俺の後輩、彼女の同期
今朝も早くから校長の部屋に行こうと廊下を歩いていると、廊下で最近知った興味深いヤツの後ろ姿を見かけるて声をかけた。
ヤツの名前はカナ。ゴウヒの出身で両親は二人でパン屋を営んでいる。身体的特徴としては隔世遺伝なのか両親に似ず、身長も含めてパーツが全て小さい。言うなれば、とても大人とは思えない子供のような体型だ。やや黄色い肌と黒寄りの茶色の瞳を持つ。
「よう」
何時も通りのテンションで声を掛けると彼女はびくりと肩を揺らした。そんなに俺怖がらせるような事やったか?と改めて彼女の顔を見つめる。振り向いてバツの悪そうな顔をしていたカナは、ゆっくりと下を向いた。
思い当たる節としては、まったく運動をしていないヤツにはきついであろう訓練メニューを彼女に課したが、例えそれをやっていなかったとしてもそこまでビビらなくてもいいと思う。
「……ベルグ教授」
さほど回数が多いわけではないが、それでもだいぶ打ち解けてきていたのに、最初に来た時のような硬い声で俺の名前を呼んだ。よくよく見ると、彼女はいつも着ているイーリス治安部隊の白い詰襟の隊服とは違い、全体的に黒っぽく動きやすそうな格好をしている。
「おはようございます」
挨拶する彼女の声に気がついたのか、前を歩いていた同じ格好をしていたヤツらも立ち止まって振り返る。その中の一人が、たいした距離でもないのにこちらに駆け寄ってきた。どこかで見たことある顔だと思ったら、数年前までここにいた教え子だ。
「ベルグ教授、お久しぶりです」
「おう、ウィル。久しぶりだな」
薄い茶色の髪をしたこのイケメンは俺が学園に戻ってきて最初の年に受講してきたヤツだ。クラスの中で飛びぬけて成績が良いという訳でもなかったが、フィールドワーク時の優秀さはピカイチ。課題を把握する時のズレの無さと素直さも郡を抜いていて、あと不思議な眼の色が印象に残って覚えている。紫色の瞳なんて、この世界じゃ相当珍しいから、家系的に何かあるに違いないと思ったが、さすがに生徒の身辺調査をするのは憚られて自ら止めた。
「元気か?そういやお前、イーリスに就職したんだっけ。どうよ、調子は」
「はい。なんとかやってます」
少しだけ困ったように笑うこいつは、どうせ講義と同じくソツなく優秀にこなしているのだろう。俺の課題にだって、仮説として立てた答えとしては合っていて本来出すべき結果は分かってはいるけど、最終的に実験では導き出せなかったことをきちんとまとめて書いてくるやつだ。
「で、お前とパン屋が揃ってどうした?」
俺が聞くと、カナとウィルはちらりと互いを見合わせた。ウィルが頷いて口を開こうとするのを、カナが止める。
「アナスタシアさんを調査しに来ました」
カナが少しだけ間を置いた後、言った。調査という言葉は曖昧だが、彼女の様子からして勿論いい意味ではないのだろう。
「そうか」
俺が短くそうとだけ返すと、カナが驚いたように目を瞬かせる。
「理由とか聞かないんですか?」
俺が何も言わなかったのが怪しく見えたからだろうか。ウィルがそっと腰につけてる短剣に手をかけたのがわかった。こいつ、恩師に対して随分な態度だな、と思いながら頭を掻く。
「勾留のために確保しに来たとか、そんな風に言わないんだったら、まだ確証を持ってきたわけじゃないんだろう?そうだとしたら、俺が聞いたところで正直に全部答えられるか?」
その問いかけに、パン屋が首を振る。ウィルが警戒しているのを見てか、カナとウィルの後ろにいた三人も警戒態勢に入ったのが気配でわかる。見てみると、どれも学園で一度は見たことがある顔だ。若いヤツらは血気盛んだから怖い。
「つーか、お前ら、ここにいるって事は学園長に用事なんだろ。早くいかなくていいのか」
学園の一番奥に位置する棟の最上階であるこの先には、学園長室しかない。カナも、ウィルや後ろのやつらの気配がわかったのだろう。和ますためにか、俺が話題を変えたことに努めて明るくで返してくる。
「あ、そうですね。ベルグ教授は?」
「俺は学園長のところのペットを見に行くところ」
「そういえば、毎朝行ってるって言ってましたね」
俺じゃないから、アナスタシアが言ったんだろうなと思ったら、カナはまた複雑そうな顔をして下を向いた。自分で言っておいて、と今の彼女にツッコミができそうな雰囲気ではないから、俺はとりあえずカナの横に立って彼女の背中を叩く。厚みのありそうな服の素材の割にはバシンといい音がしてカナが少し前につんのめり、それをウィルが左手を出して、受け止めた。そんな大層な力で叩いていないから転ぶこともないと思うけれど大げさな。
「ほれ、行くんだったら連れてってやる」
「迷うような場所でもありませんけどね」
「……ははぁーん」
ウィルから始めて聞いたようなやや棘のある言い方が出て、俺が叩いたところを抱き込むようにさするその姿を見て、俺は一人納得する。にやりと笑った俺を見て、ウィルが不快そうに眉根を寄せた。
