ぼこうがえり
目的の部屋の前に着き、念のため教室番号を確認しようと鞄の中に入れた紙を探していたら勝手にドアが開いた。驚いて目を瞬かせていると、中からショートボブの美人が顔をのぞかせる。
「いらっしゃい、カナさん。ご足労頂いてすみません。お久しぶりです。覚えてますか?……というかご存知ですか?同級生だったアナスタシアです」
「あ、もちろん存じ上げておりますです!カナです!」
慌てて頭を下げると、彼女はにっこりと笑ってあたしを研究室の中に迎え入れてくれてくれた。ご存知ですか?の言葉に慌てて、存じ上げておりますと言ってしまったが彼女は特に気にしていないようだ。学生時代まったく接点がなかったから、あたしとしては向こうがあたしを知っている様子だった事もやや驚きである。
研究室の中は、十畳くらいのスペースに幾つかの棚と手前に丸いテーブルが二つと奥にデスクが三つあった。清潔感のあるそこは、研究室というより小さなオフィスのようだ。一番奥のデスクだけ背面が大きい革張りの高そうな椅子だから、きっとあそこが教授の席なのだろう。
「そこにおかけください」
丸テーブルの一つを勧められ、あたしは遠慮がちに浅く腰掛けた。
「今コーヒー入れてきますね」
そう言うと彼女はあたしに背を向け、デスクの方に向かっていく。
白衣の下で、細いスキニーパンツとピンヒールを素晴らしいスタイルで着こなす彼女の後姿は、記憶にある以上に大人っぽくセクシーになっていた。学園にいた時には腰ぐらいまであった長かった栗色の髪も、今はショートボブに切りそろえられ、彼女のスタイルの良さを際立てている。
「髪の毛切ったんですね」
そう言うと彼女は恥ずかしそうに笑う。
「最近やっと慣れてきたんです。研究してる時、長い方がまとめられて意外に邪魔じゃなくてよかったなって、切ってから気づきました」
「でもすごいお似合いです。出来る女性って感じで」
「本当ですか?ありがとうございます。カナさんは伸びましたね」
「あ、学園にいた時は短かったですもんね」
彼女がコーヒーを入れてくれている間、たわいもない世間話をしていると、いきなり大きな音を立てて部屋のドアが開けられた。
「あ、先生。お帰りなさい」
入ってきたのは30前半くらいの男性だった。お兄さんと呼ぶのは苦しいが、おじさんと呼ぶには少し憚られるぐらいの。いかにも研究者と言った風の無精髭を蓄え、伸びた髪の毛を後ろで短く束ねている。目つきは鋭くて、前傾姿勢かつポケットに手を入れて歩くその姿はなんとなく獣のような雰囲気で、ちょっと怖い。
「ナー、コーヒー」
この室内でどうしてその必要があるのか、どかどかと大股で奥のデスクまで歩くと、この部屋で一番座り心地が良さそうな椅子に乱暴に腰を下ろした。高そうな椅子が音をたてて軋む。
その椅子に座ったということは、もしかしなくてもこの人が教授なんだろうか。
「はい、かしこまりました。あ、先生、こちら、イーリス治安部隊から来てくださったカナさんです」
アナスタシアさんは、すでにカップについでいた二つとは別にコーヒーをもうひとつ入れてすぐにその教授のデスクに置くと、あたしの方に向き直って紹介をしてくれる。その言葉に、軽く立ち上がりって頭を下げるとその人はあたしにはじめて気がついたかのような目線を向けた。
「おー、お前があれか!突然変異っていう奴か。あんまり小さくて存在感ねぇからわからなかった」
「先生!」
アナスタシアさんに叱られても、気にせずがははと笑う彼は、その外見とは違って明るい人のようだ。
「カナさん、こちらがベルグ教授。こんな感じで粗雑で子供っぽくてデリカシーとかなくて時間にはいい加減なんだけど、魔力自体の研究を専門にされてて、その道じゃ凄い方なの」
「ナー、お前今紹介するふりして本人の前で悪口言ってんだろ」
どうやら、アナスタシアさんは教授にナーと呼ばれているようだ。
「事実を述べたまでですよ。今日もカナさんが来るから、準備もあるし、9時までに研究室に戻ってきてくださいって言ったのに、全然帰っていらっしゃらないし」
「学園長に捕まってたんだからしゃーねぇだろ」
大きくため息をつくアナスタシアさんに教授はバツが悪そうに頭を掻いた。
アナスタシアさんはその様子を呆れた目で見ながらあたしの前にコーヒーを置いて、丸テーブルの椅子の一つに腰を下ろす。
「それもどうだか。カナさん、遅くなってすみません」
「いえ、あ、そうだ。これ、よろしければ……」
「なんだなんだ!」
あたしが紙袋を差し出すと、教授がコーヒー片手にこちらに来た。アナスタシアさんが手を伸ばしてくれたが、彼女が受け取る前に、教授が横から攫って行ってしまう。
「お、パンだ!」
「私の実家がパン屋営んでまして。今日実家から来たので、お口に合うかわかりませんが持ってきちゃいました」
「こちらがご協力いただくのに、すみません……」
「お、うまい!」
勝手にもぐもぐと食べ始める教授を睨むと、アナスタシアさんは先ほど以上に冷たい目線を向けると、そのまま教授のデスクまで歩いて、ファイルを手に戻ってきた。本部の第三研究室で見たものと同じファイルだと思う。
