第一話
教会の中にまで張り巡らされた世界樹の根が輝き、生い茂る葉が揺れ始めた。
周りの神父たちは、この世界樹の動きを知っている。
――魔王の代が変わったのだ。
司祭長は世界樹の幹の元へ向かうと、幹に浮かんだ文字を読み上げる。
「……新しい【魔王】はフェンリル。狼型の魔族です。」
教会の鐘が鳴り響き、新しい魔王の誕生を告げた。
「【魔王】の代が変わった合図の鐘の音—―……ここまで聞こえるのですね。」
濡羽色の髪を持つ整った顔立ちの男が、町はずれにある洞穴から顔を出す。
顔を照らす太陽の光に、眩しそうにアーモンドのような目を細めた。
「あの鐘……、本当に鳴るんですね。」
そう言いながら、洞穴の深くへ進む足は革靴から鳥の趾に姿を変えた。
人間からカラスに姿を変えた魔族—―フギンは、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら移動する。
フギンが進んだ先の洞穴の深く、その場所には似つかわしくない、美しい白銀の毛をもつ大きな狼が佇んでいた。
「当たり前だ。俺とお前は二十歳しか違わないだろ? 前の鐘は親父の世代。聞いたことが無くて当然だ。」
くだらない事を言うなとばかりにフェンリルはため息を吐く。
「これで世界樹にも認められて、晴れて正式に【魔王】の称号を得ましたね。おめでとうございます、フェンリル様。」
フギンの言葉に、フェンリルは軽く鼻を鳴らす。
「……どうだかな。」
前【魔王】—―フェンリルの父親を倒してから数ヶ月。
新【魔王】からその座を狙う者たちが次々と襲い掛かってきた。
昨日までで五度。
ある者は【魔王】の称号で自分の強さを認めさせるため。
ある者は新しい【魔王】の思想が自分とは反するため。
個人主義の魔族は滅多に徒党は組まない。
しかし、その分連日のように襲撃をされたフェンリルはすっかり疲弊していた。
魔法が堪能なフギンが傷を癒しても、精神的な疲労は癒せない。
彼らは戦いを避け、疲労を癒す為、人目のないこの洞穴で身を潜めていた。
「……【魔王】なんてどこが良いんだか。こうして他種族に大々的に喧伝されるわ、他の奴らがやらかしたら真っ先に責を負われる。称号と言うより呪いだろうよ。」
体を伏せながら嘲笑するフェンリルに、フギンは困ったように笑った。
「それでも【魔王】の称号の特権は強力ですよ?」
「親父のように無理矢理従わせるなんて、俺はやりたくないけどな。」
フギンはフェンリルの隣に座ると、柔らかい毛並みに身を寄せた。
目を伏せたフェンリルの横顔を見つめる。
(……【魔王】の称号を持つ者として、彼は優しすぎる。)
しかし、それでもフェンリルを失いたくない理由がある。
なによりフギンは、もう二度と大切な人と別れることは嫌だった。
(もう二度と、あんな思いはしたくない。)
胸に突き刺さる、冷たい痛みを紛らわすように、フェンリルの温かさを感じていた。
この優しい【魔王】様と共に、新しい道を進みたい。
フギンは静かに目を閉じた。
*
「魔女様ッ!」
人里から離れた魔女の家でフギンの叫び声が響く。
隠れるように言われていたが、後ろによろめき倒れる魔女をフギンは放っておくことが出来なかった。
魔女の元へ向かうも、カラスの姿では出来ることは何もなかった。
彼女の胸に鮮やかな赤い花が咲くように染みが広がった。
そして、温かさはすぐに冷えていく。
「魔女様……魔女様っ……。」
泣きじゃくり何度も何度も名前を呼ぶも反応はない。
瞳の光もすでに消えた。
「我が自ら来たのだぞ……?」
開いた扉の逆光の中で、人間離れした美貌の男が声を荒げ、顔を歪めた。
フギンはその金色の瞳を見た途端、恐怖で心臓の鼓動が早まり胸が苦しくなる。
体がガクガク震え始めた。
(怖い……! 魔女様!! 怖いよっ!!)
