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8.その先はちょっと痛い

お互いの欠落を無意識的に埋めるべく物語の恋愛はあるわけなんですが、複合的なライトノベルという分野では書くことが多すぎてなかなか上手くいきません。なんだかとってつけたようになってないか心配だったりします。




「あ」


「あ」


 同じ学校に行く二人がばったり出会う。これを聞くといつの時代の漫画だとかいう内容に見えるから不思議だけど、幸いにもというかなんというか、わが校は数百人程度の私立高校であり、こういうことに対して『運命』だのなんだのの言葉が通用しないほどには顔見知りがよく出会う。

 だが、


「雄平!」


 学校一の有名人に軽々しく呼びかけられて、それでもなお必然として流してくれる道理は流石に無い。


「だぁぁぁぁぁっ!!?? 人、人!」


 何時間かけて手入れしたのか風に艶やかな長い黒髪が揺れる。大きな声で名前を呼ぼうとする芳乃に慌てて駆け寄り、親指を口に当て、沈黙を要求する。


「……くん」


 ナイスフォロー。


「ええと、僕の苗字覚えにくいですか? そうですよね『故烏』なんて! あははははははは」


 いかに登校する人数が少なくても通学路に全く学生が居ないというのはありえないわけであって、何事かとざわめきが起きている。

 背筋に冷や汗が浮かぶ。

 流麗雹華――意外とドジ!


(あ……ごめん、つい……)


(ついじゃ済まないよこれ……)


 すまなそうに右手をごめんのポーズに持ってくる芳乃に苦笑しながら、ひそひそ声で会話を済ませつつなんとか持ち直す。心臓がバクバクいっている。周りの視線がいたい。


「ええと、ミスコンの件なんだけど……」


 話題を当たり障りの無いところに持って行きながら周囲の反応を探る。大分今の会話でごまかせたようだった。

 会話を取り繕うように芳乃は言葉を発する。眼が泳いでいるのはご愛嬌といったところか。不利な状況から挽回する技術はどうやら乏しいらしい。まああの人気っぷりなら理解できる。劣勢に陥ったことなんてないのだろう。


「ああ、それ……ですか」


 芳乃の口調が砕けそうになりそうなのを見て、背筋を覆う冷や汗が倍々ゲームしていく。


「うん……どうですかね?」


 多少、高校生が会話するにしては仰々しすぎるような気もするがこれで二人の間には溝があると思わせることが出来るだろう。少なくともこちら側が隔意を持っているというアピールにはなる。


「ええとそうですね……私はやはり辞退させて頂きます。両親も見に来ますから恥ずかしいですし……それに、水着なんて小学生のころの物しか無いですから」


 ……小学生の時? スク水? サイズオーバー? 

 一瞬頭に浮かんだ小さい水着を付けて窮屈そうにする芳乃の姿を思い描いてしまい、慌てて否定する。コンマ一秒の攻防だった。あぶない……イメージにしてしまったらもう逃れられない。

 表情は……よし、オーケー。あまりのやばさに愛想笑いのままフリーズしている。


「なるほど……解りました。じゃあそういう風に言っておきます」


 ほぐすように愛想笑いを解きながらさりげなく分かれて行く。


(学校では話さないことにしよう……皆結構見てる)


 そっと耳打ちしながら。

 コクリ、と芳乃が小さく頷く姿が眼に入る。

 それを確認しながら足早に学校へ向かっていく。

 芳乃と視線が合う。

 ……妙な気分になりかけて慌てて眼をそむけた。

 門をくぐる。

 一日が始まった。




 あの字のことを考えていた。『夜』の中で見つけたあの字のことだ。

 意味は一目瞭然だった。あの場所のことをそのまま言葉で表しただけなのだ。問題は誰が、それを刻んだかということである。人語を使いこなす化け物や人間と同じ形をした化け物が行ったのだとしたら厄介なことになる。

