決心
私は、自分を休むことにした。もう、決めた。今が決して満たされてないとか、不幸せだとかそういうことじゃないけど、お金と刺激が欲しくって仕方ない。この世の中は、望めばなんだって買える。家も車も、趣味も美しさも、みんな買える。いい仕事を見つけてしまったから、気持ちに歯止めがきかない。
「自分を休み、他人を生きる」、そんな仕事。代わりに生きる他人の性別、年齢、生活環境、仕事などなどいろんな条件によってお給料が違うんだとか。お給料は他人を生きた後、自分に戻った時に支給され…ん?言ってることがわかんない?あぁ、もう少し詳しく説明しておくね。
ヒトは昔、コンプレックスの塊だったとか。雑誌やテレビの綺麗なタレントを見ては「あんな風に生まれていたらな…なんて溜息ついたくらいにして。今は綺麗になりたければ注射打つとか、手術をちゃちゃっと済ませれば、ごらん!はい、綺麗なお顔に素敵なカラダ!病気は原因さえわかればこれまた手術で簡単に治っちゃう。頭がよくなりたければ頭がよくなる薬を飲めばいい。昔のヒトからみれば、まあなんて夢のような世界!
でも、近頃ヒトは、なりたい自分になれすぎて、段々退屈になってきた。それで、とある行為が流行ってきているのをこの前耳にしたの、そう、それがさっき話したいい仕事!詳しくその仕事の話を聞きに行こうと思うが、こんな私にも旦那と娘が1人いる。まさか自分を休みたい、なんて正直に話せなんかしない。とりあえず、友達とランチでも行くと嘘をつくしかないかな…。
専業主婦の私、名前は池田あゆみ。23歳。高校を卒業後、地元の会社に事務員として就職。合コンで出会った国際線パイロットの彬人≪あきと≫とデキ婚、12時間の死闘の 末、長女の心音≪ここね≫を出産。育児休業取得中で呑気にママやってます。彬人は仕事柄、月の半分以上は家に帰ってこない。それでも育児・家事には協力的で、帰ってきたら十分な戦力になってくれる、とてもいい旦那。心音は特に病気もせず、元気に育ってくれている。そんなごく普通の幸せな家庭。この頃はまだこの“普通の毎日”がどれだけありがたいものなのか…わかっていなかったからあんな選択を私はしたのだろう。
「ただいま~」
彬人が帰ってきた。
「お帰りなさい、ご飯にしようか」
いつも通り、不自然な様子を見せず、話すチャンスを窺う。ご飯を済ませ、心音とのお風呂を満喫し絵本を読んで寝かしつけ、2人きりになったとき、話をふってみた。
「あのさ、明日、友達と出かけたいんだけど…」
「いいよ明日休みだし、ゆっくり行ってきなさい」
「ありがとう~!心音、頼むね!」
「ああ」
さすが、12歳上の旦那。嫁のワガママを簡単に許してくれる心の寛容さ。チャンスはきた。私は私を休むのだ…。
翌日、天気は曇り。でもとびっきりのおしゃれ・メイクをして、いよいよ、と…
「それじゃ、行ってくるね!夕飯までには戻るから」
「晩はなにか作っておくから、ゆっくり楽しんでおいで」
「ありがとう、いってきます」
足取りは軽い。地下鉄に乗り、街中で降り、細い路地を進んで怪しげなバーの前。
(ここだ…)
“BAR COOK”
カラン、とドアを開ける。薄暗い店内。一人の男がやってきた。
「ご用件は?」
なんか、やばっちいニオイがする。このお仕事、いかがわしい内容なのかな…
「仕事、したいと思って。」
男の顔色は見えないが、明らかに声のトーンが変わった。
「ご案内いたします」
わたしは男についていった。客は1人もいない。相当歩いてたどり着いた部屋は豪華絢爛、日本じゃないみたい。シャンデリア、猫足の大理石のテーブル、上品なカーペット…
「どうぞ、おかけください」
「どうも」
ジェイソンみたいな仮面をつけた男が向かいの席に着いた。絶対よくない感じ、逃げたほうがいいのかもしれない。
「お仕事、お探しなのですよね?」
「はい。」
「仕事内容はご存じですか?」
「あー…。他人を生きるんですよね?」
「簡単に言えば、そうです。リスクのご説明をさせていただきます」
リスク、か。そういえば、私はこの仕事の高額な報酬の理由についてはなにも考えていなかった。ただ刺激を求める好奇心と、報酬にひっかかった浅はかな女。
「自分を休みたい、と売りだしている方のリストから、あなたが生きたいと思う人間を選んでいただきます。売り出している期間とその方の仕事や生活環境で、報酬は大分変わってきます。」
そこまでは、噂で聞いていたからわかる。
「そして、あなたの脳内に、新しく生きる他人についての必要な情報を書き込みます。書き込みが完了したら、自分休業し、他人就業を行います。あなたが目を覚ませば、見た目も中身も周りも、すべて就業する他人の世界です。つまりはあなたの精神が他人に入るということです」
ふと、一つ疑問が湧いた。
「あの、わたしを休んでいる間、わたしの体はどうなるのですか?あと、代わりに生きる方の精神はどこへいくのですか?」
少し、間があいた。
「あなたの体は、あなたの他人就業期間、原因不明の疾病で植物人間になります。その体の中に、就業する他人の精神が待機しています。精神は、入れ替わるのです」
なんとなく、わかってきた。
「つまり、私が他人を生きている間、わたしの本当の体はその他人の精神が入って…でも動けない体になっているということですよね?」
「その通りです」
なんか、どきどきしてきた。怖い。でも、好奇心が止まらない。さらに、聞いてみる。
「リスクって、具体的には…?」
「他人に就業した時の記憶は、消せません。他人就業中に出会った人間と、就業後のあなたが再び巡り合うという大きなリスクがあります」
「それだけですか?」
「あと、他人就業中に、あなたのご家族があなたに安楽死を望んだ場合は、この仕事は強制終了します。報酬はもちろん支給されません。」
え、安楽死?…さっき説明した通り、今の技術を持ってすれば病気なんて簡単に治るのだけれど、それは原因がわかれば、の話。原因不明で植物状態になるということは治療法はない。彬人が私を殺す?そんなはずは、ない。でも待って、そもそも私が他人就業期間中は誰が心音のお世話をするの?彬人は毎日家に帰ってこないし、心音はまだ1歳半だよ、やっぱりわたしがいなきゃ家庭が成り立たないんだ…。
「なにかお考えですか?」
ふ、と我に返る。
「あ、いや…ちょっと冷静に考えようかな、と思いまして…」
「そうですか…。もしよければ、現在販売中の他人就業リストを見てみますか?」
見るだけ見てみようかな、どんな人が自分の人生を売るのか気になった。
「お願いします」
それはそれは膨大な量のファイルが運ばれてきた。こんなにいるんだ!
