へだてのない……②
「よしよし、よく頑張って我慢した!もう誰もいないから、いいよ」
今度は正面から抱きしめると、堪えてた声がやがて嗚咽に変わる。
ひっひっと咽に引っかかった声に時折咳を交えながら、それでも彼女はできるだけ音が大きくならないようにあたしの胸に顔を強く埋めた。
あたしより十数センチも身長の大きい彼女が苦しくないよう、あたしは目一杯背筋を伸ばして片方の手で彼女の頭を抱え、反対の手であやすように背中を叩く。
五分はそうしていただろうか、やっと少し落ち着いた彼女は俯きながらあたしから身体を離した。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼女にとりあえず作業着のポケットに入っていたハンカチを渡す。使うのを少し戸惑ったカイリーに、いいからと笑いかけると彼女は遠慮なくそのハンカチで涙を拭いて、鼻をかんだ。
「ご、ごめん、なんかここに帰ってきたら、実感しちゃって……」
ずずっと鼻をすすりながら言う彼女に、あたしはただ頷く。
「会議中は我慢してたんだけど、カナの顔見たらなんかこうまた実感しちゃって、堪え切れなくてなって……」
向かい合って彼女の背中をさすっていると、目元にまたじんわりと涙が浮かんでくる。今度は顔をあげて、あたしを見たままぽろぽろと涙を流す。それを見てるとあたしも釣られて涙が出そうになって唇を噛んだ。先ほどまではなんて声をかけたらいいんだろう、何もわかってない自分が声をかけたって不快なんじゃなかろうかなんて躊躇していたけど、こうして近くにいて、やっと少しだけ彼女の気持ちがわかる。
「悔しい……ね」
あたしがぽつりと頷くと彼女はこくこくと頷いた。
彼女は失った悲みを感じていたり不安や恐怖におびえているわけじゃない。一緒にいた仲間が被害者になって、そしてきっと……
「私隣の部屋にいたのに……!マックが夕方、ちょっと体調が良くないって言ってたのも聞いてたのに!……本部なんか帰ってこないでもっと探してたかったのに……!」
守れなかったこと、ここに帰って来ざるを得ない状況でそれに従うしかない自分のことを悔いているのだ。
頭を抱えるように、綺麗な形の爪でおでこをかきむしる。「悔しい、悔しい」と引っ掻かれて、血こそでてないものの真っ赤に爪あとがついたおでこを見て、あたしはそれを止めさせるために彼女の両手を奪って握り締めた。ぎゅっと力をこめると、彼女はその手を見るように下を向く。
「カイリーはマックを見捨てたわけじゃないよ」
大粒の涙を流す彼女の瞳に少しでも届くように、じっと目を見て、言う。
「マック、まだ死んだと決まったわけじゃないもの。これから、みんなで作戦練ってこの事件を解決するんだよ。カイリーが一人で無理するよりぐっと見つけられる可能性はあがると思う」
月並みな言葉だけど、彼女の気持ちを撫でることができるよう、努めて優しく言う。それでも「みんなでマックを助け出す」とは言えない。何をできるわけでもないあたしに、こういうところで期待を持たせる権利はない。
大きく胸と肩を上下させて息をする彼女の手を握り見つめ続けると、最初は早かった呼吸のペースが少しずつ落ち着いていく。
「ごめんね」
ようやく胸があまり動かなくなったところで、大きく深呼吸をすると、カイリーは搾り出すようにそう言った。あたしは少し笑って首を振る。そもそも、あたしが偉そうに言えた言葉ではない。
「ここでぐずぐずしてる暇なんてないよね。これからの準備、しなきゃ……」
カイリーは既に鼻水でぐちゃぐちゃになったハンカチを折りなおして再度大きく鼻をかむ。目元と頬ははごしごしと擦って涙の後を消した。
「ね、カナ。マック、大丈夫かな」
そう呟いたカイリーが、いつも口癖のように言ってた「大丈夫だよ」という言葉を期待していたのがわかり、そのまま口に出そうと開きかけて止めた。
確信を持っていた時とは違って、今、この先のことを何も知らないあたしにはその言葉は誠実でない。もし口にできたとして、言葉は一緒であっても彼女が求めているような返答として返してあげられないような気がする。
「……一緒に頑張ろう」
そう言うとカイリーは少し驚いた後、少し悲しそうに微笑みながら大きく頷いて立ち上がった。
「そだね。顔洗って、マシになったら司令部戻る!ありがとう!あのね、カナにお願いがあるんだけど」
「なに?」
「ウィルもたぶん辛いと思うから探して、大丈夫……あ、じゃなくて、頑張ろうってしてあげてもらってもいい?」
その言葉にうん、と頷くとカイリーは歯を見せて笑う。
「じゃあ、あたし行くね!」
たっと飛び出すように走っていく。彼女の揺れる長い黒髪が見えなくなるのを待って、あたしは非常階段を覗き込む。
「だって」
そう話しかけると後ろを向いていた背中がびくりと揺れた。茶色の頭がゆっくり振り返ると紫色の目がこちらを見る。
「……気づいてたんですか」
「うん。こう見えて、最近色々鍛えられてるから、あたし。カイリーは感情が高ぶってて気づいてなかったみたいだけど」
笑顔で言うと、振り返ったウィルはバツが悪そうに肩を竦めた。
「カイリーが心配してましたよ」
「こっちが心配してるんだって言うのに」
少し拗ねた様子で前髪をかきあげる彼の手元が目に入る。右手の小指の付け根あたりの甲が大きく真っ赤に擦れている。戦闘で怪我をしたのだったら手当てをしているだろうし、先ほどそんな傷は気づかなかったから、これはきっと彼が珍しく何かに当たった痕なのだろう。あたしはそれを見て見ぬフリすることにした。
「ありがとうございました。俺がたぶんあれをカイリーに言って聞かせても、司令に従わざるをえないことへの取り繕いにしかならなかったから」
「あたしが言っても、同じだよ。それを、きちんと、いろんな清濁あわせ飲んだのはカイリー自身の強さだよ」
そう言うとウィルは、カイリーが走って行った方を見る。
「俺も、頑張ります」
「うん。あたしも、これから出来ることする。マックのこと、お願いね」
お互いに瞳に不安の色を残しながら、なんとか笑い合う。
「戻ろうか」
「はい」
そう言うと、彼は赤い痕のある右手で、あたしの手を取る。軽く握り返すと、あたしの指先に当たる手の甲は明らかに熱を持っていて、表には見えない彼の心にたぎる怒りや悔しさを表してるようだった。




