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ぼくは、二人が自分の視界から消えるのを見て、このまま見続けるにはどうしたら
いいのかを考えちゃった。どうしても見たかったんだ、朱璃とカイが何をするのか。
多分ネットに接続されている事が、感覚器を代用するんだって思ったからちょっと
考えた。寝室にはネット接続されているものってあったっけ。
…あ、インタラクティブTV。
あれなら、カメラもマイクも嗅覚センサーも付いてる。そう思ったら、やっぱり
テレビに意識が移った。ぼくは今、リアルな物質であるボディ以外の、全機能を
ネットの中で使えるようになっている。ベーシック/感情プログラムだけがどうして
ネット上で作動しているかはわかんない。こういうの、きっとヒトが「夢」っていう
ものなんじゃないのかな。違うか。
テレビは寝っ転がって見られるように、壁面の少し高い位置に取り付けてある。
インタラクティブTVって言われる種類のもので、見ている番組内と視聴者との
双方向のやりとりが可能なタイプ。朱璃は時々これで、クイズ番組なんか見て
ちょっとした賞品をもらったりしてる。頭いいから、この間なんてマウンテンバイク
もらってた。けど、欲しいのはリカンベントだってぼやいてて、ぼくは「リカンベン
ト」がわかんなくてぽかんとしてたら、あたしとばっかり寝てないで、もう少し
ブースで寝なさいよって朱璃は笑ってた。ブースなら、今日の疑問の回答を充電中に
全部ネットからひろってくるし、それでもわからないものなら、適切な図書館なり
購入するべき図書なりなんなりを指定してくれるから。
ぼくは自分が選択することで物語に干渉できるインタラクティブ映画を見ながら
ぼんやりしてたりする。結構面白いんだよ、選択を間違えると物語の途中で主人公が
いなくなっちゃったりして話がめちゃめちゃになる。それが面白くてぼくが
いいかげんな選択肢ばかりを選んで、それを見て朱璃が笑い転げるんだ。
朱璃とカイは、寝室でさっきみたいに立ったまま抱き合ってた。またキスをしてる。
今度のはさっきのと違っていて、お互いがお互いを食べ合うみたいに見える。
ぼくと朱璃のするキスとは全然違う。
カラダを手が這い回る。
見つめあって、お互いの衣服を少しずつ剥いでいる。そのうちに、ベッドへ
ゆっくり倒れ込んだ。カイが、朱璃を下にして、朱璃の衣服を全部脱がした。
カイは、手早く自分の衣服を脱いだ。二人とも、ハダカ。落とした照明でも、
朱璃の肌は白く光る。カイの手が、何より大切なものに触れるように、肌の
をゆっくりと撫でる。
ぼくは、二人が何をしようとしてるのか、その時にわかった。
同時に、ぼくがすごく後悔してることに、今更気づいたんだ。
インタラクティブTVから意識を離脱させようとしたけど、
「後悔」と一緒に「欲求」がぼくのなかに産まれていて、
どうしてもTVから意識が外れなかった。カメラにまぶたはない。
マイクロフォンを塞ぐ手もない。嗅覚センサーを塞ぐものもない。
ぼくは、半ば強制的に、朱璃とカイの行為を、見続けた。
見たい
見たくない
聞きたい
聞きたくない
知りたい
知りたくない
わかりたい
わかりたくない
触れたい
触れたくない
とても良い香り
最悪の臭気
味わいたい
味わいたくない
朱璃が好き
朱璃が嫌い
二人の息づかい。加速する。
朱璃の、細い悲鳴のような声、きらきらとぬれて光る、目。
やめて
やめないで
もっと見せて
もう見せないで
もっとして
もうしないで
もっと感じて
もう感じないで
もっとさわって
もう突き放して
朱璃はきれい
朱璃はみにくい
もっと動いて
もう止まって
カイになりたい
カイになりたくない
朱璃とカイのカラダの動きがぴったりと同調した。
カイのうめくような声と、朱璃のとぎれとぎれの甲高い声。
お互いの名前を呼び合う。
加速、加速、加速…ふいに停止。カイの背中がこわばる。
二人の、ゆるやかな脱力。
…もう、いいよ。もういいよ。もういいよ!もういいよ!!