「光栄に想えこそすれ、それを拒否するなど……流石は下等な人間、愚かなことだ。」
影の中で、それはカツカツと足音を響かせフギンの元へ近づいてきた。
銀色の長い髪がサラリと揺れる。
「ほぅ、珍しい。魔女とカラスの魔族がつるんでいたか……。」
ゆっくりと体を下ろし、フギンの身体を乱暴に掴むと先ほどの荒げた声が嘘のように甘く、低い声で囁いた。
「計画は狂ったが、お前が魔族なのは好都合だ。魔女の知識を持っているだろう? その技術で我に尽くすことを許そう。」
その瞬間、【魔王】の特権が発動した。
フギンは恐怖を抱いた心の隙に特権による支配を受けた。
「あっ……。」
成すすべもなく、フギンは抵抗する事も出来ず乱暴に足を掴まれ、そのまま【魔王】の城へ連れ去られた。
「魔女様……。」
離れていく魔女の家を見ながら、涙を流してフギンは呟く。
幼い頃群れからはぐれ拾ってくれた魔女の、数十年共に暮らした故郷を、彼はぼやける視界の中で、ただただ見送る事しかできなかった。
連れてこられた【魔王】の城は、薄暗く冷たい印象を受けた。
従う魔族たちの表情も暗い。【魔王】の特権を受けている事は明白だった。
城につくと【魔王】は元の巨狼の姿に戻り、玉座に横たわる。
ジロリとフギンに視線を向けると、低く恐ろしい声で、いくつか魔法の知識を問う。
しかし、フギンが魔女から教わったのは魔法の基本的な知識のみ。
魔女が編み出した、魂を扱う禁忌の魔法など知る由もない。
それを知った【魔王】は、玉座の上からフギンを見下ろし蔑んだ。
「……まさか貴様が魔女の知識を持っていないとは、期待外れも良いところだ。」
この役立たずと、【魔王】は深いため息を漏らした。
玉座の側に立つ、褐色の鱗を持った竜型魔族が恭しく口を開いた。
「恐れながら、此奴はまだ六十歳の子供でございます。寧ろ【魔王】様に延命の術を施すには若輩すぎる。」
ちらりと、フギンを値踏みするように見る。
その物を見るような視線に、ぶるりとフギンの身体が震えた。
「――それならば、いっそここで管理して術式を編み出させる方が得でしょう。」
ふん、と【魔王】は鼻を鳴らした。
「一理ある。魔女の系譜があるのなら、魂を扱う術も編み出せるか。」
興味を失った顔で、【魔王】はフギンに命じた事は二つ。
一つ目は、魔女から授かった知識を元に年老いた【魔王】を延命させる術式を完成させること。
二つ目は、その術式の素材として飼っている【魔王】の息子を逃げない様に監視する事。
(自分の息子を素材に?! どうしてそんな惨い事が出来るんだ。)
フギンは信じられないと目を見開く。
しかし、施されてしまった【魔王】の特権は、彼に頷く事しか許さなかった。
数日後、フギンは【魔王】の息子であるフェンリルの、魔法の教師として彼の元へ送られた。
この城の牢屋が、彼の住処だった。
フギンは辺りを見渡す。
古くなった石壁の剥がれた隙間しか光が差さず、常に薄暗い。
奥からのそりと現れたフェンリルは、親から継いだ立派な恰幅に反し、虚ろな瞳をフギンに向けていた。
暗闇に光る金色の瞳に、あの日の事を思い出し、フギンはびくりと体を揺らす。
フェンリルは、フギンを一瞥すると興味なさげに視線を逸らした。
「……どうせ、お前もアイツの指示で俺を監視に来たんだろ?……ご苦労な事だ。」
ふんっ、と鼻で笑う。
苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
その言葉に、フギンは何も言えなかった。
魔女と暮らして魔族とは暫く縁はなかったが、それでも分かる。
少なくとも自分より二十歳若い子供がする目ではない。
フギンは勇気を振り絞り、ぴょんぴょんとフェンリルの近くまで移動する。
誰にも聞こえない様に彼の耳元で囁いた。
「……あなたも、大変ですね。」
その言葉に、フェンリルは体勢をそのままに、フギンの方向へ視線だけ動かした。
驚いたように目を丸くしている。
彼はなるべく動かない様に、それなら……、と静かに言葉を紡ぐ。
「……【魔王】を殺すのに、一枚噛まないか?」
虚ろだった彼の瞳に光が差した。
(ようやく機会が訪れた。)
待ち人が来たことに、フェンリルは僅かに口を吊り上げた。
すでに投稿されている「指示したその先」が少し読みづらい事に気づいたので、構成や文章を直してみたいと思います。
新旧で読み比べるのも面白いかなと敢えて旧作も残しています。




