メール屋さんの恋事情
本部に帰り、ウィルが眠っているアナスタシアさんを別の隊に引き渡す。司令部での報告の後、ウィルに教えてもらいながら一連の処理を済ませて、自分の部屋に戻ろうとすると、司令部を出てすぐのところにアリサがいた。
「お疲れ様」
彼女は今日の一部始終をインカムで聞いていたからだろう、少しバツが悪そうな顔をしながら、コーヒーを差し出してくる。
「ありがとう。アリサもお疲れ様。忙しいのに、色々と調整してくれてありがとうね」
「ううん。これで見つからなかったらあれだけど、実際に箱庭があったんだもの。大手柄よ。でも、これで行方不明者がいるところだけ捜査すればいいって話じゃなくなったから、また慌しくなりそうだわ」
肩をすくめた彼女に笑い返すと、彼女は椅子が数脚ある休憩スペースに顔を向ける。
「疲れてるとこ悪いんだけど、ちょっと話できる?」
今も箱庭捜査用のシフトで通常よりみな時間も長く勤めているからだろうか、いつもは仮眠をしている人がいるそこには、誰も居なかった。並んで窓際のカウンターに座ると、アリサはぽつりと呟く。
「……アナスタシアの件、悪かったわね」
「?なんで?」
「あんたの魔力の研究をあの子のいる研究室に最終的に頼んだのもあたしだし、学生時代あの子に聞かれてあんたのこと話したこともあったし。何より、書類をウィルへの手紙にしてくれって話頼んで、しかもその時にあんた達の関係がもどかしくてさ、みたいな話をしたわ」
下を向いてコーヒーのカップを無意味に握り直したりしながら、もう一度「ごめん」と呟く彼女に「アリサのせいじゃないよ」と返した。それに対するありがとうという呟きに、笑顔で頷いて、背中を叩くと、アリサは顔を上げて、こちらを見た。先ほどまでの気まずそうな雰囲気はなく、もうすっかり普段のアリサだ。
「しっかし、あの子がずーっとそんなの考えてるとはねぇ。友達だと思ってたこっちからしたらやっぱりちょっとショックだわ」
「でも、アリサのことは友達だと思ってたし、何より、あこがれてたんじゃない」
なんで?と首をかしげて、目を瞬かせるアリサにあたしは笑う。
「箱庭に入るとき、アリサになりたいって思ってたって言ってたし。アリサだって、彼女がこの本部に来たときに仕事の仕方が自分みたいだって言ってたじゃない」
「あぁ、確かに。有難いと言っていいのかしらねぇ……。そんなに人になりたいって真似をするくらい、昔の自分が嫌だったのかしら」
呆れたように言う彼女に、あたしは箱庭の中にいた時の事を思い出す。
「でも、アナスタシアさんの気持ちもわからないではないんだよね」
「ん?こんな人になりたいってところ?」
「うん。あたしとエレノアってさ、箱庭のなかで被害者だったじゃない?だから、もしかしたらアナスタシアさんの言う効果とはちょっと違うのかもしれないんだけど……あの箱庭の中にいた時、二人ともなりたい自分を自己表現してたと思うの。みんなに任務に行った時の話を聞いてるとさ、エレノアっていつもすごい慎重で、規律と組織の指令にはちゃんと従うじゃない?でも、箱庭の中にいた時はいつもより無茶するというか大胆というか……一見すごい行動的で無茶に見えて、でもみんなの事を考えてるってところがちょっとマックみたいだったし」
あの黒い家を再調査しに行くとインカムを外したりしたときに、自分はエレノアの印象が随分と違って戸惑ったものだ。
「あたしも諜報部員として、活躍してたし、言いたいことも言おうとしてた。たぶん、本当は今までずっとね、あたしみんなみたいになりたいって想いがあったと思うんだ。活躍したいって言うよりは、自分の好きな人たちと対等でありたいというか一緒にいる免罪符が欲しいというか…」
