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推定45歳の母性本能

 エレノアから貰ったお裾分けご飯は、あんなに悪い手際から想像つかないくらい美味しかった。やっぱりもともと美味しいものばかり食べてるから舌が肥えてるのかな。貴族ってすごい。


 いつも昼食後はしばらくラウンジで本を読むのだが、もう一度戻るのが面倒くさくて今日は自室で過ごした。

 今読んでいる本は高等的な魔法陣についての本だ。あたしは魔力が全くないから使えないけれど、世界に魔法が存在していると言うだけでワクワクするし、勉強するのは面白い。主任がいない時の保安検査にも役立つから趣味と実益も兼ね備えている。


 ついつい面白くて読みふけっていると、窓の外ははすでに真っ暗になっていた。

 慌てて時計を見ると時刻は23時を回っている。


(いけない!お風呂も入ってないし、夕飯も食べてない…)


 明日は仕事なのでそろそろ切り上げなければ。

 とりあえず昼に3分の1食べたバケットの残りで卵とハム、野菜が入ったサンドイッチを作る。

 さて食べようと机に向かうと、部屋のドアがノックされた。


「はーい。どなた様で?」


 アリサかな、と思って碌にドアスコープも見ないで開けると、そこにはお昼に覗き見た時よりちょっと顔色の良くなったウィルたんがいた。


「えっ?あっ…どうしたの!?」


 驚きのあまり、ちょっと大きな声を出してしまうと、しーっと指を口にあてる動作をされた。


「あの…こんな時間に申し訳ないんですけどちょっとだけお時間頂けませんか」


 そう言うウィルたんにあたしはどうぞと部屋に招き入れた。




 いくら絶対に何もないとはいえ、こんな時間にウィルたんと部屋に二人きりとか考えると変な汗をかきそうだ。

 とりあえず、気持ちを落ち着かせるために何かしようと、今の彼の体調にあわせて胃腸に良さそうなハーブティーを入れる。自分用とお客様用のマグ、2つに入れると、小さい机を挟んで彼の向かいに座った。

 あたしがようやく腰を落ち着けたのを見て、すぐに彼は口を開く。


「あの…カナ先輩に折り入ってお願いがあって…」

「うん?」

「実は俺、もう、ここを辞めて出て行こうと思うんです」


 そうか。ウィルは今日から、自分探しの旅に出るんだ。

 彼の心の葛藤は小説を読んでいたから知ってる。

 悪魔を倒すためにこの組織に入ったのに自分に悪魔の血が入ってるかもしれないとわかったショック。何もできないことへの憤り。理不尽にみんなから恐れられ、避けられていることへの悲しみ。

 お話の中ではこれから一人で冒険に出て、各地を回り、色んな人に出会う。冷たくあたられることもあるけど、自分の出生や世界の様々なことを知って、気持ちも解決つけて、この組織に戻ってきてくれる。あたしは小説で読んだから戻ってきてくれるのを知っているけれど、今の彼はここを見限って飛び出すようなものだ。

 静かではあるけれど、正義感が強くてこの組織にいることを誇りに思ってた彼が、出て行くことを決意するには大変な苦悩があったことだろう。


「そっか、気をつけてね」

「それだけですか」


 戻ってくることを知っているあたしはただ彼のこれからを案じて言ったのだけど、もしかしたらちょっと冷たい言い方だったのかもしれない。

 ウィルを見ると怒ったような、泣きそうな、必死で何かを押し殺した顔をしていた。


「先輩も、俺がここにいるのが怖いですか。悪魔なんて何をされるかわからなくて関わりあいになりたくないから、今まで避けてたんですか。むしろ出て行ってくれて安心しますか」


 静かに低い声で一息で言い切るとウィルはあたしを…いや疲れきったその目は、多分『あたし』じゃなくて『自分以外の誰か』を見つめた。その瞳は誰かにその考えを否定してほしいと訴えている。

 それだけこの数日間のまわりの態度が、彼にとって辛いものだったというのは想像に難くない。


 そういえば、肉体的な年齢も上だし、なによりメインキャラだったから気にしたことはなかったが、彼は生身の人間でまだ18歳の男の子なのだ。当たり前のそのことに、あたしは全然気づけていなかった。


「避けたりしてないよ」

「嘘つかなくていいですよ。あいつを捕まえた日から、ぱったり先輩を見かけなくなって。今日だってキッチンから先輩の焼くパンの匂いがして、会えるかなと思ったのにラウンジに来ないし。エレノアに聞いたら「キッチンで会いましたわ。お食事取りに来られます」って言ってましたし」


 二人の邪魔をしないために気を使ったつもりがそんな風に思われていたとは…。

 会いたくなくて避けていたつもりはなかったが、今日含めこの数日は確かに積極的に関わろうとはしなかったのは事実だ。


「ごめんね、避けていたわけじゃないんだよ」


 あたしの返答を聞きたくないとでも言うように、ウィルは下を向いて黙ってしまった。


「ウィルが色々あったのは聞いてたの。でも、あたしなんかができる事ないのに会いにいっても迷惑かなって思って…」


 いくら言い訳したところで薄情者には違いない。まさかあなたは好きだった小説の主人公だからこの後の展開も知ってて、特にあたしができることもないし、大丈夫だってわかってるから安心して何もしなかったとも言えない。

