ふたりぼっち
ボッツさんがいるからか、先ほどとは打って変って丁重に、いや、普通に案内される。普通じゃないところは、あたしが手錠をしていてその鎖の先をボッツさんが持っているということぐらいだろう。手が自由に動かせない状態で歩くというのがこんなに難しくて苦痛だとは、昨日今日の二日間で嫌という程思い知った。
「どうぞ」
ボッツさんに案内された場所は、医務室の奥の治療室と呼ばれるところで、二十四時間体勢での治療が必要な重症の患者が入院をする部屋だった。ガラス越しに中をのぞくと、六台ならんだベットの一番手前にウィルの姿がある。他に三台のベッドが埋まっており、顔までは見えないが、一番奥のベッドにマックが寝ているのは彼のトレードマークの赤毛でわかった。
「かなり高位の爆発魔法でした。ウィリアムはエレノアの左側に居て、彼は咄嗟に右腕で防御魔法を張りました。ただ、自身の防御魔法ではなく、我々を守るための魔法だったんでしょうね。幸いか我々は破損物の飛散による裂傷や打撲ですみましたが…。彼は防御魔法を張るために突き出していた右腕が吹き飛びました。後から手の施しようがないくらい粉々の炭になって」
ボッツさんの言葉に呆然としながら、ガラスに張り付くようにして、目を凝らす。ウィルは仰向けに寝かされており、布団はかけられていなかった。頬にはガーゼが付けられ、額から目のあたりに向かって広範囲に包帯が巻かれている。そして、右肩のあたりには大きな肩当のような白い器具がついており、本来そこから伸びているであろう場所には腕がなかった。肩当は二本の細いベルトが左のわき腹まで伸び、しっかりと固定されている。
「正直、ショック死をしなかったのが不思議なぐらいだと医師は言ってました。目なども熱風で焼け付きそうな状態で……今も予断は許されないのですが、とりあえず応急的に高位の治癒魔法はかけたそうで、容態は落ち着いています。ただ本人の意識が一度戻るまでは、正直どうなるかわからない。冷たいことを言うようですが、復活する兆候がない以上、今のこの状態では本格的な治療には取り掛かれないとのことです。まさか、エレノアがここまで凶悪で残忍なことをする理由が検討もつかなくて私も戸惑っています」
ガラスに張り付いて見ているあたしの横でボッツさんがつらつらと話している。正直、ほとんど頭に入ってこない状態であたしはじっとウィルの姿をじっと見ていた。
「カナさんは昨日今日と行動を共にされているので、本部に疑われているのも本当ですが…私はそれ以上にエレノアが得た情報の何か知っていて、彼女に狙われる可能性があるのではないかと不安に思っています」
振り向くと、彼は困ったような、悲しそうな笑みを浮かべてあたしの肩に手をかけた。
「大丈夫ですよ。カナさんが僕たちが守りますから」
そう言って笑うボッツさんの手をそっと自分の肩から離して、ガラスからも彼からも距離を取るように数歩後ずさる。
「どうしました?」
「……ボッツさん、あれは誰?」
あたしの様子にボッツさんはなんとも言えない表情をした。口元は一層笑みを濃くしたのだが、目は見開いている。
「あれはウィルじゃない。ねぇ、ボッツさん、あれは、何?」
じりじりとあとずさりながら、右手の人差し指で手錠に解除の魔法をかける。できるだけ出力は高くするように。ボッツさんはにこにこと笑いながらあたしと同じ分だけ距離を詰めてくる。
「なんでそう思うんですか?」
「……だって、絶対にあるはずのものがないもの」
そう、肩当てや包帯の隙間から覗くウィルの左胸にはあるはずのあの魔法陣の刺青がなかったのだ。あれは、そう簡単に取れるはずのものではないはずだ。あたしがボッツさんを睨むと、彼は困ったように笑むだけで何も言わないままジリジリと間合いを詰めてくる。魔法陣だけでは拉致があかないと、あたしが魔法効果減少の呪文を唱え始めるとボッツさんは鼻で笑いながら言った。
「何がないんですか?あ、無駄ですよ。その手錠には魔力を吸い取る魔法をかけています。減った魔力で唱えた詠唱したところでたいした威力にはならなくて無理ですよ」
早く早くと焦りながら唱えるとかちゃりと鍵の開く感覚がする。あたしは鍵が空いたのがわからないように手に引っ掛けたまま、後ろに下がり続けた。