 人を、人に似たものを殺すことになる。釘の時の衝撃の比ではないだろう。言葉を解し、会話できるほどの知能があると仮定するならそれを殺すということは殺人だ。例えそれが人の負の感情であるなおさらである。

 殺すという意味。奪うということだ。同時に奪われる人間を生むということだ。命という触媒を使って情報を認識し、活動する人間にとって、死とは何もかも、一切合財を奪われることなのだろう。

 それでなければ、自分達と同じ人間か、人間だとするならあの字を書くのは幼い子供だろう。そんな子供があんな場所に一人で取り残されているのなら危険すぎる。

 どちらにせよ厄介なことになる。


「雄平? 雄平〜?」


 希の声がする。ふらつく頭を振りながらその声のほうへ身体を動かした。


「ん? あ?」


 気の無い返事になる。


「授業終わっちゃったよ? すごいね〜寝ながら先生と受け応えするなんて……人間じゃなくない? 技術なら今度教えて? 生まれ持った才能なら……売って」


「売るのかよ!?」


 意識が覚醒していく。どうやらまた、思考に没入していたらしい。突っ込みを入れながら二、三度強く瞬きをして周囲を見た。

 いつもの教室だ。

 目の前にある女性ぽい顔を確認して、次に手元のノートに視線を移し、ちゃんと書かれているかを見る。

 ……壊滅。

 見事に真っ白だった。


「後でノート見せ……」


「はい」


 即効で頭を下げようとした目線の先に、苦笑しながら希が差し出した手がある。その先にはこぎれいな赤いストライプのノートが握られていた。


「恩に着る」


 殊勝に受け取っておく。


「まあ、その恩は借りっぱなしだけどな!」


「馬鹿正直だ!? ていうか単なる馬鹿だ!?」


 しかし次の瞬間にはふんぞり返ってノートを机の中に捕縛する。呆れたように突込みが帰ってきた。


「ふふふふ……馬鹿が世界を盗るのだよ」


 ちょっと悔しかったので言い返してみる。……自分でも何が言いたいのかいまいち解らないが。


「世界欲しいの?」


「いや、いらんけど……」


 無邪気に問い返してくる希に大して言葉に詰まってしまう。

 治めるのが凄いめんどくさそうだし……なんで昔の人は欲しがるんでしょうな。ああ、そういう人しか歴史に残らないからか。学ぶ必要も無いよな、昔の普通のオッサンとか。


「もう昼なのか?」


 朝からぶっ通しで考えずくめだったのか。どうりで頭に鉛のような疲れがあるはずである。


「……重症だね」


「むう……」


 呆れたような希の言葉に返すすべも持たない。


「そろそろ二年生とはいえ受験とかあるんだし……ねえ」


「いいんだよ。俺はもう行くところ決まってるんだから」


 哀れむような希の目線に少しムカ、とくる。

 ……ささくれてるのか、心が。

 返答はそっけない口調になってしまった。


「へえ……まあ油断しないようね〜んじゃ、待ってるよ。食堂で」


 希は笑いながら手を振る。


「おう!」


 その仕草を尻目に走り出す。不意に何か引っかかった。何かまた懐かしい感覚が起こる。

 だがその感覚はまた消えうせて、何かを惜しむように足が自然と早くなった。

 





