恋と自分
「と、いうわけで、ビシバシ行くわよ」
腰に手を当てたアリサが言う。いつも来ている隊服を脱ぎ、柔らかそうな素材の黒のTシャツと、ストレッチの効いた細身の青いストレートパンツ姿で、髪の毛はざっくりとポニーテールにしている。こういうシンプルな服が似合って格好いいのはやっぱり前の世界で言う外国人体型なんだなぁと実感させられる。一方のあたしは安定の灰色スウェットだ。
「うう……運動とか自信ないのに……」
「んなこと言ったって司令部長に直接話がいっちゃったんだもの。仕方ないでしょ」
「ちょ、アリサ、タンマ!いたっ、痛いっ!」
アリサに容赦無くぐいぐいと背中を押されあたしは慌てて声を上げた。
ここはイーリス治安部隊本部にあるトレーニングルーム。今まで誰かを探して入ったことはあるけれど、実際に使用するために中に入ったのは初めてだ。男女別の小さなロッカールーム、ランニングマシーンやバーベルなどのトレーニング器具が置いてある大きいホールの他、学園で使ったのより規模の小さい魔法のトレーニング用の部屋が三つ、剣技などの実技用の部屋が五つあるらしい。
今は長期の任務で外に派遣されて駐在している人が多いこと、本部に待機してる戦闘職種の人は昼間のうちにトレーニングを済ませていることから、夕方六時を過ぎたこの時間以降は趣味で鍛えている人ぐらいしか利用しない。まだ通常勤務の終業時間からあまり時間が経ってないこともあって、あたし達の他には誰も人がいなかった。
「おおげさねぇ。ま、ストレッチはこのぐらいでいいか。じゃ、一個ずつ行くわよ」
ストレッチ用のマットから引っ張り立たされたあたしは大人しくアリサに従い、器具のところに向かう。腹筋用のその器具は、黒いベンチのようなところに足を引っ掛けるT字型のポールがついており、背をつける部分は頭がやや下になるよう傾斜が着いている。
あたしが寝転がって足をちゃんと引っ掛けたのを確認すると、横並びになっている同じ機械にアリサも寝転んだ。
「あれ?アリサもやるの?」
「見てるだけってのは暇だしね。腹筋くらいは一緒にやろうかなと。じゃ、行くわよ。いーち、にーい」
「わわわわっ」
思ったよりも速いペースについていけるように必死でお腹に力を入れる。
「そーいえばさぁ」
「っぅ、なぁ、なぁ!に?」
「……あんたは喋んなくてもいいから、聞いといて。ナースチャが来たじゃない?」
「だっ、だれ!?」
「アナスタシアのこと」
いきなり知らない人が出て来たので聞くと、ちょっと呆れた顔で返された。この世界、言語はほぼ世界共通で一種類だけだけど、外見や名前、風習といった部分での人種は色々あり、誰もがその事に違和感なく過ごしているからややこしい。お陰でどう見ても日本人のあたしがカナと名乗り、フランス人っぽいアリサと一緒にいても誰も何も不思議がらないのだけれど。
略称がステーシーやターシャでないあたり、アナスタシアさんはロシアかポーランド系の人なのだろうか。
「あの子、随分雰囲気変わったわよね」
「かみの、け、きった……から」
「だからしゃべんなくってもいいってば」
アリサが苦笑交じりで言うので、上体を起こしたタイミングであたしは頷いた。あたしはこんなに力をいれて苦しみながらやっているのに、同じ速さで腹筋しているアリサは余裕そうだ。彼女のことだから情報部員とはいえ、きちんと鍛えているのだろう。
「それもあるんだけどさ、随分迫力のある美人になったと言うか、本部に来てしゃべってる感じもしっかりしてたし」
同じ学年にいても話したことはないため、しっかりしていたかどうかはわからないけれど、学園にいた時に何度か見かけたアナスタシアさんはすでにかなりの美人だったと思う。なんせアリサと二大美女と言われてたくらいだからその記憶に間違いはないと思うが、仲が良かったアリサが言うのだから、その当時よりより一層綺麗になったのかもしれない。