俺の授業を受けていた二年間、ウィル達と同世代のガキどもはちょうど成長期で、急成長を遂げていた。それこそ、講義を受け持ち始めた時は俺よりも十センチ位小さかったこのウィルは、卒業する時には憎い事に俺の身長を越していた。それも相まってなのかなんなのか、元々人気があったこの学園の王子様は、最後の二年間より一層、カルト宗教か何かと思われるぐらいに言い寄られていたみたいだ。惚れた女性(と、たまに男性)に告白されるたび、常々「心に決めた人がいるから」と断っていたと聞いた。
あまりにずっとその断り方をするものだから、一度卒業前に「恋人と婚約でもしてんのか」と聞いたら、「婚約どころか恋人でもないし、向こうは顔も名前も覚えてなさそうです」と自虐的に笑ったのを見て、なんて残念な男なんだ。不倫か何かではなかろうかと心配になったことがある。たまに、学園の内部でもちらほら同姓の幼馴染とできているのではないかという噂を耳にしていたから、そっちのヤツなのかという心配もしていた。
(まさか、その相手がパン屋だったとはねぇ……)
とりあえず、異性かつ不倫ではなかったことに、俺は少し安心する。
そういえば、アナスタシアにいつぞやか聞いた時、カナも相当変わったヤツだと聞いた。研究のためにここに来てもらい話しているときは、魔力がいきなり芽生えたということを除いて普通のヤツだとしか思わなかったが、アナスタシア曰く、カナは異常なまでのガリ勉で、彼女のせいでこの学年のテストや課題は例年をはるかに上回る難易度だったらしい。その言葉に少し興味を持って、彼女のテストとレポートを見てみた。確かに、それらは百点満点を取るに相応しいものだったが、新しい発想や面白い仮説、頭が良いヤツ特有のすっ飛ばした結論がなくて、こいつは研究者には向かねぇなぁなんて思ったものだ。それでも、すべてにおいて百点満点を取れていたから、それは、こいつが相当な努力の人だと言う事だろう。
「うぃ、ウィル。全然痛くないし、大丈夫だから」
どさくさにまぎれてしばらく摩ってたのか、パン屋が真っ赤になりながら、腕を突っ張って身体を話そうとする。それを強引に留め……たりはせず、素直に身体を離すと、ウィルは微笑んだ。安心っていうより、満足って感じに見えた。
若さに当てられてため息を吐く。後ろの三人も同じようで、やや呆れたような顔をしている。一人、巻髪の女に関しては、飽きたように「またですの」とまで呟いていた。
「じゃ、行くか」
俺が両手でしっしとサインをして全員に歩くように促す。歩き始めたのを見て、五人を追い越し先頭に立つ。廊下を突き当りまで進むと立派な扉が見えてきた。その扉の前に立ち、いつものようにノックをしようとして、俺はふと手を止め、後ろを振り返る。
「なぁ、パン屋」
「はい」
すぐ後ろにいた彼女は俺を見上げる。カナはきょとんと不思議そうな目をしていて、隣のウィルも同じような顔をしていた。
「あいつが何したのか、わかんないけどよ。何パーセントくらいなんだ、あいつが悪い可能性」
「……百パーセントじゃない、と思いたくて、今日は来ました」
その言葉に、限りなく可能性はゼロに近い事を知って、俺は笑った。ただ、笑えていたかどうかはわからない。なんせ、メール屋が俺の顔を見て、泣きそうになっていたぐらいだ。
「ただ、彼女のしたことがどれだけの罪になるのかはまだわかりません」
「そっか。ま、できるだけ温情頼むわ」
「……」
さらに泣きそうになってしまって俯いた彼女の肩を隣のウィルが抱く。
「善処します」
「おう、ありがとうよ。悪いな、パン屋。いじめたみたいになってよ」
「……いえ。色々と申し訳ございません」
少し震える声で返事をした彼女達の脇を通り、窓を開ける。よっと、掛け声をかけてサッシに腰掛けると、ウィルがこちらを見て言った。
「ベルグ教授は入んないんですか?」
「良く考えたら、俺、部外者だからさ。どうせ、調査の許可とか取りに来たんだろ?ここでお前らの用件が終わるのを待ってるよ」
そう言うと、後ろに居た巻髪が胡散臭そうにこちらを見てきた。
「大丈夫。俺はお前らが出てきた後、速攻で校長室入りてぇから、ここから動かねぇよ。んで、入ったら一時間半は研究室に帰らないからな」
下を向いていたカナが顔を上げ、「大丈夫だよ」と言ったのを聞いて、巻髪は俺から視線を外して、カナに向かって頷く。俺に全員で一礼をすると、彼女達は校長室に入っていった。
扉が閉まるのを完全に見送ってから、俺は窓の外に反り返るように身体を出して、空を見上げる。目に痛い程の青空を見ながら、俺の研究室のヤツに思いを馳せた。
研究者になりたいと貴族のくせに家を飛び出して、まだ誰も来たがっていなかった俺の研究室に飛び込んできたこと。どんな無茶な準備を頼んだとしてと、何日徹夜を続けてだって必ず用意してきたこと。自分がそこまで頭が良くないのを分かっていて、それでも影で「図書室の君」に勝ちたいと努力をしようとしていたこと。俺から見ると、別にそこまで悪いやつじゃなかった。いや、むしろ可愛い教え子だった。
「あいつも、ばっかだなぁ」
恐ろしいほどに晴天の今日は、お天道様が悲しくなるほど世界に見つめていた。
相変わらずウィルたん側?アナスタシアが捕まる、当日の朝のお話。




