おみおくり②
「あ、や、えっと……」
「こんばんわ。……もしかして、これから何か用事がありますか?」
会いに行こうと思っていたウィルがいきなり目の前にいたせいで、頭が真っ白になってしまったあたしに、ドアの前にいたウィルは少し悲しそうな顔をして聞いてきた。
「あ、ううん。なんでもないの!どうしたの?」
「今日からまた長期の任務に出ることになりそうで。先輩に会えなくなる前に会いに来ました」
ウィルはそう言ってにっこりと音が聞こえそうなくらい、綺麗に微笑んだ。なんだか美人さんの完璧な笑みって凄みがあってちょっと怖い。
「あがってもいいですか?」
「あ、はい、うん。どうぞ!今帰ってきたところで片付いてなくて申し訳ないんだけど」
あたしが言い終えると同時に、ウィルはあたしの部屋に体を滑りこませる。
扉を支えていたあたしのすぐ横に立たれてじっとあたしを見下ろされた。
なんだか距離も近いし、なによりその視線が痛くていたたまれなくて、あたしは慌ててドアを閉めると、狭い部屋の真ん中にあるローテーブルの方に向かう。
「どうぞ、そこに座って。今お茶いれるね!」
「ありがとうございます」
昇進して部屋が変わったことによって使えるようになった備え付けのミニキッチンでヤカンを火にかける。24時に現場に向かうとかアリサが言ってたから、 いっそコーヒーとかのがいいのかなとドリッパーを棚から取り出しているのだけれど。
(め、めっちゃ見られてる……)
ローテーブルのところに座ってもらおうと、先ほど着席を勧めたはずなのだが、なぜかウィルは背後に立ってあたしの行動を見ている。先ほどの笑顔もそうだけど、やっぱり凄みがあって怖い。
「ウィル、どうかした?」
あたしは勇気を出して振り返ると、ウィルはまたにっこりと笑ってくれた。……気のせいだろうか、目があまり笑っていない気がする。
「いえ、気になさらないでください」
相変わらず笑顔のまま背後であたしの行動を見ている彼にどうしたもんかと思いつつ、あたしはコーヒーをいれた。
カップを二つ持って振り返ると、ウィルはローテーブルの方に行って、腰をおろす。今のは一体なんだったんだ。
「今日、学園に行ってらっしゃったんですよね」
「あ、うん。そうなの。アナスタシアさんってわかる?」
「はい、先輩と同じ学年のアリサの友人の方ですよね。あの手紙の嫌がらせに協力した」
やっぱり、あの手紙はウィルにとっては嫌がらせだったようだ。
「そうそう。その話、今日あたしも聞いた。で、今日そのアナスタシアさんの所属してる研究室に行ってなんか色々検査してきたの」
「へぇ、検査ってどんなことするんですか?」
「それがねぇ、最初は普通の問診だったんだけど、その後から酷くて。サウナみたいに暑い部屋で延々とロウソクに火をつけてはベルグ教授って教授に吹き消され、火をつけては吹き消されを繰り返されたりしてね……」
それが情けない話だがどれだけあたしの体に堪えたかを話すと、ウィルは笑って聞いてくれる。
手紙の件もあったから、アナスタシアさんのことの方が知っているだろうと思って名前を出したのだが、どうやらウィルは在学中にベルグ教授の授業を取っていたことがあるらしく、むしろ教授の方がよく知ってるそうだ。一通り今日受けた検査の話が終わると、今度は授業を受けていた時に出された無茶振り課題で苦労した話とか、教授が授業中に起こした突飛な行動について教えてくれる。今日一日実験に付き合っただけだが、どれもあの教授だったらありえないとは言えないことだった。
「体系立てて教えてくれるわけでもないし、やることが新しいすぎて授業の内容が載ってる参考書もないし、あと、年によって開講されたりされなかったりするから履修する人は少なかったですけどね。でも何でも仮説を立てて検証するという意味ではすごい勉強になる授業でした」
「へぇー、いいなぁ、あたしの時はなかった気がするなぁ」
「僕らが五年になる年に開講した時に、それまでどこかの鎖国している国で、幼少期の慣習と魔力について調べていて、しばらく授業は持ってなかったっておっしゃってましたよ」
中々みんなでいる時はあたしもウィルも良く話す方ではないから、こうやってゆっくり喋れて少し嬉しい。嬉しいけど、これから難しい任務に向かうと言っていたのにウィルは支度をしないでいいのだろうか。彼がここに来てお茶をしはじめてからすでに一時間は経っている。
「あのさ、ウィル、24時に現場に向かうって聞いたんだけど、準備とかしなくて大丈夫なの?」
「はい。派遣が決まってから先輩が帰ってくるまでに、全部すませておいたので大丈夫です」
「あ、そうなんだ。早いね」
「いえ。僕らは簡単な打ち合わせをして、装備を整えるだけなので。あ、でも先輩、疲れてらっしゃいますよね、もうお休みになります?」
「ううん、それは大丈夫」
あたしが首を横に振るとウィルは良かったと息をついた。確かに疲れてはいるけれど、折角ウィルが部屋に来てくれてるのに寝るとかできない。なにより、緊張してしまって眠たくもない。ん……折角?
