アカデミー生活、始まる
ユウは慌てて立ち上がり、壇上へ続く階段を小走りで降りて行った。
壇上へ上がるとホーキンスに向かってぺこりと頭を下げ、少し恥ずかしげに演説台につく。
大トリを努めるその少女に会場中の視線が集まる。
ユウはコホン、と一つ咳をして話し始めた。
「皆さんこんにちは、ニシミヤ・ユウと言います」
壇上に立つユウは、何だかちょっと輝いて見えた。
その存在だけで周りを明るく照らすような、天性の華のようなものを持っていることが分かる。
そういうとこも、あいつそっくりだな――
エイジはそんなユウにアイの面影を重ねていた。
「私は田舎者で、こんな大きな街に出てきたのは初めてだから、ちょっとドキドキ、でもかなりワクワクしています。アカデミーでの生活は大変だって聞くけど、みんなと一緒に頑張って乗り越えたいなって思ってます。これからよろしくお願いします」
そう言うとユウはにこりと笑い、聴衆に向かって頭を下げた。
「ありがとう、ニシミヤさん。さあこれで30人全員のスピーチが終わったわけだ。皆はライバルであり、最高の仲間でもある。これからともに頑張っていこう」
ホーキンスが結び、場を締めくくった。
◆◇◆◇
ランチタイムを挟んで午後から本格的に授業が始まった。
場所は変わらずウエスト棟のセントラル・ホールだ。
初日のメニューは簡単なアカデミー生活のガイダンスと、エージェント史の講義だった。
エイジは講義中どうにも集中出来ず、ぼんやりと教官の話を聞いていた。
どうにもこういう座学形式の講義というものが苦手だ。
周りの生徒は熱心に支給された手元のタブレットに教官の発する言葉を打ち込んでいく。
どうやらノートを取るという作業は旧世界の産物のようだ。
隣のユウも例に漏れず、熱心に講義に聞き入りタブレットを忙しなく操作していた。
やっぱ、真面目なんだな――
エイジはそんなユウを横目に、何をするでもなく前方の壇上を眺めていた。
やがて日が傾き、教室に窓からオレンジ色の夕日が差し込み始めてきた。
それからしばらくして、教室内に講義時間の終了を告げるベルの音が鳴り響いた。
あっという間に初日のスケジュールが終わった。
隣のユウがふう、と息を吐きエイジに話しかけた。
「お疲れ様。今日の講義どうだった?」
「……なんか話聞いてばっかで退屈だな」
「さてはぼーっとしてたなー。ダメだよちゃんと話聞かなきゃ。今日だって大事な話たくさん出てたよ」
「こうやって人の話ばっか聞いてんのほんと苦手なんだよな」
「もう。みんなに置いてかれちゃうよ」
「はいはい」
エイジは席から立ち上がった。
結局こっちに来ても勉強、勉強か。
あーあ、めんどくさっ――
エイジの頭にはそんな退廃的な気持ちが巣食っていた。
荷物を詰め込んだカバンを持ち、席を後にしようとする。
「待って、一緒に帰ろうよ」
ユウが後ろからぽんとエイジの肩を叩いた。
2人並んでセントラル・ホールを出る。
「そういや、俺達この後どこに行けばいいんだっけ?」
「ほら、全然話聞いてなーい」
ガイダンスでアカデミー生の暮らしについて教官が説明していたのは覚えているが、肝心のその内容は頭に入っていなかった。
「君は男子寮、私は女子寮に行くんでしょ。“各地から生徒が集まるこのアカデミーは、構内に寮を完備しており生徒はそこに宿泊することになっています。講義終了後は寮に荷物を置きに向かってください”って教官が言ってたの覚えてないの?」
「ああ、なんかそんなこと言ってたっけな」
「初日からこれじゃあ先が思いやられるなあ……」
ユウはわざとらしく左右の手の平を上に向け、やれやれというポーズを取った。
「はいはい、悪かったな」
エイジはぶっきらぼうに言い放った。
「頼むよー。そうだ……」
ユウは手元のタブレットで3Dマップを表示した。
「えーっと……寮はこっちだね」
「ふーん、ちょっと距離あるんだな」
エイジもその3Dマップを覗き込んだ。
「そうだね。ちゃんと道覚えなきゃだ。よし、出発!」
2人は寮に向かって歩き出した。
校内は広々としており、自然も豊富にあった。
