ひらめき
「海に行くぞ」
私達みんながイーリス治安部隊で出会って早四年。荒野の町事件が解決して、つまり、あたしがウィルに告白して二ヵ月後、マックがそんな事を言い始めた。
「何を急に言い出すんですの」
マックの部屋で全員で集るのも久しぶりだ。箱庭事件の後すぐに巻き込まれた荒野の街事件を解決して戻ると、本来簡単な任務への付き添いで来ていたはずのウィル達の班は、待ってましたとばかりに次の重要な任務に派遣された。あたしはと言えばとにかく今は経験だと、比較的簡単とされる案件を数多く任された。言って見れば諜報任務の中でも雑用的なものばかりだったが、慣れていないもので、その数の多さと経験のなさに随分と精神を削られた。目まぐるしく毎日を過ごし、ようやく少しだけコツを覚えた頃、ウィル達も任務から帰って来たため、久しぶりにみんなで集まろうとなったのだ。
「いやぁ、今日集まったら言おうと思ってたんだよ」
「海かぁ!いいね!就職してから行ってないもんね」
カイリーが赤くなった顔を、ぱっと輝かせて言う。
エレノアとあたしを除き、全員お酒が飲める年齢になってからは、マックだけでなく、ウィルやカイリー、アリサまでもがこうやって集まるときは必ずお酒を口にするようになった。カイリーはちょっと飲んだだけで楽しくなってしまうようで、ハイテンションで騒いではいつの間にか寝ていることが多い。アリサはザルなようでいつまでも変わらない様子で飲んでいるが、先輩に貢がれた高そうなワインとか洋酒みたいなやつしか飲まない。そんな風に、人によって飲む種類と量がバラバラなため、各自が自分が飲む分を持ちこんでいる。ウィルだけはなんでも飲むため、マックに予め彼の冷蔵庫で冷やしているものを貰い、後でお金を払っているみたいだ。
ん?酔ったウィルたん?相変わらず酔っ払うとスキンシップがやけに増える点は心臓に悪くて困るけど、それ以外に関しては、もちろん当たり前に可愛い。
例えば、アリサが飲めるようになって割と最初の頃、若手が大勢集まり、共有スペースで飲み会をした事があった。いつも通りの集まりだが、アリサが飲めるようになったということもあって、少しだけ年上のまだ若い先輩達が、覚えるためだとアリサにとにかく色んな種類のお酒を勧めて飲ませていた。悪さをするような人はいないけど、酔っ払うアリサが見たい、あわよくば介抱したいとかそんな下心も見て取れたので、アリサだけに飲ませるわけにもいかないとウィル・マック・カイリーの三人もそれに途中から付き合い始めた。
どのくらいの量を飲まされたのかは分からないけど、飲みはじめてからだいぶ時間がたった頃。一番最初にダウンしたのは多少はお酒に慣れているはずのウィルだった。後からマックが言ってた事だが、彼は色んな種類のお酒を混じらせるのがダメなタイプのようで、この日は正にそんな飲み方をしていたのだったのだ。
酔っ払って眠ってしまったウィルは、あろう事か隣にいたマックの膝にこてんと倒れこんで寝てしまったのだ。それを見たあたしとアリサは、その場で人目も憚らず「マクウィルー!!!!!」と叫びそうになったものだ。……好きな人なのにすみません。ウィルが気持ち悪そうな顔をしていたのが残念だけど、風景複写の魔法を唱えたかった。抑えたけど。
ちなみに、その後一瞬目覚めたウィルはいそいそと起き上がると、あたしの隣に移動してきて、あたしの膝の上にこてんと頭を乗せてまた眠ってしまった。ウィルの幸せそうなふにゃふにゃした寝顔に萌える気持ちも、あたしのところに来てくれて嬉しいような気持ちもありつつ、その後一時間半程その状態が続き、殆どの参加者にからかわれ、翌日参加してないラースにすら、「人目を憚らずラブラブだったらしいっすね」と真顔で言われたのは本当に恥ずかしかった。
「そうだろー!いやぁさ、こないだカナと話してる時に、ふと、思い出したんだよなぁ。イーリスに入ってすぐぐらいの頃、カナに海行こうぜって誘ってたこと」
確かに最初の頃、なぜかやたらとマックに声をかけてもらってた気がする。当時は、特別仲良くもないのにやっぱマックはフレンドリーなキャラなんだなぁなんて思っていたものだ。あの頃は外に出たくなかったから逃げ回っていたけど、今なら行ってもいいかもしれない。
