俯瞰
「あれはちょっとやりすぎだよねぇ」
上半身を起こした状態のまま、マウントポジションでボッツさんをぼこぼこにしているところを、ただただポカンと見ていると、頭上から声が聞こえる。頭を上げるとカイリーが苦笑していた。
「カナ、大丈夫?」
「あ、うん。なんともないと思う」
体調が悪い感じもないし、痛いところも無い。自分の身体を見下ろして服を着ていることは確認した。前回みたいにまた素っ裸なんてことがなくて良かったと胸を撫で下ろす。
「エレノアは?」
「あっち。カナが目覚めるのが一番遅かったからね」
カイリーが指差す方向に振り返ると、エレノアがあたし達の背後にある机の上をじっとみていた。そこには、あの黒い家で見たような大きくて平べったい箱、たぶん箱庭であろうものがおいてあり、彼女はその前で顎に手を当てて何か考え込んでいるようだった。
「先輩!」
懐かしい声に振り返る間もなく、後ろから抱きしめられる。肩口に頭を乗せられては彼が少し震えているのがわかった。
「無事でよかった……」
ぎゅうっと腕に力を入れられて少し苦しい。彼の手首の内側に手を添えてみれば、とくとくときちんと脈がなっているのがわかった。
「先輩?」
「あ、ううん。気にしないで」
開放されて振り返ると、あの紫色の優しい瞳が心配そうに揺れていた。顔色があまり良くない。マックが居なくなった時からどれだけの時間がたっているか分からないが、だいぶ疲れているようだった。
「本当に無事でよかった」
ぎゅっと床についていた手を握って心の底から吐き出すように息を吐いた彼に、あたしは微笑み返す。
「うん、助けてくれてありがとう」
そう言うと、ウィルはようやく少し笑い返してくれる。
「はいはい、いちゃいちゃするのはいいんだけど、とりあえずあいつを搬送しちゃわないと」
カイリーが顎で指した先には、これまたそこまでしないでもというくらい拘束具で後ろ手をかなりきつそうに締められたボッツさんがいた。顔は血だらけで口も半開き、おまけに目も開いていないが、時折ぴくりと動くところから気絶しているだけなのだろう。
「あ、そうだな」
二人はボッツさんの方に行くとインカムを使って本部に報告をしたりしている。あたしは立ち上がって服をはたきながらとエレノアの横に近づく。
「エレノア」
「カナさん、お疲れ様でございましたわ」
振り返って少しだけ頭を下げた彼女に習ってあたしも頭を下げる。見たところ、エレノアも少しだけ頬がこけているように見えた。思わず自分の頬に手をやるが、さすがに見えないこの状況では自分の様子は確認しようがなかった。
「これ……」
「あの黒い家にあった箱庭と一緒のものですわね」
中には、中心に黒色の家がちょこんと置かれており、左上にこれまた小さい家とその周りに倒れておかれている三体の人形がおかれている。右上にはブロックで作られた高い仕切りの中に、すごろく用の駒のような人形が散りばめられている。その中で二体だけ倒れいてる人形は一体は赤髪、一体は金髪だった。
「これは、マックとウィルかな」
「こっちの三つはケン、クロード、ビターですかね」
エレノアが小さい家の周りに倒れていた三体を指差す。
「彼ら、人形だったんだ」
「そうみたいですわね。……私、しばらく一緒にいる方々だと思い込んでおりましたけど、そもそもあたしのチームのメンバーは彼らじゃありませんし、よくよく考えれば本部で見かけたこともありませんでしたわ」
何か暗示や幻覚を見る魔法でもかけられていたのだろうか。確かにあたしも、エレノア達と黒い家を調査しにいくまでを思い出そうとしても思い出せない。こうやってよく考えれば記憶が繋がらないところがあるのに、あたかも今その状態にあることが当然かのように思い込んでいたのだから、やっぱり何かされていたのだろう。