「教授、いくら今日は丸一日ご協力頂けるとはいえ、そう何度も来ていただけるわけではないのですから。それ食べたら、ちゃんと始めてくださいね」
有無を言わさない感じでファイルを教授に押し付ける。ちょうど最後の一口を食べ終わった彼はファイルを受け取るとあたしの前に腰をおろした。
「じゃ、まー散々おたくのところでも聞かれたとは思うけど、まずはちょっと問診させてね」
白衣のポケットから万年筆を出してファイルを開いた彼は、先ほどと打って変わって真面目な顔になる。その目つきはやはり獲物を狙う獣のようで、あたしは少し怯えながら、おずおずと頷いた。
その後は場所を変え、催眠療法みたいなカウンセリングやなんか器具をつけての計測……から始まったのはいいのだが、体力測定と称したシャトルランや、ストレス耐性テストと称してサウナみたいな部屋で永遠と蝋燭に魔法で火を付ける作業、全く魔法が効かない玉に魔法をかけ続ける作業など、謎な実験にいろいろ連れ回され、研究室に戻った時にはすっかりあたりが暗くなっていた。いつも本部内で運動もせず、保安検査の時に簡単な魔法を使うだけのあたしは、体力も精神力のがっつり削られて、最後はアナスタシアさんにひきづられるように移動していた。ステータスバーがあるなら、HPもMP真っ赤に違いない。
「お疲れ様です」
「あ、ありがとうございます」
ぐったりとしたあたしに、アナスタシアさんがお茶を出してくれる。ちょっと変わった匂いがするが、ハーブティーだろうか。口をつけると暑くなく冷たくもなく飲みやすい温度で、ほんのりと甘い。その美味しさに、ちょっとHPが回復した気がする。
「あれ、教授は……」
「早く実験結果を揃えたいみたいでまだ実験室に。あ、でも今日の実験は先ほどので終わりだとおっしゃってたので、カナさんはもうお帰り頂いて大丈夫だと思います」
そう言うと彼女は自分のデスクから小さな卓上カレンダーを持ってくる。
「次の日程だけ頂いてもいいですか?」
「あ、はい。どのくらいの頻度できたらいいですかね」
「イーリス治安部隊からは本業に支障が出ない程度にと伺ってますので……二週間間隔とかで来ていただいても大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ21日に。時間は今日と同じでお願いします」
道はわかるからいいと断ったのだが、送ると言ってくれた彼女と一緒に、門の近くの転送陣がある部屋まで歩く。
「そういえば、アリサは変わりありませんか」
「あ、仲良かったですもんね。たぶん、相変わらずな感じですよ。あまり会ってませんか?」
「そうですねぇ、幼稚舎を卒業してからはまったく。まぁ、月に何通も手紙のやりとりがあるんで、そんな会ってない気もしないんですけど」
アリサ宛にそんなに手紙が来てただろうか、とあたしが首を傾げたのを見て聡い彼女はすぐにわかったのか、いたずらっぽく苦笑した。
「学園がイーリス治安部隊に協力してまして、報告書というか情報のやり取りをしているんです。ついでだからその報告書に同封して、プライベートなこともちょこちょこやりとりしてるんですよ」
確かに、書類っぽい包みなら司令部に所属する人はみな日に何通も受け取っているから、あたしが気にしてなくて気付いてなかったのかもしれない。
「そうそう。ウィルくん…あ、ウィルくんってわかります?二つ下の学年の子。しばらく彼宛に綺麗な封筒で送るように言われたことがあって。なんか任務に関連してるのかなと思って聞いたら、イタズラだとかって。あの子普段は大人なのに、そういうところ子供っぽいですよね」
クスクスと子どもっぽく笑いながら、彼女は言う。
「じゃあ、あの手紙って……」
「あ、そうですよね、カナさんメール室ですもんね。そうそう、あれ、アリサのイタズラなんです。なんでも治安部隊の中にウィルくんのすごい好きな子がいて、でもその子が全然ウィルくんに興味ないみたいで。意識してもらおうって誰かが発案したことらしいんですけど、結局目の前でラブレターが届いてるのに、その子すごい淡々としてたらしくて。ヘコむウィルをがっつり笑えたわ〜ってアリサが手紙に書いてたから成功したみたいですよ」
後輩にそんなことして、バカですよね、と笑う彼女にあたしはなんて返していいのかわからずとりあえず頷く。手紙のやりとりをしていたと思っていたのがあたしの勘違いだとわかって、あたしはなんとなくほっとしたような気分になっている自分に少し驚いた。あたし、ウィルのプライベートだから気にしないって言ったし、自分でもそのつもりだったけど、実は気にしてたのか。
「じゃあ、あたしはここで。お気をつけて」
「あ、はい。ありがとうございました」
魔法陣の部屋まで送ってくれた彼女に頭を下げると、彼女は「またお願いしますね」と言って、もと来た道を帰っていく。その姿をしばらく見送ってからあたしは学園に続く魔法陣に向かう。
『ウィル君のすごい好きな子がいて……』
転送陣を発動をさせている間に彼女の言葉を思い出してしまい、顔に血が集まるのがわかって、まずいなと思う。
案の定、本部についてすぐ顔を合わせた魔法陣警備のおっちゃんに、あたしはひどく心配されてしまった。




