エピローグ1
目を開けると、すぐそばにウィルの綺麗な顔があった。
「…!先輩!」
あまりの近さに驚く間もなく強く抱きしめられる。彼のサラサラの髪が顔にかかってくすぐったい。耳のあたりにあたる彼の頬が濡れていて、泣いているのがわかる。あと、隊服の金具が肌に刺さって痛い…ん?痛い?
「ぎゃー!服!服!」
「わ!あっ!」
ウィルが慌てて隊服の上を脱いで、あたしに着せるとすごい早さでボタンまで留めてくれる。彼が離れたことで自分の状況を確認する。よかった。どうやらパンツだけは履いてたみたいだ。いや、よくないんだけど。
「あの、あたし…」
頬っぺたをつねってみると痛い。周りを見ると、意識を失う前に見た白い部屋の方にいるようだが、真ん中のベッドにあの女性の姿はなかった。
そうだ、エレノアの妹も…!と思い出して、檻があった方を見ると、ちょうどエレノアが彼女を救出しているところだった。すっかり痩せこけて、肋骨も浮き出るどころか、眼球の大きささえよく目立つようになってしまった彼女も裸の状態で、エレノアも自分の上着を着せてやり、スカートを破って巻いてあげていた。
「大丈夫ですか?怪我とか…どこか…」
ウィルがそう言って一度着せてくれた服の中まで確認をしようとしたので、慌ててその手を抑えて「大丈夫」と答える。逆さ吊りにされていた跡は足首についているようだけど、短い時間だったのだろう。痛みはなかった。
「あいつは…?」
「あの男なら、さっき隣の部屋でしっかり焼き尽くしておきました。あと、僕らが突入した時に、そこの真ん中の女の死体だけ連れて逃げようとしたので、それはマックとカイリーが結界を張って、今本部に運んでます。ついでに研究班とか連れてきて、ここの見分を始めるでしょうから、彼らが戻ってきたらここは任せて本部に帰りましょうね」
座ったままのあたしの横に回りこんでしゃがみ、片手で腰をだくと、もう片一方の手でよしよしと頭を撫でてくれる。
(そっか…あの死神に言われたとおり、あたし助かったんだ…)
そう思うと、鼻の奥がツンと痛くなって涙が出てきた。
「怖かったですね。でももう大丈夫です。もうちょっとしたら出られますのでちょっとだけ我慢してくださいね」
そう言って腰を抱く手に力が入り、より一層あやすように頭を撫でる。違う。違うのだ。あたしは嬉しくて、安心して、泣いているのだ。そう言おうにも言えなくて、あたしはしばらく嗚咽をあげていた。
こうしてあたしの転生やり直しは見事に成功したのである。
その後、ウィルの言葉通りに、十数人くらいの隊の人たちを連れて、カイリー達がきた。その中にはガルデンさんも混じっている。
「「カナ!」」
走り寄ってきたマックとカイリーに無事を確認されて、彼らも抱きしめて喜んでくれる。カイリーは替えのスカートと靴も持ったきてくれたのでそれも借りた。上着も持ってきてくれたんだけど、みんなの前で着替えるのはどうかと思い、ウィルのものを借りたままにすることにした。
ウィル達から何言か引き継ぎをうけると、マックとカイリーは研究班に指示を出す。バタバタと慌ただしく、十数人が吊るされたままだった死体をおろしたり、隣の部屋を捜索しはじめる。
見分が始まったのを見届けるとウィルはあたしを支えて、吸血鬼の棲家を出た。エレノアの妹はガルデンさんが一緒に送って行くようだ。
外はすっかり明るくなっていて、朝日が眩しくて目が痛い。見覚えのある街並みでここがアズサだってことはすぐにわかった。ただ、あたりを見ても何処だかはわからないから街の外れか、普段来ない裏町の方なのだろう。
「近いですし、一度ご実家によってかれますか?」
「あ、うん。あー…そうだよねぇ」
ウィルの聞かれて、父母にとってはあたしはパンを届けに行ったまま一晩帰ってこなかった状況なのだと思い出す。心配をかけてしまっているか、お母さんのことだから無茶苦茶怒っているかもしれない。あたしの顔が曇ったのを察知してか、ウィルがぎゅっと手を握ってくる。
