
俺だけ何も進展がない――
思い切り虹玉に気持ちを込める。
次の瞬間、虹玉はエイジの手を離れ目にも留まらぬ速さでまっすぐ上方へ浮かび上がった。
ゴッ。
鈍い音を立ててエイジの虹玉はアリーナの天井にめり込んだ。
真っ白の天井に1つの小さな点が打たれ、ぱらぱらと破片が舞う。
「あちゃー……」
上を見上げながらオンドルが言う。
周りの面々も唖然としている。
エイジは穴があったら入りたいような気分だった。
「まあ、2人ともエアロは問題なく出せるみたいだから良しとしようじゃないか。色が変わらなかったのはよく分からんが、いったん気にせずにいよう」
◆◇◆◇
「そんな落ち込むことないって」
隣を歩くユウが慰めるようにエイジの肩をポンと叩く。
「落ち込んでなんかねえよ」
「嘘だあ、相当浮かない顔してるよ」
ユウがエイジの顔を覗き込みながら言う。
実際その後のレッスンでもエイジの出来はひどいものだった。
エアロを使ってめくってみよう、と言われ渡された本は、エイジが念じた瞬間木っ端微塵に破裂した。
ゴムボールを渡され、空中に浮かべてみようと言われたがエイジの念じたボールは大暴走するばかりで周囲の面々をひやひやさせた。
器用にエアロを使いこなし、物を思うままに操るメンバーも出始める中、エイジは圧倒的に遅れを取っていた。
くそっ、こんなはずじゃ――
焦れば焦るほど力は空回り、更なる暴走を招くだけだった。
カイゼルから告げられた言葉も、エイジの焦りに拍車を掛けていた。
「はあ」
「ほら、今ため息ついた。やっぱりダメージ負ってるなあ」
ユウがすかさず指摘する。
ちょうどその時、誰かが後ろから2人に声を掛けた。
「なあ、ちょっとお前ら」
後ろを振り返ると、同期のリン・フェリックスが立っていた。
「どうした?」
「ちょっと気になることがあってさ。少しだけいいか?」
そう言うとリンは立てた親指でくいくいと近くの空き教室を指した。
「まあ、別にいいけど」
2人はリンに続いてその空き教室へ入った。
リンはすぐさま教室のドアを閉めると、2人に近付いてポケットから何かを取り出そうとする。
「じゃん。見ろ」
リンが取り出したのは、先ほどの講義で使った虹玉だった。
「お前、どうしてそれを?」
虹玉はエアロのカラーチェックの後、オンドルがすぐに回収したはずだった。
「俺のやつだけ、袋に入れたふりして隠し持ってたのさ」
「えっ、ダメだよ怒られちゃうよ」
「大丈夫、後でこっそり返しとくから」
「でもなんで虹玉なんか盗んだんだ?」
「気になることがあってさ」
リンは手の平の上で虹玉をころころと遊ばせてみせる。
「お前ら、変に思わなかったか?」
「何が」
「お前らの玉だけ色が変わらなかっただろ、それなのにオンドルはあまりにあっさりと色を確かめることを放棄した」
リンの顔が少し険しくなった。
「お前らがエアロを使えなかったってんならまだ分かる。だがお前らはちゃんとエアロを放出出来ていた。それなのに、あれだけ他のメンバーの色はしっかりチェックしときながら、あまりにあっさりお前らの色の確認はあきらめた。俺がオンドルだったらそうはしないね。2人の持ってる虹玉は不良品だったんじゃないかって疑って、他の虹玉で試させる。でもあいつはそれをしなかった」
「あ……」
リンにそう言われてみるまで気付きもしなかった。
と言うより、自分だけ醜態をさらしている恥ずかしさでそんなことまで考える余裕がなかった。
「確かに、言われてみたらそうかも……」
ユウもリンの指摘に心を揺さぶられているようだった。
「そうだろ。俺はそれが気になって仕方なかった。だからこうして虹玉をくすねるようなマネをしたわけさ」
リンは虹玉を持った手を胸の位置まで掲げた。