 ウィルはぴくりとも動かない。目線は下を向いたままで、息は殺しているようだった。

 頑なになってしまった彼にこれ以上何を言っていいかわからず、膝の上あったウィルの手に触れる。

 慌ててその手を引こうとする彼にちょっとショックを覚えつつ、逃がさないようにもう片方の手も使って握り込んだ。


「全然怖くないよ」


 ニコッと笑って、できるだけ優しい声で言い聞かせるように言うと彼はようやく顔をあげてくれた。


「ごめんね、ちゃんと説明はできないんだけど、ウィルなら大丈夫って信じきっちゃってて…ちゃんと言わないでいたら不安だよね。薄情だったね、ごめん」


 そう言うと、彼はようやく顔をあげてくれた。疲れきった目がちょっとだけ潤み、縋るようにあたしの瞳を見てくる。

 ああ、どうしようかな。メインキャラは関係ないと思って俯瞰してたのが悪かった。こうやって、目の前で男の子(年上だし、外見はもう大人だけど)に泣かれそうになるなんて経験ないから、いったいどうしていいのかわからない。漫画とかだったら抱きしめたり頭なでなでしたりするんだろうけど、そんな一足飛びな行動できるわけもない。

 チキンなあたしは取り合えず何か話すこと、と考えて口を開いた。


「そういえば折り入ってお願いって言うのは…?」

「あ…俺が何かマックとかに連絡したい時にこっそり取り付いでくれないかと思って…」


 組織から逃げ出したら、今疑われている彼の出自のこともあって、本部から追われることになるのだ。小説の中には描かれていなかったが、近しいマックたちは暫く何か手がかりを持ってないかと、疑いの目で見られるだろう。特にマックは逃げ出すのに協力しているのだから、この後何かあるのかもしれない。

 彼ら宛で郵便物が届けば、一度司令部に渡すように言われるであろうことは予想できる。


「わかった。水曜か日曜だと主任休みだし…その曜日着で二重封筒にしてあたし宛に送ってくれれば、ちゃんとみんなに届けるよ」

「ありがとうございます」

「ううん。あたしが協力できるようなことがあってよかった」


 そういえばとあたしは彼の手から手を離すと、先ほど作ったサンドイッチを紙に包んで袋にいれる。


「これ、明日の朝までは大丈夫だから道中お腹空いたら食べて」

「でも、先輩の夕飯とかなんじゃ…」

「いいのいいの、一食ぬいたぐらいじゃ死なないし…それに、腹が減っては戦はできぬですわ、だしね」


 荷物になるか悩んだんだろうか、彼は一瞬戸惑ったが、あたしがエレノアの真似をおどけてしてみると受け取ってくれた。


「ありがとうございます」


 その時、ごく控えめな小さな音で扉がなる。まさか出て行こうとしているのが誰かにばれて、捜索されているのかとあたしもウィルも身を固くした。

 せっかく決心したのに、ストーリーにないあたしの部屋に来たせいで、彼が拘束されたりしたら嫌だ。

 ウィルに目線で合図をして、あたしのクローゼットの陰に隠れてもらうと、あたしは扉を開けた。


「よっ」


 ひょい、と手をあげたのはマックだった。その声にウィルも出て来る。


「お、やっぱここだったか。ウィル、そろそろ転移魔法の準備しねーと下の町に待たせてる馬車との時間に間に合わねーぞ」

「そうだな。悪い」


 マックは小さい声でそう言うと、ウィルが頷いて歩き出す。

 扉を小さくかえたまま、彼を待っていると、部屋から出る直前にウィルはあたしの方を向いて右手を出した。


「…もう一回だけ、大丈夫って言ってもらってもいいですか」


 耳まで顔を赤らめながら言う彼に、私はお安い御用と笑って両手でその手を握りしめた。できるだけ、力をこめてしっかりと握る。


「大丈夫。辛いこともあると思うけど、絶対大丈夫だよ」


 あたしの自信が伝わるように心を込めて言うと、ウィルからぎゅっと一度手を握り返された。

 彼の顔を見上げると、先ほどとは打って変わって朗らかな笑顔だった。


「ありがとう。行ってきます。先輩もお元気で」


 そう言うと、手の甲に彼の唇を当てられる。キスとかというよりも、何かを祈るように肌と唇を軽く触れると、彼は手を離してマックの方に向き直る。


「待たせた」

「いや、大丈夫だ。じゃあな、カナ。ゆっくり寝ろよ」


 扉を少しだけ開けて、部屋の中から遠ざかる彼らを見送る。部屋から見えなくなる瞬間、もう一度手を振られて、それに隙間から手だけだして振り返すと、あたしは扉を閉めた。


(外国の人には普通のことなのかもしんないけどーーー!!)


 最後にウィルの唇が触れた手があまりに熱くて、胸にそっと引き寄せた。顔も耳も真っ赤になっている自信がある。

 こうして彼と一度別れる夜、この世界では彼は小説の中の人物なんかじゃない、同じ生身の人間なのだと初めて実感したのだった。

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