パンから始まる信頼
(♪~~♪♪~~~~♪)
うるさい携帯のアラーム。この曲は、かなりえっちな歌詞が評判のヴィジュアル系バンドのやつだったような。わたしの意外な趣味発見。ただ今、午前4時。眠い~!天井は船のまま、他人就業1年の契約は、どう願っても変えられないみたいね。さぁ、今日からいよいよ本格的にイメチェンしていきましょうかね。まず、このイケてないポニーテール。調理する者として清潔感は大事だけど、オンナを捨てる必要はないと思う。両サイドに編み込みを1本ずつ作ってみる。いつもより下目でゆるめに後ろに束ねてみた。さっきの編み込みは上品なパールがついたヘアピンで束ねた根元に差し込んだ。毛先は少し遊ばせて…清潔だけど、すこし甘い感じのヘア、完成。眼鏡ははずす!遠くはぼやけても手元は見えるし大丈夫でしょ。ボサボサ眉毛は整える程度に。赤みを隠す程度に下地を塗ってかる~くファンデをのせる。目元は特にいじらず自然なピンクのグロスを唇に乗せて、完成。船乗りでもこのくらいのナチュラルメイクなら…海の神様も怒って波を立てたりはしないよね、これはお化粧とまでいかない身だしなみの範井内。
わたしは朝弱いのか、一番最初に調理室に出勤したことが数回しかないみたいだけど…下っ端なんだから、最初に出勤して、コーヒーでもおとしておいて、掃除とか一通り済ませておくのが“デキる部下”への第一歩だと私は思うの。だから、今日からはそんな感じで…
「あれ、早いね沙希。おはよう」
おっと、シェフ副チーフの森田さん登場。相変わらず今日もカッコイイお顔ですね。
「おはようございます。」
シェフの副チーフなのにこんなに朝早く出てきているのか…チャラくても仕事できるしこの人、すご~くいい人なんじゃないかな?
「コーヒー、ありがと。ん、おいしい」
「よかったです、わたしコーヒー飲めないので…」
「飲めないのにおいしく入れれるなんて、すごいな~」
「あはは、おいしくてよかったです」
「コーヒーのうまさわからないなんて、沙希はオコチャマだな!」
「あ、ひど~い」
「でも、今朝の感じ、かわいいよ」
ポン、と頭を軽く叩いて、森田さんはチームシェフのキッチンへ向かっていった。さっすがチャラ男、女の子が喜ぶ言葉と動作を知っているのね。一瞬ドキっとしてしまった。
「おはよう~」
チーフ登場!
「おはようございます!」
チーフが落としたてのコーヒーに目をやる。
「沙希。どうした、気がきくじゃねえか」
「あはは、実は、チーフにお願いがありまして・・・」
「ん?なんだ?」
昨日今野さんと話したパンの話をチーフにしてみることにした。
「夜食用にパンを焼きたいんです。」
「ん?パン?作れるのか?」
「はい。材料さえあれば!」
チーフが何か考えたような顔をしている。沙希への信頼はまだ低いからかな。
「今日の晩、まずママとシェフの人数分作れ。それでみんなの意見を聞いてどうするか決める。できるか?」
「は・・・はいっ!その試験、受けさせてください!」
「試験、か!そうだな、材料は自分で用意しろよ」
「はい!ありがとうございます!」
今野さんの言ったとおり、やる気を感じてもらえたようで…チャンスをゲット。これで美味しくできればきっと夜食づくりを許可してもらえそう。わたし、頑張る!
「朝食の、準備、しますね!」
「おう、頼む。」
なんか、俄然やる気が出てきた。調理室から、隣の食堂へ。食器棚から食器を出し、運ぶ。やる気になれば、この閉鎖的な空間でも楽しく仕事ができるんだ。こんなに活き活きしているわたし、彬人が見たらなんて言うかな。復職に理解を示してくれるのかな。
「おはよ、今日なんか感じ違うね」
トモさん登場。
「おはようございます!髪型、微妙に変えてみました。」
「今日のほうが絶対、カワイイよ。明日からもこれにしなよ」
「御世辞でも嬉しいです、ありがとうございます」
「御世辞なんかじゃないよ。」
一瞬トモさんの声が“オトコ”の声に感じて、ドキッとした。
「・・・ありごとうございます」
サッ、とトモさんを置いて調理室に戻ってきてしまった。わたし、今の彼氏とは冷え切ってるんだし…乗り換えてもいいよね?トモさん、わたしに気があるかもしれない。あと何押しかしたら多分コロッといくんじゃないかな。
朝ごはん、体力勝負の仕事だし…ガツガツ食べていたら、席の隣にタカハシが座った。この男、この顔で智里さんをどうこうしようなんて、本当にありえない。家庭を持ってること自体が考えなれない。こんな顔の旦那とは子供なんて作りたくならないはず。
「おはよう沙希ちゃん~」
「おはようございます。」
なんかいい匂いがする。コイツ、この顔でコロンなんてつけてるの?キモすぎる~っ!!
