金と家庭
今の仕事は、辞めようと思う。何日も家に帰らないで、心音の面倒をあゆみの母に付きっきりでみてもらうこの生活では、ダメだ。俺は、あゆみにどれだけの負担をかけていたのか、それをどう改めるべきなのか、この3日間ずっと考えていた。
「彬人、頭を冷やせ。そりゃあ奥さんが倒れてツラいのは、わかる。でもこの仕事を辞めて、いったいどうするんだ?」
「防災のヘリパイ、やります。それなら毎日家に帰れるので。」
俺は今日の朝、上司に辞職願を提出した。それで今、その上司に呼ばれ、広い広い会議室の中2人きり、今後の話をしている。引き止められるのはわかっていた。パイロット1人いなくなることが、どれほど組織のバランスを崩すのか…考えただけでも寒気がする。他のパイロットとは目を合わせられない。それでも、俺は今までの俺のままじゃいけない。あゆみが安心して目を覚ますには、今までとは違う俺でなくちゃいけないんだ。
「ヘリパイって…わかってるのか?飛行時間は短いし、めちゃくちゃな運用でもされたら体がもたないぞ。給料だって、ケタ違いにガタ落ちだ。奥さん、大変なのはわかってる。だからな、今度の異動で彬人、お前をもっと長距離飛行の便担当にさせようと思っていてね。上と話した感触も良かったから間違いない。今以上にいい給料を家に入れることができるぞ。娘さんにも、好きなものを買ってやれるようになるし、奥さんへの治療も最先端のものをお願いできるんじゃないか?悪い話ではないだろう?」
「ありがたい話ですが、そうじゃないんです。」
「どこが、気に入らないんだ?」
「気に入らないのではありません。すごく嬉しい話ですが、根本的にこの仕事だと、家族を守れないんです。」
「守っているだろう、彬人が働くおかげで食っていけてるんだ、そんなに自分を卑下するな。」
「・・・。」
「お言葉ですが。」
彬人の決心は揺らがない。今までなら上司に絶対言えなかったような言葉を口にしていく。本気だ。
「金じゃ、誰一人守れませんでした。金がありゃ、家族が幸せで暮らしていけると思って過ごしてきた結果が、自分の今なんです。家庭にいる時間というのは、大事なんです。側にいるだけで安心できること、乗り越えられること…たくさんあって、自分の家庭にはそれがなかった。これ以上、家庭を見ないふりして仕事、仕事と言ってられません。今まで良くしていただいて、本当に感謝しています。こんな終わり方になってしまい、本当に
申し訳なく思っています。」
彬人は席を立った。上司に深く頭を下げる。誰もが憧れるパイロットの帽子を脱ぎ、会議室の机の上に置いて、部屋を出た。
(パタン…)
上司が深く溜息をついて、窓から外を眺めた。
「ろくに仕事が続かなくて、家庭が成り立つかよ・・・。」
机に置いてある彬人の帽子を、手ではらい床に落とした。
俺は、進んでいく。誰がなんて俺の生き方を非難しようとも、俺自身、今の俺が一番情けなくてカッコ悪い。イクメンがモテるとか、育児に協力しないまま年老いて孫の世話焼くイクジイが好感をもたれているとか…テレビでよく特集をやっているけど、家庭第一で生きる男が今の時代求められていることは間違いないだろう。男は仕事して金を稼げばいいというのは、昔の時代。俺の価値観は昔のまま止まっていて、その価値観を押し付けた結果あゆみがパンクしてしまったんだろう。新しい職場では、仕事はそこそこ、家には心音がまだ起きているうちに帰れるようにするよ。オムツだって替えるし、寝かしつけるのに絵本も読むさ。俺は、家庭的な男になるぞ。固定翼だけでなく回転翼の資格も若いうちにとっておいて良かった。イチから新しい仕事、ヘリのパイロットとして頑張っていくよ。あゆみ、安心してくれ。目を覚まして、変わる俺の背中を押してくれよ。