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「何か、思い当たる原因はありませんか。」

その若い研究者は開口一番、そういった。わたしは、面食らった。

ぼさぼさ頭にちょっとよれたスーツ姿、つり眉に少し垂れた目、

大人と子供が同居したような顔。年齢は多分、26〜7歳じゃないかな。

「…いいえ、特には何も?」

彼ははっきりと見て取れる落胆を一瞬みせるが、すぐに表情を取り繕った。

「こういった例は初めてのことなのです。花元さんの所有するフォルモ以外、

すべて自閉した。この差は一体何なのだろうかと。」


彼が訪ねてきたのは平日の夕方だった。アポイントメントの電話をかけてきて、

その日の内に私の診療所まで。彼は挨拶もそこそこに待合室に上がり込み、

思い当たる節を聞き、私の所有するフォルモのデータを取らせて欲しいと

言ったのだ。


私のフォルモは身長165cm、汎用・少年型・人工感情搭載の型名「阿南」。

型名の由来は仏弟子のアーナンダである。勿論、そのままの名前では読んで

いない。ウチでの名前は「昴」だ。人工皮膚の色はアイボリー、体毛はアッシュ

ブラウン。ワンレングス、長さは下顎角の高さで切りそろえ、柔らかなウエーブ

がかかっている。切れ長の目、細い鼻梁、優雅な眉、削いだような下顎のライン。

ため息をつくほど美しいカタチ。


加えて言うなら、私は身長164cm、30歳、人間であり女性。国籍は日本であり、

両親共に日本人であるので、文化的プログラミングは日本。名前は花元朱璃…ハナモ

トシュリ。職業が精神科医なので、皆は「花元先生」「朱璃先生」などと呼ぶ。親し

い連中は「朱璃」「しゅう」などと呼ぶ。見た目は、眼鏡かけていて、化粧っ気の

ない、男だか女だかわからない姿。ま、十人並みの容姿だと思う。


「昴、お茶入れてちょうだい。」

昴はごく自然にほほえみ、

「はい。ダージリンの良いのがありますので、それで?」

私が黙って頷くと、キッチンへと消えていった。私は、彼に待合室のソファを勧めた。

穴が開くほど昴を見つめていた彼は、ため息と共に言葉を吐いた。

「なんて自然な…。動作プログラムに何かカスタマイズでも?」

「いいえ。勝手にあんなふうに笑うようになったの。つい最近の経済新聞で、

事情は私も読んでますけど、昴があのようになった理由は全く私もわかっていないのよ。」


一週間前の新聞記事。『フォルモの人工感情プロジェクト凍結へ』

子供向けの対話型フォルモでも、一般型フォルモでも同様に、人工感情を搭載すると

ほぼ100%自閉してしまう事が判明したため、プロジェクトを凍結するとのことだった。

その映像は、テレビで観た。数例のフォルモが映し出されていたが、どの型番であれ

同様に、

「もういいよ」と言ったきり、本当の人形のように四肢を投げ出して、重力に逆らう

ことをやめてしまうのだ。


しかし、ウチの人形は自発的に 感情を表すようになった。私もおもしろ半分で、

無料配布されていた人工感情プログラムを昴に導入しただけであり、それがどんな

結果をもたらすのかは想像の範囲を超えていた。単に好奇心を、技術革新へ貢献す

る慈善家という外装でくるんだだけの、行為だ。この記事を読んで、フォルモの

販売元へ連絡をしたのだ。ウチのは、ちゃんと喜怒哀楽を表現しますが、これは

故障なのだろうか、と。すると、研究者がやってきたのだ、こんなところまで。

この診療所は、都会にあるとはいえ非常に見つけづらく、一般人が何の情報も

持たないままではたどり着ける場所ではない。患者ですら、たまに迷ってたどり着けず、

電話をしてくるような有様なのだ。それを、販売元に明かした電話番号だけから

場所を特定してやってきたのだから、その情熱には敬意を表する。


私と彼との会話が成り立たなくなった頃、足音をさせずに昴がお茶を運んできた。

なめらかな動作。昴に人工感情を導入して以来、よく訓練された人間の動作よりも

しなやかな動きをするようになり、その場の雰囲気すら読んでしまうようになった。

「どうぞ。」

彼は半分フリーズしている。こちらの方が機械のようだ。