「沙希ちゃん、今日とってもいい感じ。かわいいよ。」
「ありがとうございます。」
「沙希ちゃんて、好きな歌手とかいる?」
「いますよ、というか、幅広く聞きます」
「それなら、いくつかチョイスして音楽データあげるよ~」
別に欲しくもないけど、断る勇気を持ち合わせていないチキンな私。
「ありがとうございます、ごちそうさまでしたっ!お先に失礼します!」
早々と食事を切り上げて片づけにいく。タカハシみたいな不潔(コロンつけていてもプライベートが汚らしい)なヒトとは濃密な関係なんて間違っても持ちたくはないのです。
「また、後でね沙希ちゃん~」
その語尾を伸ばす感じもやめてほしい…嫌だと思ったらなにもかも不快に感じるタチ。
髪型のことは今日一日ずいぶん褒められた。朝からちょっと頑張った甲斐があったかな、明日からもこうやって身だしなみに気を使っていこうと思う。朝チーフから得たチャンスを生かすべく、今はパンの形成中。たくさんの量を作るのなら、パン生地を伸ばした中にいろんな具を入れて巻いて…それを切って発酵させて焼くのが一番楽。今日は、ベーコンとスライスオニオンとスライスピーマン、それにとろけるチーズを具として入れ、ケチャップに塩とコンソメ、バジルを加えた特製ピザソースをかけたピザパンにしてみましょう!これは彬人の大好物…彬人、今頃なにをしているのだろう。
「おっ、いい匂い~」
匂いにつられてやってきたのはチームワッチの海藤秀由≪かいどうひでよし≫(通称ヒデ)さん、30歳。身長は170cmないくらいで中肉中背の普通な感じの人。奥様と2人ラブラブ生活だとか…切れ長の目がちょっとセクシー。今まで直接話したことはなかった人。
「今、夜食にパンを焼いているんです」
「いいね~、これ俺も食えるんだよね?」
「あ、今日は、夜食として出していいかチーフの試験なんです。」
「じゃ、俺も審査員の一人になる」
「それはチーフに聞いてみないと…」
はい、ナイスなタイミングでチーフ登場!
「やってるか~、いい匂いしてきたな。お?来客か、久々のお出ましだな~ヒデ。」
「ご無沙汰してますチーフ。パンもらっていいすか?」
「おう、いいぞ、沙希の腕をチェックするんだ。厳しくな」
「わっかりました、ウマくてもマズいって言います」
この人結構冗談言って、面白い人なんだ。このノリ、好き。乗っかろう!
