見覚えのある背中
「おーい、エイジー! 出発するわよー。早くしなさーい」
1階からジェシカの快活な声が響く。
「わかってるって」
エイジは鏡の前で身なりの最終確認をしながら返事をする。
アカデミー入学の朝はあっという間にやって来た。
短い間だったが世話になったこの家ともお別れだ。
ホーキンスはエイジの出発を見送ることもなく、「じゃあ」と言ってしばらく前に家を出ていた。
エイジは身だしなみの確認を終えると、荷物が一式入ったカバンを持ち玄関に降りた。
玄関には既にジェシカが待っていた。
「さ、行くわよ」
家の前に駐車していたエアタクシーに乗り込む。
二回目となるとやはり慣れた感覚はあるが、やはり依然として落ち着かない気持ちも否定できない。
ジェシカの指示のままエアタクシーは空を進み、やがて大きな建物の前に降り立った。
広大な敷地に、少しレトロを感じさせる建物が所狭しと並んでいる。
周囲を塀に囲まれ、厳重に警備されているようだ。
「着いた。ここがエージェントアカデミーよ」
エアタクシーから降りたジェシカはその建物を見つめて指を差す。
エイジはそのままジェシカについて門の前に向かった。
「今年の入学生のサクラバ・エイジとその付き添いのジェシカです。はい、これが生徒証」
ジェシカが門番とおぼしき男に向かってパスポートのようなものを見せる。
「確かに。さあ、中へどうぞ。皆様、ウエスト棟のセントラル・ホールにお集まりです」
「どうも。さ、エイジ中へ入るわよ」
「おう」
ジェシカとエイジはアカデミー敷地内への門をくぐった。
中へ入ると、この建物の大きさがより身に沁みて分かった。
いったいこれだけの大きさの建物をどう活用しているのだろうか。
「じゃあ、ここでお別れね」
敷地内の光景に見とれていたエイジにジェシカが唐突に告げた。
「え?」
「私、ちょっと寄ってかなきゃいけない所があるのよ。心配しなくても大丈夫、さっき門番の人が言ってた通りウエスト棟のセントラル・ホールに向かえば良いわ。あの建物の中にアカデミーの全体マップが掲示してあるから、それを見ればどこに何の建物があるか簡単に分かるわ」
ジェシカは30メートルほど先に立てられた3階立ての建物を指差しこともなげに言う。
「なんか唐突だな」
「ごめんね。でもこの数日間本当に楽しかったわ、ありがとう。アカデミー生活頑張ってね。エイジならきっと大丈夫よ」
「……まあ、頑張るよ」
「うん、立派になったエイジに会えるの楽しみにしてる。じゃあ、私は行くわね。バイ」
ジェシカはエイジに向かって右手を軽く上げてウインクすると、そのまま風のように颯爽とその場を立ち去ってしまった。
その場に取り残されたエイジはとりあえず先ほどジェシカが指し示した建物に向かうことにした。
その建物の正面の壁には“インフォセンター”の文字が並んでいる。
インフォセンターの扉を押して中に入ると、正面のホールの中心に大きな電子パネルが立て付けられ、そこに立体的な地図のようなものが映し出されていた。
どうやらあれがマップに違いない。
エイジはそのパネルに向かって進んだ。
そのマップには先客がいた。
黒髪を肩の少し下まで伸ばした、おそらく自分と同年代くらいだと思われる少女が少し前に身を乗り出しながらそのマップをまじまじと見つめていた。
ん……?
