08 王の胃薬
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さて。最近サイアス王は新たな悩みに悶絶していた。
もちろん、王妃と寵姫に関わることである。
王がわずかに眉をしかめると、優秀な側近エドワードは懐からさっと胃薬を差し出した。
歴代の王達に重用され続け、その歴史はジグジア国建国までさかのぼるという、王家の秘薬である。どんな胃痛でもたちどころに治してしまうという。
しかし、精神的な理由の胃痛は、悩みの原因を断つしか方法がない。
こればかりは、いかに優秀なエドワードにもどうすることは出来ない。
何せ、どう考えても原因は王の自業自得であらせられるのだから。
「……俺は、何かしたか?」
苦い胃薬を飲み下し、王がボソリともらす。
「毎日大量の書類を裁き、会議に明け暮れ、趣味のひとつも持たず、国政と予算のことばかり考えているというのに……俺は王だぞ、それなのに、なぜこんな胃痛なんぞに苦しまねばならんのだ」
……それは、陛下が「ご寵姫さましか愛せないと」と言った舌の根も乾かぬうちに、王妃さまにヨロっといっちゃったからでしょう。
ズバっと核心をついてやるが、己の立場をわきまえるエドワードは決してそれを口に出すようなことはしない。
「陛下、胸に手を当てよぉく考えてみて下さい」
しかし、何も言わずにおれようか。
エドワードは誰よりも近くで王の成長を見守ってきた。
鶏をこっそり王宮に連れこみ大騒ぎになった日も、初めて恋をした日も、王となった日も。
そう、王の全てを知っていると言っても過言ではないと自負している。
王は幼少の頃より、のめりこんだら一直線。色恋にはいまいち疎く、女性に弱い。
大国の王であるのだから、妃など何人でも持てばいいのに、たった一人の女性を持て余しウジウジと、見ている方が情けない。
そんな性格を好ましく思っているが、今回ばかりは自分で解決していただかなければと決めている。
何しろ、完全なる王の自業自得であらせられるのだから。
「お前はいつも遠回しな言い方で回りくどい。ハッキリ言え、説教の仕方がジジ臭い」
胸元をくつろげ、長椅子に転がり王は言った。
「だから未だに童貞なんだ」
「それは今は関係ざいません!!」
「なんだ、本当だったのか。侍女の間で噂になってるぞ」
「な、何ですか噂とは」
王はニヤリとエドワードを見上げる。
「だから、お前はその年齢で童貞の変態……堅物だと」
「はっ?!」
「いやいやいや、気なするな。男の価値はそんなことでは決まらん。無理にでも女を紹介しなかった俺が悪い」
「あ、いえ、決して陛下のせいでは」
「案ずるな。童貞のまま死んだ男は妖精になれるらしいぞ。それも良いではないか、貴重だぞ。ははははっ」
「陛下っ」
エドワードをからかって遊んでも、王の胃痛は気紛れに治まるだけで完治することはない。
今も、胃痛の原因である人物が、キラキラと瞳を輝かせ王の前にいる。
「今度シェイラのところにお泊りに行っていいかしら?陛下、狩りで一日留守にするでしょ?その時にパジャマパーティをしましょうって話になって」
頬を桃色に染めた寵姫は、今日も鈴蘭のように美しい。
王は「もちろんだ」と頷きながらも、内心は嵐のように突風が吹き荒れていた。
王は寵姫にバレぬよう、こっそりと息を吐いた。これが胃痛にならずにおられようか。
「シェイラ、パジャマパーティしたことないんですって。おしゃべりしながら、一緒にお風呂に入って一緒の寝台で寝るの。楽しそうでしょ?シェイラってば実は寝起き悪いらしいの。そんなふうに見えないわよね」
寵姫は王の様子には気付かず、楽しそうに話を続ける。
やれ東の庭園に共同でハーブを育てているだの、やれ有名な調香師におそろいの香水を作ってもらっただの、お忍びで歌劇を見に行っただの。
果てには俺の留守に二人でパジャマパーティだと?
もはや、悲劇に見せかけた喜劇だ。
王妃の突然のお茶の誘いから一月。その日から、寵姫の口からは王妃の名しか出てこない。
「シェイラがね」
「シェイラと一緒に」
「シェイラってば」
つまり、周囲の過剰な心配を他所に、当の二人はとてつもなく仲良くなってしまったのだ。
その急激な接近に、王宮の誰もが目を見開いている。
もはや、これは拷問だ。
恋い焦がれる王妃の話を、寵姫から聞かされ続けるとは!
王妃がハーブの知識に長けていること、花の香水を好んでいること、寝起きが悪いなんてこと知らなかった。
しかも、夫である自分ですら名を呼べずにいるというのに、アンは当たり前のように「シェイラ」と名を呼んでいる。
もはや、悪夢だ。
何も知らぬ寵姫が王妃と親しくなったことへの罪悪感。そして、自分を差し置いて王妃と親しくなった寵姫への嫉妬。
王は自分でも持て余す感情に疲れ果て、また胃薬を飲む。
それにしても、王妃と一緒に風呂に入って同じ寝台で寝るとは……なんて羨ましいんだ。俺は王妃の素肌すら見たことないというのに。
『妻が望むならば夫はある程度妻の元へ通い世継ぎ誕生に努める』この条項のせいで、王は王妃が望まぬ限り触れることが出来ない。
『妻が望むならば』などと入れなければ、義務としてでも肌を合わせることが出来たかもしれない。
しかし、悲しいかな、王妃が王を望むことなど一生なさそうだ。
一応、現状は正しく理解している王である。
……一体俺はどうすればいいんだ。
サイアス王の苦悩は大陸一と言われるスニ渓谷よりも深い。
そして、その苦悩が報われる日は、まだまだ遠い。