羞恥心
シャウムブルク家を出てその日は実家に帰り、前回より多めにパンを貰って家を出た。
本部に帰るわけじゃないから、本部直通の魔法陣がある隠れ家でなくて公共の魔法陣を借りに施設に向かう。一応こそこそと向かわなくてはならない隠れ家と違い、大通りを歩けるため、ちょうど開店の準備をしていた服屋のおばさんに声をかけられた。
「カナちゃん、帰って来てたの?」
「おばさん!うん、もう帰っちゃうけどね〜」
「あらまぁ、忙しない子ねぇ……。来月のお祭りには帰ってこれるの?」
「あ、そんなのもあったっけ。考えてなかった」
「なんだい、カナちゃんもいい年頃の娘さんなのに……」
そういえば来月はゴウヒの王様の生誕祭がある。小さな国ではあるけれど、祝日とされていてこの街が一番活気に溢れる日だ。
サーカスや楽団が街にやってきて、お酒を飲んだり屋台を食べたり、みんなで歌い踊ったりする。町中が盛り上がっているからカップル成立率も高い。つまるところ、この町の若者のお見合いイベントみたいになっているのだ。
「そんな戦闘服みたいなのばかり来てないで、帰って来れそうだったらうちでドレス新調してね」
「うん」
ちゃっかり営業をするおばさんに手を振ると、あたしはまた歩き出した。
列車と区別するために、転送駅と呼ばれるこの施設は、騎士団の駐屯所の横にある。大きな国や友好国・学園などの移動者が多い場所に転送させてもらうことができるようになっており、列車よりは割高だが、時は金なりということで、利用者は少なくない。
駅によって繋がっている場所やその種類はまちまちだが、一応ここはゴウヒ国の王都にあるだけあって主要な場所には一回で転送移動できる。
管理の人に使用料を払い魔法陣の上に立つと、一瞬で学園の魔法陣がある部屋までついた。
学園側の警備員さんに挨拶をして、学園の中に入った。前回一度来たから、もう地図を確認しないでもベルグ教授の研究室まで歩くことができる。前回と同じ時間にでたが、今日は前より少し早めに着くことができた。
ノックをすると、女性の声で返事が返ってきた。ゆっくりと部屋のドアを開けると、今日もやっぱりアナスタシアさんしかいない。
「おはようございます〜」
「あ、おはようございます。カナさん」
何やら書類を整理していたらしい彼女は顔を上げると、持っていた書類を伏せておき、立ち上がって迎えてくれた。
「すみません、教授、まだ来てなくて」
「あ、いえいえ。あたしが早く着いてしまっただけなので、お気遣いなく」
前回と同じ丸テーブルを勧められたので、鞄を横に置いて腰掛けた。彼女はまた棚の方に戻って行くと、すでにガラスポットに出来上がっていたお茶をカップに注ぐ。湯気が上がっているから、きっとあたしが来るであろう時間に合わせて入れておいてくれたのだろう。
「本当、教授は子供っぽくて」
「子供っぽいんですか?」
「ええ。毎朝学園長のところに行ってるんですけど、何してると思います?」
アナスタシアさんは自分のデスクに置いていたカップも手に取ると、あたしには注ぎたてのお茶、自分には飲みかけのコーヒーを持ってあたしの向かいに腰掛けた。
「……研究の報告とか?でもそれじゃあ、ちゃんとした仕事ですね」
「学園長が最近飼い始めたワンちゃんを愛でに行ってるんですよ。もー、それで授業に来るのもギリギリになったりしてて、生徒に示しもつかないし、こっちとしては大迷惑です」
「あ、でも、授業受けた子に無茶苦茶だけど、すごい方なんだよって聞きました」
向かいに座った彼女は、コーヒーを一口含む。ごくり、と喉が鳴る飲み方からもう随分冷めてしまっているのだろう。
「受けた子って言うと……ウィルくんですか?」
「あ、はい。よくわかりましたね」
あたしが少し驚くと、彼女はにっこりと笑う。あたしのまわりはみんなそうだが、美女が笑うと言うのはどうしてこうも絵になるというか、迫力があるのだろう。
「あたし高等部でこの研究室に入ってから、幼稚舎で開講してる時はティーチングアシスタントしてるんです。受ける子もそんなに多くないし、最近の卒業生でイーリス治安部隊に行ったのたぶんウィルくんだけかなぁって」
「あ、そうなんですね」
「もー大変なんですよ。基本的に思いつきだから課題の準備物とか前日夜に変更になったり、レポートの採点補助だってテーマが難しい上に回答が一意でなかったり」
はぁ、とため息を吐く彼女につられて苦笑すると、ドアがやや乱暴に開かれる。
「たっだいま帰ったぞー」
「あら、教授、偉いですね。時間ピッタリじゃないですか」
