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5.記憶の終わりと年頃の誤解

日常話です。ちょっと急ぎすぎたかなとか、主人公の思考がいまいちわかりにくいとかすいません。


 それは私が10歳のころ。

 父と母が亡くなったのは本当に偶然だった。

 目の前で踊るテールライトの光。

 外で降り注ぐ雨の音がノイズのように耳に残る。

 衝撃が全身を襲った。意識が一瞬で闇に閉ざされる。

 絶叫、阿鼻叫喚。

 あふれる、血の赤。

 夜に起きた、惨劇。




 白い壁。お薬のにおい。どこか廃退した雰囲気の中、忙しそうに行きかう人たち。

 けど、自分の周りだけ――どこか時が止まったように動きを止めていた。

 ぃぃぃぃ――ん、と耳鳴りがする。それが機械の音なのか自分の耳の異常などか判別できなかった。

 数時間前の記憶を思い出しながら、ぼんやりと、ちかちかと瞬く蛍光灯を見つめていた。いつもの狭い車の中、食事に行って帰って、笑いあいながら明日のことを話して、学校のことを話して、それで――

 次の瞬間、ライトの光が視界を覆って――車がはねる、揺れる。

 世界が、消えた。

 気がつけばベッドの上に寝かされていて、白いシーツが身体を覆っていた。知らない人たちが助かってよかったねと笑顔で言葉をくれる。笑顔がずっとそばにあって、命があって、シーツの暖かさがあって、生きてるって実感できて――

 けど、どこか、何か空虚。

 ――一番声をかけてほしい人がいない。


「お父さん、お母さん?」


 誰もいなくなった病室で、か細い声で、虚ろな声でその人たちを呼ぶ。

 もう、分かっているのに、会えないって分かっているのに――

 誰も言わないけど、私を気遣って何も言わないけど、気づいてしまった。

 それでも、呼んでしまった。

 そうだ、私の家族は――


 あの時、死んだ。


 反射的に、涙腺に衝撃が来る。涙がとめどなくあふれて、あふれて――止まらない。

 両親が死ぬことを妄想したことがある。その時はなんともなく、死んだらどうやって暮らしていこうとかのんびりとした感想しか持てなかった。

 涙なんて出るはずがないと思っていたのに、それは危機感の欠如で、あまりにも当たり前に存在することに慣れてしまっていたのだと、気がついたときにはもう――奪われた後だった。

 嗚呼――なんて皮肉。


 泣いて、泣いて、泣いて、泣いて――眼が痛くて、何も見ることができなくて。

 自分に、酔っている? 悲劇の主人公になった自分によっている?

 高い場所から冷たい私が笑っている。身体と心が二つに分かれてしまったよう。世界が消えるほどの悲しみと、自分が消えるほどの侮蔑。

 

 私は弱くなんてないのに――!

 

 必死で出そうになりそうな声を抑えてこぶしを握りしめた瞬間、かちゃり、と病室のドアが開いた。


「つっ――」


 驚きに息が詰まる。シルエットは男性と女性の曲線を描いていて、


「おとうさん……? おかあさん?」

 

 呼んでしまって気づく。その人たちはまったく、知らない男と女のヒトだった。とっさに目じりにたまった涙を見られないようにぬぐう。

 ――そうやって体面を気にしている自分を腹立たしく思いながら。


「――始めまして」


 男の人のほうが口を開く。優しそうな顔立ちだった。

 

「はじめまして……?」


 いぶかしげに声がゆがむのを抑え切れなかった。

 いったい誰なのか、この人たちは? はじめましての挨拶のとおり――まったく見識がない。


「芳菜姉さんの――娘さん、だよね」


 どきり、とした。白眉芳菜――私のお母さんの名前だった。


「はい」


 もう、声の震えを隠すことはできなかった。


「芳乃ちゃん、だよね?」


 ならば――目の前で、何かをためらうように苦言の表情を浮かべながら、それでもこちらをまっすぐに見つめてくれている人たちは――叔父と叔母ということになるのだろうか。


「はい、そう、です」


 二度、同じ言葉を言ってはいけないと母に言われたことを不意に思い出す。ほんの二歳か三歳のころだったけど――その記憶にある笑顔の母を思い浮かべてしまい、また、涙がこみ上げる。