「え、マック、まさか、カナのこと好きだったの……!?」
カイリーがからかう口調でもなく、本当に驚いた様子で言う。こういうところで素直に思ったことを口に出しちゃうのがカイリーの魅力の一つだとは思うけど、隣に座ってるウィルが怖いから勘弁してほしい。あ、あたしは何もしていませんよ。
最近みんなに言われてわかった事だが、この王子様はあたしに関してだけちょこっと周りへの敵対心が強いみたいだ。
「いやいやいや。んなわけねぇだろ。親友が何年だ?六年だか七年だか片思いしてる初恋の人を横取りしようとするほど非情じゃねぇよ。あ、カナのことは友達として大好きだからな。俺の命の恩人だし」
ウィルのその様子に気づいたのか慌てて捲し立てるように言うマックに思わず、アリサがぶっと吹き出した。あたしといえば、そういう意味じゃなくても好きと言われたことと、まだこの職種に移る前のことだが恩人と言われて嬉しく、思わず顔が熱くなるのがわかる。勿論、ウィルの初恋の人と言われたこともそうだけど、それに関しては最近マックに言われ過ぎて羞恥心も薄れつつあるものだ。本人から言われるんだったらまた違うんだろうけどさ。
「俺としてはだなぁ、話し掛けることすらできないこいつのために企画してやろうと思ってだなぁ……」
「って言って俺の反応を楽しんでたのはわかってるよ」
「いや、だってさぁ。面白かったんだもん。俺が昼飯の話をしてるだけでもチラチラチラチラこっち気にしてさぁ」
最近はあたしとウィルの両思いが確定されたからかマックやアリサがこうやって目の前でウィルの事をからかうことも多くなった。内容を聞く度に随分見ていてくれてたことがわかって嬉しいような気持ちになる反面、ウィルが可愛らしくて困る。萌え過ぎて。
くつくつと笑うマックに言い返す言葉もなくなったのか、ウィルは困ったように眉尻を下げてすぐ横のあたしを見た。見上げていたあたしと目が合うと、彼は少しだけ肩を竦めて恥ずかしそうな顔をする。
「ね、ね、でさ!海に行くんだったらいつよ!」
カイリーがやや食いつく気味に聞いてくる。
「入隊歴も四年目にもなったしさ、今年ぐらいは休み合わせられそうじゃない!?」
「確かに。俺とウィルとカイリーは一緒の班だからもともと合わせやすいけど、そっちはどうかなぁ」
マックがちらりとあたし達を見る。
あたしはまだ職種変更したばかりだということもあり、比較的簡単な任務に関わることが多いが、所属以来職種も役割も大きく変わっていないアリサとエレノアは、その仕事っぷりもあって今や責任ある仕事もかなり多い。そう簡単に狙った日に休みを取れる立場ではないのではないだろうか。
「ま、遠出で泊まりとかは難しくても日帰りでなら時間も取れるでしょ。取り敢えずあたしとカナとエレノアが合わせられそうな日をまとめて、そっちの班が非番になるようなシフトを組めばいいのよね」
一ヶ月以上前だし、できるでしょとアリサはグラスに残っていたワインを飲み干し、立ち上がった。
「あれ?アリサ帰んの?」
「うん。そろそろガルデン終わる時間だし、一緒に夕飯食べようかと思って」
確かに、彼女はずっと持ち寄った軽食に手をつけていなかったが、そういう事だったのかといまさら納得する。
「相変わらずラブラブだね~」
すでに目がとろんと眠たそうになったカイリーが屈託無く笑った。アリサもつられて嬉しそうに笑う。
「否定なしかよ」
「その通りだもの。で、そっちのカップルはどうなのよ」
からかうような声を出したマックに、アリサは余裕な顔で言うと、あたしではなく、ウィルの方を見た。
私達が知らないうちに、いつの間にか付き合っていたアリサとガルデンさんはいまやすっかりオシドリ夫婦のようだと有名で、執務時間での様子は今までと変わらないものの、住居棟では良く一緒にいるのを見かける。それでも相変わらずアリサは先輩たちにモテて何かと渡されたりしていて、ガルデンさんは何も言わずにそれを優しく見守っていた。その様子を見ていると、心配にならないのかなとこちらが逆に心配になったりしている。
「仲良くしてますよ」
にっこりと笑って隣にいたウィルがあたしの手を握ってくる。「ね、先輩」と笑いかけられてあたしは少しだけ間をおいてしまい、慌てて笑って頷いた。