(そう思うと、あたしはそもそも異動したのかな。学園に行ったのは?マックがいなくなったのは?そもそも、魔力が出たところから嘘?いったい、どこからがこの中での出来事なんだろう)
ううん、と混乱して頭を抱えているあたしに、エレノアが「カナさん」と声をかけてくる。
「何かとってもお急がしそうなところ申し訳ないのですけれど、この箱庭自体を見てくださる?こういったものの確認は貴方の専門分野でしょ」
「あ、うん。そうだよね」
あたしは透視と感知の魔法を唱える。無事に発動したのを確認できて安心すると、続いて手に防御の魔法をかけてから箱庭に目を凝らした。
「うーん、一見だけすると魔力も何も見えないね」
それでも嫌な感じはする。簡単に見るだけでは何も見えないけど、何も見えなさ過ぎて本当は深い闇や穴を見ているような代物は、悪魔が作った魔法道具に多い特徴だと言うのは、主任の事件の後アムネムさんに教えてもらったことだ。「悪魔は人間と同じように魔力を使って悪さをするけど、それはもっと原始的で本能的で、魔法という理論で魔力を使うあたし達には見えづらいのよ」と教えてくれたことを思い出しつつ、あたしは中の人形を一体手にとって、お腹のところに指で魔方陣をなぞる。うまく反応しますようにと祈りながら、箱庭の中に戻そうと近づける。底の砂まであと数センチというところで人形が箱庭の中に引っ張られるような感覚があり、あたしは慌てて手を離した。物体的には人形が箱庭の砂の上に落ちただけだが、あたしがかけた魔法は黒いツタのような魔力の塊に飲み込まれすぐに消えてなくなった。
「うん。反応したけど、やっぱり魔法の構造的なものは何も見えないから、悪魔が作った魔法道具だと思う。これ以上のことはあたしには難しいから、あとは研究室にお願いしないと難しいけど」
こうやってひとつひとつの反応を見たり、一部を複製して解析していくのが基本だとアムネムさんは言っていた。
「それだけわかれば、十分ですわ。持って帰って頼みましょう」
「うん。今封印の魔法かけるね」
「何、これ持って帰ればいいの?もう動かして大丈夫?」
あたしが箱庭全体に封印の魔法をかけた時、いつの間にか横に来ていたカイリーが箱庭を覗き込む。
「ええ。お願いします」
「わかった」
なかなかの大きさがあり、かつ砂が入っている箱庭をひょいと軽々と持ち上げるとカイリーはにかっと歯を見せて笑った。
「じゃ、ボッツさんの搬送とか支部全体の確認もだいたい終わったし、帰ろ。もうみんな行っちゃったよ」
その言葉に頷いて、あたし達はやっと本物の本部に帰れたのだった。
本部に帰り着き、箱庭を第四研究室に預けると言ったカイリーと別れて、エレノアと二人でそのまま司令部に向かう。司令部の扉を開けると、アリサが一番に振り返り、いつもの定位置からこちらに走りよってきた。
「カナ!エレノア!無事でよかった」
アリサに笑って頷き返しながら、本部を見渡す。いつもの位置にガルデンさんもマルサンさんも、そしてアラン司令部長もいる。ああ、本当にここは現実世界なんだと安心して、肩を下ろした。
「二人とも、少しやつれてるけど、何事もなさそうで何より。まぁいなくなって二日だもんね」
「二日!?」
「そうよ、エレノアはあの支部への応援に行った後で。カナは学園の帰り道に消えて。まさかあんたまで消えるとは思わなかったからまたあいつか!って大混乱だったわよ」
腰に手をあててため息をつくアリサに、あたしは思わず小さくなる。今回の件に関してはあたしが悪いわけじゃないと思うけれども、前科があるから何も言い返せない。
「アリサ、会議室の準備ができました。会議まではまだ少し時間がありますし、ここは騒がしいですから、事前聞き取りということでそちらにお話されては」
ガルデンさんが書類をアリサに渡しながら、会議室の方向を指差す。あたし達はお言葉に甘えて会議室を利用させてもらうことにした。
