夢を見た
支部の転送陣から強制的に本部に連れ帰られたあたしとエレノアは、窓に鉄格子のついた部屋にいれられた。八畳程の広さに簡易ベッド二台と小さなローテーブルしか置いてないここは、司令部の一つ下の階にある拘留フロアの一室だ。普段メール室の仕事をしていた時は全く関係のない場所であったから、部屋どころかフロアに入るのも見るのも初めてである。
「特にお二人が逃げ出したりするとも思ってませんけどね、反省の意味もこめて一晩こちらで、との事です。お手洗いや何か用がありましたらここのブザーを押してください」
そう言って手錠を外し、部屋の鍵をかけようとした司令部の男性をエレノアが「ちょっと……」と引き止めた。
「申し訳ないのだけれど、私の侍女を呼んで下さらない?」
「面会は禁じられてます。どういったご用件ですか」
「……このような事を殿方にお伝えするのは、たいへん侮辱的なのですけれど……月のもの、とだけ申し上げるだけで察していただけます?これ以上聞かない、知識と配慮をお持ちだと助かるのだけれど」
不快そうに眉根を寄せるエレノアに、司令部の人は顔色を変えることなく、でも少し慌てたように頷くと、扉に鍵をかけて出て行った。
「大丈夫?」
「何がですの?貴方は本当に素直ですわね」
けろっとした顔で言うエレノアに彼女の発言が嘘だとわかる。でも、なぜそんな嘘をつくのかがわからない。少し考えたあと、あたしは首を傾げながら彼女に問いかけた。
「……逃げ出すの?」
「まさか。そんなことをするんでしたら、あの家の近くのところにいた時にしてますわ。これは、確証を得るための一つの材料ですの」
そう言うと彼女は括っていた髪の毛を解き、とても丁寧にほぐし始めた。こういう時にがしがしと掻かないところが彼女らしく、そして余裕が感じられる。
「カナさんもお外しになったら?ここで寝るにしてもそのままじゃ辛いでしょうし」
手袋や腰につけていたポーチを外し始める彼女に習い、あたしもつけていた装備を外し始める。ダイバースーツまで脱いでインナーのTシャツとスキニーパンツになったところでようやくほっと息をついた。
「お疲れですわね」
そうエレノアに言われて、疲れているのを改めて自覚する。支部の会議から連れ出される時に体調悪くないなんて言ったけど、気が張り詰めていただけで思っていた以上に身体も気持ちも疲れていたようだ。
「うーん、やっぱり初任務だったから、かな」
「無理もありませんわ。カナさんが支部に来てからと言うもの怒涛でしたもの。事件に一番関係ないと思われてた支部だったからこそ、異動まもなく経験もない貴方が寄越されたんでしょうに、本部もとんだ見込み違いでしたわね」
「あ、そうなんだ。諜報部隊に志願しようと思って、運よくすぐに職種変更と派遣が叶ったから、考える暇もなくて」
もういいかとブーツも靴下も脱いで、きちんと畳み、自分に近かったベッドの横にまとめておいた。望みは薄いだろうが、明日、新しい靴下とか下着とか貰えるといいな。特に一回脱いだ靴下をもう一回履くのってなんだかちょっと抵抗がある。
「色んな条件が全部揃っていたのでしょうけど、思った通りに叶ったのは今までの頑張りが認められていた証拠ですかね」
エレノアはそう言うとローテーブルにあったポットを手にとり、ガラスのコップに中身を注いだ。水かと思いきや、薄めの茶色がかった黄緑に染まるそれはどうやらお茶のようだ。そういえば喉が渇いていることに気づき、エレノアから受け取るとあたしはそれをごくりごくりと飲み干した。食道を冷たい液体が通る感覚があり、体に清涼感が広がる。凝り固まっていたものが解されたようで、あたしはふぅと大きく息を吐いた。エレノアも同様に喉が渇いていたのか、コップ一杯のお茶をすぐに飲み干してしまう。
「カナさん、やっぱり少し顔色が悪いですわ。明日まで何もすることもありませんし、早めにお休みになったら?」
少しだけ迷ったが、どうしようもない疲労感と瞼が重たくなる感覚が襲ってくる。床でうつらうつらするよりはいいだろうと、あたしはエレノアの言葉に甘えることにした。
「ごめんね、ありがとう」
「いいえ。ゆっくりおやすみなさいまし」
ごそごそと固いベッドの毛布に潜り込み、壁の方を向いて目を閉じると、あたしはすぐに眠りの世界に落ちて行った。
そうして、夢を見た。
夢の中であたしはあのとっぽいにーちゃん死神のいる白い世界にいた。
