二通めの手紙
小さな事件はあるものの、平和が続いていたある日。
その日は配達量も少ない曜日で、第四研究室の何人かとちょっとのんびりお昼をとって研究室に戻ってきた後、保安検査に取り掛かっていた。
見覚えのある分厚い封筒が届いたのだ。
そう、あの真っ黒の封筒が。
思わず椅子を倒して後ずさりをしたあたしに、研究室のみんなが何事かと近寄ってくる。机の上にある黒い封筒を見ると、とりあえずあたしは数歩下げられ、一人がアムネムさんを呼びに行った。
「あらまぁ、このみーんながやきもきしてるタイミングで、あちらさんから送ってくれるとはありがたいわねぇ」
ふふふと不敵に笑みを浮かべ、手を鳴らしながらあたしのデスクに近づいてくる。手には取らずに黒い封筒をに向けて何やら呟くと、封筒は小さな風船のようなものに包まれた。どうやら魔法をかけて封筒を防護したようだ。そのまま人差し指一本を振って、宙に浮かばせると自分のデスクへ持って行きながら何人かに道具の準備や連絡を頼む。
「イグは第二研究室に行って室長と副室長を呼んできて。ダンは前回の事件の資料をあたしのデスクへ。あんたは作業時の写し絵を念写する係りね。そうそうカナちゃん、こんな事頼んで申し訳ないんだけど、ちょっと人手が足りないから悪いけど司令部に伝えてきてくれる?」
何が入っているかわからないため、あたしにショックを与えないようにという配慮だろう。司令部はここから一番遠く、あたしはけっして足が早いわけでもないし、伝令に向いているとは思わない。だけどその気遣いが伝わって、でも足でまといになりたくなくて、大きく頷くとあたしは研究室を飛び出した。
走ってすぐに息が上がったのは、こんなに本気で走ることが最近ないからなのか、封筒が届いて気が動転しているのかはわからない。
司令部にやっと着いた頃にはうっすら汗が滲んでいるのがわかった。実際は距離にして500メートルないから、ほんの短い時間だったのだろうが、ひどく時間がかかった気がする。
司令部に飛び込むようになりながら、前回と同じものと思われる黒い封筒が届いたこと、今第四研究室で処置をしようとしてる事を伝えると、待ってましたとばかりにみな立ち上がり、司令部から出て行く。
その集団の後ろについて第四研究室に行くと、すでに戦闘職種らしい人が扉を見張っていて中には入れそうになくあたしは大人しく外で待つ事にした。
「あ、ガルデンさん」
「あ、カナさん。大丈夫ですか?」
戦闘職種の人と一緒に立っている彼を見つけると、こちらに寄って声をかけてくれた。まだ数ヶ月前になるが、前回黒い手紙が届いた時にあたしを支えてたりメール室まで運んでくれたくれたのは、彼だった。
「大丈夫ですよ。今回はあたしが開けるまでもなく第四研究室で預かってくれましたから」
笑って答えると、彼は安心したように肩を落とした。
「我々がきた時はアムネム副室長がすでに開封を終えてらっしゃったので、今部長たちが話をされています。たぶん、もうすぐ入る事ができると思いますよ」
ガルデンさんが言い終えると同時に研究室のドアが開く。バタバタと色んな人が出て行く中で、ふと耳に入ったのは「シャウムブルク伯爵」と言う言葉だった。
あらかた人が出て行った後、司令部に戻ると言うガルデンさんに別れを告げて恐る恐る研究室の中に戻る。
前回みたいな嫌な匂いがしないことにほっとして、席に戻るとアムネムさんが自らあたしの方に来てくれた。
「カナちゃん!走ってもらっちゃったりしてごめんなさいねぇ、助かったわぁ」
そう言いながら近くの椅子を引き寄せて腰を落ち着ける。何か話があるのかと思って首を傾げると、アムネムさんはちょっと考え込むように腕を組んだ。
「カナちゃんは前回の封筒を開封してるし、知らないのもどうかと思ったんだけど…」
気遣わしげに暗にどうするか聞かれて、あたしは姿勢を正してアムネムさんに向き直る。確かに中身を知るのはちょっと怖いけど、主任の事件に関係あるのに蚊帳の外にいるのはちょっと嫌だ。