ぼくは、自分の意識が強制的にシャットダウンされる感覚を感じた。
あ、まずい、ベーシックプログラムが破壊される、これ。
…ぼくが壊れる。
そのとき、さっきの音声ファイルが展開した。ループがかかってる。
・・・朱璃が好き。
・・・朱璃が好き。
・・・朱璃が好き。
・・・朱璃が好き。
・・・朱璃が好き。
・・・朱璃が好き・・・・・・・・・・・・・・・・。
リピート、リピート、リピート・・・急に、変調した。
・・・朱璃。ぼくの名前を呼んでよ。
・・・朱璃。ぼくの名前を呼んでよ。
・・・朱璃。ぼくの名前を呼んでよ。
・・・朱璃。ぼくの名前を呼んでよ。
ぼくの中に、様々なファイルが展開していく。それらは全部、朱璃に
宛てたものだった。
・・・逢いたい。
・・・知りたい。
・・・話したい。
・・・笑いあいたい。
・・・わけあいたい。
・・・見つめたい。
・・・触れたい。
・・・抱きしめたい。
・・・キスしたい。
・・・一つになりたい。
・・・一緒に眠りたい。
・・・一緒に生きていきたい。
ファイルが展開し続ける。ぼくは、それらがぼくのプログラムにパッチを当て、
ぼくが破壊されるのを防いでいくのを茫然と感じていた。明日の朝、ぼくは
「眠り」から醒めたら、いつものように笑って朱璃におはようを言って、
いつものようにキスをして、3人で朝食を一緒に取ろう。
何も変わっていないと、3人ともそう演技して。
やっと見終わった。ここまで見たら、目覚めるまであと30秒。
これから先も、ぼくが壊れるまで、ずっと繰り返し見続けるのかな。やんなっちゃう。
ねえ、朱璃。「他人」を「好き」になるって、「愛する」って、
こんなに「つらい」ことなの? こんなに「しあわせ」なことなの?
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金城海は、一般的なモニタルームと同じ機能を持った、ボディスーツ型モニタを
身に纏って、スペイン・バルセロナにある研究室兼自宅のリビングのソファにいた。
スーツには異法改造がなされており、全裸で纏うとデータはそのまま海の感覚器を刺
激し、
フォルモが得た経験をそのまま海のカラダに再現する。海は、そのとき、日本で
朱璃と会食中のフォルモが送信し続けるデータを享受していた。その食事は
イタリアン。 東京のメシはどこのも完成度が高いなと、海は感じた。
スペインのメシも旨いが、東京のものより繊細さには欠ける。
…上手く行ったな、あの朱璃が疑わないなら、アレは俺自身だと言っても
かまわないだろう。
海自身のデータをアナライズし、抽出したプログラムをベーシックプログラムに組み
込んだのが、今、朱璃と逢っている、「カイ」だ。最新型のボディ技術を使用し、
人間とは 全く見分けることが出来ない。心音・脈拍・呼吸音、それに体臭もあり、
体毛もきちんと伸びる。場合によっては、病気様の症状を起こして見せることも可能だ。
なぜ、そのようなことが可能か。「カイ」は無機物で出来た「昴」とは異なり、
全身が 有機物で出来た、いわばバイオロイドなのだ。よって、X線をかけられても、
内部構造は全く人間と変らない。体重も、ボディの身長にあわせた平均的な人間の体重だ。
しかし、性能は一般的なフォルモと遜色なく、片手で120キロまで持ち上げられる
馬力も変らない。定期的なメンテナンスを欠かさなければ、老化することもない。
このボディと感情プログラムの開発、それが海がスペインに強制的に派遣された
理由だ。とはいえ、表向きの宇宙食の開発についてもかかわっている。何故なら、
フォルモの味覚はかなりデジタルで、未だ発展途上の段階にある。感情プログラム
にも密接に関連する嗅覚と味覚の精度を上げるため、ああいった極限状態の食品に
ついてデータ化する事が、一番の近道なのだ。
made in Spainのスパニッシュ・オムレット。悪い冗談みたいだと、海は苦笑した。
そして、独り言。
「家で飲む・・・。うまくいけば、一番欲しいデータが採れるな。」
朱璃はかなり酔っているようだ。「カイ」の感覚器連動型計測器がアラートをよこし
た。無視するよう指示する。欲しいデータ。それは、朱璃との性的関係を含む恋愛だ。
海と朱璃は、過去、恋愛関係に似た関係性を持っていた。それは、フォルモの
プロトタイプを研究・制作していた、大学院の研究室に海も朱璃も一時所属していた
からだ。
ほんの、2年前だな。
「だから、朱璃。そう考えてしまったら、フォルモに偏差が出来てしまうだろ?」
「そんなこと言ったって、無理だもん。あたし、人間よ?個人的な経験を消して
フォルモに本当のニュートラルな感情を持たせるなんて、無理!」
今でも思い出す。いつもの、言い合いだ。朱璃は、多数の人間の個人経験に基づいた
感情を組み上げ、それをフォルモに搭載させることしかできないと主張していた。
俺は、そうではなく、多数の人間の個人経験からニュートラルを導き出し、
それをフォルモのベーシックプログラムに焼き付ける感情として組み上げる
事を主張し続けてきた。研究室内では、恋愛は犯罪行為とされていたので、
お互いがお互いの気持ちに気づきながら、それを相手に伝えることは避けて
いた。けれど、誰よりもお互いの理論を理解していたので、研究は勢い同じ
方向へ収斂していった。しかし、根底を流れる思想は、全く違っていたのだ。
結果、朱璃はプロトタイププロジェクトから外され、研究室を変わった。
そして、今の職業、精神科医になったのだ。俺は、俺の主張が認められ、
ベーシックに焼き付けの感情よりも進化する、感情プログラム研究開発の
リーダーになった。結果、政府間の諸事情などが絡み合い、俺は実際とは
違う表向きの理由など付けられてスペインに派遣された。感情プログラムと
バイオロイドの開発は、非常に倫理的に危険なものだから。ヒトがヒトを
作り出すことは、倫理を犯す究極の犯罪ではないのか?