「よ、カーナーちゃん」
胡座をかいたまま、右手を軽くあげる死神に、何と無くいらっとして右足を蹴り出すけど、彼は座ったまま器用に体を引いて、いとも簡単にそれを避ける。
「なんでだよ!俺、今回はなんにも悪いことしてないじゃん!」
「いや、その格好がいらっときて」
「どこが!?」
真っ白タンクトップに真っ白いカーゴパンツを吐いた彼は何時ものスーツ姿とは違い、随分と涼しげだ。ジャケットを着てる時はわからない、胸から肩へのタトゥーを見せびらかされて、模様や範囲こそ違うもののなんとなくウィルを思い出す。
「……自分が傷物にしたっていう罪の意識が思い出されて?」
「なんだよ、それ。八つ当たりじゃん」
にかっと歯を見せて笑う死神はやっぱりイラっとくるが、まさしくその通りなのであたしは大人しく向かいに腰を下ろした。
「あたし、また死んだの?それとも死にかけてるの?」
「いんや、これ、カナの夢だし。カナが死んで俺んとこに来る時は、さすがに俺もいつものちゃんとした正装するよー」
あんなホストのような格好が正装だったということに驚くしかない。つくづくこの死神のお仕事は謎ばかりだ。
「じゃあこれはあたしの夢なのね」
あたしの言葉に死神はうん、と笑顔で頷いた。
「夢の中に入ってきたりしたの?それとも、あたしの空想の産物の偽物?」
「難しい質問するね〜。そもそも夢の世界には変わりないんだから、想像だとしても想像の俺はここにいるし、夢の中に入ってきたんだとしたら介入者の俺はいる」
へらへらと笑う彼にやっぱり苛立ちを感じて目を細めると、前回会った時と同じように彼はパックジュースを取り出して投げて寄越した。今度はミックスジュースだ。
「カナだってさ、日本に住んでた時が本物で、こっちの世界に来た時が偽物?とか聞かれたら困るでしょ?どの世界のどれが本物なんて気の持ちよう次第じゃないのかね」
ペラペラとよく喋る彼を尻目に、パックジュースにストローを刺す。今度は中身を飛び出させずに刺すことができた。そのことに満足しながら口をつけると、この世界ではなかなか味わうことのない濃くて甘くて、わざとらしい人工的な香りと味が広がる。
「で、じゃあ今回は何の用なのよ」
「様子見?あんまり癪に触るからつい、かっとなって来ちゃった」
てへぺろと言うのを体現するとまさしくこれなのだろうという感じで舌を出した彼に、首を傾げる。
「癪に触るって何が?」
「お、それは俺の口からは言えないな〜。お仕事上ね」
「なにそれ」
結局はぐらかされた会話に口を尖らせると、へらへらしていた彼はより一層笑みを濃くした。
「だからね、ヒントをあげに来たんだよ」
彼がぱちん、と指を鳴らすと前回戻った時のように足下がガラガラと崩れ、身体が宙に投げ出されて落ちる感覚がある。
「じゃ、頑張ってくれよ〜」
呑気に手を振るヤツが遠くなったと思ったら、あたしの目の前には、茶色のブレザーにピンクのカーディガンを着た女の子がいた。
「あ、えっと?」
「ちょっと、かな!聞いてなかったっしょ。ねぼけてんの?」
持っていたLサイズのダイエットコーラをずずっと飲みながらあーちゃんが言う。そうだ、あたしは今、親友のあーちゃんとファーストフード店で喋りに来たんだった。彼女がセーラーでなく、ブレザーを着ているのは、今がもう六月で今日は別々の高校に入ってからはじめて久しぶりに会おうねとなったからだ。
「うん、ごめんなんだっけ」
「え、まじで寝てたの?」
信じられないと目を瞬かせて驚くあーちゃんに、少しだけ頬を掻いた。
「……なんか夢っぽいの見てた気がする感じは確かに……ごめん」
「まじで!?頭大丈夫?」
怪訝な顔をするあーちゃんに、誤魔化すように満面の笑顔で返すと、彼女はわざとらしく大きなため息をついた。
「あんたはもー、そんなぼーっとして、ほんとにあの高校やってけてんの?」
「あ、うん。大丈夫、大丈夫」
「外見的には高校デビューなんてしてないみたいだけど?」
上から下まで見られてあたしは肩を竦める。髪型も変えて、悪目立ちしない程度に薄化粧もして、中学の時よりも、もてそうな外見になったあーちゃんとは対象的に、あたしは中学生の時と着ている制服が変わっただけだった。
「リア充デビューするよ、なんて言ってたのは誰だっけ?」
「外見と生活は関係ないもん」
ぷくっと膨れて言うあたしに、あーちゃんは呆れたようにため息をついた。