その後ろ姿は何故か見覚えがあるような気がした。
エイジは少しその少女のことを意識しながらパネルに近付いた。
後ろから誰かが歩いてくることを感じ取ったのだろうか、その少女がふとこちらを振り返った。
「えっ……」
エイジはその少女の顔を見て言葉を失った。
思わずその場に立ち尽くし、目を見開く。
エイジの不自然な挙動を見て、その少女は少し驚いた表情を浮かべた。
「あの……何か……?」
しばらくの沈黙。
やがてエイジは我慢出来ずに口を開き、その少女に尋ねた。
「アイ……だよな?」
その少女は寸分の違いなくアイと同じ容姿をしていた。
目、鼻、口、そして輪郭から髪に至るまで。
「え……」
少女は再び困惑した声を出した。
「あの……人違いじゃ……?」
「えっ」
今度はエイジが困惑する番だった。
「私の名前、アイじゃないです……」
「アイじゃない……」
エイジは徐々に冷静さを取り戻していった。
そりゃそうだよな、こんなとこにアイがいるはずがない――
「ごめん、人違いみたいだ……」
「そうですよね……はは」
その少女はほっと安堵したような、それでいて少し恥ずかしそうな表情になった。
「急に驚かせて悪かった」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。私に似てる人がいるなんて、何だか嬉しいですし」
「すごいポジティブ」
「えっ、そうですかね。自分に似ている人がいるなんて何だか嬉しくないですか」
「ははっ、そうかな」
「私変わってるのかな……あ、そうだこのパネルに用があるんですよね。ごめんなさい私ちょっと邪魔ですよね」
そう言うとその少女はひょこっと横にずれた。
「あ、どうも」
エイジは直前まで少女が立っていた場所に進み、パネルに表示されている立体地図を覗き込んだ。
「ウエスト棟は……っと」
「えっ、ウエスト棟?」
「……そうだけど?」
「私もウエスト棟を探してたんですよ。もしかしって探してるのって……」
「セントラル・ホール」
「わ! やっぱり。そうなんじゃないかなーってうっすら思ってたけど、ほんとに一緒だったんだ」
「え……てことは同じ入学生?」
「そう! わー、一人ですっごくさみしかったから同じ入学生に会えて嬉しいなあ」
少女は瞳を輝かせながら弾けたような笑顔を浮かべる。
このテンションの上がり方、天真爛漫という言葉がぴったりだ。
「そうだ、私ユウって言うの。ぜひ仲良くしてください」
ユウか――
「君の名前は?」
「俺はエイジ」
「エイジくんか、かっこいい名前だね」
「そんなことないだろ」
「いやいや、かっこいいって! ちなみにエイジ君はどこからこのアカデミーに来たの?」
「んー……オモテの世界から、かな」
それを聞いたユウは目を丸くした。
「ほんと!? すごい、オモテの世界から来た人に初めて会ったよ……」
「やっぱそういうもん?」
「そうだね、かなり珍しいと思うよ」
「そうなのか」
「ねえ、面白そうだからこっちに来るまでの話聞かせてよ?」
「えー、長くなるぜ」
「いいのいいの、すっごい興味ある」
「まいったな」
エイジは右手で頭を掻いた。
その時ふと、壁に掲げられた時計が目に入った。
「やばい、時間!」
「あっ、ほんとだ! もうこんな時間。急がないと」
「この建物出て、右だったよな」
「そうだね、行こう」
2人は急いでインフォセンターを飛び出し、マップで見た情報を頼りにウエスト棟へ急いだ。
◆◇◆◇
セントラル・ホールに着くと、そこは講演会場のような部屋となっていた。
教壇を中心にすり鉢状に半円を描く形で机と座席が設けられ、教壇から離れるほど席は高い位置にある。
全体を見渡したが、ざっと30人くらいの人はいるだろうか。
2人はまだ空いている席を見つけ出し、隣り合わせに腰掛けた。
席に着くなり、ふう、とユウが息を吐いた。
「何とか間に合ったみたいだね」
時計の時刻は集合時間の3分前を示していた。
エイジは改めて周囲の面々を見渡していた。
多くが男子で、女子の数は5人ほどだろうか。
口を開いている者はおらず、会場全体にはぴりっとした空気が満ちていた。
しばらくして教壇の奥にある扉が開き、1人の男性が部屋の中に入ってきた。
センスの良いジャケットをびしっと着こなし、全身から落ち着いた雰囲気が漂っている。
「あれは……?」
エイジはその男に向かって目を凝らした。
決して見間違いなんかじゃない。
ホールに入ってきたその男はホーキンスだ――
ホーキンスは教壇の上に置かれた演説台に手を置き、会場全体をぐるっと見渡した後、一同に向かって口を開いた。
「ようこそ、エージェントアカデミーへ」