 だめだ、ここで泣いちゃだめだ。

 ――見栄っ張り。


「あなたは……母の弟さん、ということは……叔父さん、ですか?」


 涙声が抜けない。所々鼻が詰まっていて、みっともないなと心の奥でもう一人の私が苦笑する。なんで私の心はすべてが泣いてないんだろうと、表の私が憤激しながら。


「ああ。申し遅れた。私は白眉芳也はくびよしなり。君の叔父に当たる。といっても親――君にとってはおじいさんおばあさんかな――とちょっといろいろあって……だから私のことを知らないのは当然だろう。姉さんには迷惑をかけた……」


 目の前の男の人はすまなそうに頭を下げて、節目がちになる。それでもなお目線はしっかりとこちらを捕らえて離さない。


「こちらが妻の白眉鮎香」


 すっ、と叔父さんの手が後ろの女性を示した。

 ――私の叔母さん。

 きれいな人だった。花のような笑顔が似合う、丸みを帯びた女性だった。けど彼女は悲しい表情をしていた。この人は、私の両親の死を本当に悲しがっていた。

 そしてこの人は私のために涙をこらえてくれていた。それは体面とか、打算とか言い訳じゃなくて、自分が涙をこらえるために私を利用しているわけでもなくて――

 ただ、私を思うがゆえに涙をこらえている。

 優しい人、そして美しい人。


「…………」


 だから、そんな人に何も言えるはずも無く、ゆえに視線をそらし、うつむくしかなかった。――無条件の好意を注いでくれた家族がいなくなって、それでも私に好意を向けてくれるのが痛かった。私だけ、苦しみから解放されようとしてる。

 けど、そんな思いを砕くかのように――今思えば癒すかのように――男性はこう言った。


「芳乃ちゃん、私の養子になってくれないか?」


 多分それは、人生の分かれ道。





「…………あ〜あ……」


 故烏雄平は自らの席に座り、深々とため息をついた。教室はうるさいほど喧騒に満ちている。学生というのは何故こうも多弁でアクティブなのだろうか。いや、自分も学生だが。

 昨日のことで落ち込んでいる気分が、さらにささくれ立つのを感じた。

 昨日の『夜』での出来事が頭をめぐる。釘と板を破壊した時のことだ。身体が勝手に戦闘を知っていた。双剣を振りかざし、あっさりと釘を切り捨てた。

 自分が自分ではないかのような錯覚。元から知っていたという感覚。あの場所にいるということはそういうことなのだろうか。

 負の怨念が渦巻く場所。確かに思い知った。空気からして違う。あんな場所で孤独に白眉芳乃は戦ってきたのだ。それはいかなる労苦か。

 気分が沈む。そんな芳乃を見て、なんとなく自分が小さく思えた。言いようの無い罪悪感がこみ上げてくる。それを紛らわすかのように雄平は頭に浮かんだ言葉を考えずに声にした。


「若いっていいねえ――」


 どこかおっさん臭い台詞になってしまったことを自覚しながら、うつぶせの顔を窓のほうへ移動させる。晴天の朝。うららかな日差しがぽつぽつとある雲の谷間にさえぎられたり出たりを繰り返していた。


「雄平だって同じ学生じゃない」


 ふと声がした。


「希かあ……」


 顔は起こさずそのまま応対する。それに気を悪くしたのか希は少し怪訝そうな顔をしていたがすぐに気を取り直し、微笑を作る。


「いいんだよ……俺はもうおっさんでいいんだよ……未来ある少年ではないのだから」


「何を根拠にそういってるのかさっぱり分からない上に突然の論法だね」


「世の中は突発的なひらめきによってどんどん変わっていくのさ。うん」


「……実は僕の話聞いてないでしょ」


「聞く意味ないしな」


「ひどっ!?」


 そこまで会話して雄平はようやく顔を起こした。


「んで? なんか用か?」


 怪訝そうな顔を形作り、希に話しかける。雑談といった空気ではないようだった。

 いつもなら先に希が話題を提示してくれて、それに合わせて会話をつむいでいくというのが会話スタイルである。こちらから会話を振ることもあるが基本的にそういう時は自分から希のところまで出向く。つまり、話題なしで会話が始まるなど自分と希との会話にはありえない筈なのだ。