「じゃあ、その生活とやらはどーなのよ」
「ぼ、ぼちぼち……」
俯いてポテトを口に放り込みながら小さい声で呟くと、あーちゃんは机に肘をついてこちらを見る。
「高校……っつーか、環境が変わる時なんてさー、最初にどれだけどういうポジションにつけるかが八割型そこでの生活決めんのよ。後から修正することがまったくできないわけじゃないけど、グループ変えたり、立ち位置変えたりすんのって、やる気出したところですんごい難しいんだから。て言ってももう遅いんでしょうけど」
ごもっともな意見にあたしはただただ小さくなるしかない。
その時、机に置いていたあーちゃんの携帯がブーッと震えた。手にとって確認をすると、あーちゃんはぱっと顔を明るくする。
「彼氏?」
「に、したいなと思ってて、今いい感じで、来週くらいには多分彼氏になってる人」
「はやっ!」
片手でものすごいスピードで何事か打ち込んでから、また携帯を机に置いて顔を上げた
「こー言うのは需要も供給も高まる出会い頭が大切なのよ。後からどうこうするより、断然楽なんだから。思い立ったら行動しなきゃ」
言ってる事と言葉は強気でサバサバとしているが、はにかむように少し頬を染めて笑う彼女は完全に恋する女の子だった。すごい幸せそうで可愛くて、思わずあたしも笑顔になる。
「イケメン?付き合い始めたら紹介してね」
「そしたら、ヤツの友達も呼んであんたに紹介するわ」
「えー、いいよぉ……。それに、あたし、夏からはちょっと忙しいもん」
「どーせあの小説のアニメが始まるからでしょ」
うん!と頷いて、最新情報を彼女に話そうとしたところで、
ぱちりと夢から目が覚めた。
「おはようございます。よくお休みでしたわね」
「あ、うん、おはよう」
ゆっくりと起き上がると、すでに身支度を始めていたエレノアがそれに気づいてこちらを向き声をかけてくれた。
「……ずっと起きてたの?」
「いえ、カナさんが寝られて暫くは起きてたんですけれど、さすがに私もちゃんと休みました」
彼女は昨日着ていたものと違う色のインナーを身につけている。
「それ、起きたらドアの近くに置いてありましたわ」
ベッドの足下を見ると、替えの下着と靴下やインナー、それから身体を拭く用であろう水の張った洗面器とタオルが置いてある。
「せっかく本部に帰ってきたんですからゆっくりお風呂に入りたいところですわね」
「そうだねぇ」
ただ、こんなに用意してくれているのだから贅沢は言えない。彼女の方を見ると、きちんと月のもの用品も用意されているようだ。
「エレノアのところのメイドさんが持って来てくれたの?」
「いいえ、私も待っていたのですけれど、最後は眠ってしまって。起きたら置いてありましたわ」
そう言うと彼女はそれを一つ手に取る。
「でも、確かにこれらはあたしのものですの。彼女がそうそう簡単に私の下着などを他人に預けたり、ましてや部屋に勝手に入らせることなどさせないと思いますから、そう考えると彼女が来たと思うのですけれど」
なんだか納得のいかない様子で考え込んだエレノアを横目に、あたしもまだ着替えてない下着などを見る。それらは確かによく見慣れたあたしの持ち物だった。誰が部屋に入ったのだろう、アリサだといいんたけどな……。
「でも、やっぱりあたしが感じてる違和感は正しいのかもしれません」
「どういうこと?」
首を傾げるあたしに、エレノアが口を開きかけたところでノックもなく部屋のドアが開いた。やや睨むような勢いで振り返ったエレノアと共にそちらに目をやると、昨日あたし達を捉えるように指示を出した司令部の人が、じろりと冷たい目でこちらを見ていた。
「エレノア・シャウムブルク部隊員は用意が出来ているようですね。では、これから審問を始めますのでご一緒に来てください。カナ部隊員に関しては、エレノア部隊員の次に行います。時間は一時間ほどあると思いますが速やかに支度を済ませて待機をしてください」
何かを言いかけていたエレノアは歯がゆそうな顔をしつつ、大人しく立ち上がる。
「カナさん、それではまた」
優雅に礼をすると、手錠こそかけられないものの体の大きな男性二人に両脇を固められ、エレノアはこちらを振り向くことなく部屋を出て行く。
バタン、と音をたてて扉が閉まるのをあたしは見つめ、そして部屋に一人ぼっちになった。
長くなってしまいました……