「教えてください。お願いします」
そう言うとアムネムさんはそうよねと小さく頷いて笑った。
「今回もなんの魔法もかかってなくてね。前回と全く同じ箱と手紙が入ってたの」
「やっぱり…中はミイラだったんですか?」
「ううん、それがねぇ…今回は髪の毛がひと束入ってただけなのよね」
ひと束って言っても結構な量なんだけどね、と付け足してからアムネムさんは難しい顔をした。
「たださ、入っていた手紙が気になってね」
そう言ってアムネムさんは、魔法で手紙を転写したらしきメモを一枚出してくれる。そこにはこう書かれていた。
***
先日お手紙をお送りしてから、何人の少女が天使になれた事でしょう。
我々は死の神に愛されるため捧げ続けなければならないのです。
ですが、本当に捧げるべきは少女ではありません。
我々は、得るべき死の神の加護を得た7匹目の子羊を探しています。
***
そう書かれた文の最後には、何やら紋章のようなものが書かれている。魔法陣ではないから、家紋か何かだろうか。あまり綺麗に転写されているとは言えないそれは、文字とは違って茶色っぽいインクで描かれている。
あたしの疑問を見透かしたように、アムネムさんが口を開くいた。
「それね、恐らくなんだけどシャウムブルク伯爵の家紋なのよ」
「シャウムブルク伯爵って言うと…エレノアの?」
「そう」
「どうしてこの手紙にそれが…」
「どう関係があるのかまだわからないわ。でも、中に入っている髪の色もエレノア嬢に酷似していたし、紋章もたぶん血で描かれている。今とりあえず急いでエレノア嬢に確認と…シャウムブルク家に調査隊を派遣しているわ」
アムネムさんがより一層眉間の皺を濃くして嫌な予感しかしないのよね、と言う。
そして女性の勘ならぬおネェの勘が当たったことがわかるのが、この一時間後、あたしがそれを知ったのはその日の夜だった。
黒い封筒が来たことで一瞬ばたついたものの、その日も無事仕事を終わらせると時刻はすでに22時を回っていた。
デスクをざっと片付けて第四研究室を出ると、ご飯を食べようと食堂に向かう。
ピークの時間を過ぎているのか人が疎らの食堂で見知った姿を見つけて、頼んだスープとサラダを持ち直すとあたしはそちらに向かった。
「ガルデンさん、お疲れ様です」
「あ、カナさんお疲れ様です」
向かいの席いいですかと声をかけると、彼はどうぞと言って自分のお盆を少し手前にひいてくれた。
「今、仕事終わりですか?遅くまでお疲れ様でした」
「いえ。ガルデンさんこそ。仕事量的には多くはなかったんですけどお昼にバタバタしてましたからねぇ」
「そうですよね」
頷くガルデンさんの顔が暗い。
「あの…それで、手紙のこと何かわかりましたか?」
あたしが聞いていいのかわからず、おずおずと聞き出すと、大丈夫ですよとガルデンさんは笑った。
「アリサさんもカイリーさん達はしばらく忙しいですし、カナさんには近いうちに私が話に行かなきゃと思ってました」
「アリサもですか?」
「はい、彼女は明日以降にシャウムブルク伯爵の家に行くので」
なんでアリサがエレノアの家に…と不思議に思っていると、ガルデンさんは夕飯の最後の一口を飲み込んで順を追って話しますねとお茶を飲んだ。
彼の話はこうである。
司令部に戻り、エレノアに確認をすると不明瞭ではあるがたぶん自分の家の紋章であると確認が取れた。その段階ですでに調査隊の一班がエレノアの家に向かっており、あまり時間をおかずしてつくことができたそうだ。
家の中に通されると対応してくれたのはエレノアの母親だったらしい。
調査隊が事情を話し、何か知ることはないかと聞いても、しばらくは知らぬ存ぜぬであしらわれたが、エレノアが通信機で話すと彼女はぽつりぽつりと話を始めた。
エレノアの妹がここ3日ほど家に帰ってきていないこと、ただエレノアの妹はこれまでも社交界ではかなり性に奔放な女性として有名であり、どうせ彼女のことだからどこかの貴族と遊んでいるのだと思ったとのこと。