「ねぇ、教えてくださいよ。なんでウィリアムじゃないと思ったんですか」
とうとう背中が壁につき、もう後ろに下がれないとなったところであたしは両手を高く上げ、頭上から振り下ろした。
「だから無駄だって……なんで!?」
がちゃんと大きな音がして手錠がボッツさんの足元の床に落ちる。かなりの重さがあるものだ。ボッツさんが避けるために数歩後ずさる。
「あたしの魔力は普通じゃないんでっ!」
そう叫んだあたしに、ボッツさんがちっと舌打ちをして腕を伸ばしてくる。あたしも対抗して何か唱えようと右手を突き出した時、目の前で閃光が走り、視界が真っ白になった。同時に背中にあったはずの壁の感覚がなくなりあたしは後ろに大きく引っ張られる。
「こっちですわ!」
エレノアの声に導かれて、引っ張られている方向にとにかく走る。閃光にやられてほとんど見えていなかった視界が徐々に戻ってくると、目の前には彼女のポニーテールが揺れていた。安心して緩みそうな涙腺をぐっと堪えてとにかく走り続ける。
本部内の廊下らしきところを右へ左へ、複雑に十分くらい走り続けただろうか。エレノアは何もないところで扉を開けるジェスチャーをすると、あたしを連れてそこに飛び込んだ。お互い切れる息を整えようとしゃがみこんで少しだけ深呼吸をすると、エレノアは口を開いた。
「カナさん、無事で良かったですわ」
「エレノア!!」
ぎゅ、と抱きつくと、頭をポンポンと撫でられる。もう一度ぎゅっと力を入れてから、あたしは顔をあげて彼女から離れた。
「ここは?」
「逃げ込む用に結界を応用した簡易的な異空間を作りましたの。と言っても、あの場所にしか繋がってませんから、隠れている事しかできませんけれども」
六畳ほどの空間は、飛び込んだところにドアらしきノブが付いているだけで、あとは何もなくまっ白だった。
「ありがとう、助けてくれて」
「いえ。逃げ出して、こっそりマックを確認しに行ってましたら、カナさんたちが来るんだもの。驚きましたわ」
「そうだ!マックは!?」
乗り出すように聞くと、彼女は目をつぶって首を横に振った。
「もしかしたら彼は……と思ったのですが、あれも偽物でしたわ。私たちは赤毛と背格好だけでマックだと認識してましたけど、あの黒い家から助け出した時から一言も喋ってはいません。隠れて近くに寄りましたが、まるで人形のように心臓の音がしなかったですもの」
「マックも偽物……」
そこで一拍置いて彼女はまた口を開いた。
「ボッツさんは私がウィルに会って、攻撃魔法で右腕を吹っ飛ばしたみたいな事を言ってましたけど、あたくしは動いているウィルには会ってませんわ。あの治療室に行ってはじめてああやって寝ているウィルを見て驚いたぐらいですわ。ねぇ、カナさんあたし自分の感じていた違和感が確信に変わりましたの」
あたしとエレノアは顔を見合わせて頷きあう。
違和感はあたしにもたくさんあった。黒い家に出入りできた仕掛けも、悪魔があんなにあっさりと倒されたのもそうだが、それ以外にも。
エレノア以外の以前からよく知る人達とは誰一人として会えていない。マックとウィルだって、寝ているところを見ただけだ。
ウィルの胸に、彼の命を縛る魔法陣がなかった。
そしてとても些細なことかもしれないけれど、前々世の夢を見たのに、投げ飛ばされないで穏やかに目が覚めた。夢の中で、死神がヒントをあげると言っていた。彼はあたしの飛び起きるという習慣を利用して、ヒントをくれたのではないだろうか。癪にさわると言っていたのもこの世界のことだろう。
「ここは現実じゃありませんわ」
「ここも箱庭、だね」
二人でそう言った瞬間空間にピキリと亀裂が走る。一瞬、エレノアが作った空間が壊されたのかと思ったが、その亀裂は目に入る視界のもの全てに走っていく。ぱりんと弾け飛んだのを見た次の瞬間には、あたしたちは先ほどまで本部にいたのが嘘のように別の空間に横たわっていた。起き上がって見回すと、実際に目にするのは初めてであろう見慣れた場所だ。
そうだ、ここは……
「支部……」
そう呟いたあたしの目の前には、今まさにボッツさんに馬乗りになってぼっこぼこに殴っているウィルがいた。




