06 王と王妃と寵姫の関係
副宰相は肥満気味の体を揺らし、「本日の午前中分の報告は以上です」と締めくくった。
可決、保留、却下。
サイアス王は報告を受けながら、その手は休むことなく凄まじい早さで書類をさばいている。
副宰相が持ちこんだ書類は、報告を終えるまでの短い時間に全て分類し終えてしまった。
「分かった、西街道の整備と盗賊被害については即刻検討しよう。国土交通省、財務省、軍の担当者を集めておけ。次にリダ国大使の訪問日程だが、我が国の豊穣祭に合わせてもらえるよう調整しろ。王宮で舞踏会もある、ちょうど良いだろう。それから、ホラスト元大臣は追い返せ。あ、この保留分の書類を忘れるなよ。各省に戻し、調査書を提出させろ」
「かしこまりました。しかし、ホラスト元大臣にはお会いにならなくてよろしいので? 」
副宰相は、取次の間で「陛下に会わせろ」と怒鳴り散らす男を思い出し眉をしかめた。
しかし王は、それ以上に不快感に顔を歪め、却下にした書類をぐしゃぐしゃと握り潰している。
「時間の無駄だ。あいつめ、新しい妃などいらぬと言っているのに、恐ろしくしつこい。絶対通してくれるなよ!」
事情を理解した彼は、ホラスト元大臣の押しの強さに疲れきっている王を気の毒に思った。
しかし、あわよくば己の息のかかった娘を王宮に上げようと企む貴族は、ホラスト元大臣だけではない。
多くの貴族たちは機会を窺い、隙を狙い、様々な手で王に新しい妃を娶らせようとするだろう。
何しろ現在の妃は、属国の王妃と、侍女上がりの寵姫だ。あまりに後ろ盾が弱く、力が無い。
その上、王にはまだ世継ぎがいない。
シェイラ王妃を側室に降格させ、他国の姫君を王妃に迎える方が良いのではないか、と考える役人も多い。
そのような状態では、強欲な貴族たちが何かを期待してしまうのも仕方のないことなのだ。
その夜。政務を終え寵姫の元へ戻った王を迎えたのは、困惑した寵姫と、やけに興奮している侍女たちであった。
差し出された盆の上には、王と寵姫宛の手紙が一通ずつ。
なんと、先ほど王妃から届けられたのだという。
今までに無いことに、王は何事かと慌てて手紙を読み、目を見開いた。
『アンリエッタさま。突然のお誘いで申し訳ありません。つきましては明日の午後、私のお茶会にご主席いただけないでしょうか。私的なお誘いですので、どうぞお気を楽にして、普段通りでいらして下さいませ。 シェイラ』
こちらは寵姫宛の手紙だったようだ。そこには丁寧な文章で、お茶への誘いがしたためられている。
な、なんだと?!
慌てて、もう一通にも目を通した。
『明日の午後、ご寵姫さまをお茶にお誘いしたのですが、よろしいでしょうか?』
相変わらず素っ気ないほど簡潔だ。余分は全て省略され、要件のみ、王への挨拶すら無い。
王は力無く長椅子に座りこんだ。
「あの、陛下……王妃さまはご本気で?」
朝露に濡れた鈴蘭のごとき清楚な美貌の寵姫が、そっと王に寄り添い腰をおろす。その瞳は不安気に揺れている。
「本気だろう。王妃はたいそうな甘党で、趣味が菓子作りだ。振る舞いたいのだと思うぞ」
寵姫はこくりと頷き、王の夕餉を整えている侍女たちを困った様子で見上げた。
「大丈夫ですアンリエッタさま!私たちがついております!!負けてはなりません!!」
すっかり臨戦体制の侍女たちは、力強く拳をかかげてみせる。
「言われた通り普段着で行ったりしたら、 きっと笑い者になってしまいます! 明日はこれでもかってくらい、気飾りましょう!!」
「そうです! イヤミを言われたら、ニッコリ笑って陛下のホクロの場所を教えて差し上げればいいんです!!」
「その通り! アンリエッタさまは悲劇のヒロインなのです! 大丈夫、最後には勝ちます!!」
侍女たちは、すっかり王妃の誘いを寵姫に対する挑戦状と受け取っている。
何やら声高に叫び、愉快なポーズを決めてみせる侍女三人。
王の前で、とんでもないことを口にする侍女たちを、寵姫はオロオロと黙らせた。
「もうあなたたち、いい加減になさい。王宮ロマンス小説の読み過ぎよ!」
寵姫が気兼ねなく過ごせるようにと、明るい気性の者ばかりを選んだのは間違いだったのだろうか。
寵姫アンリエッタは慎ましく控えめで、まるで奢ったところのない女性だ。何しろ、王と長年恋人関係にありながら、周囲の者に一切悟らせなかったほどの慎み深さである。
王が一目惚れしたその儚げな美貌は、最近ますます磨き上げられ、眩しいほどだ。今やアンリエッタの名は国中に知れ渡っていた。
寵姫は没落した下級貴族の娘である。
家族のために下働きとして王宮に入り、王の侍女にまで出世した苦労人だ。
美貌・教養・品格も素晴らしく、どこに出しても見劣ることはない。
未だに侍女気質が抜けず、いらぬ働きをしようとするところが欠点といえば欠点だ。
しかし、だからこそ王宮に勤めてる女性からは絶大な支持を得ていた。
「どうする、アン。気が進まぬなら断っておくぞ。王妃はそれで気を悪くする人ではない……ああ、それからお前たちも、そのように気を張らなくとも王妃に他意は無い」
侍女たちが、えーっと不満気に頬を膨らませた。
ベタベタな女の戦いを期待していたらしい。平和な証拠だ。
「いいえ、行って来るわ。せっかくのお誘いだもの」
王は、微笑む寵姫の肩をそっと抱き寄せた。
恐らく、本当に王妃に他意は無い。純粋にお茶を楽しみ、親しくなりたいだけなのだろう。
しかし、なぜ今さらなのか。王は首を傾げた。
王と王妃は、今まで一度も寵姫の話をしたことは無かった。全く関心が無いのだろうと、悲しくなる反面 ホッとしていたのだが……何やら非常に気まずい。
王妃への恋心は誰にも知られていないはずだ。しかし、寵姫への罪悪感に、また胃が痛み出す。
しかし、王宮において王妃と側室の交流ははいたって普通のこと。
王は深く考えずに、胃薬を飲んだ。
この時王は、事態の深刻さを全く理解していなかった。
突然足元に降ってきた爆弾を、王はその小ささに油断し素通りしてしまった。
これより以後、何度も「時を遡れるならあの時に戻りたい!」と悶絶するほどの後悔を味わうとも露知らず……
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