ざわめき
「狭き門を潜り抜けてきた精鋭揃いの皆さんを心から歓迎します。私は、このアカデミーの学長のホーキンス・マクレガーです。どうぞよろしく」
ホーキンスは皆に向かって軽く頭を下げた。
あのじいさん、アカデミーの学長だったのか……
エイジは軽く狐につままれたような気持ちになっていた。
「皆さんがご存知であろう通り、プロのエージェントとなること、すなわちこのアカデミーを卒業することは容易なことではない。100%卒業を約束すると言ったら嘘になるでしょう。しかし私達は出来る限りの力を貸すことは100%お約束しよう」
新入生はホーキンスの言葉に聞き入っている。
「さて、エージェントとしての心構えだなんだと言ったものは、後の授業に任せよう。私は堅苦しいのが好きではないし、自分が何を偉そうに語ろうとするかよりよっぽど君たちの方に興味がある。みんなは一生に一度の貴重な仲間だ。ぜひ、自己紹介をしてみてはいかがかね」
ホーキンスは柔和な笑顔を見せた。
会場の空気がそれまでと少し変わった。
さすがに精鋭揃いとあってか、もじもじと恥ずかしそうな様子を見せる者はいないが、どことなくまた別の緊張感が感じられた。
「なに、特に考えすぎることはない。シンプルに自分がどんな人間かを伝えてくれればそれで良い。早速始めようか」
そう言うと手元の書類に目を落とした。
「オーソドックスに生徒番号順にいくとしよう。まずは……」
距離があるためはっきりとは分からなかったが、心なしかホーキンスが少し口元に笑みを浮かべたような気がした。
「……トップバッターは今年の生徒番号1番、サクラバ・エイジくんだ。さあ、壇上へ」
そうホーキンスが宣言すると、会場全体からざわめきの声が上がった。
それまで凪いていた海面に急に波が立ったかのようにホールは様子を変えた。
名前を呼ばれた張本人であるエイジからして見れば、それは全くもって不可解な状況だった。
これはいったい何だ――
エイジは今の状況が理解出来ないまま、ホーキンスに呼ばれた壇上へ向かった。
中央の壇上に向かって階段を降りる。
会場のざわめきは徐々に収まりを見せ、エイジが壇上に上がる頃には場内はしんと静まり返っていた。
壇上でホーキンスとちらりと目が合った。
「やあ、しばらく」
「まったく、やられたぜ」
ホーキンスがすっと脇に動き、エイジに場所を譲る。
エイジはホーキンスと入れ替わるようにして演説台の後ろに立った。
台越しに場内を見渡す。
つい直前までとは打って変わっての静寂。
皆が固唾を呑んで食い入るようにエイジを見つめいている。
一体何なんだよ――
相変わらず一同の過度な注目・関心の理由は理解出来なかったが、エイジは話し始めることにした。
「えー、始めまして。俺の名前はサクラバ・エイジ。んと、年は16歳。この世界には最近やって来たばっかでまだ何も分からねえ。ここにいる皆がそうなのかは分からないけど、俺は何が何でもエージェントになりたいとか、そういう風に思って生きてきたわけじゃない。ってか、エージェントの存在を知ったのもつい最近だし」
再び会場が少しざわついた。
「でもなりたいとか、なりたくないとかじゃなくて、ならなきゃいけないみたいだ。だからまあ、素人なりに頑張るしかないかなって。そう思ってる。こんな俺でも良ければ、よろしく頼みます」
エイジがそう締めくくると、会場からはぱらぱらとどこかぎこちない拍手が起こった。
ふう、何がなんだか――
エイジは気だるさと困惑がないまぜになった気持ちを抱え、壇上を降りて元いた席への階段を上がる。
壇上ではホーキンスが次の番号の生徒の名前を読み上げた。
「生徒番号002番、アレックス・ロンド、さあ壇上へ」
ホールの右斜め前、比較的壇上に近い所に座っていた少年が立ち上がった。
「エイジくんってもしかして……?」
席に戻ると、待っていたユウが目を丸くしていた。