「いやいや、ヒデさん!そこは美味しいって言ってくださいよ~!」
「あはは、お前…」
「え?」
「パンみたいな顔してるな!」
「なんですかそれ、意味わかりませんから!」
謎の絡みだ。でもなんか楽しいからいいや。
「ちょうど小腹がすいてきたところだな、沙希、焼け具合はどうだ?」
チーフはお腹がすいてきた様子。焼け具合は良好、上手に焼けたみたい。さあ、みんなのお口に合うかどうか!ドキドキ。
「うわ、うまそう~いただきます」
ヒデさんがパクリと一口。チーフも黙って一口。2人共もぐもぐしてなかなか感想をくれない。
「あの・・・どうですか?」
チーフがわたしの肩をポン、と叩いて
「沙希、合格だ。うまい!」
「やった!本当ですか?嬉しいです~!」
ヒデさんも
「これはめちゃくちゃウマいな、もう一個もらってから見回り行くわ。」
「ありがとうございます」
良かった。わたし、初めてちゃんと仕事任せてもらえそう。女だってこうやって、社会で認められることに生きがいを感じるんだ。
「沙希、シェフにもこのパン持ってくぞ。これからは夜食作りたいとき一声かけてくれ。好きなようにやっていいから。」
「チーフ、本当にありがとうございます、頑張ります!」
「おう」
チーフはうなずきながら隣にあるシェフの調理室にパンをもっていった。
「またこれ、作るの?」
ヒデさんがパンをほおばりながら聞いてきた。
「はい!これからは夜食にいろんなパンをだします。」
「まじか~楽しみだな、これから夜の調理室通うかな」
「はいっ、あ、ヒデさん。好きなパン、ありますか?」
「・・・なんでも好きだけど、ハニートーストがめっちゃ好き。」
あ、意外。そんなクールでセクシーな目でハニートーストなんて…かわいいじゃないですか。ちょっとヒデさんと仲良くなりたいかも。
「じゃ、今度作りますので!ぜひぜひチェックしに来てくださいね。」
「もちろん、見回り前に寄るわ。じゃあな、おやすみ」
「見回りファイトです、おつかれさまです」
チームワッチは昼夜問わず船内のいたるところの見回りがあって本当に大変そう。それに、なかなか乗組員に会わないことからなんとなく存在感が薄い。広い船内も皆が通るのは主要な通路だけ、駐車場や荷物庫、倉庫から船底方面なんて誰も行きやしない。だから可哀そうなチームではある。お給料は夜勤もあるから少しは高いみたいだけれど…わたしはママで良かったと思う。
パンを作り終わり、今日の仕事を終えたところでシャワーを浴びている。私は帝王切開で心音を出産したため、下腹部にミミズがはったような気持ちの悪い手術痕があるので自分の体が大嫌いだった。でも今のわたしのからだは、最高!傷ひとつないし、おっぱいの形も綺麗。母乳育児が大事とか言って、出ない母乳を無理矢理あげろあげろと言う姑のせいでぺろんぺろんになった私のおっぱいとは大違い。くびれもあり、おしりには私と違って妊娠線もない。(沙希は妊娠したことないから、あるわけもないか)自分でも惚れ惚れするこのカラダ、1年だけだけれど手に入れた…。1年後のわたしのために、お肌のケアもしっかりしてあげないと。
(ガチャ)
シャワー室から出たら、ちょうどトモさんが通りがかった。朝、なぜか気まずくなったっきりだった。
「あ、沙希ちゃん。」
「トモさん。」
なぜかお互いに目をそらせない。ここから一歩踏み出す足も出ない。なんでだろう。
「今朝は~っと、ごめんね、嫌な思いさせたっぽいけど、本当に沙希ちゃんかわいいと思ったから言っただけで…」
「トモさん、わたし、嫌な思いしたわけじゃなくって。」
なんで私こんなに言葉下手なんだ?いつもならもっと上手いこと言えるはずなのに…あ、私じゃないからなのか。わたしったら、言葉足らずで損する性格なんだ。この1年で、勇気をあげると決めたんだから、こういう性格も変えていってあげるね。人から好意をもってもらうことは、とっても有難いことなんだよ。私みたいに結婚してしまったら、不特定多数に思わせぶりなこと言ったりできないけど…わたしは彼氏がいるだけじゃん。彼氏なんてポジションは、私に言わせればまだまだグラグラ、簡単に崩れるし、簡単に築きなおせるジェンガみたいなもんよ。わたしの中の私、発動します。
「トモさんに褒めてもらえて、嬉しいというか・・・照れちゃうというか・・・」
ちょっとモジモジしてみる。あんまりこれやりすぎると嫌われそうだから、使い方が大事。
「あはは、マジか!照れちゃうなんて、尚更かわいいね。もっと照れさせちゃおうかな。」
「ぁ~~~、やめてください!恥ずかしくて話せなくなっちゃいますから。」
引き際も、大事。あんまり相手に気があると思わせ続けると図に乗るのがオトコなんだから、今日はこのくらいにしておこう。
「また、明日!おやすみなさいっ!」
まだ何か言いたげなトモさんを通路に置き去りにして、居室へと足早に戻った。
濡れた髪をブローしながら今日のひとり(ふたり?)反省会。今日は頑張ったなぁ。朝からイメチェン大作戦を決行、夜食を作る権利まで手に入れたんだから、明日からがまた楽しみ!もっとこの客船の乗組員と仲良くなりたい。色々な人と仲良くなれば、それだけ情報がはいるしわたしにまた違う仕事を与えてもらえるかもしれない。チャンスは逃さない。仕事ができる部下として上司にはかわいがってもらいたい。明日も朝早い。ぐっすり眠ることにしよう…おやすみなさい、わたし。