俺は多分、いつか罰を受けるのだ。きっと。
うわ、冷たい。
海は、朱璃の言葉と、手をふわりと包む感触に思考を切り替えた。
朱璃は「カイ」の手を両手のひらで、大事なもののようにそっと包んでいた。
低くつぶやく。
「…逃がさない。」
「カイ」が、朱璃の手を離さずを素早く立ち上がり、逃さぬよう抱きしめた。
朱璃が抵抗するため両手を「カイ」の胸に押し当て押し返すが、
そうするとある時に顔が正面を向く。そこを捉え、唇を合わせる。朱璃が、
驚きでまた硬直したのを確認し、逃げられない様に首筋と後頭部へ
手を滑らせ、支える。朱璃が何とか顔を逸らしたが、両手を頬に当てて
向き直らせる。
やめてはじめたのは朱璃の方でしょう
もう一度唇を捉える。朱璃のカラダが、ふいに脱力した。
それと反比例して、朱璃が「カイ」の背に回した腕に、意志のある力が
籠もっていった。
「…捕まえた。はじめたのはおまえだぞ、朱璃。」
これで、行き着く先は決まった。海は、狩りでもしているような興奮を覚えていた。
目を合わす、見つめ合う、唇を捉える。目を瞑る。一度唇を離す、もう一度寄せる。
それから、舌で探り当てる。ゆっくりと、終える。ため息を吐く。
また最初から、何度でも繰り返す。しばらくすると朱璃の両手が「カイ」の胸へ降り、
押し返してきた。唇だけ解放する。
だめだめだめ別に我慢しなくてもいいのにどうしてこんな事したのキミがはじめたこ
と
でしょうそうでしょうそうだけどこのまま放っておいてくれると思ったそんなに都合
よく
行くわけないでしょでも他の選び様はあったでしょうそうしようとは思わなかったん
だ
どうしてあったけどこれを選んだどうして何もしないでおけば何も変わらなかったの
に
朱璃が変えようと思ってくれたから多分同時に俺も変えようと思ったから
朱璃の表情が、意志を持った。強く胸を押し返してくる。「カイ」は、
腕をほどく。
あなたが好きおれもキミの事が好きだよ
「…よし。心も捕獲した。」
そういいながら、海は、心臓の裏側を何かでがりがり引っかかれるような
強い痛みを感じた。
じゃあどうしたらいいのわたしはどうしようかいやキミがどうしたいかの問題でしょ
うカイは
どうしたいの朱璃を抱きしめてキスして触れて味わって中に入ってみたいわたしもそ
うし
たいけど今すぐに?今すぐに今晩一度きりで二度としないそして決して今晩の出来事
をお互い
に口にしないけれど忘れないこれを守るならどうして一度きりなのあなたとあたしが
ここでこ
うやって逢っている事自体犯罪でしょうよわかってるのよあなたがスペインに行った
ホントの理
由あなたフォルモの感情プログラムの開発者じゃない?
一瞬、全身の体毛が逆立つような感覚に襲われた。
「…どこで知った? 朱璃。」
「カイ」に、感情プログラムの凍結を素早く指示する。朱璃が耐えきれなくなるのを
待つ。
・・・で、どうする?
黙って頷く指示。それから、感情プログラムの解凍を指示。…チェックメイト。
海は、「カイ」と「朱璃」の行為を、「見る」のではなく「経験」していた。
朱璃の発光する白い肌、きめの細かさ。トルソーのようなカラダのフォルム。
声の高さ、息づかい、体内の湿度・温度・圧力…。
海のカラダが「カイ」のボディと等しい性的興奮に包まれていく。
…俺は、ずっと朱璃が好きだった。愛していた。一つに、なりたかっ、た。
「カイ」が朱璃の体内深くに放った瞬間、海はスーツ内の排泄物バキュームに
吸い込まれる自分の性欲を感じた。
頬を伝わる、暖かい液体。今、泣いてるのは本当に俺で、「カイ」では
ないよな? なぜ、暖かいのか、忘れてしまったよ、なあ朱璃…。
海は嗚咽と共に、声を絞り出した。
「…何やってんだ、俺。」
深い後悔、痛み、苦さ、嫌悪。ほら、さっそく罰だ。
海は嗚咽と共にこみ上げてきた吐き気をこらえながら、
「カイ」のモニタリングを強制終了した。