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宿雪の町

作者: 陽詩麗

 

「初雪を蓄える木?」

「そう!」

 彼女が突然そんな突飛な発言をしてきたのは、今にでも雪が降り出しそうな曇天の下での帰り道。せっかくの夕日も雲に隠れてしまっていて足元が薄暗い。

 予報では雨だったが、吐く息が雪のように白くてもう冬だということを報せている。

 彼女は制服の上に真っ白いマフラーと手袋をしていて、制服以外は何も身につけていない僕からしてみるととても温かそうで羨ましい。コートでも着てくればよかったが、去年クリーニングから返ってきたそれをどこにしまったのか記憶が曖昧で、けっきょく朝のうちに見つけることはできなかった。

「それで?また御伽話か昔話の類?」

 彼女は、心外だとでも言いたげに頬を膨らませた。

「あたしそんなに夢見る少女じゃないよ!ちゃんと実話だよ、この町の」

「この町の……?」

「そう。伝説って言うのかな?」

 そんな情報をどっから見つけてくるんだか……。そう言う彼女の瞳はきらきらと光っていた。完全に夢見てる目だ。

「生まれてから15年この町で暮らしてきたけど、そんな話見たことも聞いたこともないよ」

「君が何に対しても無関心の無興味だから、聞いたことがあっても右から左に流してただけじゃない?」

「それは否めない」

「あっはは、素直だねぇ。まああたしもついさいきん知ったんだけどね」

 おい。彼女はもふもふの白い手を後ろに組んで、上機嫌に足踏みしながら隣を歩く。

「それでその初雪を蓄える木はどこにあったの?」

 夢見る少女の話をまずは信じることにして、というか意外にも興味がわいたので掘り下げて詳しく聞きたかった。

「あった、じゃない。今もあるよ、湖の底に」

「は?」

 彼女は首を傾げて僕を見た。

「麓の大きな湖よ」

 湖は確かにある。だがあそこは、ぼくが生まれたときには既に立ち入り禁止区域となっていた。昔、小さな子供が足を滑らせて溺死した事故が何件も相次いだからだそうだ。

 たしかに、伝説や逸話を語るには絶好のスポットだろう。この目で見たことがないから余計にだ。人間は無知であればあるほどそれに恐怖と興味を抱く生き物だ。

「常緑樹でね、いつだってどんなときだって青々しく立派に立ってる。それでね、初雪を蓄えてるの」

「だから、その初雪を蓄えるってのが一番聞きたい部分なんだけど……」

 彼女はわざとらしくため息をつき、首を横にふるふると振った。

「本当に君は夢がないなあ。いくらでも想像しようがあるじゃない?始めから答え聞いちゃったらなにもかもが丸潰れだよ」

 さっき夢見る少女じゃないって自分で否定してなかったか?それなのに相手には夢を見ろと要求するのか。

 そんなことを言われても、話が幻想的すぎて中々想像がしにくい。頭の中に常緑樹を思い浮かべても、それがどうやって雪を蓄えるのかさっぱりだ。葉にどっさり盛って常白になるとか?雪を栄養分にして育ってるとか?というかそもそもに湖の底にあるんだよな?樹なんか立つわけねえだろ、あほか。