「白眉さんはお付き合いしてる男性っていないんですか?」


 これで何度目の質問だろうか。それは。

 ざわざわと喧騒が渦巻く食堂の一角。右端の奥の席に、ものすごい密度で人が集まっている地域がある。

 『雹華地帯クール・ビズ』と名づけられているその地帯は、白眉芳乃の所属しているC組の生徒を中心とした『白眉芳乃とお話をする』ことを目的とした女性達の集まりだった。

 女性が集うということは自然と異性である男性が近寄りがたくなるということであり、実質ここに近寄ってくる男性の姿はないと言ってもいい。

 女性がたくさんいるならむしろ――と思う人もいるだろう。否、実に否である。

 アイドルを熱狂的に追いかける女性を――失礼ながら『痛い』という表現で表すことが多いのは、つまるところその熱狂具合が恐怖を感じるからであろう。

 まさに芳乃の周りにいる女性達はその状態なのである。


 ――なんでこんなことになっているのか。

 最初は誰も近寄らなかった。あまりの美人というのは人を遠ざけるものでも在る。

 だが、ある女子生徒の悩みを聞いてしまった。

 同級生である女性が、ある日突然隣の席に座った。

 原因は、女子のグループに上手く馴染めなかったというのだ。


 ――失礼ながらつまらないことだった。


 向き不向きというのは誰にもあることである。

 大きなグループに所属しなければいけないというものでもないし、ましてや性格が合わないことなどいくらでもある。

 まあしかし本人にとっては一大事なのであり、悩みとしては共感できる部分もあった。

 母があのとおりのテンションであり、聞くことになれた芳乃は思わずこういってしまった。


「ねえ、話してみない?」


 この一言で堰を切ったようにその少女の悩みがぶちまけられた。その悩みは家庭の中まで進み、一時間ほどで芳乃は彼女の家庭の微細にわたるまで知ることとなってしまった。

 言うだけ言ったらすっきりしたのか少女は何度も礼を言って、帰って言った。

 それから、次の日、彼女が一人連れてきた。さらに次の日、その友達また一人連れてきた。

 さらに、さらに、さらに――

 社交的な性格でありながら根底は聞く方向に回らざるを得ない性質――今の両親に対する遠慮から培われてきたもの――と共に、並外れた(と言われている)容姿も幸いしたらしい。

 聞けば最適なタイミングでほしい言葉、ほしい相槌が返ってきて、それ以外は一切何も言わない。

 華のように笑いながら決して自己主張が無い。

 聞き上手のハイエンド。

 そんな人間に人が群がらないはずが無かった。

 そして入学式から一ヶ月、多数の女子が集まり、いつの間にか『流麗雹華』という妙な称号までつけられることとなっていた。

 今この状態になっているわけだ。

 隣には初期メンバーの女の子が一人。その隣にはクラスで最大の派閥を持つ人気の女の子。よそのクラスも見える。


「ええと、お付き合いしてる人ですか……」


 百にも及ぶかもしれない目が芳乃に向けられる。

 正直、こそばゆい。

 手元にある母手製の弁当を見てため息をつく。

 彩り鮮やかな弁当は味のほうも絶品なのだが、この喧騒のさなか、応対にいっぱいいっぱいで味がよくわからない。

 いつも申し訳なく思ってしまう。 


「居ませんよ。私じゃ駄目駄目です」


「ええ〜っ! 白眉さんならA組の至宝……『球戯』勇堂ゆうどうさんでも大丈夫ですよー!」


「待って待って! やっぱり3のBの『燐光』光羽みつはさんでしょう!」


「違〜う! 絶対、『走翼』の裂屋さくやさんですよ!」


「むう……『狗愛』金城かなぎくんも忘れないでください!」


 喧々囂々と意見が飛び交う中で、芳乃は微笑を浮かべながら背筋に冷や汗を浮かべていた。


(いえない……全員振ったなんて)