もともと、自分の好きな小説の中だ。できればみんなと一緒に悪魔と戦って、冒険したい。色んな人を救って、守れるなんてカッコ良くて憧れる。
転生してすぐはそんな気持ちを持っていたのに、一回目の転生に失敗して、二回目の今世、すっかりその気持ちを忘れてしまっていた。そう、なくしたんじゃなくて、変に捻くれて忘れていたのだ。
「あたし、あの箱庭の中ってちょっと楽しかったの。今まであたしなんかができるはずないって、分相応に生きようって思って小さくなってたけど、一回そうやって自分の見てみぬフリしてた部分を考えたら、なんか今までみたいに生きてるの情けなくなっちゃって」
「それで、今回アナスタシアのところに自分で行きたいって言ったのね」
あたしは小さく頷く。
「勿論、もしかしたらアナスタシアさんは関係ないのに疑ってるかもって言うのもあったけど、一番話ができるのってあたしかなと思って」
「まさかあんなに単純で情念深い理由だとは思わなかったけどね」
「確かに……」
あたしとアリサは目を見合わせて笑った。
「ほんと、昔からだけど、ウィル王子ももってもてよねぇ……」
アリサが頬杖をついて言った言葉に、あたしは話がまずい方向に行ったなぁと思う。現にアリサはにんやりとした満面の笑みでこちらを見ている。
「で、あんたはウィルのことはどうするの?前に言ってた釣り合わないってやつ」
あたしは思わず後ろを振り返る。良かった、休憩スペースには相変わらず誰もいない。
「えーっとね、本部に戻ってきてからずっと考えてるんだけどね……」
アリサの満面の笑みに言わないでは済まされないだろうと経験上わかっているあたしは、できるだけ声のボリュームを絞って喋る。
「釣り合わないっていうのはずっと思ってるけど、だから一緒にいないとは思えないというか……。今日、アナスタシアさんが倒れる前にウィルと何か話して微笑んだのを見て、なんか何を言ったんだろうってちょっともやもやするし、例えば二人が付き合ったらって想像すると嫌だなって思うの」
そこで一息ついたあたしは、ぎゅっとズボンの膝を掴む。本人に言うわけじゃないのに、アリサに言うのですらすごい緊張する。
「だからね、あたしウィルのことたぶん……その……今までみたいに見てるだけじゃなくて……好き、で」
心臓がばくばくと脈打つのがわかる。手に汗も書くし、暗い窓に写ってる顔はきっと赤いだろう。
「でも、ずっと見てたからこそ、釣り合わない自分が許せないんだと思うんだよね……。それこそ、アナスタシアさんの言うとおり」
言い切って、少し自虐的に笑いながらアリサをちら見すると、彼女は口の中に空気を貯めて笑いを堪えていた。あたしが怪訝な顔して見ると、堪えられなかったのかぷはっと笑い出す。
「やばい、素で少女漫画みたいなのがいる!なにこれ、めんどくさい!」
キラキラした目でこちらを見ながら笑ってくる彼女に、むかっと来て、もう言わない!とそっぽ向くと、彼女はごめんごめんと謝ってきた。
「で、どうするのよ」
「……もっと釣り合う自分になりたい。すごい時間がかかりそうだけど、せめて近くで支えられるくらいの人に」
「あぁ、だから今日指令部長に言われてた話、前向きだったんだ?」
アナスタシアさんを連れて帰り、本部で報告した折、アラン指令部長に本格的に諜報部員に職種転換しないかと言われたのだ。入隊する時からもともとの頭の良さを買ってくれていて、魔力が出はじめてから、仕事の時間を割いて学園に行かせたりあたしのトレーニングのためにアリサの時間を割いてくれていたのも、その期待があったかららしい。ただ、彼の中ではあたしはどうしても本部から外に出たくない人だから無理という認識があったそうなのだが、今回自らアナスタシアさんを怪しみ、学園に行きたいと志願したことを見て、異動の打診をくれた。普通はいきなりの辞令が出ることも少なくないから、だいぶ気遣ってくれているのがわかる。