ガルデンさんが用意してくれた会議室というのは、あたしが箱庭の中で問診を受けていた部屋とまったく同じ場所にあった。恐る恐る中に入ると、内装も広さもあたしが箱庭の中で見たものとは全然違っていた。同じなのは司令部側から見た扉の種類と位置だけだ。思わずキョロキョロしながらアリサとエレノアの隣に腰掛ける。
「経緯と言ってもたいしたことじゃないんだけど、カナは学園に行ったじゃない?」
「あ、うん。学園に行ったって言うのは、しばらく来れませんって言いに行った日だよね?」
あたしの確認にアリサが怪訝そうな顔をする。
「当たり前じゃない。それ以外何があるのよ」
「いや、ちょっと、箱庭の中で普通に生活していたから、どっからどっちが現実で、どっからどっちが箱庭の中のことなのか分からず……」
首を傾げて「はこにわ?」と呟くアリサに、エレノアが仲介を買って出た。箱庭の中であった黒い家事件のこと、本部であったこと、最後に箱庭から出れた時のことを淡々と順序だてて話してくれる。アリサもガルデンさんに渡された書類を入れたファイルにそれらを書き込みながら聞いていた。
「ふーん、つまりエレノア達が持って帰ってきた悪魔の道具は箱庭型で、貴方達はその中で生活っていうか、行動させられれてたってこと?」
「そう考えるのが一番可能性があるかと」
「研究室にはそれ伝えてるの?」
「こちらに持ってくる際にカイリーに伝言を頼みましたわ」
「さすが」
いつの間に、と驚くあたしをエレノアはさも当然というようにスルーし、二人ともあたしを気にすることなく話を進める。やっぱり経験の差は大きいようだ。
「で、それを操ってるのはボッツさんだった、と」
「ええ。最も、あの箱庭の中であたし達の前から知っている人は動いている状態では登場していなかったのにボッツさんは普通に行動されてましたから、ボッツさんも箱庭の中に入っていたのではないかと思いますけれど」
「あ、うん。それはウィル達も言ってた。エレノア消失の件で、ウィル達の班があの支部に聞き取り調査に行ったんだけど、行動が怪しいって言うんで、そのまま隠れて見張ってて貰ったのね。そしたら、あの男、ウィル達が帰ってしばらくしてあの部屋から忽然と消えたそうよ。あの部屋の中ではあの箱庭が明らかに異質だから、なんかあるとは思ってたんだけど、動かしていいのかも分からないし、罠かもしれないって言うんで待機しててもらったの。一晩たって何事も起きないから、らちが明かないっていうんで家捜しはじめてしばらくしたら、あの男が突然出てきたんだって」
後はその十五分後くらいにあんた達が急に現れたそうよ、とアリサに言われ、あたしは支部で目が覚めた時のことを思いだす。確かに、あたしが起き上がった時にはボッツさんは既にウィルに馬乗りされて、随分とぼっこぼこの状態にされていた。
「そういえば、今ボッツさんは?」
「え?強制的に目を覚ませさせられて、これから拷問……じゃなかった、取調べするところ。もうね、あんた達があの箱庭を持って帰ってくるまで、アムネムさんが担当する予定ですっごいご機嫌だったらしいんだけど、結局第二研究室の室長が担当してるんじゃなかったかな」
随分怖い単語がちらっと出てきた気がするが、聞かなかったことにした方がいいのだろうか。しかし、アムネムさんがご機嫌って言われると、別の方向でも怖いことがある予定だったんじゃないかと想像してしまう。ああ、腐女子の思考って怖い。
「しかし、ボッツさんも随分雰囲気変わってたわね。気絶してるところしか見てないけど、痩せて精悍な雰囲気になってた。誰かわかんない程ではないけど」
「ええ、確かに。あの箱庭の中で話した彼が本物かどうか分かりませんけれども、しゃべり方も随分とハキハキされてましたし、任務の時の指示もおかしなところはありませんでしたわ。支部に就かれてから随分と変わられたのかと思いましたけれども」