 サッカー部のエース、クール系美少年、勇堂勇。

 絵画部の部長、陰のある中性美形、光羽海矢。

 頼りがいの在る兄貴分、陸上部の部長兼エース、裂屋皆木。

 健気で真面目、頼られた仕事はどんなことでもこなす、幼げな顔立ちの美少年、金城洋介。


 それぞれに告白され、全員『考えさせてね』や条件をつけたりしてやんわりと断ってきた。

 なぜかと問われれば。何故だろうと問い返すほど自分でも理解できてない。彼らは本当に自分のことを好きになってくれないのではないか――という不安があった。

 本当の愛情は血を流し、死ぬほうが良いような状況下であって、それでも守ろうと足掻いてくれるもの。

 自分さえ、切捨てる決意。それが、愛情なのではないかと思っている。

 だからなのだろう。何か、どこか同級生が語る恋愛というものに興味を抱けないのは。

 何故こんな考え方があるのだろうか。

 ……前の――養子にしてくれた叔父さん、否、お父さん達は本当の両親だと思っているから――両親の死に際が関係しているのだろうか。

 車がひっくり返った瞬間ですら、自分の心配をしてくれた両親が印象に残っているのだろうか。


「芳乃さん?」


「あ、はい?」


 不思議そうな顔をして話しかけてくる少女の声で、芳乃は再び意識を周りの女の子達の話に戻した。


「そういえば噂で聞いたんですけど――朝、男の人と仲よさそうに登校してたって本当ですか?」


「え?」


 思わず一瞬停止してしまった。

 その反応に何か五回をしたのか、にわかに周囲がざわめきだした。


「そうです! 見ました見ました。アレは一体なんだったんですか?」


 朝のことを思い出す。

 雄平と歩いている時のことを――


「あ、いや、あれは……」


 上手く言葉が出てこない。そういえば今までゴシップの対象になんかされた経験はほとんど無いのだ。

 そういう方面にかけては特に慎重にやってきたつもりだった。

 だからこそ、回避する方法がわからない。


「どうなんですか? 恋人? 付き合ってるんですか?」


 にわかに活気付く周囲に呑まれたように萎縮する。普通の会話なら――自分が理解していることならいくらでも応えられるのだが、こればっかりは無理だった。

 自分もまた、自分の気持ちが解らないのだ。


「いや、それは別に……」


 告白という儀式を通じて相互の意思が買わされた状態を恋人というなら、もちろんそんな状態ではない。だが、一般的に見れば自分と雄平の関係とはどのように見えたのか。

 自分から会話していく、というのはそういえばほとんど無い行動だ。しかし彼には自分から多くのことを話した。

 どういう関係なのだろうか。それが解らない。

 どう切り抜けようかと思考がめまぐるしく回転し始めた時だった。


「おい! 売り切れかよ日替わりB!?」


 人々の話し声が充満している食堂にひときわ通る声。

 聞き覚えのある声だった。視線が思わず引き寄せられる。

 優しげな顔立ちに無造作におろされた黒髪。どこか人を包み込むような空気をたたえた少年。

 黒っぽい撫で付けられただけの無造作な髪に黒と白を基調としたストライプの上着にこげ茶のズボン。

 隣に友人らしき人影を連れた故烏雄平が立っていた。


「そりゃあしょうがないって。雄平が授業終わっても寝てたからでしょ?」


 友人のほうは惚れ惚れするような可愛い……男の子だった。

 可愛いという形容は男の子を表すのにどうなんだろうと思うが、見た瞬間の印象がそうだったのだからしょうがない。

 白いカジュアルな服装にベージュのズボン。ズボンがなければ男の子とわからなかったかもしれない。

 この顔は何処かで見覚えがあるような気がする。

 首をひねる。

 どこだっただろう? 何か曖昧な認識だった。

 しかし、確実に出会ったと断言できる。だがなぜか何も思い出せない。

 