これにはエレノアもショックを受けていて、あの子がそんなことするはずがありませんわ!と声を荒げたそうだがそれに対して返ってきた母親の声はひどく疲れていた。
妹がそんなふうになったのはエレノアが就職してからのここ一年くらいのことだ。家を継ぐからと以前以上に社交の場に出し始めてほどなく、彼女の夜遊びは酷くなって行ったらしい。時には自分より位の高い貴族の愛人のようなこともやっていて、その奥さんが家に乗り込んできたこともあったそうだ。最近では父親も呆れてしまい、あまり彼女に小言を言わなくなったそうだ。
それを聞いて、信じられないと言葉を失ってしまったエレノアの代わりにアリサが通信機で話を聞く。
エレノアの妹がいなくなった事がわかったのは3日前の夜。メイドが夕飯の支度ができたと声をかけに行くと彼女は部屋はもぬけの殻だった。今まで出かける時は母親の目は盗んでも、誰かしら従者を連れて行ったので、不信に思ったそのメイドは主人に報告したが、シャウムブルク伯爵は、どうせまたあそんでいるんだろうからほおっておけと返し、そして彼女の行方はわからないまま今日に至るという。
「そのあとシャウムブルク伯爵が帰宅して事情を話したんですが、本当に娘が巻き込まれたかどうかわからないのに表立って協力はできないと言われまして。それで家にいても不自然じゃないエレノアと貴族出身でご学友と言っても不自然でないアリサがシャウムブルク伯爵家に行って調査にあたり、他のものは周辺の警備と調査にあたることになりまして」
「あ、じゃあアリサも外に出ているんですね」
「そうなんです。言っても彼女は戦闘職種や諜報部隊ではないので、そんな事件の現場、しかも中心に出ることは反対したのですが…。事件をさっさと解決できるんだったら、調査に行くなんてお安い御用よ、なんだったら囮にだってなるわ、と一蹴されてしまいました」
ガルデンさんは苦笑しながら肩を竦めた。
「でも、送られてきた髪の毛がエレノアの妹のものだってわからないんですか?」
この世界にはまだDNA鑑定なんてものはないがその代わり魔力で、遺留品の持ち主や血痕の判別をいつもやっていたはずだ。
「エレノアさんの妹さんは世の中でも珍しく魔力がゼロの人だそうでして」
そう言えば、シャウムブルク家からの手紙が届いた時、主任にも教えてもらった事がある。本来家を継ぐはずのエレノアが妹に家督を譲り、ここ、イーリス治安部隊に就職したのは妹の方に全く魔力がないからだと言っていた。
そう、アムネムさんがあたしの魔力のなさを何かの呪いじゃないかと疑ったように、この世界では誰しもが少量であっても魔力を持っている。もちろん、大抵の人間はほんの微かなもので、魔法を使えるほどの魔力を持っている人はその中で少数に限られてくるのだが。
あたしは外見とか名前とかまですべて前々世と同じように転生させられたから、そんなところまで前回仕様にされたのだと思えば魔力がゼロなのはわからないことはないけど、この世界ではかなり珍しいことらしい。
「おかげで足取りを辿ろうにも手がかりがいつもより少なくて難航しそうです。ただ、主任もシャウムブルク嬢も出身がカーティス王国の城下町ですから、場所的にはかなり限定して捜索をはじめられそうです」
ガルデンさんはそう言って、手応えを感じているかのように強く微笑んだ。それに、よかったですね、と返してサラダを掻き込むとガルデンさんと一緒に住居棟に向かう。
同じフロアの中であたしの部屋の方が執務棟側にあるため、あたしの部屋の前まで送ってくれるとガルデンさんは自分の部屋の方まで歩いて行く。彼が自分の部屋に向かうのを見送ってから、あたしは自分の部屋に入る。
大きく三回深呼吸をする。ぐっと自分の手を握ると、そっと自室の扉を開けた。
廊下に顔を出し、誰もいないのを確認すると部屋を出る。足音をあまり立てないように歩き始めて、あたしは執務棟に向かった。
あたしが懸念する可能性を確かめに…。