「そりゃ良かったわね。あ、カナ、あたしあんたに渡したいものあんだけど」
「え、なんだろ?今の方がいい?」
「頼むから、ちょっと来てよ。あとあんた明日早朝から泊まりで任務でしょ。そろそろ時間なんじゃない?」
アリサが珍しく頼み込むような声を出したので、あたしは驚きながら腰を上げた。ウィルも同じように立ち上がろうとしたのを見て、あたしはそれを制する。アリサがここまで言うと言うことは、何かとんでもないお願いかもしれないからだ。
その判断は正しかったのか、アリサがウィルに向かってにっこりと「ちゃんと部屋まで帰すから、王子様」と言うと、自分の使っていたグラスをキッチンに置いて、あたしの手を引っ張った。
「じゃあね~。お邪魔しました」
ひらひらと手を振る彼女に引きずられるようにあたしは部屋を後にした。
マックの部屋を出てしばらく歩くと、アリサが引っ張っていた手を離す。あたしは彼女の隣に並ぶとその顔を覗きこむようにして聞いた。
「渡したいものってなに?」
「なんでもいいのよ」
なぜかやけにそっけない声で返してきた彼女の言葉に首を傾げる。呼び出した側がなんでもいいってどういうことだろう。疑問を口にしようにも、まっすぐ前しか見ない彼女の雰囲気に追加で質問することが憚られて、あたしは口をつぐんだ。
あたしのその様子をちらりと横目で見て歩を早めた彼女についていくと、無言のままアリサは自室に入っていく。少しだけ押さえて開けられていた扉に、あたしも入っていいのだと中に着いて入った。
「さっきのあれはなに?」
自室に入ってすぐ、玄関の位置で振り返ったアリサは腕組みをして言った。ため息混じりの呆れたような言い方だ。
「あれって......」
「あんたのあの変な態度よ」
変な態度と言われてはひとつしか思い浮かばないが、それでも彼女にここまで怒られるような事だろうか。
「仲良くしてますよ。の時?」
「そうよ。 最近あんたの職種も変わって会えてなかったけど、まー当然仲良くやってんだと思ったら、何あれ。なんか引っ掛かってることばりばりあります!みたいな顔して。王子がなんかしたの?」
「し、してないしてない。されてない!」
あたしが慌てて言うと、アリサはふんと息を吐き、組んでいた腕をほどいて部屋の方に向かう。
「とりあえず、そこらへん、じっくり聞かせてもらうわよ」
「あれ?ガルデンさんは大丈夫?」
「大丈夫。もともと今日はみんなで集まるから会えないかもって言っといたし。連絡しとけば大丈夫でしょ」
そう言いながら部屋に入った彼女に続いてあたしもお邪魔すると、キッチンからは微かにトマトが煮込まれた匂いがした。きっと彼女がガルデンさんと食べようと作っておいた夕飯だろう。お邪魔をしてしまって悪いなぁと思いながら勧められた椅子に腰かけると、その様子に先に向かいに腰かけていたアリサがため息をついた。
「大丈夫よ。一日くらい友達優先して怒るほど心狭いやつでもないし、うちは本当に仲良くやってるから」
「な、仲良くはやってるよ!?」
「そりゃそうでしょ。あの王子さまが仲良くやんないはずはないだろうとは思うわよ。でもね、あんたがなんかすっきりしない態度で、かつそれをあたしに言ってきてないことが気に食わないわ。確かにここ二ヶ月落ち着かなかったのはわかるし、互いにガルデンやウィルといる時間の方が多かっただろうけど、何かあったら言うくらいのことはできるでしょ?」
職種を変更して、ウィルに告白して二ヶ月。仕事内容や勤務時間の変化、プライベートでもウィルに会う時間が増えて、仕事やちょっとした雑談以外でアリサと話す時間がなかった。
「ちょっと前向きになったと思ってほっといたら、またうじうじして。で、何があったのよ」
「ち、違うの。そんなにうじうじしているわけでもなくて、相談するきっかけがなかったって言うか、その、そもそも相談するようなことなのかなとかそういうのがわかんなくて......」
「何」
イライラとした雰囲気をわざと出しているであろうアリサが呆れた声でやや被せぎみに言ってくる。本気で苛立っているわけではなく、あたしを促すために言ってくれているのはわかるが、それでも美人がすごんでいると、圧倒されてちょっと怖い。