「いや、まあそうだが……くそっ、肉うどんか。こうなると」


「頑張ってね〜僕は買ってた食券使うし」


 悔しがる雄平に、友人の少年ははポケットの中から食券を取り出し、これみよがしにひらひらさせる。


「なっ!? 汚ねえ!?」


「知的と言ってほしいね」


 得意げに笑う友人を見て、雄平は本気で歯軋りして悔しそうな表情だった。


「あれ? あの男の子……」


 そんなときだった。固まる芳乃から目をそらした誰かが、いぶかしむような声を上げた。


「朝、白眉さんと話をしてた――」


 まずい、と直感的に思った。

 少女たちが見つめるのは間違いなく故烏雄平その人だった。


 大体そんな時にはもう手遅れであると――解ってはいるのだが。

 静止の声をあげようとした時にはもう、故烏雄平の前に、ここに集った女の子の中で好奇心の強い一人が立ち並んでいた。


「あの〜……」


 果敢に、その女の子は笑顔で雄平に話しかける。困惑する雄平の表情が見えた。

 隣の友人が驚くような表情を一瞬浮かべ、それからにやにやと笑って、雄平の体を茶化すように肘でつつく。

 そんな二人をまっすぐに見据えながら、少女はにこり、と笑顔を深くし、


「芳乃さんとどういう関係なんですか?」


 眼を輝かせながら雄平にそう問いかけた。






「はい?」


 急な展開である。予想だにしない事態である。

 目の前に立つ年下であろう上背の少女にぽかんとした視線を向けながら、雄平は間抜けな声を上げることしか出来なかった。


「いや、関係も何も……」


 記憶を手繰り寄せ、一体どこでそういう噂が広がったのかを確認する。

 隣で希が「やったじゃん。大金星だね!」と小声で嬉しそうに笑いながら肘で腹の辺りを突っついてくる。

 うざったいので無視。


「ええと……朝のこと? だったら違うよ?」


 一件思い当たる。

 該当事項はこれしかあるまい。喫茶店の噂はすでに解消されているはずだ。


「僕は芳乃さんと一緒に喫茶店に行った者なんだけども、文化祭のことについて話があったんだ。ミスコンが開催されるだろう? 文化委員の代表として、出場の要請にいったんだ」


「え、あ……あ〜……」


 女子生徒は少し考え込み、数瞬後には納得したように首を振った。

 恐らくその喫茶店に入っていった男ととは別人だと思われていたのだろう。情報が錯綜しているだけなのかもしれないが。


「でもでも、その範囲で何か起こったとかいうことはありませんか? なんというか……こう、ぶっちゃけ片思いとか!」


「はい?」


 これで話は終わりだと思っていたので不意を付かれた。


「え? あのどういうこと?」


「え〜だって白眉さんって美人じゃないですか。そんな人と喫茶店なんてムードの良いところに行って二人っきりだったわけでしょう?」


 にしししし、と意味深な笑いをあげながら女子学生は小首をかしげる。


「白眉さん、ほとんどそういう風に誘うことなんてないし〜ましてや男子を誘うなんてこれが初めてなんですよぉ」


(初めて、か……)


 誰とも付き合ったことが無いんです――喫茶店の会話が脳裏をよぎる。なぜか少し嬉しいような感覚が胸を満たす。


「いや、そうだね。確かに綺麗だとは思うけど……」


「ですよね! ですよね!」


 苦笑しながらそう言うと、女子生徒の顔に期待の色が咲く。


「僕には分不相応過ぎるよ」


 その顔色を一刀両断するように言葉を放った。


「そうですかぁ……」


、明らかに落胆した表情で女子生徒はため息をついた。


「まあ彼女にはもっとカッコいい人が似合ってるんじゃないかなあ――」


「雄平?」


 その口調に何か異変を感じたのか、希が心配そうな声を出す。あるいは嗜めだったのかもしれなかった。

 だが口が止まらない。おかしい、これ以上言ったら逆効果だ。理解はしている、だが止まらない。

 女子生徒の顔が驚いたような表情に変わる。

 それでも放たれる言葉は止まらなかった。

 まるで自虐しているような――

 確かに自分に劣等感を抱いているのは否定しないが、こんなところでブチ撒けるような場合ではないということは解っている。

 解っているつもりなのだが――


「ルックスもセンスも存在しないような、俺みたいな人間には似合わない」


 それは一体どんな風に聞こえたのか。目の前の少の驚いたような表情は、複雑そうな表情に変わっていた。

 眼に宿るのは何処となしに好奇。


「雄平、なんてーか……」


 希がどこか苦笑交じりの声と共に肩に手を置いてきた。


「気を落とさないで。まだチャンスはあるって」


 その態度で気がつく。


(まずった……ッ!?)