「あ…ありがとう。」

私は紅茶をそのままで一口。そして添えられたミルクを加える。

それから、少しからかう様に名刺をねだった。

「そういえば、お名前も伺っていなかったわ。」

「申し遅れました。JFAの若槻と申します。」

といって漸く名刺を差し出してきた。JFA…japan formo association、若槻哲弥。

私は名刺から目を外さずに、キッチンへ引っ込んでいる昴を呼んだ。

「昴、ちょっと。こちら、若槻さん。あなたに興味があるのですって。」

「はい。」

まったくもって猫のように動作音がしない。スチールとシリコンとラバーで

出来ているっていうのに。重さなんて、100キロ強はあるのだぞ、これは。

「昴です。はじめまして。」

右手を差し出して握手を求め、ふんわりと笑ってみせる。どこにも淀みはない。

若槻は汗ばんでいる手を履いているパンツでぬぐってから差し出している。

昴には、汗腺も交感神経もない。よって、汗はかかない。人間とフォルモの、握手。

悪意も傷つけるつもりもないという意思の表明であるが、それ以上もそれ以下の

意味もきっとないだろう、昴のプログラムの中で。自発的な好意などは。


「はじめまして…若槻といいます。えーと…興味があるっていうのは、その…」

「若槻さん、昴のデータを取りたいのですって。良いかしら?」

「どうぞ、データはコピーしたからって減るものでもないですし。」

昴は、人間で言ううなじに当たる部分にあるジャックを引き出してきた。

私はこういう時、やはりフォルモなのだと再認識する。


うなじのところには、脊柱を挟んで4つのデータジャックとボタンがある。

向かって右から、アウトプット・インプット・緊急時再起動用ボタン・データ

サルベージ用ジャック。これを隠すためにフォルモはデフォルトの髪型は

男性型女性型とわず長髪だ。見えても構わないオーナーは、気に入った髪型に

切ったりするが、わたしはそうしなかった。デフォルトより長くする場合や、

切った髪を長くしたい場合は製造元に一度送り返し、頭皮ごと取り替えることになる。

さすがに、勝手に髪が伸びる人工頭皮はフォルモには備え付けられていない。


きょろきょろと周囲を見回し、ジャックを接続するための機器を探している。

「…あの、どこへコピーすれば?」

若槻は慌てている。いきなり差し出された昴のジャックに手を伸ばしかけて

正気に返った様子だ。

「あ、ちょ、ちょっと待って!あの、そこからコピーするんじゃなくて、えーと…」

困惑した表情を昴は浮かべた。

「…データを記録するデバイスをいただきたいのですが。」

若槻は、やたらに大きいなと私が思った荷物からそれを取りだした。

「あの…拒否する権利が花元さんにはあります。これは、24時間のデータを

リニアに記録するデバイスなんです。心電図をずっととり続けるホルスター検査って

あるでしょ?アレと同じ事で。出来たらこれを昴さんに取り付けさせて欲しいと…。」

大きさはほぼ無いといって等しい。ヘアピンほどの長さに、マッチの頭ほどのものが

付いている。取り出すときにチラリと見えた、一緒に付いている取扱説明書の厚さに

驚くが。昴の身体の大きさから考えて、どこに取り付けようと何の支障も無いことは

火を見るほど明らかだ。昴が私を振り返った。ああいやだ、許可か拒否かは私にしか

選択権はない。彼は私のフォルモだもの。


私は指に絡ませるほどの長さの無い、頭皮から10cmあるかないかの髪に

手をやりながら、ため息混じりに決断をした。譬え頭皮を掻きむしっても、

嫌になるほどの直毛だ。さらに、硬質の質感を出すために整髪料でヤマアラシの

ように見えるよう整えてある。少しでもウエーブがかかっていれば、指にからみつい

て時間稼ぎにでも何にでもなるだろうに。まったく…通常使わない女性動作を使用す

ことでしか、私の逡巡を表す方法がないなど、白衣を着ている自分としては非常に

気持ちの悪いことなのだが。性差に頼った言葉の別や動作は、私にとっては、

対症療法的な道具以外の何ものでもない。髪に手をやること、それはそういった

場当たり的な性別に依った動作だ。