「あ、あのさ、不思議だったんだけど、このせか......えっと、世間一般で付き合うってどういう感じ?」
「......はぁ?」
今度こそ本当に呆れたようなすっとんきょうな声がアリサから出た。
「え、ちょっと待って。あんた頭大丈夫?あたし、あんたのこと鈍感ゲキネガ女だと思ってはいたけど、そんなカマトトぶられるとは思ってなかったわ」
あたしのおでこに手を当てようとしたアリサに、あたしは思わず少し身をひいて、言い過ぎだと膨れっ面をしてみせる。頬に空気を溜めたあたしの顔をアリサはごめんと苦笑した。
「何よ、あんたら人目があるところで手つないだり、飲み会で膝枕したりしてんじゃない。なにかと一緒にいるし」
「あ、うん。それはそうなんだけど......」
「普段どうしてんのよ」
「普段?」
「休みの時とか、仕事終わりとか」
「時間が合えば、一緒にご飯食べたり、休みの時は一緒にでかけたりしてるよ」
「それで十分じゃない」
アリサの言葉にあたしは口をつぐんだ。そうなのだ、それで十分な気もしているから相談するようなことなのか迷ったのだ。俯いたあたしに、アリサは頬杖ついてこっちを見た。
「何が引っ掛かるの」
うーん、と唸って一呼吸おいた後、あたしはもやもやしていた事を口にする。
「ウィルがスキンシップとってくるのってちょっとお酒が入ってる時が多くて、そういう時にベタベタするのって、あたしがウィルに好きって言う前からだし......待ち合わせて会うのだって確かに頻度は増えたけど、何があるってわけでもないし」
「何、もしかして、あんたらお手て繋いで出掛けるだけで、ちゅーすらしてないの?」
アリサの言葉にあたしは少し面食らって、どうしようか迷ってからおずおずと頷いた。
アリサ曰く、夜明けの荒野で四日間風呂にも入れず化粧もせず、寝不足でゴーストかと悲壮な顔で、あまりの過保護さに嫌になって告白をするという全然ロマンチックじゃない告白をして二ヶ月。......説明が恥ずかしくてアリサの言葉を借りたけど、酷すぎじゃないだろうか。あ、アリサじゃなくてあたしのタイミングのチョイスが。
とにかく告白して、当たり前のように「俺もです」と満面の笑みで手をとって微笑まれてお付き合いを始めた。一緒にいる時間が増えて、それだけでも確かに幸せなのだけれど、どうにもそこから進展がしている気がしない。小説や漫画や、ドラマでしか知らない耳年増な恋愛知識を蓄えまくっているあたしとしては、付き合ったら何週間であんなこと、一ヶ月でこんなことをするんじゃなかろうかと身構えていたのだけれど、一向にそんな気配がないのだ。
物足りないなんて言ったら恥ずかしいが、期待していなかったわけはない。肩透かしを食らったような気分のあたしは、もしやこの世界には婚前にでは手をつなぐまでが常識!そんな事言ったら痴女って指差されるよ!みたいな設定があるのかともんもんしていたのだ。
「はー......意外」
「ね、ね。付き合って二ヶ月くらいってどんな感じ?」
「どんな感じって、普通に互いの部屋を行き来して泊まるわよ」
「ガルデンさんとも?」
「当たり前じゃない。なんだったら週三、四で致してるわよ」
アリサの言葉にあたしはつい想像してしまい、俯く。しかもアリサが何される同人誌とか読んだことあるから、余計に脳内漫画が酷い。顔が赤くなるのがわかる。静まれ、あたしの妄想脳。
頬が赤くなっていることを、からかわれるか、怒られるかと思ってそのまま俯いていたが、少し待ってもアリサから声が発されてこない。どうしたのかなと思って顔をあげると、彼女は手を顎に当ててなにか考えていた。
「......アリサ?」
「あ、ううん。なんでもない」
首を振って、にっこりと優しく綺麗に微笑む。その姿はまるで絵画の女神様のようだが、彼女がこうやって笑うときは大概、なにか企んでいるときだ。
「そうね、じゃあ協力してあげる」
「え、いいよ!大丈夫!」
「遠慮しないで、あたしに任せて!」
楽しみな気持ちを隠しきれないとばかりにより一層にんまりと綺麗な笑みが濃くなった彼女を前に、あたしは背中に冷たい汗が一筋流れるのを感じた。
完全に蛇足番外編ですが、続きます……。あ、事件はたぶん起こりません。