 自分が先ほど行った言葉がものすごい勢いでリフレインされる。

 ――自分なんかより。

 これではまるで……振られた男の泣き言ではないか。

 誤解されている。間違いなく危険な方向に。


「あ、のっ……違……」


 否定しようとした言葉はもはや誰にも届いていなかった。

 質問を投げかけてきた女子生徒はもはやこちらの言葉の届かないほど遠くに行っていた。かろうじて姿だけは見える。

 向かった先は女性しか居ない空間だった。

 隣の希がいうにはクールビズとかなんとか言うらしいが別にそんなことはどうでもよかった。


「ねえ聞いた? やっぱりそうなのかな!」


 少女はこちらに聞こえるような声で、仲間とおぼしき少女たちに嬉々として話しかける。


「あの愁いを帯びた表情、切なげな微笑!」


「まあ当たり前よねえ……確かに自虐の言葉が正しいわ」


「うわあ……同情しちゃう」


 少女たちのグループが同情したような目線を送ってきた。

 さらにその少女たちの向こうに――


「あ、終わった……」


 頭を押さえる暇も無いほど、自然に、呆然と、絶望の言葉が口をついた。

 その場所には、白眉芳乃本人の姿があった。

 軽い眩暈にも似た感覚が脳髄を襲う。

 少女たちの会話が食堂に広がっていく。

 ねつ造された恋愛譚が瞬く間に事実として認識されていく。

 好奇の視線が集中する。

 そのときだった。


「別に彼は私に何も言ってませんよ」


 凛とした声がざわめきを打った。

 食堂中の会話が一瞬、完膚なきまでに停止した。

 それは本当に一瞬のことで、その後、その少女達の集団以外はすぐに会話が再会されたが、確かにそれは芳乃の声に当てられたからだと根拠なく確信できた。

 美しい声だった。透き通るように、言葉と言葉の間を潜り抜け、人の耳に届き、そして残る声。

 声音としての完璧な理想だった。記憶に清冽に刻まれるほどに曇りの無いその声は、白熱していた少女達の会話を一瞬で打ち切った。


「本当に文化祭に誘われただけなんですよ……ごめんなさいね、そうやって誤解されて、相手の迷惑にならない為にも喫茶店に誘ったりしたんだけど……」


 苦笑しながら少女達の眼をまっすぐと見据え、一言一言を刻んでいく。

 少女達はその静謐な空気にただ呑まれていた。

 ああ、なるほど――と雄平は理解した。

 透けるほど滑らかでありながら強さを、美しさを持つ。

 雹のような華を持つ――流麗な――

 異名の意味。


「あ、そうなんですか……」


「そうですよね……」


「ええ、白眉さんに話しかけられたら容姿を謙遜するくらい当然ですよね!」


 次々と前言を撤回し、萎縮する少女達に芳乃はただ笑いかけた。

 少女達は萎縮しすぎて俯いてしまう者までいる。

 だがその萎縮は不思議と嫌悪感を抱いているものではなかった。

 まるで自分達が至らぬことを気づかせてくれたと言わんばかりの少女達の目線がそれを雄弁に物語っていた。


「ねえ、故烏君」


 芳乃が立ち上がる。

 思わず逃げ出しそうになってしまった。

 今の芳乃は何か違う雰囲気がした。

 よくわからない感情が胸の奥のほうから染み出してくる。

 なぜか全力で逃げ出したかった。

 解らない。何かに急かされるような、そんな感覚。

 あまりのことに硬直する雄平に――


「ごめんなさい」


 芳乃は深々と頭を下げた。


「え……?」


 今度こそ完璧にフリーズした。


「誤解させてしまいました」


 芳乃は微笑みながらそう言った。

 その、笑顔は少女達に向けて放つ雹華の笑みではなく――

 『夜』にいるときのような、溌剌とした微笑だった。

 わぁ、と周囲から感嘆ともつかぬ声が上がる。


