10 王の決断
お久しぶりでございます。
感想を下さった皆様、評価をして下さった皆様、お気に入りに登録下さった皆様、本当にありがとうございます。
そこは、淡い色彩の空間だった。
優しく温かな空気、陽の光がキラキラと輝き、王は眩しさに目を細めた。
白いモヤの合間から子供の笑い声が聞こえる。
「お父たまー」
ふいに右手が柔らかいものに掴まれた。見ると、可愛らしい幼子が自分を見上げている。
戸惑っていると、その幼子は王の手を握ったままヨタヨタと歩き始めた。
その覚束ない足取りに、思わず幼子を抱き上げるとキャッキャと笑いながら、王の髪を引っ張っている。
幼子の頭を撫で、王は視界の悪い空間を、ただ真っ直ぐに進んだ。
しばらくすると、前方に複数の影が見え始めた。
「お母たまー」
「まぁ、お父さまを呼んで来てくれたの?」
幼子は王の腕の中からもがき出ると、危うげな足取りで走り出す。
危ない、王が手を伸ばした瞬間、淡い色彩の空間は弾け飛んだ。
はっと王が顔を上げると、そこには見慣れた丸顔があった。
「ーーーか、陛下?」
数回瞬きをすると、丸顔こと副宰相がわずかにこちらに身を乗り出していた。
そういえば、定例議会の真っ最中ではなかったか。
どうやら一瞬うたた寝をしていたらしい。
素早く周囲に目をやれば、誰も王のうたた寝には気づかぬ様子で、西街道の盗賊被害の報告が行われていた。
「お疲れでございますか?」
そっと副宰相が王の顔色を伺いながら囁く。
「大事ない。少々寝不足なだけだ」
王はすぐに姿勢を正し報告に耳を傾けているが、その声に覇気は無く、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。
疲労の色濃い王を、副宰相は心配気に見つめていた。
例年秋から年末にかけて王宮は猫の手も借りたいほど忙しくなる。
豊穣祭と舞踏会の準備、年末調整、新年の準備と一年で最も忙しい時期なのだ。
それに加え、今年はリダ国大使の訪問、西街道の盗賊被害、その上貴族たちの縁談攻めが重なり、王の疲労は極限に達している。
「……というわけで、どうも盗賊はユパーナ人である可能性が高いようであります」
軍の担当者はそこで一旦言葉を切った。ざわめく議会を見渡し、驚きに声を上げる人々に頷いて見せる。
「ユパーナ人だと?国境を抜け入り込んでいるというのか」
一人の大臣の言葉に、そうだと多くの者が反応した。
西の国境は確かにユパーナと接している。
国境は見渡す限りの荒野の中にあり、警備は特に厳しい。一定区間に置かれた砦と、毎日の巡回が厳しく国境を見張っている。
王妃との婚姻以来、両国の国交 は盛んになったとはいえ、ジクジアを訪れるユパーナ人の多くは商人や裕福な旅行者たちであった。
彼らは国境検問所を通り、入国許可証を得て国境を越える。その身元は確かで、盗賊のようなゴロツキが潜り込めるはずも、もちろん不法入国することも難しい。
「本当にユパーナ人なのか?」
この日始めて、王は発言した。
どうにも腑に落ちない。王の眉間に深くシワが寄る。
「被害者は、盗賊はユパーナの衣装をまとい、顔は布で隠していたようですが、見えた肌は浅黒かったと証言しているようであります」
「……そうか。で、西方軍も兵を出しているのだろう。まだ捕まらないのか?」
「は、残念ながら。盗賊は予想以上に人数が多く、さらに西方軍は人事不足でありまして探索に割ける余裕が無いようであります」
王の眉間にさらに深くシワが刻まれる。それを見た軍担当者が慌てて続けた。
「陛下。中央軍から援軍を割くことをご許可願います。若い兵士の中に自ら志願する者が多くおりますので」
「なるほど、それは助かる。では許可しよう。準備が出来次第西へ向かってくれ」
ジグジア国とユパーナ国は長年国境を挟んで小競り合いを続けていた、いわゆる敵国同士であった。
それが、王妃との婚姻を機にジグジアの同盟国という名の属国となったユパーナには、現状に納得出来ぬ者も多いだろう。
従って、西街道の盗賊がユパーナ人である可能性もあるにはあるが、どうにも怪しい。
まぁ、捕まえてみれば分かることだ。
そうだ、くれぐれも王妃の耳には入らぬようにしなくては。
王は、積極的に民と交流を深めようとしている王妃を想った。
ユパーナ人とジグジア人の民族の垣根を取り払いたいのだろう。
そんな健気な王妃が今回の事件を知れば、どれほど悲しむであろうか。
一刻も早く解決し、王妃の笑顔を曇らせることがあってはならない。
王妃の笑顔を思い出しながら意味もなく資料をめくっていると、いつの間にか議題が流れ、ホラスト元大臣が立ち上がっていた。
「えー私めからは、今日こそは陛下に新たな妃を迎えていただきたくーーー」
その瞬間、議会は騒然となった。
貴族や役人たちは、皆同じ思いを持っていたが、明らかに乗り気でない王を恐れ、今まで誰も定例議会でこの議題を持ち出したことは無かったのだ。
副宰相はその時、王の手の中で真っ二つに折れ、天井へと飛んで行くペンを見た。
「……というわけで、早急なるお世継の誕生が望まれるわけでございますが。かくいう私めにも年頃の娘が三人ほどございます。いえいえ、私の娘を妃になどと滅相もございません。ただ、妃になり得る娘は国中に五万とございます。諸外国からの縁談も含めますと、それは膨大な数に。陛下、なにとぞ、なにとぞ我らがジグジア国の未来のためにご決断下さいませ」
ホラスト元大臣の長い演説が終わると、貴族たちが一斉に立ち上がり、王へと詰め寄った。
「陛下!!我が娘の姿絵は拝見していただけたでしょうか?!」
「陛下!!我が娘は社交界でも評判の美少女で」
「ふんっ。お主の娘なんぞ化粧が濃いだけではないかっ」
「何を無礼なっ。そちの娘など社交界嫌いの根暗ブスと評判だろう!」
「はっ。色気過剰女より、聡明な娘な方が妃にはふさわしいのだ!!」
「いいからお前らどけ!陛下、一度娘にお目通りの機会をーーー」
「あ、抜け駆けするでないっ」
「陛下、我が娘の方が」
「いえ、我が娘の方が」
「陛下ぁー」
詰め寄る貴族に議会は混乱し、王は近衛たちに囲まれ命からがら脱出に成功した。
くそっ、ホラスト元大臣めっ!!