「ここで、試してみてくれないか。お前達のエアロは、ほんとに色が変わらないのかどうか」
まさか、な――
俺達の持ってる玉だけ不良品だったなんて、そんな偶然あるわけない。
エイジはそう理性的な思考を持ちつつも、胸の鼓動が少しトクトクと速くなっていることも認めざるを得なかった。
エイジはリンから虹玉を受け取った。
ごくりと唾を飲み込むと、エイジは虹玉に向けて精神を統一し始めた。
しばし場に立ち込める沈黙。
その沈黙はすぐに破られることとなった。
「えっ!」
「やっぱりか」
そんな、本当に――
エイジの手の平の中で、その虹玉は真っ黒に色を変えていた。
どこまでも落ちて行けそうな闇、漆黒。
底抜けに暗い黒だった。
心臓が早鐘のように打つ。
エイジは目の前の光景をなかなか受け入れられなかった。
「黒……うそだろ……」
エアロは虹の7色のどれかに分類される、確かにそうオンドルは言っていた。
それなのにどれにも該当しない色、しかも禍々しい黒に変色するなんて――
「思った通りだ。しかし、まさか黒色になるとはな……次は、ユウ。君にもお願いしたい」
「うん……分かった……」
ユウが恐る恐る虹玉を受け取った。
エイジの手を離れた虹玉は、すぐに元の透明に戻った。
ふう、とユウが息を吐き心を落ち着かせようとする。
「いくね……」
ユウが虹玉に念を込める。
「こっちもか」
嘘だろ――
ユウの手の平の中で、虹玉は真っ白に色を変えた。
輝くような白。純白。
当人のユウは言葉を失っていた。
「一体、これはどういうことなんだ……」
エイジの口から言葉がこぼれた。
しかしそれは己の内心を表した正確な言葉ではなかった。
恐ろしくて咄嗟に口に出すことは憚った言葉。
一体、俺達は何者なんだ――
重たい沈黙が場を包み込んでいた。
◆◇◆◇
トントン、と外から部屋の扉を叩く音。
誰だろう?
時刻は夜の7時を回ったところ。
もう今日は特に予定は入っていなかったはずだが――
「どうぞ」
不思議に思いながらもホーキンスはその来訪者に応じた。
がちゃり、と扉を開けて入ってきたのはサクラバ・エイジだった。
その顔は晴れない。
「おや、どうしたんだ急に?」
エイジは思い詰めたような顔をしてこちらを見つめている。
「急に、悪い。どうしてもあんたに聞きたいことがあって」
「ああ、別に構わんよ。どうしたんだね? そんなに暗い顔をして……」
エイジはゆっくりとこちらの机に近付いて来た。
机の前で止まるとゆっくりと口を開いた。
「俺の親父がファミリアのヘッドって本当なのか……? 親父は……生きてるのか?」
なるほど。
まあ、時間の問題だとは思っていたが。
「ああ、そうだよエイジくん。これまで黙っていて悪かったね。ただ、決して何か悪気があったわけではないよ。ただでさえ未知の世界に来て混乱しているだろう君を、無闇に動揺させることはないと思っていた。君にまだその自覚はないだろうが、何と言っても君も、君のお父さんもこちらの世界では有名人だ。いずれその真実に君が辿り着くのは避けられないだろうから、なるべくその時は遅れてやって来て欲しいと思っていたまでだ」
「本当だったのか……親父は、生きてるんだな」
「そうだよ。いずれ、巡り合う日も遠くはないだろう」
エイジは様々な表情が混ぜ合わされた表情を浮かべていた。
実の父親が生きているという喜びも、その父親が想像もつかない大物だという驚きもあるだろう。
「もうひとつ……」
「なんだね?」
「俺のエアロの色、何故か黒だったんだ。これは一体どういうことなんだ?」
ホーキンスは動揺が表に出ないよう自分を律した。
まさか、その事実にまでたどり着いてしまったとは――
「正直に言おうエイジくん。私は今、そのことについて何かを語ることは出来ない」