 ──諦めた。

「現実主義な僕には難易度が高すぎる」

「そうだろうと思った」

 ならやらせるな。彼女は愉快気にころころと笑う。マフラーに含まれた髪の毛がふわふわと一緒に揺れる。

「参考書ばっかり読んでないで、君はもう少し小説とか読んだほうがいいよ?想像力ってけっこう大事だよ?」

 真剣に心配してくれる。少なくともこうして彼女の話に合わせるには、想像力というものはこれから先も必要不可欠なものになるのだろう。

「……考えておく」

「よしっ」

 僕の返事に、彼女はにっこりと笑んだ。それから白い空を見上げて答えを継いだ。

「毎年この町に降る初雪は、湖にすぅーっと溶けていって底の樹へと取り込まれていくの。毎年毎年そうやって取り込んで入って、今ではもう溢れんばかりに初雪を蓄えてる」

「蓄えて、どうするの?」

 彼女は僕を見て優しく微笑んだ。

「新しい命になるの」

「……命?」

「人間の命。だからこの町の住人は、みんなその湖の樹から……初雪から生まれてくるんだよ」

「……雪がどうやったら人になるわけ?」

「だーかーらっ!そこが夢があって素敵なんじゃないの。変なことは考えない!」

 腰に手を当てて睨んできた。

「きっと初雪には不思議な力があるんだよ……。君もあたしも何年も昔に降った初雪から出来てるんだよ?すごいことだと思わない?」

 初雪が命に……。

「まあ……。そういや、やけに周りに低体温の人が多いような」

 常に手を擦り合わせている家族や同級生の姿を思い出す。前世が雪だったならばそりゃ寒がりにもなるだろう。

「でも雪を人の命に変えるって、神様みたいだねその樹も」

「そうなんだよ。初雪の神様はきっとそうして何年もこの町を守り続けてるんだよ。見てみたいなあ……」

 初雪の神様、か。

 ちらと横を見ると、憧れと夢と期待の混じった綺麗な瞳があった。今か今かと今年の初雪を待ちわびている瞳。

「でも」

 その瞳がかすかに陰った。

「あたしたちがその樹から生まれたなら……またいつか帰らなきゃいけないんだろうね。そしてまた雪に戻って、またいつかの初雪としてこの町に降りて、樹に蓄えられて、そしてまた人になる。その繰り返し……」

 それは、少し悲しいことかもしれないと思った。

 雪か人にしか成れないというのも一つ。僕たちはこの町に囚われているということも一つ。あともう一つは、「雪って何の役にも立たないよね」。

 代わりに、彼女が口に出した。

「本当、びっくりするくらい何にも。雨と違って生命の恩恵になるわけでもないし、どっさり積もって交通も不便になるし、朝早く起きて片付けなきゃ家から出れなくなる。夜中は除雪車の音がうるさくて眠れなくなるし、もちろん事故だってたくさん起きる。たぶんウィンタースポーツが好きな人くらいだよ、雪が有難いって感じるのは」

 言い切って、すぅっと冷たい冬の空気を吸い込んだ。

「それでも……。それでも、あたしたちはまた雪になりたいって思うのかな……」

 彼女の小さな声は、白い息となって宙に漂った。

 たぶん、思うとしても思わないとしても、僕らは雪に戻る運命なんだろう。この町に生まれたからには。

 そんな彼女の深刻で寂しげな表情を見ているうちに、だいぶこの突飛な御伽話を信じてしまいそうだった。

 たぶん僕らは、一生雪を好きにはなれない。何度転生したとしても好きになれることはない。自ら望んで雪になりたいとは……たぶん誰も思わない。

 彼女は僕の数歩前で立ち止まり、くるっと振り向いた。

「なーんてね!全部作り話だよ。やだやだ、まさか信じちゃったのー?ぷぷっ」

「……は?」

 けろっと笑っている彼女の顔に呆気にとられた。……今、なんて?作り話だって……?

「いやー、君の現実主義な性格をどうにかこうにかしたくて昨日の晩一生懸命考えたんだよ、褒めてよ。感想を原稿用紙一枚にまとめて明日持ってきてよ」

「は?いや……え……?」

 最初から今まで全部嘘?まじで言ってる?……まじだ、まじな顔してる。むかつくくらい頬がだらんだらんに緩み切っている。

 胸を張ってしてやったりな彼女は、僕の反応を楽しそうに眺めていた。

「作戦成功だね。途中から焦っちゃったよ、君本当に深刻な顔し始めたんだもん」

 してたのは君だろうが!あれも全部演技かよ!

「はっはっはー!今夜はいい夢見れそうだっ」

 勝ち誇った様子の彼女は軽い足取りで先を歩く。

「樹に食われる夢でも見てろ」

「だったら君は道に積もった雪になって犬にあんなものやこんなものをかけられる夢を見ちゃえっ」

 振り向いて意地が悪そうに言葉を投げ返してきたあと、おかしそうにくすくすと笑い出した。僕も釣られて笑う。

 腹が立たなかったと言えば嘘になるが、でも作り話とは言え一つの御伽話を聞いてみて少し楽しかった。

 小説というものを読んでみたらこんな気持ちになるんだろうか……?だったら彼女がハマる気持ちも勧めたくなる気持ちも分かる。

 次のバイトの給料日には本屋に行こう、そう思った。

「さてと、雪降る前にあたしは炬燵に入ってぬくぬくするぜー」

 彼女はマフラーの先をひらひらと揺らしながら駆けていき、曲がり角の前で振り返った。ぶんぶんと真っ白い手を大きく振るのが見えた。



 夕飯時にテレビの天気予報で初雪情報を見たのは、そのすぐあとだった。

 僕が彼女と別れてから家に帰るまでの間であった時間帯が画面に大きく表示されていた。が、僕は初雪の姿を視認しなかった。ここよりも標高の高い所で観測されたのかもしれない。どうやら例年よりも早いらしい。