「どうぞ。昴の動作に不安定さが出ないのなら、私に拒否する理由はありません。

もともと、何かのデータが取れるならと思って参加したプロジェクトですもの。」

彼の目が輝いたのを私は見逃さなかった。術中にはまってしまったらしい。

そうよね、最初から私はそういうに決まっているもの。これで、行き着く先は

決まってしまったも同然だ。


「ありがとうございます!じゃあ、昴くん、ちょっと後ろ向いていただけますか。」

昴が黙って頷き、ジャックを巻き取ってから後ろを向いた。彼はいきなり昴の着てい

るボタンダウンの薄青いシャツを肩甲骨の高さまでめくりあげ、そこにある非常用電

池ボックスのフタを開けた。そして、鼻歌を歌いださんばかりの表情で中からリード

を引っ張り出すと、デバイスを手早く接続してまたフタを閉めたのだ。昴は目を見開

いて、動きを止めていた。自分のボディーにされたことに対して衝撃を受けたらしい。


彼はそんなことにはお構いなしに、目を輝かせて得意げに言った。

「こうしておかないと、夜間の充電時にデータが取れないんです。」

私は少しムッとした表情をした。眼鏡をはずし、胸ポケットから取り出したハンカチで

眼鏡をぬぐった。

「許可が出て嬉しいのはわかるけれども…少なくとも感情を持っているフォルモの衣

服をひんむく時は断ってからよ。覚えておきなさいね。」

クレッシェンドのかかった声で彼は謝った。

「あ…済みませんでした…。」

語尾は聞き取れぬほどの大きさになった。棘をてんこ盛りにした声で私は、


「他でデータを取るときはきちんと断ってからすることね。」

彼は一瞬視線を落としたが、すぐにまた顔を上げ目を輝かせて、またしても得意げに

こう宣言した。

「でも、もうこれで、24時間研究室へデータが送信されつづけます。

取り付けておく期間は3ヶ月ほどです。宜しいですよね?」

私は、彼に感情のやりとりに関する作法について説教することをあきらめた。

「…了解しました。では、本日はこのくらいで宜しいかしらね。」


「はい、長々とおじゃまいたしましたっ!」

彼は跳ね上がるようにソファから立ち上がり、素早く荷物をまとめはじめた。

追い出される前に辞去するくらいの感覚は持ち合わせているらしい。しばらくして

彼は小さく声をあげ、私に折り曲げられる液晶画面とごく小さいキーボードの付いた

A4サイズのデジタルペーパーを差し出した。

「すみません。契約書と機器に関する説明書をお渡しするのを忘れていました…。」

私は大きくため息を吐いた。そして、睨みつけた。

「遅いっ!」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

若槻は上等な契約が取れたセールスマンのように意気揚々として帰っていった。

こちらはというと、ドアが閉まったとたんもうげんなりしてしまい、何をする

気にもならない状態だ。若槻に何かを吸い取られたのかも知れない。

待合室のソファに身体を預け、脱力。ぼーっとする。すぐ斜め前で昴は冷めかけた

ダージリンを飲み干した。ま、飲んだって、体内で吸収されるわけではなく、

タンクに格納されて後で排泄されるだけなんだけど。味覚はあるから、実用では

なく楽しみとして飲むのだ。それはそれで、純粋に味を楽しむんだから羨ましい

気がしないでもない。わたしは食べ過ぎたら太るけど、昴はそのままだもの。


「朱璃、そっちへ行ってもいい?」

昴は二人きりの時は私を朱璃と呼ぶ。私は自分の大腿をぽんぽんと両手で叩き、腕を

広げ、

「おいで。」

滑るように歩いて昴がこちらへ来る。それから、私がソファから立ち上がり、

代わりに昴を座らせる。そして、私は向かい合わせになるように昴の膝へ乗った。

お互い腕を背中に回し、抱き合う。疲れている時にお互いを癒す、いつものやり方だ。


「あなた、重すぎるから逆は出来ないのよねぇ。」

「ホントならぼくが膝の上に乗った方がいいの?」

「だって、あなたは私のフォルモじゃない。愛玩物なら膝の上で愛撫しなきゃ。」

昴がくすくすと笑う。

「これでも軽量化されてるほうなんだよ。」

「でも、昴を上に載せたらあたしが潰れるわ。」