「そういえば、先輩の職場、新しい方いらっしゃってましたね」
「あ、うん。ラース?」
「はい。あの銀髪のでかい人」
「そうそう。もともと極東支部にいたらしいんだけど、そこがとりあえず落ち着いたとかなんとかで、徐々に人を本部に戻してるみたい。あれだよね、司令部のマルサンさんとか前同じ部署だったって」
「はい、マルサンさんに色々聞きました」
毎日一緒に仕事しているし、昼食を取る時とか話はするが、正直、何年も一緒に極東支部で働いていたと言うマルサンさんより知ってることはかなり少ないと思うから、彼と話をしたのであればあたしがラースについて話せることなんてないと思う。なぜ今急に彼が話題に出てきたのだろう。
「そうなんだ。ラースがどうかした?」
「いえ……先輩と同じ職場で、いつも一緒で羨ましいなぁと思いまして」
ウィルになんでもないことのようにそう言われて、あたしは思わずカップを持ち上げた手を止めた。ゆっくり視線をあげると、彼はじっと真顔でこちらを見ている。
「あの……その……?」
「手放しで先輩と一緒にいられるなんて羨ましすぎます。俺だって出来るだけ先輩の近くにいたくて、頑張ってるのに。自分の生まれについて調べに行った時は、父親に課題として出された反乱分子を抑えろってのも、派閥作って分裂してる政務官とか騎士達を全部言葉と力でねじ伏せて忠誠を誓わせり、手っ取り早く組織に戻るために魔道具作ってもらって刺すってパフォーマンスしたり……どんな手を使ってでも無理矢理終わらせて、すぐ帰ってこようとできたけど、任務となるとチーム活動だからそうもいかないし」
彼は珍しく子供っぽい動作でぷくっと膨れた。そんな姿も綺麗でかわいい、ギャップ萌え。
(……じゃなくて!)
たしかに、小説では一年かかってやっと帰っくるはずのウィルの自分探しの旅は、今回二ヶ月で、しかもちゃんと王様の認知までもらって帰ってきていた。
彼曰くそれはあたしの近くにいたくて急いだと言う。つまり、あたしがいるせいで、思いっきり小説を捻じ曲げてしまっていたということだ。
吸血鬼事件が起きるべき時期に起きなかっただけで、すでに捻じ曲げてしまっているのだが、気がつかないところで主人公の出生とこれからに関わることまでもあたしが左右させてしまっていたと思うと、申し訳なくて小さくなるしかない。
そういえば、ウィルが悪魔になった時に息の根を止めるというあの針を刺すシーンは小説にはなかった。ということはもしかして、あれはあたしがいたことによって発生したものなのだろうか。あの時司令部で見た限りではあるが、今もあのままだとすれば、彼の左胸には大きな魔法陣が浮き上がっているし、彼の体の中には魔法の針が入っていて、彼が悪魔になれば針は心臓を突き破ってしまう。
(どうしよう、あたし主人公をとんでもなく傷物にしてしまった……!!)