ベルグ教授が帰って来たのを見たアナスタシアさんはやや小馬鹿にした言い方をしたが、すぐに立ち上がってお茶のセットがある棚に向かうあたり、彼女がきちんと教授を敬っている様子が伺える。
「やー、パン屋が来るんだからちゃんと帰って来るっての」
「カナさんの検査結果ってそんな興味深いんですか?」
「おーおー、まったくわかんないって点でな!」
どかっと今までアナスタシアさんが座っていた席に腰掛ける。やや睨まれてるような挑戦的な視線で見られると、元々の人相も相まってかなり怖い。
「カナさん怖がってるじゃないですか。彼女が悪いわけじゃないんだからあんまり威嚇しないでください」
アナスタシアさんはそう言いながら、淹れたてのコーヒーと一冊のファイルをベルグ教授に渡し、あたしの隣に腰掛けた。
「くっそー、こんな面白い被験者がいるってーのに……」
やや乱暴にファイルを開くと、首を傾げながら、がしがしとペンの背で頭を掻く。さっと忙しなく目を通していた時間は三分ほどだろうか。すぐに音を立ててファイルを閉じると、それを持ったまま立ち上がった。
「よし、パン屋、さっさと実験するぞ!」
「は、はい!」
怒っているのか、やる気が溢れているのか、いつも以上に乱暴なベルグ教授に引っ張られ、実験室のほうに連れて行かれる。後ろを振り返ると、研究室から顔を出したアナスタシアさんがにこにこと手を振っているのが見えた。
今回の実験室はかなり広く、日本で生きていた時に通っていた学校の体育館の半分はありそうだ。壁にはところどころ魔方陣が描かれていて、壁に触れると、ふわっとした抵抗があり、どことなく魔力が感じられる。
「で、パン屋は今どのくらいどんな魔法使ってんの?」
「えーと仕事で、感知と防御の魔法を使います。あとたまに回復・修復系も」
「魔道具作ったりとかは?」
「そんな高等なのは全然」
ベルグ教授は一つだけ置いてある壁際のデスクの上に腰掛けると、あたしがしゃべった内容をカルテのようなものに書き込んでいく。ちなみにあたしは立ちっぱなしだ。
「おー…じゃ、まぁあんまり使ってない攻撃とか強化とか移動系の魔法から使ってくか。あれだろ、お前ガリ勉で頭良かったって聞いたから呪文とか難しさとかもきっちり順番で頭に入ってんだろ。自分が使えるぎりぎり上限だと思うやつ唱えてみろ」
教授がデスクの上のボタンを押すと、サンドバックのようなものが現れた。これを標的に唱えろと言うことだろうか。自分が使えるぎりぎり上限と言われても、攻撃魔法なんて使ったこともないから判断が難しいものがある。あたしは取り合えず攻撃魔法と言えば火属性だろうと、手の平から火の玉を出す魔法を唱える。短い詠唱を終えると手のひらのすぐ近くからぼぅっと音がして野球ボールくらいの火の玉がすごい勢いで飛んでいく。火の玉は無事に標的に当たったが、防御の魔法がかかっていたのか、火の玉は小さく弾けてサンドバックにはなんの傷もなかった。
吸血鬼以降、魔力が目覚めた言われてからも、実家に帰って親に見せた時以外、仕事でしか使っていない。仕事で使うような魔法は今まで主任が作った魔道具に助けてもらって使っていたから、それ以外の魔法を試してみること、ましてや攻撃魔法を唱えるのは今回が初めてだ。人が使うのは学園時代もイーリス治安部隊に就職してからも見たことがあるけれど、本当に自分の手のひらから火が出て、自分でもびっくりする。
仁王立ちで標的に手のひらを向け魔法を唱える……憧れていたはずなのに、なぜだろう。
(は、恥ずかしい……)
この世界の人にとっては当たり前だから誰もそんなこと思わないとは分かっているのだけれど、いい年して何やってんのと言われそうで堪らない。思わずしゃがみこんで俯く。頬を押さえると熱いから、たぶん赤くなっているのだろう。
(でも……やっぱりちょっと嬉しい……)
手のひらの中で口の端があがるのが分かる。恥ずかしくて恥ずかしくて堪らないんだけど、湧き上がるこの高まる感じはなんと言ったらいいのだろう。
「おーおー、蹲ってどうした。つーか、全然余裕そうじゃねぇか。じゃ、もっと難しいやつ行け」
感情を落ち着かせる間もなくベルグ教授に言われて、あたしは一度深呼吸をして立ち上がる。口角があがるのを抑えつつ教授に言われるがまま、次は火炎放射機のような火、その次は火を刃物の形にして飛ばす、その次は……と続けること数分。
あたると広範囲に大爆発を起こす魔法を唱えたところで、なにも起こらなくなった。
「お、そこまでだな。じゃあ次行くぞー」
こうして、アナスタシアさんが迎えにくるまでの8時間、昼食を一度とっただけで休憩も取らずにあたしは魔法を唱え続けたのだった。