そっと首筋に頬を寄せる。なめらかな質感、暖かな体温。でも、人間特有の体臭がな

い。あるのは昴が使っているボディーソープの香り。それ以外はヒトそのもの。


「…キスしてもいい?」

「なんでいちいちことわるのよ。したかったらいくらでもしなさいな。」

行動を起こす前に、オーナーへ許可をもらう。フォルモのベーシックプログラムが

そうさせる。


一旦目を合わす。見つめ合う。唇を合わせる。目を瞑る。一度唇を離す。

もう一度寄せる。それから、舌で探り当てる。昴の口腔は、ダージリンの味がした。

ゆっくりと、終える。ため息を吐く。また最初から、何度も繰り返す。


昴は一体、この手順をどこで覚えたのだろう。何度も何度も行われるその行為のただ

中、私は漠然と考えていた。そもそも愛玩用プログラムを導入していないのだから、

こんな恋人同士の手順は知らないはずなのだ。どこかで学習している。それも、私の

やり

方を。いつ、どこで、見せたっけか。


昴をこの診療所に導入した理由は、人件費の削減である。プログラムをカスタマイズ

しさえすれば、日常の細々とした雑務や経理などを完璧にこなしてくれるフォルモは、

忘却という能力を備えている人間よりも仕事を任せやすい。もちろん、初期投資はか

なりの額になるが、何十年も時間を共にする事を考えれば従業員に払う給与よりは少

なくなるのだ。


少年型を選んだ理由は、女性精神科医の身の安全を守る役目も請け負って貰うため。

成人型を選ばなかったのは、成人男性の姿形が患者に対する威圧感を軽減するためだ。

フォルモにはいくつかの型がある。幼児・小児・少年・青年・成人・壮年・老人の7

つ、そしてそれぞれに男性・女性の別がある。実際のところ、7つの型にはほとんど

馬力の差はなく、ベーシックプログラムは共通である。型番特有のプログラムは相互に

入れ替え可能なので、大人びた小児や、子供じみた老人も作り出すことは可能だ。残る

プログラムは愛玩用プログラムで、いわゆる超高級ダッチワイフ/ハズバンドである

セクサロイド用である。


昴にはベーシックプログラムと少年型プログラム、それと人工感情が導入されている。

セクサロイドのアタッチメントである人工生殖器は取り付けられていない。実際のと

ころ、何故取り付けなかったのか自分でも後悔している部分はある。キスだけの関係

性はかなり欲求不満が高まるから。


人工感情を導入する以前は、昴に性的な魅力は一切感じなかったのだが、

どういった訳か昴はいわゆる「色気」の様なものをいつからか醸し出すようになった。

私はこれに一発で参ってしまったのだ。でもなんとなく、そういう関係を構築するの

避けてきた。相手はフォルモだから、恋愛感情や欲情を感じることが非常に

気恥ずかしく感じられていたから。


だいたい、フォルモの言葉や態度は人間がプログラミングしたまがい物だ。

どれだけ美しい姿形をしていたとしても、自分で作ったお人形に自分で恋する様な

真似は恥ずかしくて。


アタッチメントは今から取り付けることも可能だが、生活の中からの直接学習も

含めて既に出来上がってしまったプログラムに、追加で身体デバイスが加わると

様々な不具合を数ヶ月から数年間起こすことになるのだ。


あ…まずいな、これ以上は。背中に回した腕をほどき、そっと昴の胸を押し戻した。

「これ以上はダメ。いけない。」

「どうして?」

「ちょっと我慢できそうになくなってきちゃったの。」

昴は私の背中に回した腕に力を加え、私の体幹を引きつけた。

心の痛みを、すべて、こちらに止むに止まれず投げ出してくるような、抱擁。

昴はどこかに痛みを感じている。今度はわたしからも抱きしめることは、止められ

なかった。

「別に、我慢しなければいいのに。」

「だって、あなた機能的に無理じゃないの。」

昴の目がいたずらっぽく光った。何をするつもりだ、こいつ。

「別に、それだけが必要な事じゃないでしょ?ぼくは知ってるよ、もう、全部。」

瞬間、軽々と私を抱き上げ、診察室のベッドまで運んで行った。捕まってしまった。


近頃、昴は感情に随っているかのように、自発的に行動を起こすことが稀では