申し訳なくて真っ青になって慌てるあたしを、ウィルが心配そうに見てくる。
「どうしました?」
「あ、あの!ごめんね!そんな理由で、あたしのせいで、ウィルの大事な体にその……」
わたわたと慌てるあたしとは対照的に、それを聞いたウィルは一度目を見開いてから苦笑する。
「……そっちですか」
「そっち?えっと、あの……本当にごめんなさい」
呆れたようにため息をつくウィルに、とりあえず土下座するために頭を下げようとすると、彼はあたしの座ってる方にぐっと近づき、肩にそっと手をあててそれを止めた。
「いえ、そういうつもりで言ったんじゃなくて。あの、これは組織に戻るために必要だっただけなので謝るのやめてください」
そうは言うが、そんなシーンは小説にはなかったのだ。主人公の体に魔法陣があるなんて設定、描写されない方がおかしい。
挿絵にも関わってくるし、アニメ化が決まっていたのだからもし万が一サービスショットでシャワーシーンとかがあったとして、いきなり主人公の左胸に刺青みたいなのがあったら、何の伏線だってネットが騒がしくなるに違いない。
そう考えると、やはりあたしがいたせいで物語が変わってしまったと考える方が正しいと思う。
「ううん。本当、ごめん……。あたしのせいだよ」
「だから違いますって。いやでもまぁ、先輩のせい……なのかな」
「ほら!どうしよう、どうしたらいい?アムネムさんとかにお願いしたら取り出して貰えたり……」
「そうじゃなくて。さっきから言ってるんですけど、おれが早く帰りたくて仕方なくなったのは、先輩のせいですってことなんですけど」
わかります?とウィルは笑ってあたしの顔を覗き込む。久しぶりにとても近くで見た紫色の瞳がキラキラと嬉しそうに輝いている。さっきまでは申し訳ない気持ちでどう償おうかばかり考えていて頭がいっぱいだったが、いつの間にかものすごい近くにいることに気づいて顔に血が集まるのがわかる。
「ええと、つまり……?」
首を傾げて返す言葉のないあたしに、彼はいっそう笑みを深めた。
「俺が先輩を好きで好きで仕方が無いってことです」
にっこりと笑って彼の顔が近づいてくる。思わずぎゅっと目をつむって少しあとずさると、すぐ近くで彼が笑ったのがわかった。おでこに柔らかいものが触れたあと、離れる時に小さくちゅっと音がする。びっくりして目を開けると、少し顔を赤らめて照れ笑いをするウィルの顔がすぐ近くにあった。
「そうかそうか。あんなにはっきり好きだって言って意識してくださいってお願いしたのに、任務から帰ってきたら普通になかったことにされちゃってたから、意図的にそうしているのかと思ってました。そうですよね、先輩ですもんね。あんだけ何度も遠回しに言ったり触ったりしても意識してくれることなかったのに、一回はっきり言ったくらいでわかってくれるはずないですよね。先輩の鈍さを舐めてました、すみません」
にこにこと笑いながら彼はえらく上機嫌であたしの髪を撫でている。当のあたしは、たぶんデコチューされたこととかいまだに彼に触られているせいで、頭は沸騰しそうだし心臓は弾けるんじゃないかというぐらい早く鳴っていて、結構ひどいことを言われてるのはわかるんだけど、ただ慌てることしかできない。
「やー、よかった。正直はっきり断って貰おうと思ってきたんですよ、今日。先輩、俺またしばらく任務に出ちゃいますけど、帰ってきたら今度はただただ待ってるだけじゃなくて、もっと先輩にもわかるように、ちゃんとガツガツアプローチしますから」
彼は一人うんうんと頷くと、あたしの髪を一房すくい上げて、そこに口付る。
「俺の気持ちが伝わったら、はい、か、いいえか教えてくださいね」
前々世のあたしだったら間違いなく写メを撮らなかったことを後悔するであろうレベルのそれは見事な満面の笑みを見せたあと、そう言い残してウィルはあたしの部屋を出て行く。
残されたあたしはただ呆然と閉まったあたしの部屋のドアを見つめるしかなかった。
あれ?甘くならない……。
肉食系宣言です。