あたしの舞台③
気がつくとあたしは見知らぬ部屋のベッドの上で寝ていた。
黒を基調にした部屋はいかにも映画で見た吸血鬼の寝所らしいが、置かれている高そうに見える調度品のそのどれもが埃を被っているあたり、もしかしたらここは廃墟なのかもしれない。
とりあえず起き上がり、自分自身の身体を確認する。足かせがついていて襟元が若干乱れているものの、服もちゃんときてるし、目立った外傷もない。頬をつねったら、ちゃんと痛いからをたぶん生きているのだと思う。あぁ、よかった。どうやら目論みは成功したみたいだ。
「おやおや、起きてしまいましたね。そんな予感はしていましたが」
先ほどあたしを襲ってきた吸血鬼男が言う。にっと笑う男の口に先ほどあたしに噛み付いた牙はない。
「あのまま眠ってしまってた方が苦痛はないのに、馬鹿な子ですね」
あたしに近寄ってくると頬を撫でる。その手からはスパイシーな香水の香りに紛れて、主任のミイラと同じ嫌な匂い…死臭がした。
「寝てる間にひん剥かれてミイラになるくらいなら、起きてる方がいいわ」
男を睨みつけながらそう言うと吸血鬼はさも面白そうに笑った。
「あれは暇つぶしとあなた方へのプレゼントだと思ってああしただけで、大事な貴方達をあんな風にはしませんよ」
そう言うとざっと奥のカーテンが引かれる。ガラス張りになっているその壁の向こうにはこの部屋とはうって変わって病院のような清潔感に溢れた真っ白な部屋が広がっている。
その中には、一人の女性が高そうなベッドで眠っている。彼女の手首や足首からは点滴のようなチューブが出ており、それらは周りの天井から逆さに吊るされた六人の少女に繋がっていた。
いくつかの少女は腐敗が始まり、天井からロープで吊るされている脚は骨が見えている。ひとつの死体はそれすら自重に耐えられず、今にも千切れ落ちそうだ。チューブだってもう何か通っているのかもわからないほど茶色や青緑に汚れている。
小説では吸血鬼の本拠地は彼自身の手で火を放たれていて描かれていなかったから、あまりに残酷な現場を見て思わず目を背ける。
今日のお昼に家族で食べた幸せな食事が食道を通って出てきそうだ。
「ダメですよ、せっかくですからよく見てください。ほら、あの檻の中とか気になりませんか?」
そういって指さされた方向をゆっくり目を開けながら見ると、よもや人が入れるとは思えない大きさの小型犬のものかと思われる檻がある。
頑丈そうな、でもごく普通の檻に目を凝らすと、中には生きていると思えない小さく折りたたまれた体勢の裸の女性が見えた。
その頭には見覚えのある色の短い髪の毛がある。
「あれは…シャウムブルク伯爵の…?」
「そうです。彼の氏の次女ですね。息はしていますが、もう2日ほどあそこに仕舞ってますから、意識はあるかはわからないですね」
「どうして、彼女を…?」
そう聞くと、男は面白そうに微笑んだ。
「あなたは本当に不思議ですね。襲われる時だってわかっているかのようにピンポイントで首筋にだけ…しかも対物理的ではなく、対毒魔法の防護魔法をしかけている。今だってどうしてこんなことを?ではなく、どうして彼女を?と聞く。私達の目的がわかっていて、そして彼女が関係ないことわかっているように」
くつくつと笑う男を無視して檻を注視する。小さくなって縮こまった裸の胸が僅かにだが動いているのを見て、男のいうことが嘘ではないことがわかった。
「どうしてなんて、囮に決まっているではありませんか。簡単でしょう、私達が求めているのは死神に愛された者達の血液なんですから」
後ろから髪の毛を束ねて右側にやられ、左側の首筋を確認するように襟を軽く引っ張られる。あらわになった首筋を確認するように鎖骨から上へと撫でられ、悪寒が走る。
「こんなことをして、本当に、彼女が、目を覚ますなんて思ってるの」
「おや、どうやらちょっと思い違いをされているようですね」
小説には、植物状態で死にそうな彼女を生き返らせようと吸血鬼の話を信じた男が、彼女に若い女性の血液を流し込む話だった。とはいえ、彼女は一人目の血液を流し込んだ時点でショックで死んでおり、男は悪魔にもらった牙で若い女性を昏睡させては眠っている間に血をぬいては、意味なく彼女に血を送り続けるという話だったはずだ。