あの男一体何のつもりだ!?あのような議題は予定に無かったというに!!
これがヤツの政治戦略なのか?!
あのように貴族たちが詰め寄り強制終了されなければ、王は議会という正式な場で決定を下さなければならなかっただろう。
荒い息を吐きながら、とりあえず居室に戻って来た王は、重い衣装を脱ぎ捨てると寝台に倒れ伏した。
最近、胃痛どころか頭痛や倦怠感にも悩まされている王である。
このまま少し眠ろうかと考えていると、エドワードが薬湯を持って現れた。
「陛下。お休みになられるなら、その前にこれを」
紫色のドロっとした液体に顔をしかめたが、飲み干した王の顔色はなんと一瞬で明るくなった。
「なんだ、胃痛と頭痛が治り体が軽くなったぞ」
エドワードはただ満足そうに微笑んだ。
とてもじゃないが言えない。海を越え他大陸から持ち込まれたという怪しいことこの上ないミイラが原材料などと……。
「しばらく人払いいたしましょう。ゆっくり休まれて下さい」
「ああ、すまない。…….それより、今日のことは聞いたか?」
エドワードは頷いた。
「ヤツのせいで、今まで以上にあからさまな貴族どもが増えるだろう。どうすれば大人しくさせられるものか……」
王は心の底から深いため息をつくが、エドワードはそれを払い飛ばして言い切った。
「そんな簡単なこと。王妃さまかご寵姫さまに、お世継ぎをお産みいただけばよろしいではありませんか」
王は、さらに深くため息をついた。そんなこと、王にも分かっている。
だが、これには簡単には行かない理由があるのだ。
まず、第一王子を産むのは王妃でなくてはならない。
王妃以外の妃が第一王子を設ければ、後々争いの元になる可能性があるからだ。
しかし、王は王妃と交わした婚姻契約で「王妃が望まない限り子は作らない」としてしまっている。
このまま契約通りに王妃とは偽装夫婦を演じるならば良い。しかし、王の心はそれでは満足出来なくなってしまったのだ。
王は、当初のように寵姫だけを愛せない己を自覚している。
変わらず寵姫を大事に思いながらも、王妃も手に入れたいと本能が疼いていた。
王妃との子も欲しい、だが王妃には簡単に手が出せない。
世継ぎは早急に必要だ、だが第一王子は王妃の子でなければならない。
自業自得ここに極めり。
己で作った鎖にがんじがらめにされ、さらに首を絞められている。
「またそんな簡単なこと。王妃さまにお願いして契約を破棄させていだけば良いではありませんか。その上できちんと想いを伝えるのです。人間関係の基本です」
エドワードがさすがに呆れたように投げやりに手を振った。
「寵姫一人を愛し抜くと誓ったならやり遂げてみせなさい」「自業自得なんだから諦めたらどうですか?」などとは、最早言うことすら馬鹿らしい。
王はエドワードの言葉に晴天の霹靂のような衝撃に襲われていた。
想いを伝える?!そういえば、王妃に愛を囁いたことなどあっただろうか。いや、無い。
いつも麗しい王妃を前にすると、何も言葉が出なくなってしまうのだ。
そうだな、人間関係の基本は相互理解だ。
いい歳をした男が、今さら照れるなど情けない。
その時ふいに、王の脳裏に議会中のうたた寝で見た夢が甦った。
可愛らしい幼子が、自分を「お父たま」と呼んでいた。
夢の最後に出てきた「お母たま」の声は、そういえば王妃に似ていたような気がしないか。
まさか、正夢なのだろうか。
王の中にムクムクと根拠のない希望と自信が沸き起こった。
そうだ、未来は明るいはずだ。
王妃に想いを伝え、きっと子を産んでもらおう!
これで貴族どもも大人しくなるはずだ。
王は疲労も忘れ、王妃への愛の告白の筋書きに取り組んだ。
それは、人には見せられないほど甘ったるく、ご都合主義の塊の駄作であったが。
久方ぶりの穏やかな眠り中で、王は再びあの幼子に「お父たまー」と呼ばれ幸福を噛み締めていた。
この決断が、己を不幸のドン底に突き落とすとも知らずに……
後の世で王さま作の「愛の筋書き」はどこからか出版され、ベストセラーに。