「いえ……」


 何を話していいかそんなことがまったくわからず混乱している頭がようやく回答を口にする。それは陳腐な相づちだった。


 まずいと思って言葉を探す。しかし、そんな動揺を高みから見下ろすような、自虐的な自分が胸中には存在していた。

 何を言おうとしているのか。

 考える暇もなく口が動く。


「本当のことです」


 淡々とした声だった。関係を知られたくないとか、目立ちたくないとかそんな打算を一切含まない声だった。


「俺じゃ、釣り合いませんよ。俺は逃げてるから……」


 そう、釣り合わない。俺は、逃げてばかりの人間だから。人付き合いから逃げている。友人も作らず必要最低限の会話と愛想笑い、そして教師に媚を売って生きている。

 必死に努力してグループの中に入り、協調する努力も、格差をつけるために勉学、運動に励む努力も何もしていない。

 これを逃げていると言わずに何というのか。

 そんな人間が、完璧で美しい彼女に謝られるような価値はない。

 それを聞き、芳乃は驚いたような表情を浮かべ――そして、微笑した。

 『夜』を照らすような――日向の微笑み。


「いいえ」


 芳乃はその言葉を笑顔で真っ向から否定した。


「私を委員会の総意として文化祭のイベントに推薦したのでしょう?」


「ええ、けどそれは――」


 皆に押される形で、と発言を続けようとして芳乃の声がそれをさえぎった。


「嫌な人間なら最初から辞退していたはずです。皆さんの意見を負うということは重圧を背負う覚悟を持っているということです。そして重圧を預けられる人間だということです。そういう人間を逃げている人間といいますか?」


「え?」


「それに貴方は逃げてない。ちゃんと立ち向かった」


 雰囲気がおかしい。ざわめきが起こっている。


「『釘』にも『板』にも『水』にも逃げなかった」


 脳裏に短剣できりつけた化け物達が浮かぶ。斬りつけた時の感触までありありと思い描くことができた。


「貴方は逃げなかった」


 芳乃は笑顔だった。その表情には最初に感じた寂しそうな部分など微塵も感じられない。

 どよめきが起こる。

 視線が集中するのが解る。


「あ……」


 呻くことしか出来なかった。

 呆然とする。忘我する。

 目の前の美しい女性にその瞬間、五感の全てを奪われた。

 その顔から眼がそらせなかった。その美しい声が耳がら離れてくれない。その柔らかなにおいが鼻に残る。その放つ空気が味蕾を刺激した。その暖かい微笑みが顔を熱くする。

 時がたっぷり数秒は止まった。


「では……」


「え、ああ」


 停止していた脳がその一言でようやく動き出した。

 混乱している頭がどうにか相槌を打つ。それが精一杯だった。


「本当に……すみませんでした」


 そして、芳乃が深々と頭を下げる。引き止めるまもなく芳乃は身を翻し去っていった。

 女子達が慌ててそれに続く。

 ざわめきが一段と大きくなる。

 あいつは誰だ? そういった疑問の声がこちらに向けて数多く放たれていたが、もうそんなことはどうでもよかった。

 呆然と立ちすくむことしか出来なかった。


「雄平……」


 希の声も今はただの振動としか映らない。荒れ狂う嵐のようにぐちゃぐちゃに渦巻く心は何も見ることができない。

 だから気づかなかった。

 ――希の微妙な複雑さを湛えた表情に。

 そして、驚愕の表情を湛えた、一人の少年の視線にも。





敵を殺す主人公と、その敵の悲しさに泣くヒロイン。二人いてこそ完璧ですよね。まあ、完璧なんて無いって言われたらそれまでなんてすが(苦笑)

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