「なんとなくさぁ、話し方とか仕事の仕方があたしに似てるなって言うか。勿論、私には及ばないんだけど、はっきり物を言う割りに相手に嫌な印象は与えず、うまくその気にさせて最終的に自分の持っていきたい結論に持っていく感じ?巧妙って言うかなんと言うか……。前は静かで内気でいじいじしてて、どっちかって言うとあんたっぽい感じだったのに。はい、ごーじゅう」
最後の一回をプルプルしながら終えると、あたしは後ろに倒れて脱力した。
「このぐらいでへばってどーすんのよ」
余裕綽々な顔をしたアリサは器具から立ち上がると、今だに仰向けになっているあたしのおでこをぽんぽんと叩いた。
「うー……ていうか、自己評価高すぎて、あたしの評価低すぎじゃない?」
「そう?妥当な評価だと思うけど」
あたしそんなにいじいじしてるかしらと口を尖らせると、早く起きろとばかりに腕を引っ張られた。彼女の力を借りて起き上がると、手をつながれたまま隣の器具に連れて行かれる。
「でさ、印象違うな~と思ったから、何かあったの?って聞いたのよ」
てきぱきと器具についた重りの量を調整すると、座るように促された。どうやら座った状態で、重りにつながった丸いクッションのようなものを脛に引っ掛け、足を伸ばすように持ち上げるようだ。
「レッグエクステンションね。じゃ、これは三十回。はい、いーち」
一度あげてみるとかなり重たく感じるが、なんとか持ち上げられる重さではある。
「だめ、もっとゆっくり下ろしてくる。やりなおし、はい、いーち」
「ええええええ」
「文句言わない。はい、にーい。でさ、そしたらアナスタシアが目キラキラさせて、憧れの人に近づけるように自信持とうと思って、頑張ってるんだって言ってて」
アリサは嬉しそうな顔をして笑っている。この器具を使った筋トレはやらないようで、もう一台の同じ器具に腰掛けると、足をぶらぶらとさせた。
「やっぱ恋すると人間変わるんだわぁ、なんて思っちゃって」
「お、おばちゃんくさいよ」
「誰だろねぇ、憧れの人って。やっぱりカナの言ってた教授かしら」
「ベ・・・ルグ教授?」
「そーそー。その人。私達が学園いた時にはいなかったから、どんな人かわかんないのよね。でもアナスタシアが一回卒業して家に入ったのに、また高等部に行きたくなって受験した上で着いていくって決めるような人なんでしょ」
「え!?」
アナスタシアさんは高等部にそのまま進学したと思ってたので、改めて高等部を受験したと言うのをはじめて聞いて驚く。驚いたあたしを見て、「そういや、あんた学園にいた時には話したこともなかったんだっけ」とアリサが呟いたので、頷き返した。
「あの子も結構古い考えを持つ貴族一家の娘だからさ、幼稚舎には手習いだって言われて通わされてたの。だから卒業して家に戻って、どこかに嫁ぐのかと思いきや……やっぱり研究したいって家飛び出して学園に戻ったらしいわよ」
「はー。すごいね」
「で、幼稚舎の授業では全然関係なかったのに、ちょうど帰ってきた今の教授の研究室にそのまま飛び込んだんだって。当時あの子から手紙が来た時は驚いたわぁ。お、さーんじゅっ」
それだけ喋ってて本当に正しくカウントできるのか不思議だが、彼女の事だから間違いはないのだろう。言われた通りゆっくり足をおろすと、あたしはふぅと息を吐いた。アリサはたちあがると、調節してくれていた重りを手早く元に戻してくれる。
「教授が好きで戻ったのか、戻ってから好きになったのかはわかんないけどさ、やーっぱ恋って人を変えるのね。で、カナはなんでウィル王子がいるのに変わってないのかしら」
「ちょ……ここトレーニングルーム!」
散々人の話しはしておいて、と言われたらその通りなのだが、こんな広いところで自分の話をされるのは恥ずかしい。ましてやウィルなんて元々のスペックから若手のエースとも、その出生と失踪事件から悪魔の血が流れる王子様としても本部内でも有名なのだ。興味がない人の方が少ないと思う。