「あの支部は、昔の名残で維持をしている意味合いが強いから、何か無い限り配属は彼一人だし、半分研究をしながら近郊の情勢を報告するだけなのよね。だから配属されてからの短期間、そんなに経験をつめるはずもないし、外見だってあんなにいい感じに痩せれるのも不自然だし…その辺もやっぱり“箱庭”に由来してるのかな。心理療法とかでも自己表現法に使われたりするし、その辺も関係しているのかも」
確かに、ボッツさんは第一研究室にいた時よりも溌剌として力強く、でも落ち着いて頼りがいている印象があった。あたしは実際の任務で司令部のみんなと絡んだことは無いが、届け物をしたときに見たアリサとかガルデンさんのイメージの感じによく似ている。
「そういえば、マック達や他の隊員は見つかりましたの?」
「ううん、あの支部で救出されたのはエレノアとカナの二人だけ」
アリサが一度目を伏せて、首を振る。
「でも、貴方達と同じ日に消えた人達も見つかっていないから、前に消えた人は見つからないって話ではないと思う。そうなると、あの魔道具が複数あると考えるのが正しいと思うのよね。まったく関係のない場所で同時多発的に人が消える理由にも説明がつくし、今そのセンでも調査できるように、第四研究室には解析と同時に同じ魔道具があったら感知できるような道具を作ってもらえないかってお願いしてる」
さらさらとファイルに書き連ねると、アリサはパタンとファイルを閉じた。
「さて、色々脱線もしちゃったけど、あと十分で会議始まるし、その前にこちらが把握している情報だけ話しておくね」
アリサの話はこうだ。
あたしが学園に行った最後の日、お昼前に急遽ボッツさんから連絡が入った。今回の件についてボッツさんが行っていた国の女性大臣が支部を訪ねてくるそうだが、ボッツさんの事務所にはボッツさん一人しか専属の部隊員がいないから、誰か念のため来てくれないかということだった。内容としては大方叱責か情報収集だろうから、できればこう言った対応が上手な身分の高い女性、と言われてはじめアリサが行こうかとしていたそうだ。
「でも今、人が少なくなったり、非効率な調査方法をしてるから、色々な部署から外に出る仕事への職種換えをしているじゃない?その対応を他に任せるのも非効率だってなって」
それで、同じ条件のエレノアに白羽の矢がたったのだそうだ。幸いエレノアも支部派遣になっていたから本部を経由すればすぐに移動することもできた。
「その司令があったのは記憶にありますわ。そこで、あたしボッツさんと二人で大臣が来るまで待って…。以降は鮮明な記憶がございませんわ。その件が済んで、その後あの支部に移動になった気はしていましたけれど」
「じゃあ、行ってしばらくして箱庭に閉じ込められたのかな。で、その晩にエレノアが帰ってこない!って報告があって。しばらくして、カナ見かけてないなって思って部屋に行ったらあんたもいないでしょう。結局その日は部隊のメンバーでは貴方達二人を含む三人消えてるわ」
そのとき、ちょうど扉がノックされてがガルデンさんが入ってくる。
「アリサ、お話中すみません。大丈夫ですか?」
「うん、今ちょうどだいたい終わったところ。どうしたの?」
「お二人とも、そのままこちらに来られましたからお疲れでしょう。食堂まで取りに行ってたら遅くなってしまいましたが、会議を始める前に、どうぞ」
そう言ってガルデンさんはあたし達三人に目の前にカップを置いてくれる。中には淡い茶色の液体が入っていた。コーヒーの香りが鼻を擽るからカフェラテだろうか。
「ありがとうございます」
「いえ、お口に合えばいいですが。お疲れのところ申し訳ございませんが、会議もよろしくお願いいたします」
御礼を言うと、ガルデンさんは照れたように笑って、退室した。
「本当いい人だね」
「でしょう?」
自分のことのように誇らしげに笑って口をつけたアリサに微笑みつつ、あたしも自分の目の前のカップに口をつける。あったかくて甘い、その懐かしい味わいに、あたしはほっと息を吐いた。