「なんだよ?」
「エイジくんのお父さんって、何してる人なの?」
「親父? 俺がまだ物心つく前に死んじまったよ」
「えっ……そうなの……? ごめんね嫌なこと聞いちゃって……」
「全然いいけど。でも急にどうした?」
「いや、ちょっと気になってね……」
壇上に上がったアレックス・ロンドは雄弁に自らについて語った。
堂々とした立ち振る舞いはなかなか同年代の少年少女離れしている。
その後もホ―キンスに名前を読み上げられた者達が続々と壇上に上がってスピーチを行った。
皆一様に場慣れして落ち着いている。
もしこれが自分の学校でのクラス代え直後の自己紹介だったら、とてもじゃないけどみんなこんなに立派に喋ることは出来ないよな、とエイジは思った。
「続いて生徒番号23番、カイゼル・ジョイス」
ホーキンスが読み上げた。
名を呼ばれたカイゼル・ジョイスは壇上に上がると、ホ―キンスに向かって軽く頭を下げ、演説台についた。
「どうも初めまして、カイゼル・ジョイスと申します」
精悍で整った顔立ちだ。
全身から自分への自信が溢れんばかりに伝わってくる。
「僕はこの世代でアカデミーに入学することが出来てとても嬉しく思っています。何故って?」
カイゼルの視線がほんの束の間、右上に動いた。
ん……?
エイジはその視線が自分を捉えたように感じた。
何事もなかったかのように再び真正面を見据えてカイゼルは語り出す。
「だってこの世代は、否が応にも世の中の注目を浴びることになるからです。いや、既に浴びている。ただ残念ながら、その注目に対して僕を含めほとんどの人の影響力は現状ではゼロに等しいですが」
他の登壇者とは一線を画すカイゼルの発言に、会場は見事に関心を吸い寄せられていた。
「僕はここで宣言します。世の中から注目を浴びるこの世代で僕は圧倒的ナンバーワンのエージェントになる。皆さんに負ける気はさらさらない。そして、そのまま世代を飛び越えて駆け上がり、そう遠くない未来にファミリアのヘッドの地位に就く。僕にはその自信があります」
エイジの時とはまた違うどよめきが起こった。
絵に描いたようなビッグマウス。
ほとんどの登壇者が皆と一緒に頑張りたいといった友好的で当たり障りのない内容を述べたのに対して、カイゼルの発言は際立って挑戦的・扇情的であった。
だが彼は周囲の反応など全く耳に入っていないようであった。
軽く頭を下げて降壇し、涼しい顔で自席へと戻る。
その姿からは決してぶれることのない強い意志を感じ取ることが出来た。
「なんか凄いね、あの人。ヘッドになりますなんてなかなか言えないよ……」
ユウもカイゼルのスピーチに圧倒されたようだ。
「ヘッドって、何?」
「えっ、知らないの?」
ユウは驚いた顔を見せる。
「悪いかよ」
「ごめん、そんなつもりじゃ……そうだよねこっちの世界に来たばっかだもんね」
「ファミリアだっけ? そんな言葉も出てたよな」
「私達エージェントはね、必ずファミリアっていう大きな組織に所属することになってるの。ファミリアはどの国にも1つずつ組織されていて、まあエージェントにとっての国みたいなものかな」
ユウはヒソヒソ声で説明を始めた。
周りに聞こえないよう配慮でもしてくれているのだろうか。
「そのファミリアの最高指導者にあたるのが、ヘッド。絶大な権力を持っていて、その言動が常に世界中から注目されてるような人たちよ」
「すげえな、大統領みたい」
「なに、ダイトーリョーって?」
「表の世界の偉い人」
「へえ、なんかかっこいい名前だね」
ユウが屈託のない笑顔で言う。
話もそこそこに、2人は壇上のスピーチに再度耳を傾けた。
そして遂に順番は最後の1人に回ってきた。
「えー、それでは最後の登壇者をお呼びしようか。生徒番号030番、ニシミヤ・ユウさん」
ホーキンスの声に、隣のユウはびくっと反応した。
「あっ、すっかり忘れてた……私だ!」