 ……つまり、これは、


「なんぞ話しにくい会話があるんとちゃいまっか?」


「何弁なのさそれ……っていうか妙に察しが良いね」


 話しやすくなるようにと気遣って放った謎方言はかなり辛辣にスルーされた。

 ……心の中でさめざめと泣く。


「やっぱりか……」


 しかしそんなそぶりは見せないのだ! いや、ちょっと声に哀しい雰囲気が出てしまったような気がせんでもないが気のせいだ。


「ん〜……まあ、ちょっと気になったことがあって」


「なんぞ言ってみ」


 気まずそうに目線をさまよわせる希に先を促すように顎をしゃくりながら方言リベンジ。


「いや、だからさ、きっと地方の人が怒るよ?」


「うっせえ」


 見事に二連敗だった。


「ん、まあ確かに言いづらい話なんだけどね……」


 仕切りなおしと、苦笑しながら希は雄平の前の椅子に座り込んだ。馬にまたがるように椅子に座り、希は雄平をまっすぐに見据える。


「ふぅん……」


 伏し目がちの希を見て流石に本気の匂いを感じ取る。何かサプライズを狙おうとしているのではないかと疑っていた部分もなきにしもあらずだったので、そんな気持ちを完全に修正する。


「あのさ、雄平……」


 希の声が重くなる。

 なぜか周りの空気も心なしか緊張しているように感じる。いや、これは俺が緊張しているのか?

 ……きっとそうなのだろう。


「芳乃さんと付き合ってるって……本当?」


 びきり、と教室中の空気が凍った。


「……ホワッツ?」


 今、自分はものすごい間抜けな顔になってしまっているだろう。正にぽかんとする、という表現が適切なほどの衝撃だった。青天の霹靂な話の展開具合である。


「何そのネタ? ギャグ? 笑えないよ希?」


 希がこの状況でギャグをのたまれる人間ではないと百も承知であるが、それでもこの話は何かの冗談だとしか思えない。遭ってから数日の人とどうやったらお付き合いができるというのか。

 白眉芳乃の顔が思い浮かぶ。

 艶やかな黒く長い髪。鮮やかなほど大きな瞳。あでやかな唇に、抜群のプロポーション。確かに美しい。


(……っ!?)


 顔が赤くなっていくのをなんとか自制する。


「いや、だって……芳乃さんと親しそうに話してたのを見てたって人がいるし……」


 こちらの慢心相違具合を察さずに希はさらに追撃の手を緩めない。後ろの数人がうんうん、と頷く。


(アレ、か……)


 放課後の校庭での一件を思い出す。


「二人だけでなんか雰囲気のよさげな喫茶店に入っていったって……」


 ぎちり、と空気が歪んでいく。好奇心とか嫉妬とかそういう物が入り乱れていく空気。


「まあ落ち着け希。俺は昨日まで白眉さんが隣のクラスに居ることすらしらなかったんだぞ? なんで付き合うとかいう方向に話が飛ぶ?」


 そんな居心地の悪い空気に頭を抱えながら、言葉を返す。……何故だか言い訳のようになってしまった。


「いや、だって白眉さんが仲のいい男子っていないから……」


「そうなのか?」


 『一人も付き合ったことがないです……』昨日の喫茶店の会話が脳裏をよぎる。


「うん。そりゃああの性格だから男子とも良く話してるけどね、自分から話しかけることはないし、もっぱら女子と一緒。なんか、壁があるんだよね。綺麗だからかなあ?」


「そう、か……」


「だから付き合ってるのかな〜って……どうなの?」


 興味津々といった風に希は問いを発した。


「いや、それは……ってなんだ?」


 いつのまにか教室のざわめきが小さくなっていた。視線がこちらに集中している。


「なっ……」


 何か教室の空気が痛い。この静けさは、こちらの会話を聞き漏らさないためのもののようだ。


「マジであの故烏が?」「らしい確かな筋からの情報だ」「白眉さんが? あの『アブソリューター』が?」「確か全体育関係の部活の部長に告白されてことごとく振った人なんでしょう?」「統計を見ると告白数最多。人気投票一位。二位とは二百票差だね。まさにパーフェクト」「伝説を落とす。ふっ……彼女もまた高校生だったってわけか……」「まさか、そんなっ……芳乃様が!?」「そうか……ついに俺の人斬りとしての業を見せる時がきたようだ……」


 ……どうやら残っているざわめきすこちらの会話に関連することらしい。なるほど、本気で有名な人だったようだ。まあ異名なんてつけられるくらいだ。予想くらいはしていた。

 だが、これほどとは。まったくなんということだ。せっかくこれまで目立たず騒がずあせらずに生きてきたというのに……

 こんなことをしていたら――


(? こんなことをしていたら?)