なくなっている。これは、プログラミングで動いているフォルモとしては

有り得ないことなのだが。いいやもう、どうにでもなりやがれ。そうなりたいと

思っていた自分が、昴にそうさせているんだから。でも、昴はどうなんだろう、

本当に何らかの衝動を感じていてこうしているのだろうか。


体臭以外の、昴の纏う様々な香りを吸い込み、温度を知り、味覚に訴えられ、

感触を知った。幸福と不幸を同時に知り、そしてその二つをどのように

処理して良いのかわからなくなった。そして勿論、知る前の状態へとは

二度と戻れない。


ところで昴は、ここから何を学習するのだろうか。

更にハードディスクのどこかへ甘さと痛みを蓄積するのだろうか。

でも、それって二進法で記録できるものだったっけ?

密やかな虚脱。意識を失う途中で私はそう考えていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

若槻哲弥がJFAのメインデータルームへ戻ったとき、オペレーターの山田美沙は彼を

見るなり、困惑しきった声で、

「若槻さん、データ、変な波形出てます。」

と言った。適当なところでいいかげんな晩飯を取り、それからもう一度帰社した

若槻は、それなりに今日一日の長さにうんざりしていたのだが、瞬間的に研究者の

思考回路へとシフトした。

「見せて。」

昴へ取り付けた機器は順調に作動していた。データは二進法の信号で送信され、

それを五感の一つ一つのデータとして分解、蓄積する。さすがにプライバシーに

配慮して映像や音声そのものとしては変換しない。グラフと波形として提示される。

若槻は眉根を寄せて、複雑な表情をした。

「これは…人間で言うところの性的興奮だなぁ。」

山田も同じ表情だ。

「でしょ?この検体、愛玩用プログラムは?」

「いや、導入されてない。それだけじゃなくて、人工生殖器も付けてないよ。

 参ったな、初日からこれか。」

愛玩用プログラムを導入していたとしても、このように複雑な波形は出ない。

プログラムの波形は上限と下限を決めて、それ以上/以下は切ってしまう。

丁度MDに録音された音が人間の可聴域以外を切り落としているのと同じだ。

しかし、実際の経験というのは上限/下限はなく、それ以上/以下の部分も

データとして蓄積されているのだ。人間では、それは無意識の領域へとしまい

込まれる。よってこれは、何らかの形で直接学習を行ったことを示している。

「この子、本気で恋愛してるわ。」

山田がモニタに向かって茫然とつぶやいた。若槻も茫然と。

「そうだな。そう表現する以外にない。」

沈黙。若槻は、花元先生の眼鏡をはずした素顔を思い出した。うわ、すげー美人だ、

この人、と思ったのだ。黒目がちのハシバミ形の目、カールした長い睫毛、

きりりとした眉、高くはないがスッとした鼻梁、赤い唇、桜色の頬、柔らかな

曲線を持った下顎。化粧してねぇのにこれかよ、と。


そのままどれくらいモニタを眺めていただろうか。波形に大きいピークが数度現れ、

その後ゆっくりと沈静化した。

山田は低くつぶやいた。

「終わったみたいね。」

若槻は黙って頷いた。声を発することが出来なかった。


やっとのことで事務的な指示をする言葉をしぼり出す。

「申し訳ないが、しばらくこのモニタリングだけに専念してくれ。他のモニタに

関しては人を増強する。現時点までのデータをメディアに焼いてくれ。持ち帰るから

。」

「了解しました。」


若槻は伸びをしながら、

「さすがに疲れたよ。今日は一日が長すぎる。帰って寝るよ。」

山田は記憶メディアをドライブに挿入しながら、

「どうせ帰ったって寝られないでしょ。これ、読むつもりなんでしょう?」

「すべてお見通しですねぇ、美沙さま。」

あっという間に焼きあがったディスクを若槻に手渡し、ニヤニヤしながら

「じゃ、おやすみなさい。良い夢をね。」

山田の表情を見て、若槻は、まるでそのディスクがアダルトビデオのDVDであるかの

ように錯覚したのだった。

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