「うん。箱庭の中みたいに、すぐに馴染むことなんてできないとは思うんだけどさ。頑張ってみようと思って」
「ふーん、で、釣り合うまでは王子様の告白は保留?」
アリサに言われてあたしは首を傾げる。
「うーん、でもそれって結局吸血鬼事件の時の二の舞って言うか……そんなに待たせるのも良くないと思うし」
「なんだ。そこはわかってるんだ」
「それこそ、恋愛小説も少女漫画も大量に読んでますから」
タイミングが合わなくてすれ違うカップルの話なんてたくさん読んできた。……耳年増なだけで、実体験じゃないのが情けないところだけど。
「具体的にどーとか、まだ考えてないけど、近いうちに一回伝えてみる。それで、めんどくさいって引かれたらそれまでだけど」
「そーね、それがいいんじゃない」
そこでアリサが時計を見た。時間なのだろうか、耳に付けっ放しだったインカムを気にしたように触る。
「あ、あたしそろそろ司令部戻んなきゃ。あんたはこれからどうするの?」
「今日マックが医務室泊まりを終えてるらしいから、会いに行こうと思って」
「あ、そうか。あいつ明日から復帰よね。あたしも仕事終わったら会いに行くって言っといて」
「うん。じゃあお仕事頑張ってね」
立ち上がり、司令部に入っていったアリサを見送ってから、あたしは住居棟に足を向ける。
仕事のこともウィルのことも、アリサに言って、決心がついたからか後戻りができなくなったからか、ちょっと晴れ晴れとした気持ちで背筋を伸ばして歩いた。
こんこんとノックすると、ドアが開き、見慣れた赤毛の彼の顔が覗いた。
「マック!おかえり!」
「おー!カナ!」
全快の笑顔で迎えてくれた彼は、少し痩せたように見えるが顔色はけして悪くなく、ほっと安心する。あたしは持っていたパンの入った袋を渡した。
入れ入れと進められて部屋の中に入ると、リビングの机に収まらなかった見舞いの品が所狭しとソファにまで置かれており、その中から二本すらっとした美脚が出ていた。あたしはソファーに近づいて、見舞いの品その中を覗き込む。
「カイリー?」
「そー、俺が本部に帰ってきた時もわーわー泣いてた癖に、今日もまたわーわー、わーわー泣いてさぁ。泣くだけ泣いたら疲れたのかそのまま寝ちまった」
ガキかっつーのって毒づいてはいたが、その顔は満更でもなさそうだ。
「あらま、邪魔しちゃったかな」
「いいや、さっきまでエレノアもいたんだけど、なんか飯作ってくれるってんで、一回部屋に戻ったところ」
材料持ってきてここで作りゃあいいのにと言う言葉に、あたしはエレノアがウィルにご飯を作ってあげた時のことを思い出す。確か、ずいぶん手際が悪かった記憶がある。きっとあの姿をマックには見せたくないのだろう。
「マックはモテモテだねぇ」
「いやいや、カナとウィルほどじゃねぇよ」
きっと二人から事件の概要も今日の話も聞いたのだろう。マックはにやにやと笑いながら、空いていた一人がけのソファーに座る。あたしはエレノアが座っていたのだろう、空いていたカイリーの近くに腰掛けた。
「それを言うならマックだって。泊まってた宿屋の娘さんに惚れられちゃったんだって?」
「そーそー。体調悪くて水持ってきてくれって頼んでたとこまでは覚えてるんだけどさ。寝てる間にやられてたっぽい」
がしがしと頭を掻くマックの腕が目に入る。
「やっぱりちょっと痩せたね」