「ご実家には昨晩からアリサが説明に行ってますので、大丈夫ですよ」
何時の間に先輩からアリサ呼びになったのだろうなんて、どうでもいいことが気になるが、聞くわけにもいかない。黙って頷くと、ウィルがあたしの手を優しく引っ張って歩き出した。
「あら、おかえり」
勝手口を開けるとお母さんが顔だけこちらに向けて出迎えてくれる。さも普段通りと言った様子で、いつもと変わらずパン作りをしている姿にちょっとずっこけそうになった。
「あんたねぇ、任務でこっちきてて言えないんなら言えないでもいいけどさ。もうちょっと心配かけない方法があったんじゃないの」
「しょうがありませんわ、お母様。カナさんが関わっていたのは極秘任務で、彼女しか知らない情報も多いんですの。でも、彼女はそれを見事に解決に導いてきた我がイーリス治安部隊のエースですよ」
「ちょっとアリサちゃんから聞いたけど、あんた、なんかすごい仕事してるのねぇ…」
すでに焼きあがったパンとコーヒーを咀嚼しながら、いちいち大げさにいうアリサにお母さんは感心しながらパンを成形をする。
どうやら、アリサによってあたしは特殊任務のためにこの街に来て、そして事件を解決したことになっているようだ。
「あれ?お父さんは?」
「シャウムブルクさんとこに届けものに行ってるわよ」
お母さんはボウルに残っていた種をすべてまとめて釜の中にいれると、一度手を洗って戻ってきた。
「お父さんが帰ってきたら、色々うるさいから、早めにこれ持って帰っちゃいなさい。どーせ、そんなに長居はできないんでしょう?」
そう言うと、大きな紙袋を出す。中はまだ温かく、焼きたてのパンが大量に入っているのがわかった。
「あ…うん」
「飲み物、カナはココアでしょ、あなたどうする?」
「あ、じゃあ僕もココアで」
お母さんはウィルにも聞いてからココアを注ぎに行こうとして、あからさまに振り返って二度見した。どうせ彼のイケメンっぷりにびっくりしたのだろう。転生したからいまいち意識が薄いけど、こういうとこって本当に親子なんだなと思う。
「はい、熱めでいれてるから、基地に帰ってからでも飲んで」
パンとは別に小さい紙袋に三つほどタンブラーを入れて渡してくれる。一つだけ色が違うのはきっとアリサのコーヒーだろう。
あたしがそれも受け取ろうとすると、すでにあたしが持っていた大きいパンが入っていた袋をウィルが横からさっと持っていってくれた。御礼を言って、飲み物の方を受け取り、お母さんの顔を見ると、高校生かと思うぐらい人の悪い笑みを浮かべている。これはお父さんが帰ってくる云々の前に早々に撤退した方がよさそうだ。
「あ、じゃあ!そろそろ行くから!」
そう言ってアリサとウィルを促して家を出る。後ろから「今度からはたまに帰って来るのよ!」と叫ぶ声が聞こえる。あたしは振り返ってそれに満面の笑みと元気な返事を返した。
「元気なお母さんね」
「あ、うん。ごめんね、一晩相手してもらったんだもんね」
母の姿が見えなくなってアリサが呟く。その顔には珍しく疲れが滲み出ていて、あたしは慌てて彼女を労うと彼女は首を振って返した。
「シャウムブルク家に3日くらいいたからさ、あまりのギャップに驚いただけ。すごくいい家庭だなと思った」
あんたがなかなか帰りたがらないのが疑問だわ、という彼女になんとも言えなくて肩をすくめる。本当に死亡フラグが折れて、事件が解決した今、長めの休みが取れたら出来るだけ帰ってくるようにしよう。
「あ、そうそう忘れてた」
アリサにちょっとと制されて、あたしは足を止めた。彼女はあたしの前に回ると持っていた飲み物の袋をあたしから奪いウィルに渡す。
正面からあたしを見つめると彼女はにっこり綺麗な笑みを浮かべて言った。
「カナ、おかえり。お手柄だったね、頑張ったね」
