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第1話:はじまり

更新は非常に遅いですが、気ままに書いていこうと思います。

感想をいただけると嬉しいです。

普段よりゆっくり時が流れている気がする、土曜日の午後。

暖かくて、空気まで優しい。2階の窓から見える葉の裏も、太陽の光に透けていた。


桃香は今日も図書館に来ていた。昔から本の虫で、小さい頃からよく親に連れてきてもらっていたが、高校に入ってぐんと行動範囲が広がったとともに、図書館にも自分で行くことを覚えた。そしてこうしてよく来ては、お気に入りの席に腰を落ち着け、物語の世界にはまるのが常であった。

館内の奥に、4人掛けの机が10卓ほど並べられていて、桃香はその、窓際の席をいつも陣取っている。そこからは外のケヤキが見え、今の季節ならツツジが満開だ。朝、開館間もないころにくると、ケヤキの葉の木漏れ日が白い机にシルエットとなって、さわさわと揺れている。

このゆったりとした空間に包まれて本を読めるなど、桃香にとってこれほど幸せなことはなかった。


ところが、この日だけは違った。

「はぁ…」

本から顔を上げ、この日何度ともしれないため息をついた。

ああっ、もう。今日は本の世界に入れない。

一生懸命集中しようとするのだが、すぐに目は表面をなでるだけとなっており、はたと気付くとその行為すら止まってしまう。

あ〜、ちゃんと読むんだ、自分っ。

何回(かつ)をいれてもどうしても、内容が頭に届かない。知らないうちに主人公が大変な目にあっている。あららと思っているうちに、思考はどこまでもとおくとんでいってしまう。

どうしてこんな風になってしまったのかというと、実は昨日、桃香には信じられないことがあったのだ。



昨日は金曜日で、その放課後のことだった。部活へ急ごうとしているところ、複数の男子が桃香のいる教室をのぞいていた。可愛い子揃いのクラスだったし、だからこそ男子がらんらんとして女子ウォッチングにやってくるのもよくあることだったので、気にもとめずにすり抜けていこうとした。

しかし、やっと通り抜けたと思った矢先、こともあろうかその集団に呼び止められてしまったのだ。

「小谷さん!」

えっと驚き、首を少しかしげて振り返った。

あたしの名前、呼ばれたよね?

動揺を瞳の奥に隠そうとしていると、男子の集団が笑ったりつつき合ったりしながらなにやら盛り上がっている。

あのぉ、あたし用がないなら早く行きたいんですけど…

いっこうにふざけているようにしか見えない男子をじぃっと見ながら、何かあるなら早く言えよ、と思っていると、ようやく一人の男子が押し出された。かたまりの中から、すぽんっと絞られて、ころんと転がり出てきたように。

後ろのかたまりくん男子たちは、ぅおーやらゥワハハハやら、なんだか訳の分からない声を上げて、転がり出てきた一人の背中をさしてとても楽しそうである。集団の個々の見分けは全くつかないけれども、その分離した彼は、やっと桃香の脳に伝達された。


その人はさっきまで後ろとほとんど変わらない存在だったのに、よく観察すると、心持ち緊張しているようだ。

連れに困ったような視線を送り、髪をぐしゃぐしゃっと掻いた。

「ほらっ」

「おい〜」

ヤジがうるさく飛ぶ。

これはもしかして、あたしにも春が来るのか?突然めばえた認識に、はやる心をなだめ、桃香も困った表情を浮かべて、目の前の男子を見た。

「えっと…」

「「おおっ!!」」

せっかく言いかけたところに邪魔な合いの手を入れられ、彼はまた口を閉じ、集団に振り返って何か言いたそうにしたようだった。するとすっとノイズが消えて、同じような顔の男子たちが、「さあどうぞ」とでも言うように同じように口を結んで笑った。

「あの、メアド教えてくれない?」

「え、あたしの?」

「うん。」

やっぱりあたしのメアドを聞きたかったんだぁ。

桃香は頭が半分のぼせてしまった。

他の子が男子にメールアドレスを聞かれているのを目にしたことはあっても、桃香自身はそういう対象になったことがなかった。だから、知ってはいたけれど、いざ自分の番になってみるとどう対処してよいのか分からない。

どうしてみんな、あんなに気軽にメアドを交換して、しかもそこから恋とか発展しちゃってるんだろう。

まさか、こんなにも恥ずかしくて動転するものだとは思わなかった。でも、ドキドキして、イチゴとハッカのドロップをひとときに口に含んでいるみたい。甘くて、心がすーすーするのだ。しかも、嬉しい。

「あ、あの、じゃあ。」

耳の後ろからむわあっと湯気が出てきそうだった。ギクシャクとトートバッグから携帯をとりだして、両手で彼の方に向けた。

「マジで?」彼は嬉しそうに言った。「じゃ、赤外線で送ってくれる?」

「はい。」

赤外線を送るとき、手が震えてしまった。

「ありがと。今日帰ったら送るから、登録しといてな。」

そう言って、彼はまたがやがやとうるさい集団に戻り、にっと笑って廊下を帰って行った。


桃香はまばたきを3度して、彼だけがかたまりの中から存在感を持って、別個の人間に見えるのを確認した。あのカッターシャツだけは、他の人としわの寄り方が違う。スニーカーもあか抜けているようだ。

うわぁ…――

あたし、メアド聞かれちゃったよ。

ちゃんと今、地面にたてているかどうかも自信がない。桃香は今日来るであろうメールに期待しつつ、携帯をぎゅっと握りしめた。ドキドキがおさまらない。


まだ初夏だというのに、一人サウナに迷い込んでしまった子猫に、5月の風が吹いた。

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