「まーなー。でも、もう全快だぜ。医者も酒も飲んでいいって言うぐらい。医務室に泊まってる時はお粥しか食ってなかったし、エレノアの飯、楽しみだなー」
恥ずかしそうに自分の二の腕を摩る彼の期待以上のものをエレノアは意地でも持ってくるんだろうなぁと考えていると、ドアがノックされた。
「そーだよなぁ」
呟きながら苦笑して、マックは立ち上がり、入り口に向かう。戻って来る時にはウィルと一緒だった。
「先輩、今日はお疲れ様でした」
「ううん、こちらの我儘に付き合ってくれてありがとう」
そう言うとウィルは満面の笑みでとんでもないと返してくれる。なんかいつもよりキラキラオーラが全開ですごい眩しく感じる。さっき、釣り合うようになりたいとかアリサに言ったけど早速自信がなくなりそうだ。
「これ、食堂で買ってきました。先輩一緒に食べましょう」
ウィルが小さい紙袋を渡してくる。中を見るとクッキーやらフィナンシェやら、小さな焼き菓子がいっぱい入っていた。それを受け取ると手ぶらになってしまうウィルを見て、マックは呆れたように言った。
「お前、復帰する俺には何にもなしかよ」
「毎日見舞って、服持ってったりパンツとか洗ってやったの誰だと思ってる。こっちこそ感謝して欲しいね」
「んなもん他に頼めねぇからしょうがねーだろ、カイリーやエレノアに頼めってぇのか。カイリーは騒いですげー時間かかりそうだし、エレノアは捨てて新しいの持ってきそうじゃねぇか。あ、アリサとかカナなら……」
「アリサはともかく、お前の汚物を先輩に洗わせるとか却下」
テンポのいいそのやりとりに苦笑する。公式ではマックって、何派なんだろうボクサーかなブーメランも似合いそうだけど、なんて想像してしまったなんて口が裂けても言えない。あ、痴女じゃないよ!
「あたしはともかくって何よ、ウィル」
入り口の方から声がして、ウィルが肩をびくっと揺らす。ウィルと同じく紙袋を持ったアリサがそこに立っていた。
「なんか騒がしかったし、鍵開いてたから勝手に入らしてもらったわよ。はい、マックこれ快気祝い」
持っていた紙袋をマックに渡すと、アリサはウィルに向き直る。その顔には、あの綺麗すぎて威圧的な笑みが浮かんでいる。
「あたしはともかくって、ウィルはあたしのことなんだと思ってるのかしら?」
「……神様です」
「そうよねぇ、さっきしてあげたことを考えたら、頭なんて上がらないはずよねぇ」
腕を組むアリサと小さくなるウィリアムを見て首を傾げていると、カイリーが身じろぎをした。
「あれ……。みんな来たんだ」
起き出したカイリーが、ぐるっと、みんなを見て、また目に涙をためる。
「わ、折角やっと収まったのに!カイリーお前、ちょ、ちょ!」
慌ててティッシュを差し出すマックに、カイリーはそれを受け取るとちーんと大きな音をたてて鼻を噛んだ。すん、と鼻を鳴らすと泣きながら笑顔を浮かべる。
「またみんなでこうやって集まれて、本当によかったぁ…….」
カイリーの言葉にみんな釣られて少し涙ぐみなかまら微笑む。多くの隊員が危ない目に合うのが普通のこの組織で甘いと言われるかもしれないけれど、それでもやっぱり誰かがかけるのは嫌だ。
カイリーがすっかり泣き止んだところでエレノアがメイドさんと一緒に夕飯を持って来てくれる。どうせそうだと思いましたわ、と言って、彼女がメイドさんんに手伝ってもらって運んできたご飯はちょうどここにいる人数分になっていた。相変わらず綺麗に盛り付けられており、味も美味しい。
すっかり食べ終わってしまってもなんだか別れ難く、あたしたちはその日、日付が変わるまで、マックの復帰を祝ったのだった。