このアトランティスに来てから目にしていたいくつかの街とは大違いだ。
10分ほど歩くと、2人は男子寮と女子寮それぞれに続く分かれ道に辿り着いた。
「じゃあ、今日はここでお別れだね。私はこっち、君はそっち」
右に進めば男子寮、左に進めば女子寮に到着する。
「部屋の番号、分かってるー?」
「わーかってるよ」
「うん、それなら安心。また明日ね」
ユウは笑顔で手を振ると、左の道を進んでいった。
エイジは右に伸びる道を進む。
分かれ道の正面には管理棟が立てられており、ユウの姿はすぐに見えなくなった。
しばらく行くと男子寮棟が目に入った。
黒塗りの落ち着いた建物だ。
寮の指定された部屋につくと、エイジは荷物を床の上に投げ置き、すぐにべッドの上に身を投げた。
ふう――
長いため息をつく。
初めて顔を合わせる同期。
会場の謎のざわめき。
初日から始まった本格的な講義。
たくさんのことがあった一日だった。
体というより頭が疲れているのを感じる。
エイジは食事を取ることもなく、そのまま眠りについた。
◆◇◆◇
翌日からさらにハイペースで講義は進んだ。
エージェント活動の基本から実践ケーススタディ、そしてエージェント法令等々、内容は多岐に渡った。
エイジは相変わらず講義の内容に集中出来ず、半ば教官の話を聞き流すようにして時間を浪費していった。
そして入学から2週間が過ぎたある日。
午前の講義が終わった昼休みに、エイジはユウに呼び止められた。
「ちょっと、エイジ全然講義に集中してないでしょ」
ああ、やっぱりその話か――
「さっき教官に当てられた時だって、とんちんかんなこと言ってたし」
「うるせえな、俺は実践派なんだよ」
「ダメだよ! ちゃんと覚えるべきことは覚えないと」
ふと、言葉を交わす2人に背後から誰かが近付く足音が聞こえた。
「おやおや、けんかかい?」
声を聞いた2人は後ろを振り返った。
そこにいたのはカイゼル・ジョイスだった。
「みっともないね、サクラバ・エイジ」
「ああ?」
「同期のニシミヤ・ユウにそんなに心配されちゃって。聞けば成績の方もさんざんな出来だって言うじゃないか。はあ、選ばれし者が聞いて呆れるよ」
選ばれし者だと――
なぜこいつまで……?
「選ばれし者がいざ講義を受けてみたらちんぷんかんぷんで、早速白旗宣言かい? あーあ、みんながっかりだろうなあ」
「はあ? なめてんのかてめえ」
がっ。
エイジはカイゼルの胸ぐらをつかんで睨み付けた。
「ちょっと! エイジ!」
慌ててユウが仲裁に入ろうとするが、カイゼルがそれを手で制す。
カイゼルはエイジの行動に動揺することなく、涼しい顔のままだ。
「乱暴な行動に頼るとは情けない。弱い犬ほどよく吼えるんだ。はあ、全然張り合いがないじゃないか。僕は選ばれし者である君に力の差を見せつけ、一躍脚光を浴びるべき男なのに」
「てめえの勝手な野望に俺を付き合わせてんじゃねえ!」
「君は僕の踏み台だ。でも低い台を踏んでも高い所には行けやしない。せいぜいもう少しは高い台になって僕を高みに導いてくれ」
カイゼルは冷めたトーンでそう言うと、自分の胸ぐらをつかんでいるエイジの手を振りほどいた。
「これ以上僕を失望させるな、選ばれし者よ」
「選ばれし者とか好き勝手に言ってんじゃねえよ……! 俺は誰かに選ばれた覚えはねえんだよ!」
「サクラバ・エイジ、君は自分がどういう存在か分かっていないようだね」
カイゼルはエイジを憐れみのこもった目でじっと見つめる。
「俺はつい最近この世界にやって来たばっかの、ただの新参者だ」
「本当にそう思っているのか? 君に対する周囲の反応を見て、本当に心当たりがないと言えるのかい?」
カイゼルの言葉にエイジは真っ向から異を唱えることが出来なかった。
何も心当たりがないと言えば嘘になる。
カイゼル以外からも自分に向けられる「選ばれし者」という呼称、アカデミー初日に自分の名前が読み上げられた時の会場のざわめき……
それ以外にも思い当たる節は複数ある。
しかし、だからと言って自分が何者だというのか――
「誰も教えてくれていないようだから僕が教えてあげよう。君は……」