「誰もいないんだからいいじゃない。慌てるってことは意識はしてるのね」
なおも話を続けようとするアリサに、渋々と頷く。
「よかったわ。未だになんでウィルの名前が出てくるの?とか言ったらトレーニングメニュー二倍にしてやろうかと思った」
「それはさすがにもう言わないけど……」
「でもさ、正直ウィルの何がダメなのよ。イケメンだし、あんたには優しいし、長男ではないとはいえ魔法大国の王子様だし、仕事も出来る。まぁお母さんのことは気になるかもしれないけど、それを除けばすごい優良物件がずーっと一途にアプローチしてくれてんのよ」
彼女にもっともなことを言われてあたしは苦笑いを浮かべた。憧れていたかっこいい主人公に好きだと言われて、漫画か乙女ゲーでしかありえないような状況に置かれてるのに、手放しで喜べないのは何故だろう。その答えは最近いろんな人に触れてなんとなくだけど感じているのだ。
「……たぶん、釣り合わないからかな」
ポツリと呟くと、アリサに「はぁ?」と大きな声で呆れられた。大きく眉をしかめ、信じられないと言った様子でこっちを見ている。
「だってさ、言い方はどうかと思うけど、それこそアリサが優良物件言うくらいすごい人なんだよ。なのにこんなモブ……じゃなかった、平凡を絵に描いたような子を、普通好きになるかな。なんで、とか、どこが、とか思うと、やっぱり釣り合わないなぁって思って」
平凡を絵に描いたどころか、アリサの言うとおり内気でいじいじしてて、両親にもラースにも言われたけど人を頼れなくって逆に迷惑をかけたりするようなやつなのだ。一読者として小説を読んでいたとして、あたしみたいな子とウィルがくっついたら、ちょっとどころかだいぶ嫌だ。
ウィルにはカイリーやアリサみたいな強くて綺麗で美しいメインキャラか、もしくはあたしよりよっぽど転生主人公らしいエレノアの妹、イザベルみたいな子とくっついて欲しい。そういった子達が、何かの事件を力をあわせて解決して、彼に降りかかる災難も一緒に乗り越えて、そうして二人は結ばれて行く。物語とはそういうものじゃなかろうか。
そう考えると、なんだかちょっと悲しくなって俯くと、頭の上からアリサの大きなため息がふってきた。
「……ま、いいわ。ふさわしいふさわしくないとか、それはあんたの問題だからあたしは何も言わないわ。でも、普通って言うけど、隣に並ぶ気がないんだったらさっさとその旨伝えてあげるのが、普通、友達としての優しさだと思うけど」
至極真っ当な事を言われて、ガツンと頭を殴られた気分になった。あたしはまた自分勝手に物事を考えてしまっていたのだと思うと情けなくて恥ずかしくて涙が出そうだ。鼻の奥が痛い。自分が悪いとわかっていて受け止めているつもりなのに、どうしてこういうときに涙が出てしまうのだろう。こういうのが我慢できないところも情けない。
「あー、もう。ごめん。はっきり言い過ぎた。ほら、トレーニング再開するわよ」
アリサが俯いたあたしの目の前に手を差し出す。ちょうど仕事終わりらしき、トレーニングをするために人が入ってきたので、あたしは顔をあげて涙を飲み込んだ。へへ、と無理やり笑うと、アリサの手を取り立ち上がる。
次の器具に向かいながら、アリサにごめんねと言うと、アリサは何時もの様子で「別に」と返したあと少し間を置いて口を開く。
「案外、人を好きになる理由なんてたいしたもんじゃないと思うけど。それこそあんたにお似合いの平凡な理由だったりするもんよ。はい、これでこの話はおしまい!」
アリサはため息混じりに言うと、振り返ってあたしの両頬を手のひらで叩いた。
あたしはそれに頷くと、アリサの厳しい指導のもと、トレーニングを再開したのだった。