その言葉に、涙が出そうになってアリサに飛びつこうとした瞬間、あたしの体は、首が体から外れるんじゃないかと言う勢いで、左に大きく吹っ飛んだ。あたしもウィルもあまりに突然の事で面を食らってしまう。
「なんて、言うと思った?あんた、ばっかじゃないの!わかってて犯人の前に無防備に出て行くなんて!しかもなに?あたしは全部知ってます。だから犠牲になりに行きます。みたいな手紙とか書いちゃってさ。知ってんだったら最初っから言えっての!この単細胞!馬鹿!」
倒れたあたしになおも足で砂をかけてくる。一瞬後に気を取り戻したウィルが間に入る。
「ま、まあまあ、アリサ!カナ先輩も無事だったんだし!」
「だからその考えが馬鹿だってんのよ。無事とか云々の前に、悲劇のヒロインぶって勝手に危ないとこ行くなって言ってんの!」
一気にまくし立てて、肩で息をしながらアリサはウィルを睨む。怒りはあたしに対してだからこれは完全な八つ当たりだ。
「ごめんなさい…」
とりあえずその場で正座に座り直し、頭を下げると、その頭をチョップされた。
「なにが、なんで、ごめんなさいなの」
「相談もせずに一人で飛び出して危ない目にあい、心配をかけてごめんなさい」
言葉を選んで言うと、彼女は大げさにため息をついて、あたしの前にしゃがみこんだ。
「あんたがなんとなく達観してるのも、なんか言いたくないことがあるのもわかってるけどね。でも、肝心な時にもなんにも言ってもらえないって、親友としてどうなのよ。それとも、あたしはあんたにとったら友達なんかじゃなかったかしら?それならそうで、あたしもこれからそう思うようにするけど」
「そんなことない!だいっっじな親友様です」
「じゃあ、その大事な親友様の大事な親友様なんだから、もう勝手にこんなことしないで」
座った体勢のままぎゅっと抱きしめられる。彼女からは我が家のパンとコーヒーの匂いがした。それを肺いっぱいに吸い込みながら、あたしも彼女を抱きしめ返す。
「ごめんね、アリサ」
「ほんとよ。おかえり、カナ」
抱きしめた彼女の肩はほんのちょっとだけ震えていた。
転送の魔方陣を使って本部まで帰り着く。帰り着くと、すぐさま第四研究室の面々に捕まり、まるで神輿でも担ぐように医務室に連れてかれた。
ちょっとした医大レベルの器具があるそこで、なんやかんや検査を受けると、帰って来てから四時間はすぐにたってしまったようだ。
ようやくすべての検査を終えて、すぐに帰してもらえるかと思っていたあたしを医者が神妙な顔をして呼ぶ。
「いやはや…なんといっていいか…おめでとうございます」
その言い方に一瞬戸惑う。まるでおめでたかのような言い方に、まさか知らない間にあの男に…なんて考えをぐるぐるめぐらしていると、医者は一枚の紙をあたしに寄越した。
「身体的にはちょっと貧血気味なのと左頬などに軽い打撲があるだけで、他に異常はないんですが…不思議な事に魔力が検知されました。それも、魔法が使えるレベルのそこそこの」
これまで、生まれつき魔力がない人に途中から魔力が備わるなんてはじめてのケースだと言われて、医者の方も戸惑っているようすで検査の紙を見ている。
渡された紙には六角形の数値を表すグラフがあり、他の項目は微弱だが、感知と防御の魔力だけが、大きく尖って出ていた。
信じられないと言う思いでそれを見ていると医者はすまなさそうに頭を下げて、たぶんこれから研究室から研究の協力依頼が来ると思いますけどよろしくお願いします、と告げられた。そのあまりの申し訳なさそう具合にちょっと不安になったが、とりあえず頷いて返す。
そんなやりとりの後やっとあたしは開放され、部屋に戻った。
部屋についた時、時刻はまだ15時過ぎだったが、疲れていたのでシャワーも浴びずにベッドに入る。
夢も見ずにぐっすりと眠って、目が覚めた時にはすでに翌朝を迎えていた。
あとちょこっとだけ続きます