「なんで、自分の人生を売るんだろう…」
ポツン、と本音がこぼれてしまった。
「この世は、望めばなんだって手に入ります。だからこそ、自分では歩まない人生を歩むために、一時的に誰かに自分を託してみたいのではないでしょうか?」
“35歳独身、公務員、就業期間3年。「私の人生をめちゃくちゃにしてください」”
“29歳バツ1、パート、就業期間5年。「子育てと前夫との関係が大変です」”
“56歳女性、無職、就業期間半年。「新しく趣味を見つけてほしい」”
なんだか、若いヒトからお年寄りまで…驚いた。みんなそんなに今の自分じゃダメなのか。そもそも私はなんでこんな仕事に興味をもったんだろう?私には守らなければならない家庭がある。育てなければならない子供がいる。支えなければいけない旦那がいる。でも…本当に、そうだろうか。私がやらなきゃいけないのだろうか。私がいなかったら、いったいどうするのだろうか。実際に今、私がこんなところに来ている間だって、しっかり家庭が成り立ってる。今日のところは半日くらいだから、成り立つだけだろうか。
ふと、考えてみる。若いころの私は、仕事をバリバリする女性に憧れていた。仕事も家庭も大事にして、いろんな社会でたくさんの顔をもつ“デキる女”になりたい、と。気づけば私は普通の主婦。彬人は私の復職を望んではいないし、育児休暇が明けたら早々に退職、心音と2人でのんびり人生まっしぐらになるのは目に見えている。
試してみたい。私の人生は、私のもの。自分で進む道を決めてもいいはずだ。1年、たった1年でいい。私に休みをください。本当なら、自分の可能性を試してから家庭を持つべきでした。でも授かった命は、守らなければならなかった。結婚することになったこと、結婚相手、そして生まれた我が子はかけがえのない宝物であることは間違いない。でも、せっかくのチャンスなの…自分の考えや、自分の能力を試したい。1年でいいから、眠る私をどうか殺さないで、彬人。心音、こんなママをどうか許して。
「1年。就業期間1年で、私と同い年の女性。男の職場でバリバリ仕事をしているような人、いませんか?」
これ以上なにか考え出したら、思いとどまってしまいそう。走り出すしかなかった。
「すぐにお探しいたします」
周りが慌ただしい。なかなかこの仕事に手を出すヒトはいないのか、ここにきてから従業員以外のヒトを見た覚えがない。
「こちらになります」
“23歳独身、派遣職員、就業期間1年。「今の生活に満足していません」”
“23歳独身、工場勤務、就業期間1年。「深夜勤務、力仕事でオーバーワークです」”
“23歳独身、測量士、就業期間1年。「男社会の職場で悩んでいます」”
それぞれ私とは縁遠い世界の住人だ…どの人生もどうにでもなるじゃないか、売り出すなんてもったいない!でも、もっと変わった、特殊な仕事をしている子はいないだろうか。
“23歳独身、船舶料理士、就業期間1年。「新人船乗りです。自分に自信が持てません」”
これだ!船乗りの女!しかも料理人、なんて刺激的な社会に生きているんだろう。自信が持てないなんてもったいない。私がこの1年間で、この子が胸を張っていられる居場所を作ってあげよう。そして社会の厳しさと家庭のありがたさを学んで、1年後からは一生、彬人と心音のために尽くしていこう。
「この人で、お願いします。」
「本当に、いいんですね?一度就業したら、途中でやめることはできません」
「大丈夫です、いつから就業開始ですか?」
「今から、すぐに記憶の書き込みを行います」
…あ。お別れなんて、言えないのか。それはそうか、世間的に池田あゆみという人間は急に体調を崩して植物人間になるのだから。なんか、急に寂しくなってきた。もう彬人に会えないのかな、心音は、ちゃんと元気に育ってくれるのかな、育児、仕事、彬人どうするんだろう。あ、だめ、心配でもう、どうしようもなくなる。
「それでは、書き込みを開始いたします。就業期間は1年。」
「ちょっとまっ…」
「報酬は、8500万円です。」
あっ、報酬。確認してなかった。そんな大金、どうやって受け取るの?
「行ってらっしゃいませ」
気が遠くなる。家族の笑顔が霞んでいく。涙が1粒、こぼれた気がした。