 彼女の話した御伽話がまだしっかりと濃ゆく頭に残っていて、味噌汁も焼き魚もあまり味を感じなかった。黙々と口に運んでは胃に流し込む。

「初雪ねえ……この町に雪なんかが降ってもいいことないのにねえ……」

 そう、台所に立つ母親がテレビを見ながらつぶやいた。僕は思わず反応し、まだ口に含んだばかりの味噌汁をごくりと飲み下す。

「……母さん、今なんて言った……?」

 え?と母親はテレビから僕に目を移した。それから苦笑いを浮かべる。

「初雪なんて降らなくてもいいって。だって降っても雪神様の餌食になるだけじゃない。この町に降らなければ、もしかしたら違う町で人として生まれて次は雪じゃなくて他の動物とかに転生できるでしょう?前世も来世も来来世も雪なんて勘弁よ」

 なんともなしに言い、持っていたおたまをひらひらっと振ってみせた。

 僕はぽっかりと口を開け、食事の手を止めた。

 ──だって、彼女の作り話をなぜ母さんが知っている……?

 僕の間抜けな表情に、母さんは首を傾げた。

「ありゃ、どうしたの?あんただって知ってるでしょ?私たち初雪から生まれたのよ?」

「……なんで」

「なんでって、なにがよ?」

 母さんは訝しげに眉を寄せた。

「母さんはその話、どこで知ったの?」

「小さい頃に婆ちゃんに聞かされたわ。優しく強い子でいないと、雪神様に天罰下される!って」

 びしっとおたまを僕に突きつけてくる。

「天罰?」

「そ。死んだあとに雪にさせてもらえなくなるのよ、そしたらどうなると思う?」

「……命になれない?」

「うん、樹の中にずーっと留まったまま。雪にも人にもなれない。ね、恐いでしょ?」

 ……いや、恐いというより……そっちのほうが幸せなんじゃないのか?生まれ変わることもせず神様の傍にずっといたほうが安心するんじゃないのか?

 ……そんなことはないのだろうか。やっぱり地上に出たくなるものなのだろうか。

 ふいに、食器棚の隣に置いてある固定電話が鳴った。

 母さんがはいはーいとエプロンで手を拭きながら受話器を取る。僕はリモコンでテレビの音量を下げた。



 ぼくが彼女の姿を見たのは、あれっきりだった。

 翌日から馬鹿みたいに雪が落ちてきては積もり、本格的な冬が到来した。外へ出ることすら躊躇われる。

 そんな中でも、滅多に見ることのない大量の警察官の姿を、学校の窓からも家の窓からも終始確認した。防寒具を着込んだ近所の大人たちの姿もあった。だが、これだけの人数であっても彼女を見つけ出すことは敵わなかった。

 ──彼女は雪になったんだ。

 そう思った。彼女が雪ならば、僕は雪が少しは好きになれるだろうか?……なんて、そんな浅はかなことを考えたりもしたが、やっぱり好きにはなれそうにない。ただただ真っ白く冷たくそこらにあるだけで、彼女の姿なんて微塵も見せてはくれないのだ。

 彼女なら天罰を下されることもなく、いつかまたこの町に降りてくるだろう。だが、それは誰が望んだことなのだろうか……?少なくとも彼女は望んではいなかった。望まぬものに幸せなんかが付いて回るわけがない。

 あんな湖さっさと埋めてしまえばいいんだ。樹なんて伐採してしまえばいいんだ。たとえそれでこの町に雪が降らなくなったとしても、人の命が生まれなくなったとしても、それが一番最善な幸せなんじゃないのか?この町にとっての幸せなんじゃないのか?

 もしかしたら、初雪には誰かの想いが込められているのかもしれない。だから想いは命となり人の形となる。その昔の想いたちは報われることもなく、いつまでも消えずにこの町に留まり続ける。……我ながら突飛で幻想的な発想だ。もしも彼女が聞いたら褒めて遣わしてくれたかもしれない。

 雪と人が上手く共存していくには、実はまだまだ時間がかかるのかもしれない。その第一歩として、まずは“僕らにとって雪とはなんなのか”を考えなきゃいけない。

 せめてその答えを見つけてから、僕は雪に戻りたい。

 そうして、その答えを見つけた未来のこの町の住人たちに温かく迎えられながら降りたい。彼女もきっと同じことを望むはずだ。


 明朝、凍ってしまう前にと、捜索隊はあの湖へ踏み込むことを決行する。

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