「われわれはただ不死や蘇生のためにこんな無用なことはしませんよ」
男はそういうと天井を指指した。そこにはヒエロニムス・ボスの七つの大罪と四終に良く似た絵があった。似てはいるが、周囲の四終がなく、本来キリストが描かれているはずの真ん中には口の裂けた黒い悪魔のようなものが描かれていた。
「人間には七つの罪があるというのは信仰はご存知ですか。暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬からなる、人が持ち合わせる感情と欲で、これらは死に至る罪だとされています。でも、本当にそうでしょうか」
ぐるっと天井の絵を指差し一つずつ説明すると今度はガラス張りの向こうを指差した。
「なぜそれらが死に至るのか?病気でもないのに?特に怠惰や傲慢なんて、むしろ長く生きることに繋がりそうだ。つまるところ、それらは死に自ら至るのではなく、死に至らされる のではないかとまだ小さな悪魔だった彼女は考えた。誰によって?もちろん、それは神の手によって」
わたしもそれを面白いと思ったのです、と男は頷くと、いきなり後ろから、あたしの腕ごと腰の部分で抱きしめられた。
「彼女は昔から、力が弱く何もできなかったそうでね、人を食らうにも一苦労だったそうです。ただ、一つだけ備わった能力がありましてね。それは彼女が力が無い中で捕食をするためなんでしょうか、弱っている魂を見抜くことができるそうです」
抱きしめている方の手とは反対の手が、襟から服の中に手を入れて胸のあたりを撫でられる。あまりの嫌悪感に抵抗しようとしたが、片腕のはずの抱きしめる力は腕の骨が曲がるのではないかと思うほど強くなって行き、まったく動くことができない。
「そしてある時がついた。普通は、穢れを落として世に生まれ、生まれたときは神の子のように魂に力があり、年を取るごとにだんたんと弱っていく。しかし、世には生まれながらに弱りきっている魂があるということに」
「…魔力…のっこと?でも、それだったら…」
ぎしぎしとあばら骨が軋みそうな音を聞きながら、そう搾り出すと、男はまたも面白そうに笑って、首をふった。
「いいえ、それだったら私にだってわかります。力ある魂であっても生まれつき魔力がないものはいる。ただ、彼女いわく弱りきった魂は必ず魔力がまったくないそうでね。だから私は時々彼女のご機嫌をとるために、もしかしたらと思われる魔力のない者を捕まえました。もちろんそれらは私たちの求めるものとは違いますから、ただ彼女の食事になっただけですがね」
いつの間にか装着された牙が覗く口をあけると、男の長い舌で首筋をなぞられる。先ほどかけた防御魔法はしばらくたったこともあり既に効果はない上に、マスクははずされてしまっているから再度かけることもできない。そのあたしの焦りをわかっていると言いたげに、彼は時折牙の先を肌を傷つけぬようにすっと滑らした。
「でも別にその人達が大罪とは限らないじゃない。それに、もしその人達が、大罪によって死に至らしめられた魂を持っているとしてそれを集めて、どうするって言うの…」
「ええ、もちろん全ては可能性です。でももし万が一それらが本当に大罪を持ち合わせた魂だったとしたら…悪魔とは元来欲にまみれた生き物です。われわれ人間が思いもよらず、恐れるところまでの深い欲を持っている。神が死に至らしめなければいけないほどの7つもの欲が1つに集まったら、どうなると思います?」
そんなことを言われたって想像つかない。あたしは男の手から逃げるように身をよじりながら、頭を振った。
「そう、私たちも想像つかない。だからこそ彼女を器に魂を混ぜてみようと思ったのですよ」
その時、ガラスの向こうでベッドに寝ていた女性がびくりと痙攣した。
「あぁ、彼女も楽しみで我慢ができないようですね。早く『色欲』の貴方を欲しがっているようだ」
その言葉と共にあたしは首に牙をたてられ、意識を失った。