 不意に脳裏に浮かぶ警告じみた思い。

 なんなのかぼやけて焦点を失っているけど、大切だと覚えている。してはいけないことだとしっている。

 ――目立ってはいけない。

 ――関わってはいけない。

 ――恨まれてはならない。

 ……そうだ俺は、いつからこんな自分になった? 幼いころはもっと――


「だからさ、別に雄平と白眉さんが付き合ってることに対して文句が在るわけじゃないんだよ、うん。ただ純粋にのろけ話でもなんでもいいから聞かせてくれないかな? あの白眉さんと一体どんな感じで知り合って、そしてロマンスに至ったか……一日で恋人なんて素晴らしいロマンチックじゃない? ねえ、うん。だからさ、その、そういう難しい顔はやめてっていうかぶっちゃけ怒ってる?」


「いや、別に怒ってるわけじゃない」


 深くまで沈んでいた思考は盛大な口舌にさえぎられた。頭がなんとなしにくらくらとする。夢から覚めたような気分だった。


「それにまず誤解を訂正しておこうじゃないか。俺は白眉さんとそういう関係ではない。それは確実絶対だ。冷静に考えろ希。俺とあの超絶美人が釣り合うか?」


 周りで再びうんうん、の合唱が起きた。……一人くらい否定してくれてもいいんじゃあないか?


「いや、それは、まあ……」


 希も眼を逸らし合唱の渦に入る。

 ……お前もか。


「まず何故あんな所にいたかと言うとだな……」


 さあて、二年間で培った言い分けテクを見せてやりましょうかね。


「これだ」


 すっ、と手を鞄の中に入れる。クラス中の目線が俺の手に移動した。少し舞台で演じるマジシャンのような気分になる。


「……赤陽際?」


 取り出したのは一枚の紙。それに書かれた内容を希が読み、疑問の声を上げる。教室中の視線も同じようにいぶかしげに歪む。


「そのとおり。我が校の文化祭、赤陽際。地元の有名店も露店を出しに来る上に、テレビなんかも来たりする、まさにお祭り。地元の名物と言ってもいい。駅前の赤松パン、露店出しに来るけど超美味いよな」


「……いや、まあそれは知ってるけど」


 希が先を促すように相槌を打つ。


「そこで昨日話した内容に戻るわけだ」


 パンフレットを高々と掲げ、ある一ページを開く。


「おりしも俺は学級委員の中で、文化委員という、文化祭を総合する委員になっている。その委員会活動の一環というわけだ。全員何かイベントに対して活動をすること、っていうお達しがあったから、たまたま俺が向かったってーわけ」


 開いたページにえがかれていたのは『赤陽際ミス・コンテスト』の文字。その隣に『ミスターコンテスト』とちまっと書かれているのがご愛嬌である。


「あ〜……なるほど」


 教室中が俺の話に興味を失い始めた。な〜んだ、という露骨な空気が場を席巻していく。


「なんで喫茶店なんか言ったかっていうと白眉さんのほうが男と話したっていう事実を公にしたくないらしい」


 嘘は言ってない。


「もちろん代金は俺もち。たまたま掃除してたら白眉さんが来て、文化委員ですがー、って頼み込んだら話だけでも聞いてもらえたのよ。そんな恐ろしいことできたのは、初対面だったからなんだろうなあ……知っていれば話しかけることなんかとてもできなかったろうねえ……」


 輝くような白眉さんの笑顔を思い出し、心底そう思う。


「……な〜んだ」


「お前は本当に空気読むのが上手いよな」


 場の空気を見事に代弁した希の台詞に苦笑しながら、っつーわけだ、と念をうった。

 完全に興味が失われる。もうこちらを向いている人は誰も居なかった。あちこちで、面白くねえの、という声がぽつぽつ聞こえた後、完璧にいつもの日常に戻っていく。

 他愛の無い話がぽつりぽつりと産まれ始める。

 もう、何も無い。興味は消えうせ、日常に埋没していく。そう、いつもの日常。

 不意に、ぬるり、と手にあの感触が蘇る。

 釘の、体液。

 非日常が迫ってきているというのに――いつもと変わらない日々があるということが、少し不可思議だった。




次は夜内パート

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